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「『凍れ』」

 私の呪言と発動した魔法で、巨大なレッドスライムは一瞬で凍りつき、動きを止めた。
 砦の城壁上に集まっていた兵士達が驚きの声をあげる。

「すごい……魔法一撃であの大きさのレッドスライムを仕留めたぞ」
「これで<赤色荒野の断崖レッドクリフ>の魔物の大半は殲滅出来たんじゃないか?」
「信じられん。彼女は本当に『無能令嬢』と呼ばれていたのか――?」

 ――私に聞こえていないと思っているのかしら?
 そう。私はついこの間まで、魔術を発動できない『無能令嬢』と笑われ、ひどい目にあってきた。
 今は違うけれど。

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 一ヶ月前。
 
「そんなわけだ、リンジー・ハリンソン。君との婚約を破棄する。僕は、このルシア嬢と婚約をするつもりだ」
「……ごめんなさい、リンジー様」

 レジュッシュ王国魔法学院の食堂。ランチタイム。
 昼食に集まった貴族の子息子女の前で、私は婚約者アンドルーから、婚約破棄を言い渡された。
 周囲からどよめきと、少し遅れて嘲りの混じった笑い声が起きた。

 こうなる予感はしていたけれど、まさか、こんな場所でとは――。

 アンドルー王子は食堂のテーブルに腰掛け足を組み、斜に構えた態度。その横に立つ男爵令嬢ルシアは申し訳無さそうにしているけれど、必死に笑いを噛み殺しているようにも見える。

「悪いね、リンジー。これからは『いい友達』でいよう。な?僕の友達、つまり、この国の第二王子の友達だ。『無能令嬢』の君からしたら、十分いい立場だろう?ああ、勘違いしないでくれ、僕は君が嫌いなわけじゃない。しかし、いくら名家の出とはいえ、全く魔術を使えない君が王家に嫁いでも、民は納得しないだろう?むしろ肩の荷が降りたと思ってくれよ」

 私が何も言えない事を言いことに、アンドルー王子は嘲笑混じりの声で饒舌に続けた。
 
 食堂はざわめき続ける。
 
「ついに『無能令嬢』リンジーが、アンドルー王子に婚約破棄を言い渡されたぞ!」
「俺たち、いつ婚約破棄になるか賭けていたんだ。まさか夏休み前とはね。予想より早かったな~」
「よ、リンジー!気を落とすなよ!仕方ないさ、この魔法王国で魔法が使えない貴族は、ある意味平民にも劣るわけだから」
「あの方、侯爵令嬢なのに恥ずかしくないのかしら?よく学院に通えたものよね……」
 
 心無いざわめきが、容赦なく私の心を引き裂いていく。
 私はめまいで全くそこから動けなかった。言葉も出てこなかった。
 
「リンジー、行きましょう」

 そこを救ってくれたのは、親友の子爵令嬢、アンヌマリー。
 彼女は私の手を取り、食堂から連れ出してくれた。

 私達はひと気のない学院の校舎裏までやってきた。私はそこでようやく先程受けた屈辱を受け入れ、涙を流すことが出来た。アンヌマリーは黙って私を抱きしめ、泣き止むまでずっと側に寄り添っていてくれた。

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

「リンジー!あなたついに王子に三行半を突きつけられたんですって?」
「なんと嘆かわしい……この名門侯爵家の家名によくも泥を塗ってくれたものだ」

 帰宅すると、両親の罵倒が待っていた。
 いつも通り三人の兄も加勢し、私はずっと俯いて、ひたすら謝るしか出来ない。

「お前が七歳の時だったな。
 『神託授与の儀』で伝説の『ゼロ級』魔法使いの才能があると告げられ、どれだけ私たちは誇らしかったか!
 なのにお前は、この十年間なにをしていた?
 一切の魔術を発動できない魔法使いなど聞いたこともない!」
 
 お父様の罵声で鼓膜が破れそう。
 
「お前は一家の恥だよ、リンジー。俺の出世に悪影響を及ぼさないでくれよ」
「全くだ。
 俺たち三兄弟は全員S級、A級能力の持ち主だ。
 魔法使いの官僚として王宮に仕えている。
 なのに、もっとも高い潜在能力を持つお前が、一番の無能とはな!」

 家族揃っての罵倒は延々と続いたけれど、全員のボキャブラリーが尽きた頃、ソファでうなだれていたお母様が大きなため息をついた。そして、いかにも煩わしそうに扇子を振るって私に立ち去るよう指示した。
 
