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3話 ジェイドの過去
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翌朝。
アンリエッタは気だるい目覚めの後、ジェイドの手伝いで、祖国にいた頃と同じように、華やかなドレスに身を包む。
ドレスは、ガナイアで流行っているものとは異なる。鮮やかな色を使った異国情緒溢れるデザインで、恐らくこれが獣人族のレディ向けに作られたものなのであろう。
化粧品は、アンリエッタがガナイアで使っていたものがそのまま持ち込まれていた。それが、アンリエッタ自身が和平のために合意で差し出された証拠のようにも感じられ、アンリエッタは使い慣れた道具を前にしているのに涙が滲みそうだった。
しかし、彼女のなけなしのプライドが、その涙を押し殺す。
(泣いてはダメ。私はガナイアの王女よ。尊厳を忘れてはいけない……祖国の為にも。私はどんな逆境の中でも精一杯生きねばだめだわ)
アンリエッタはメイクだけはジェイドの手伝いを断り、丹念に自らの手でメイクをする。
たとえ屋敷に執事と園丁しかいないとしても。
朝食の後の時間を持て余し、アンリエッタは屋敷の中をふらふらと探検したり、用意された刺繍などで気を紛らわせた。
午後は庭園に面した二階のテラスで、お茶を楽しんだ。
とはいえ、語り合う相手もおらず、ジェイドはアンリエッタにお茶と不思議な香りのする焼き菓子を用意すると、呼び鈴だけ机に残し、屋敷の中に下がってしまった。
小鳥のさえずり。木々の揺れる音。
アンリエッタは目を閉じ、不安、悲しみ、混乱する心を落ち着けようとする。
そこに不意に、何かがテラスに落ちる音を聞いた。
目を開くと。小さな薔薇の花束がテラスの床に落ちていた。
「これは……」
アンリエッタは立ち上がり、薄いブルーのリボンで結ばれた花束を拾い上げる。
美しい。恐らく形のよい、もっとも良い開花状態の花を選んで花束にしたのであろう。
アンリエッタはテラスの手すりに近寄り、庭園を覗き込む。
そこには予想通り、園丁の狼獣人、バーナードがいた。
「お嬢さん!それは昨日のお詫びだよ!受け取ってくれ」
バーナードは笑顔だった。屈託のない笑みを浮かべ、無邪気なに手を振っている。
「お断りするわ。私は部屋に戻ります」
「おいおい、お嬢様は俺みたいな平民獣人には冷たいのかい!なんてこった!人間の王女ってのは無慈悲だ!たった一度のご無礼で、俺をいないみたいに扱うのかい!」
思わずアンリエッタは足を止めた。
ジェイドと、バーナードとは口を利かないと約束はしたし、昨日の無礼な態度に腹も立ったが、1人で午後を過ごす寂しさには勝てそうにない。
「そこにいて待っていて。下に降りるわ」
「そうこなくちゃな!」
アンリエッタは一度はテーブルに置いた花束を手に取り、いそいそと屋敷内に戻り、階段へと小走りに歩き出した。
アンリエッタは、いそいそとバーナードの待つ庭園に降りた。なるべく、屋敷の何処かで家事にでも勤しんでいるであろうジェイドに気取られないように。
「お嬢さん、やはりお綺麗だね。近くで見るとますます綺麗だ」
相変わらず嫌味もなく、屈託のない直接的な褒め言葉だった。
アンリエッタはその単純明解さに少しばかり呆れ、そしてやはり和んで微笑んでしまった。
「それに笑顔もかわいい」
「まあ、そんなことばかり言って…あなたって本当に褒めるのがお上手ね」
「今日は無礼はしないから。ほら、この通り。生け垣ひとつ分距離を置くよ」
バーナードは大仰な動きで後ろ歩きし、アンリエッタから『生け垣ひとつ分』の距離を置いて見せた。
「まずはこの傘を返さなきゃ」
バーナードははっと気付いたように、片手に持った日傘を渡そうとして、近づくのをためらうように足踏みした。
昨日アンリエッタが落としていった傘だ。
「近づいても構わないわ。今日は日差しが強いから……傘をさしたいわ」
「はいよ、お嬢さん……綺麗に持ち手は拭いて置いたよ」
バーナードは馴れない様子でうやうやしくアンリエッタに近づいて、跪いて開いた傘を差し出した。
「ありがとう」
それを受け取ると、アンリエッタはまじまじとバーナードの様子を近くで眺める。綺麗な琥珀色の瞳……まじまじとみると、虹彩が人間のものとは少し違う。狼のピンとした耳、そして機嫌の良い犬のような笑顔…。昨日のことがなければ、バーナードは本当に愛嬌のある好青年にしか見えない。
「少し庭を案内しようか。退屈じゃないかい」
「……お願いするわ」
退屈には敵わなかったし、美しい庭園、そしてこの獣人にも興味があった。アンリエッタは彼とほんの少し距離をおいて歩き出した。
庭園には最近西海諸国から入ってきて流行している雨露薔薇が見事に咲き誇っている。鮮やかな赤がきらきらと眩しい。優しい黄色の木香薔薇、アンリエッタの知らぬ、珍しいサボテン…。庭園は人間社会のものとは異なっていたが、それは見事だった。
「手入れはあなたが1人でやっているのよね?すごいわ」
「へへ。ありがとう。俺はこれしか取り柄がないんだ。俺の親父も、爺さんも、園丁の仕事をしているんでね。
王都にったら、アドナ離宮に行きたいって獣王におねだりしてみなよ。俺の親父の庭園が見れるよ」
「王都……。そうよね。いずれ王都に行くのよね」
アンリエッタは表情を曇らせた。
「一体いつになるのかしらね……。怖いわ」
ふと不安が口から漏れていた。
「俺は、獣王の夜伽の相手が出来るようになったらってジェイドの奴から聞いてるけどね」
「……彼とはそういう話をするの?」
アンリエッタは意外そうに尋ねる。
ジェイドの口ぶりから、バーナードを蔑み嫌っているように感じたからだ。
「ああ。ヤツと俺は幼馴染だもんで。聞いてないかい?」
「ええ、特に……」
好奇心がよぎった。
アンリエッタはジェイドのことを何も知らないのだ。あの鉄面皮の豹獣人の事を。
「彼のこと教えて下さる?」
「うーん……どうかな」
バーナードは困った顔をして耳を少し寝かせて見せた。獣人は態度が全て耳に出る。アンリエッタが王宮で可愛がっていた小動物達のようで微笑ましい。
「ねえ、お願い。私彼とほとんど個人的な会話をしていないのよ。それは、寂しいわ。何か彼のことがわかれば会話のきっかけになりそうでしょ」
「それもそうだなあ……」
バーナードはやはり単純で、心優しい男だ。アンリエッタが恐る恐ると寂しさや、優しさを見せるとすぐ相好を崩す。
バーナードはジェイドとの過去を話した。
バーナードは園丁の息子として、幼い頃から王都の王宮や、前獣王の妾が暮らす離宮に出入りしていたそうだ。そこでどこぞの名も知れぬ貴族の隠し子として、ひっそり育てられていたジェイドに出会った。ジェイドは隠し子として疎まれ、父親の名前を明かすことも許されず、王族、貴族の使用人の間を転々とするような生活を送っており、家庭教師もつけてもらえず、1人でぶらぶらとしていたそうだ。年齢が近い2人はすぐ仲良くなり、2人で離宮でいたずらをしたり、野山を駆け回って遊んだ……。
しかしある日、ジェイドの父親たる貴族の命令で、ジェイドはある日突然王宮に呼び戻され、全獣王の使用人として働く事を命じられたらしい。
2人には長い別れが訪れた。
成人したバーナードは園丁として独立し、王の別荘の1つ、この離宮『雨露薔薇山荘』の園丁を任された。普段は獣王の夏の避暑や、獣王の親族の療養などに使われる程度で、誰も逗留していない間は酷く退屈だそうだ。最近全獣王が崩御し、その長男が即位。この屋敷は、獣王が愛人や正妻候補の『身体検査』や『教育』に使われるようになったそうだ。美しい獣人の娘が時々連れてこられて、獣王の配下から、獣王を喜ばすことが出来るように教育を請ける。