「リンジー、いつまで陰気な顔をしてそこに立っているの?
 早く部屋に下がって。もう、あなたの顔は見たくないわ」
 
 私は深々とお辞儀をして、踵を返した。
 そして屋根裏の狭い自室に戻った。

「リンジーお嬢様、お食事ですよ」

 ニヤついたメイドが入ってきて、小さな机に食事の乗ったお盆を乱暴に置いた。
 勢いでコップの水が溢れたけれど、メイドはそれを拭きもしないで部屋を出ていった。
 冷えたスープに古くなった硬いパン。少量のチーズと冷製肉。
 これが名門ハリンソン侯爵家の令嬢の食事と聞いたら、誰もが驚くだろう。
 
 だが、これが私の日常。
 
 仕方ない。私は魔法使いの家系に生まれた。
 そして、超希少能力と呼ばれる『ゼロ級』の潜在能力を持ちながら、一切その才能を発揮できずにいるのだから。

 魔法王国レジュッシュ王国では、全ての国民が七歳頃に神殿で『神託授与の儀』を受ける。
 そこで、どういった魔法の才能を持っているかが判明し、魔法使いとしての未来が決まる。
 地水火風の四大元素、より高位の光と闇。その六種類の能力のうち、どれが幾つ使えるのか……それにより魔法使いランクが決まる。

 私の三人の兄達は皆優秀で、四大元素を全て使えるA級、または光と闇を操るS級の魔法使いだ。
 そして当然、潜在能力を発揮して、魔法を発動できる。

 私は、超希少と呼ばれる『ゼロ級』。
 地水火風、光と闇、すべての属性の魔法が使える潜在能力持ち――のはずなのだが、肝心の魔法が発動できない。
 幼少期から、どれだけ術式の発動の訓練を重ねても、魔法が使えない。小さな火、風すら起こせないのだ。訓練をサボっていたわけではない。魔法の勉強を怠ったわけでもない。どれだけ努力を重ねても、上手く脳内で魔法回路が組めない。魔法の発動も出来ない。
 
 レジュッシュ王国の貴族に生まれながら、魔法が発動できないのは私だけ。
 
 私と第二王子アンドルーの婚約は、七歳の時に親同士の話し合いで決まった。
 稀有な『ゼロ級』魔法使いが王家に嫁げば、国家のさらなる繁栄につながるだろうと、大きな期待をかけられていた。
 わけもわからぬまま私はアンドルーと婚約し、学院でも共に過ごしたけれど……。

 魔術が使えない私は、学院一の劣等生。
 
 いつからかアンドルー王子は婚約者の私を恥じて、私をパシリかピエロのように扱うようになった。
 周囲の取り巻きにはからかうように仕向け、学校行事の都度面倒事を押し付け、あたふたする私を笑い者にした。
 実技の授業では何も出来ない私を野次り、からかう。

 私は期待された幼少期の笑顔を失っていき、今では目立つ高い背すら恥じて猫背気味に歩き、とにかく目立たぬよう学院生活を送っていた。
 学院の教員達からは『劣等生』と呼ばれ、他の生徒の前で延々と叱られるのが日常茶飯事。
 実家の屋敷でも使用人に軽く見られ、最低限の世話しか受けられない。
 頼んだことは放置される。両親からは邪魔がられ、屋敷の狭い屋根裏にしか居場所がない。
 
 なんとつまらない、恥ずべき人生なんだろう。
 親友のアンヌマリー以外、味方は一人もいなかった。
 彼女がいたからくじけずにやってこれたけど……王子からの婚約破棄で、私は全てを失った。
 いや、もともと何も持っていなかったんだけれどね。

 私は部屋の鏡を覗く。
 ハリンソン家にたまに生まれる青みがかった銀髪の長身の女がそこにいる。
 人並みに整った顔立ちだけれど、やつれてとても暗い表情の『無能令嬢』だ。
 こんな私の未来が、明るいわけがない。
 
 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 翌日。
 まるで何事もなかったようにアンドルー王子が話しかけてきた。
 