そしてつい先日、この山荘にジェイドが執事として赴任してきたそうだ……再会した頃、ジェイドはめっきり人が変わっており、幼いころの快活さや、明るさは消え去っていたらしい。
何が起きたのかそれはバーナードもわからない。
ただ2人はすっかり気まずくなっており、同じ屋敷で暮らすのにほとんど会話もないと、バーナードは淡々と話した。
なんとなく、アンリエッタは胸を掴まれたような悲しさを覚えた。
「ジェイドは悲しい子供時代だったのね……王都では一体何をしていたのかしら…」
性格が一変してしまうほどの何かが、あったのだ。
「今の獣王様は、酷い暴君だよ。正妻候補は何人もいたのに、どの娘も気に入らないと弄ぶだけ弄んで、故郷へ追い返してしまう。どの貴族も自分の娘を差し出したがらなくなってね。獣王は人間の娘に恋をしていたとかで……きっとその子じゃないから満足しないのさ」
「人間の娘……って」
「そう、それがアンリエッタお嬢様さ」
「私……」
「獣王は一目惚れした、口も利いたことのないアンリエッタお嬢さんが欲しくて欲しくてたまらないそうだ。だから無茶してさらってきたんだろうねぇ。災難だったろうけど……多分王都に行けば大事にされるはずだ」
アンリエッタは勝手な話だと、ドレスの裾を握りしめわなわなと震えた。怒りと、恐怖がこみ上げてきた。
「そんな……私の心はどうなるの?いきなり社交界デビューの日に誘拐されて、こんな辱めを受けて……好きになった人に、どうしてそんな事ができるのかしら!」
「それが人間の娘の考え方なんだろうけど、俺たち獣人は違う。欲しいものは奪うし、弱いものは奪われて従う。それが俺たち獣人の掟なんだよ」
めまいを起こしかけ、ふらつくアンリエッタをバーナードが慌てて受け止めた。
「おっと……また触れちまった。ごめんよ」
「いいの……大丈夫よ、ありがとう。屋敷に戻りたいわ。連れて行って下さる?」
アンリエッタはバーナードに支えられ、ふらふらと屋敷に向かい歩いた。
力強いバーナードの体に寄りかかると、ジェイドとは違う筋肉質さと、たくましさを感じた。男……ジェイドの引き締まった細身の体とは違う、男としての力強さを感じた。アンリエッタはふと、これが男。というものなのかしら、と思った。
「やっぱりあんたはいい匂いがする」
アンリエッタがそんな事を考えていると、バーナードは少し真面目な顔で、アンリエッタの方を見ずに言った。
どこか怒っているような顔つきだった。
「そう……?人間の香水よ」
「違う、香水だけじゃない、あんたはの体臭だよ。甘い、いやらしい匂いだ……もしお嬢さんが獣王のお后になる人じゃなかったら、俺も……」
「アンリエッタ様!」
バーナードの言葉は最後まで口にされることがなかった。
屋敷からジェイドが走ってきたのだ。
「バーナード、一体なにがあった!?」
語気もあらくジェイドは叫び、バーナードの腕の中のアンリエッタを引き寄せる。
「日差しでお倒れなさったんだよ……。俺は何もしていない」
「本当ですか、お嬢様」
「……そうよ。彼は助けてくれたの。なにもないわ。横になりたい……」
「わかりました、今お部屋に連れて行きますよ」
ジェイドはやすやすとアンリエッタを胸の前で抱きかかえた。
「あっ……」
「ご無礼をお許し下さい。バーナードはもう下がれ」
「はいよ」
バーナードは仏頂面で下がる。
「またな、お嬢さん」
「もうお嬢様に近づくな。身分差というものを考えるんだな」
ジェイドは怒った様子で吐き捨て、アンリエッタを屋敷の中に運んだ。その感情を高ぶらせた様子は、ふだんの氷のような顔のジェイドとは別人のようだった。