「おはよう、リンジー。
 明日から学院は夏休みだ。
 夏休みには、魔法学院の生徒が交代で『海の祠』の番をする伝統は知っているな」
「は、はい……」
「悪いが、お前に頼みたいんだよ。
 このクラスの皆は、避暑地で過ごしたり、サンタ・ヴェレ諸島でバカンスの予定があったりで忙しいんだ。
 どうせお前は暇だろう?
 祠の番は一人で頼むよ。
 いいなあ、海辺の小屋で一人優雅な休暇。代わってやりたいくらいだが、俺も忙しくてな。
 な、リンジー。頼んだぞ。友達だろ?」

 一方的に言い捨て、去っていくアンドルー王子と、新婚約者のルシア。
 
 教室に響く鈍い嘲笑。
 
 アンヌマリーがおろおろしているけれど、アンヌマリーは確か夏休みに両親とサンタ・ヴェレで過ごす予定があったはず。
 
「何もしてあげられなくてごめんなさい」
 
 そう言ってアンヌマリーは泣いていた。
 彼女のせいじゃない。仕方ないんだ。私が『無能令嬢』だから。
 王子の『いいお友達』とは、こういうことだ。受け入れなくちゃいけない……私は抗う術を持っていなかった。

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 レジュッシュ王国と、隣国サンドル国の海辺の国境近く。
 真っ白な砂浜が続く、真珠クアルソ海岸に『海の祠』はあった。
 三百年もの昔、このアラス大陸西にあるランデルノ半島を魔物から救った『伝説の大魔女』エララを祀った祠。

 その祠の周りのかがり火を絶やさぬよう見張るのが王立魔法学院の生徒の夏の仕事なのだが……。
 仕事を押し付けられた私一人が、海岸の小さなコテージも泊まって日々火の番をこなしている。

 正直、顔も見たくないと言われた両親から離れられたのは幸運だった。
 アンヌマリーは時々サンタ・ヴェレ諸島から顔を出すと言ってくれたけれど「一人になりたい」とその申し出を断った。
 私は夏休みを一人で過ごすことにした。
 毎日数回祠を見回り、かがり火が消えぬよう、燃料の魔石を足すだけ。
 残りの時間は自由。正直簡単な仕事だった。
 
 真珠クアルソ海岸は、それは見事な白い砂浜だったけれど、神聖な場所なので遊泳は禁止。
 コテージで読書をするか、砂浜に腰掛け海を眺めて過ごすことが多かった。
 
 私はどうして、魔法が使えないんだろう。
 それなのに、何故稀有な『ゼロ級』の潜在能力があると神託を受けたんだろう。
 平凡なC級、一番下等なD級能力であると判定されればよかったのに。
 そうすれば、アンドルー王子と婚約せずに済んだだろう。もっと目立たず、ひっそりと生きられたかもしれないのに。
 
 ぼんやりしていると、様々な後悔と苦しみが押し寄せる。
 
 ――陽が傾きつつある。
 海の向こうに見える小島。どこの国にも属さない、自由国境地帯に位置するサンタ・ヴェレ諸島。
 観光地で、年中温暖な気候の平和な島々。
 幼い頃、両親や兄達とあの島々を周るバカンス旅行をした。
 あの頃の私は、己の潜在能力を喜び、未来への希望に満ち溢れていた。
 両親も、兄達も、私を愛してくれていた……。
 
 あの頃が懐かしい。
 これから先、私はどう生きるのだろう。どうなるのだろう。

「未来が気になるか?」

 背後から低い声がした。

 慌てて振り返ると、ヒョロリとした背の高い黒髪の男が立っていた。
 二十代後半か、三十くらいだろうか。
 細長い面立ちで、無精髭を生やしている。
 錬金術師の好むくすんだ紺色の旅装束。
 サッシュベルトにぶらさがったいくつもの革製のポシェット。使い込まれた革のブーツ。
 
 旅の錬金術師かな……?
 
 とても、厭世的な瞳をしているのが印象的だった。

「じゃあ、過去を知ったらどうだ?」

 そういうと彼は大股で私に歩み寄ってきた。

「え!?なに?待っ……」

 突然の出来事だった。恐怖心が沸き起こる。
 しかし、彼の瞳に敵意はない。

 混乱してすくみあがっている間に、彼の伸ばした手が私の額に軽く触れる。

 すると、世界が暗転した。

「お前がこんなにしょげているとはな。もっと早く会いに来れば良かった」

 男の声がゆっくりと小さくなって消えていく。
 遠くなっていく意識。そして、よみがえってくる記憶。
 私の記憶ではない。『過去世』の記憶だ。

 そして、私は思い出した。
 自分が『何者』だったか。

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 夏休みが終わり、再び実家からの通学がはじまった。
 屋根裏部屋で目を覚まし、メイドが用意してくれる少量の水で洗面を済ませる。
 冷えたパンをかじり、水だけ飲んで家を出る。両親に挨拶をしたけれど返事はない。
 まあ、いつものことだけれど。

 授業前の教室は騒がしかった。
 夏はどうやって過ごしていた?そんな話題で大騒ぎだ。
 私は蚊帳の外。
 自分の机に着席して、一人静かに教科書を読んでいた。

 そして、挨拶してきたアンヌマリーと少し話した。
 アンヌマリーは随分日に焼けていたけれど、変わらず可愛らしかった。彼女だけが私の救いだ。

 授業が始まった。
 一限目は校庭での実践訓練。教員が召喚した下級モンスターを魔術で倒すのが、今日の課題らしい。

「ああ、リンジー。君は見学でいいよ。どうせ何も出来ないだろうから」

 ハゲた中年教員がそう言い、他の生徒達の笑いを誘う。慣れた光景だ。
 だが今日からは全てが変わる。

「先生。私にもやらせて下さい」
「……なに?」
「下級モンスターと言わず、中級でも、上級でも。先生が召喚できる中で、最も強いモンスターを召喚して下さい」

 私は手を挙げて、淡々と言った。
 ざわめく他の生徒達、アンドルー。心配そうにオロオロするアンヌマリー。

「おいおい、アンドルーに婚約破棄されて、リンジーは自暴自棄になってしまったようだぞ。誰か止めてやれよ」
 
 誰かがそう言って、皆笑った。

「うるさいわよ」

 私は振り返って、鋭くその生徒を咎めた。
 私の様子が普段と異なることに気が付き、他の生徒達は顔を見合わせて段々と静かになってきている。

「リンジー。君はそうやって周囲の気を引いて目立ちたいのか?授業の邪魔をするのもいい加減にしなさい」
「先生こそ、下級モンスターしか召喚できないからそうやって渋るのではないですか?
 もし先生にそういった能力があるのでしたら、上級モンスターを召喚してみせて下さい。
 私が倒しますので」

 ハゲ教員の顔色が変わった。
 彼は後悔するなよとかなんとか、色々な悪態をついた後、魔法を発動してモンスターを召喚。
 校庭に魔法陣が現れ、その中央に黒い霧が沸き起こり、形をなしていく。

 ブラックリザードマン。

 A級魔術師が対等に戦える程度の強さのモンスターだ。モンスターの中では、中の上といったところか。
 なんだ。上級モンスターを呼べといったのに、こんなものか。
 
 リザードマンは体を揺らし、囲うように並ぶ生徒たちを睨みつけた。
 慌てた他の生徒達が臨戦態勢に入る。一部女生徒は悲鳴をあげている。
 
 何を焦っているんだか。

「『爆ぜろ』」

 私の一言で、ブラックリザードマンの肉体は中心から弾け飛んだ。
 その肉片は四散し、グラウンドに転がり、やがて黒い霧となって消えていった。
 わずか十秒ほどだった。グラウンドからは魔物、魔物との戦闘の痕跡が消えた。瞬殺。
 
 他の生徒達は皆静まり返っている。
 身動きひとつ出来ないようだ。こんなことができる者は、このクラスにはいない。
 いや、魔法王国と呼ばれるこの国にも、片手の数ほどしか存在しないだろう。
 
 私に覚醒した能力は、それほどまでに圧倒的だった。

「あ、私、魔術を発動できるようになりましたんで。
 『ゼロ級』ですから、地水火風、光と闇、全ての魔法が自在に操れるようになりました。
 威力はこの通り。
 中級モンスターでしたから、手加減しております。
 それでは、今後はそういうことでよろしく。
 先生、上級モンスターは召喚できないんですね。ちょっとがっかりです」

 私は表情を変えずに淡々と宣言。そしてハゲ教員を一瞥(いちべつ)。
 教員は恐怖で引きつった表情をしている。今にも漏らしそうなほど体を震わし、足はガクガクだ。
 情けない。なにか言ったらどうなんだか。