(こんな表情もするのね……)
アンリエッタは意外な彼の一面に、めまいで酩酊したような意識の中、うっすらと微笑みを浮かべた……。
アンリエッタは気だるい目覚めの後、ジェイドの手伝いで、祖国にいた頃と同じように、華やかなドレスに身を包む。
ドレスは、ガナイアで流行っているものとは異なる。鮮やかな色を使った異国情緒溢れるデザインで、恐らくこれが獣人族のレディ向けに作られたものなのであろう。
化粧品は、アンリエッタがガナイアで使っていたものがそのまま持ち込まれていた。それが、アンリエッタ自身が和平のために合意で差し出された証拠のようにも感じられ、アンリエッタは使い慣れた道具を前にしているのに涙が滲みそうだった。
しかし、彼女のなけなしのプライドが、その涙を押し殺す。
(泣いてはダメ。私はガナイアの王女よ。尊厳を忘れてはいけない……祖国の為にも。私はどんな逆境の中でも精一杯生きねばだめだわ)
アンリエッタはメイクだけはジェイドの手伝いを断り、丹念に自らの手でメイクをする。
たとえ屋敷に執事と園丁しかいないとしても。
朝食の後の時間を持て余し、アンリエッタは屋敷の中をふらふらと探検したり、用意された刺繍などで気を紛らわせた。
午後は庭園に面した二階のテラスで、お茶を楽しんだ。
とはいえ、語り合う相手もおらず、ジェイドはアンリエッタにお茶と不思議な香りのする焼き菓子を用意すると、呼び鈴だけ机に残し、屋敷の中に下がってしまった。
小鳥のさえずり。木々の揺れる音。
アンリエッタは目を閉じ、不安、悲しみ、混乱する心を落ち着けようとする。
そこに不意に、何かがテラスに落ちる音を聞いた。
目を開くと。小さな薔薇の花束がテラスの床に落ちていた。
「これは……」
アンリエッタは立ち上がり、薄いブルーのリボンで結ばれた花束を拾い上げる。
美しい。恐らく形のよい、もっとも良い開花状態の花を選んで花束にしたのであろう。
アンリエッタはテラスの手すりに近寄り、庭園を覗き込む。
そこには予想通り、園丁の狼獣人、バーナードがいた。
「お嬢さん!それは昨日のお詫びだよ!受け取ってくれ」
バーナードは笑顔だった。屈託のない笑みを浮かべ、無邪気なに手を振っている。
「お断りするわ。私は部屋に戻ります」
「おいおい、お嬢様は俺みたいな平民獣人には冷たいのかい!なんてこった!人間の王女ってのは無慈悲だ!たった一度のご無礼で、俺をいないみたいに扱うのかい!」
思わずアンリエッタは足を止めた。
ジェイドと、バーナードとは口を利かないと約束はしたし、昨日の無礼な態度に腹も立ったが、1人で午後を過ごす寂しさには勝てそうにない。
「そこにいて待っていて。下に降りるわ」
「そうこなくちゃな!」
アンリエッタは一度はテーブルに置いた花束を手に取り、いそいそと屋敷内に戻り、階段へと小走りに歩き出した。
アンリエッタは、いそいそとバーナードの待つ庭園に降りた。なるべく、屋敷の何処かで家事にでも勤しんでいるであろうジェイドに気取られないように。
「お嬢さん、やはりお綺麗だね。近くで見るとますます綺麗だ」
相変わらず嫌味もなく、屈託のない直接的な褒め言葉だった。
アンリエッタはその単純明解さに少しばかり呆れ、そしてやはり和んで微笑んでしまった。
「それに笑顔もかわいい」
「まあ、そんなことばかり言って…あなたって本当に褒めるのがお上手ね」
「今日は無礼はしないから。ほら、この通り。生け垣ひとつ分距離を置くよ」
バーナードは大仰な動きで後ろ歩きし、アンリエッタから『生け垣ひとつ分』の距離を置いて見せた。
「まずはこの傘を返さなきゃ」
バーナードははっと気付いたように、片手に持った日傘を渡そうとして、近づくのをためらうように足踏みした。
昨日アンリエッタが落としていった傘だ。
「近づいても構わないわ。今日は日差しが強いから……傘をさしたいわ」
「はいよ、お嬢さん……綺麗に持ち手は拭いて置いたよ」
バーナードは馴れない様子でうやうやしくアンリエッタに近づいて、跪いて開いた傘を差し出した。
「ありがとう」
それを受け取ると、アンリエッタはまじまじとバーナードの様子を近くで眺める。綺麗な琥珀色の瞳……まじまじとみると、虹彩が人間のものとは少し違う。狼のピンとした耳、そして機嫌の良い犬のような笑顔…。昨日のことがなければ、バーナードは本当に愛嬌のある好青年にしか見えない。
「少し庭を案内しようか。退屈じゃないかい」
「……お願いするわ」
退屈には敵わなかったし、美しい庭園、そしてこの獣人にも興味があった。アンリエッタは彼とほんの少し距離をおいて歩き出した。
庭園には最近西海諸国から入ってきて流行している雨露薔薇が見事に咲き誇っている。鮮やかな赤がきらきらと眩しい。優しい黄色の木香薔薇、アンリエッタの知らぬ、珍しいサボテン…。庭園は人間社会のものとは異なっていたが、それは見事だった。
「手入れはあなたが1人でやっているのよね?すごいわ」
「へへ。ありがとう。俺はこれしか取り柄がないんだ。俺の親父も、爺さんも、園丁の仕事をしているんでね。
王都にったら、アドナ離宮に行きたいって獣王におねだりしてみなよ。俺の親父の庭園が見れるよ」
「王都……。そうよね。いずれ王都に行くのよね」
アンリエッタは表情を曇らせた。
「一体いつになるのかしらね……。怖いわ」
ふと不安が口から漏れていた。
「俺は、獣王の夜伽の相手が出来るようになったらってジェイドの奴から聞いてるけどね」
「……彼とはそういう話をするの?」
アンリエッタは意外そうに尋ねる。
ジェイドの口ぶりから、バーナードを蔑み嫌っているように感じたからだ。
「ああ。ヤツと俺は幼馴染だもんで。聞いてないかい?」
「ええ、特に……」
好奇心がよぎった。
アンリエッタはジェイドのことを何も知らないのだ。あの鉄面皮の豹獣人の事を。
「彼のこと教えて下さる?」
「うーん……どうかな」
バーナードは困った顔をして耳を少し寝かせて見せた。獣人は態度が全て耳に出る。アンリエッタが王宮で可愛がっていた小動物達のようで微笑ましい。
「ねえ、お願い。私彼とほとんど個人的な会話をしていないのよ。それは、寂しいわ。何か彼のことがわかれば会話のきっかけになりそうでしょ」
「それもそうだなあ……」
バーナードはやはり単純で、心優しい男だ。アンリエッタが恐る恐ると寂しさや、優しさを見せるとすぐ相好を崩す。
バーナードはジェイドとの過去を話した。
バーナードは園丁の息子として、幼い頃から王都の王宮や、前獣王の妾が暮らす離宮に出入りしていたそうだ。そこでどこぞの名も知れぬ貴族の隠し子として、ひっそり育てられていたジェイドに出会った。ジェイドは隠し子として疎まれ、父親の名前を明かすことも許されず、王族、貴族の使用人の間を転々とするような生活を送っており、家庭教師もつけてもらえず、1人でぶらぶらとしていたそうだ。年齢が近い2人はすぐ仲良くなり、2人で離宮でいたずらをしたり、野山を駆け回って遊んだ……。
しかしある日、ジェイドの父親たる貴族の命令で、ジェイドはある日突然王宮に呼び戻され、全獣王の使用人として働く事を命じられたらしい。
2人には長い別れが訪れた。
成人したバーナードは園丁として独立し、王の別荘の1つ、この離宮『雨露薔薇山荘』の園丁を任された。普段は獣王の夏の避暑や、獣王の親族の療養などに使われる程度で、誰も逗留していない間は酷く退屈だそうだ。最近全獣王が崩御し、その長男が即位。この屋敷は、獣王が愛人や正妻候補の『身体検査』や『教育』に使われるようになったそうだ。美しい獣人の娘が時々連れてこられて、獣王の配下から、獣王を喜ばすことが出来るように教育を請ける。
そしてつい先日、この山荘にジェイドが執事として赴任してきたそうだ……再会した頃、ジェイドはめっきり人が変わっており、幼いころの快活さや、明るさは消え去っていたらしい。
何が起きたのかそれはバーナードもわからない。
ただ2人はすっかり気まずくなっており、同じ屋敷で暮らすのにほとんど会話もないと、バーナードは淡々と話した。
なんとなく、アンリエッタは胸を掴まれたような悲しさを覚えた。
「ジェイドは悲しい子供時代だったのね……王都では一体何をしていたのかしら…」
性格が一変してしまうほどの何かが、あったのだ。
「今の獣王様は、酷い暴君だよ。正妻候補は何人もいたのに、どの娘も気に入らないと弄ぶだけ弄んで、故郷へ追い返してしまう。どの貴族も自分の娘を差し出したがらなくなってね。獣王は人間の娘に恋をしていたとかで……きっとその子じゃないから満足しないのさ」
「人間の娘……って」
「そう、それがアンリエッタお嬢様さ」
「私……」
「獣王は一目惚れした、口も利いたことのないアンリエッタお嬢さんが欲しくて欲しくてたまらないそうだ。だから無茶してさらってきたんだろうねぇ。災難だったろうけど……多分王都に行けば大事にされるはずだ」
アンリエッタは勝手な話だと、ドレスの裾を握りしめわなわなと震えた。怒りと、恐怖がこみ上げてきた。
「そんな……私の心はどうなるの?いきなり社交界デビューの日に誘拐されて、こんな辱めを受けて……好きになった人に、どうしてそんな事ができるのかしら!」
「それが人間の娘の考え方なんだろうけど、俺たち獣人は違う。欲しいものは奪うし、弱いものは奪われて従う。それが俺たち獣人の掟なんだよ」
めまいを起こしかけ、ふらつくアンリエッタをバーナードが慌てて受け止めた。
「おっと……また触れちまった。ごめんよ」
「いいの……大丈夫よ、ありがとう。屋敷に戻りたいわ。連れて行って下さる?」
アンリエッタはバーナードに支えられ、ふらふらと屋敷に向かい歩いた。
力強いバーナードの体に寄りかかると、ジェイドとは違う筋肉質さと、たくましさを感じた。男……ジェイドの引き締まった細身の体とは違う、男としての力強さを感じた。アンリエッタはふと、これが男。というものなのかしら、と思った。
「やっぱりあんたはいい匂いがする」
アンリエッタがそんな事を考えていると、バーナードは少し真面目な顔で、アンリエッタの方を見ずに言った。
どこか怒っているような顔つきだった。
「そう……?人間の香水よ」
「違う、香水だけじゃない、あんたはの体臭だよ。甘い、いやらしい匂いだ……もしお嬢さんが獣王のお后になる人じゃなかったら、俺も……」
「アンリエッタ様!」
バーナードの言葉は最後まで口にされることがなかった。
屋敷からジェイドが走ってきたのだ。
「バーナード、一体なにがあった!?」
語気もあらくジェイドは叫び、バーナードの腕の中のアンリエッタを引き寄せる。
「日差しでお倒れなさったんだよ……。俺は何もしていない」
「本当ですか、お嬢様」
「……そうよ。彼は助けてくれたの。なにもないわ。横になりたい……」
「わかりました、今お部屋に連れて行きますよ」
ジェイドはやすやすとアンリエッタを胸の前で抱きかかえた。
「あっ……」
「ご無礼をお許し下さい。バーナードはもう下がれ」
「はいよ」
バーナードは仏頂面で下がる。
「またな、お嬢さん」
「もうお嬢様に近づくな。身分差というものを考えるんだな」
ジェイドは怒った様子で吐き捨て、アンリエッタを屋敷の中に運んだ。その感情を高ぶらせた様子は、ふだんの氷のような顔のジェイドとは別人のようだった。
(こんな表情もするのね……)
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