 私以外の生徒達も、石像のように動かず、静まり返っていた。

 二限目は魔術体系の講義。

 一限目で起きた出来事を聞いたであろう女教師は、教室に入ってくると私をまるで奇妙なもののように見つめていたが、すぐに目をそらして授業を開始。
 そして、現代魔法の術式回路構成と、古代魔法の回路構成の相違点を説明し始める。
 
 おや?現代魔法の理論はあっているけれど……。

「先生。いいですか」

「なに?リンジー。授業内容が高度過ぎたかしら?」
 
 女性教師は普段通り、私をからかう冗談を云うが、その冗談を笑う生徒はもういなかった。
 皆、一限目の実技を見て、すっかり縮み上がっている。
 教室の雰囲気の変化を察知し、バツが悪そうな女教師。

「先生、授業は簡単です。というか、古代魔法の回路構成の理論が異なっておりますね。正確には――」

 私はバカ丁寧に古代魔法の回路の組み方を説明してやった。黙って聞いていた女教師は、己の間違いに気がついたのか、段々と泣きそうな顔になっていった。

「もういい、もういいわ!
 適当な事を言わないで頂戴。あなた、教師より賢くなったつもりなの?」

「『転移』……はい。
 これは図書室にある『古代魔法回路構成大全』の八巻です。
 今図書室から空間転移魔法で取り寄せました」

 私の手の中に、分厚い大きな本が現れた。どよめく教室。青ざめる女教師。
 私は席を立ち上がり女教師にその本を押し付け、355ページをよく読むよう告げた。
 女教師は泣きながら教室を去った。
 
 そう。すべてが変わったのだ。
 
 私は『海の祠』で出会った男に額を触れられ、前世の記憶がよみがえったのだ。
 
 私の前世は、三百年前この半島の国々を救った『伝説の大魔女』エララ。元祖『ゼロ級』の魔法使いなのだ。
 前世の記憶がよみがえった今、全ての元素の魔法回路が組めるし、術式も発動できる。
 コントロールも自在だ。
 今の魔法は三百年前より回路構成が簡易化されており、発動前の仕組みが変わっていた。
 私は現代の回路構成の勉強をしつつも、本能的に古代魔法回路を組もうとしていたため、回路が錯綜して魔法が発動できなかっただけだったのだ。
 今は過去の記憶通り古式の回路で魔法を構成し、発動出来る。
 全て、素晴らしい威力だ。
 過去世の私は、『伝説の大魔女』、最強の魔女と謳われていた。
 
 『無能令嬢』リンジー・ハリンソンはもう消えました。
 
 今の私は、『伝説の大魔女』と同等の魔法使いです。
 そう。これが本当の私。
 
 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 あのリンジーが、ついに魔法を使えようになった。
 しかも最高に強力な魔法を……そうわかった途端、クラスメイトの態度が一変した。

「リンジー、君ならやると思っていたよ!」
「さすがハリンソン家の令嬢。『ゼロ級』能力者だ!ねえ、俺たち実習で同じ班になるのはどうだい?」
「ランチ一緒にどうかな~。前から話してみたかったのよね!」

 男も女も、作り笑顔で迫ってくる。
 これまで、私をあれだけないがしろにしていたくせに?

「皆様、悪いけれど、私のことはほっておいてくれる?
 私は『無能令嬢』なんですからね。
 エド、あなた、『リンジーと話すとお前までイジメられるぞ』って他の生徒に言って回っていたわよね。
 あとあなた……ユーリだったかしら?
 実習で同じ班になるのはお断り。以前私が一人あぶれてしまった時、班に入れてと頼んだら断ってきたわよね?
 今更、結構です。
 レイ、ランチはアンヌマリーと食べることにしているの。
 出来ればあなたは離れた席に座ってくれる?あなたの悪口好きは知っているけれど、聞きたくないので」

 私は全てを突っぱねた。
 私を囲っていたお調子者共は静まり返り、そろそろと離れていく。
 もはや、私をあざ笑う生徒はいなかった。
 全く、みんなどれだけ調子がいいんだか。
 
「リンジー。君には驚いたよ」

 そこに、元婚約者アンドルーが登場。

「今の君なら、僕の妃にふさわしいよ。
 君がどうしてもと望むなら、もう一度婚約してあげてもいいよ。
 さっきルシアとは別れたところなんだ」

 そうえいばルシアの姿が見えない。
 アンドルー、私が覚醒したのを見て、早速彼女をフッたのね。
 なんて軽薄な男。

「いいえ、お断りいたしますわ。
 大変光栄ですが、私は『いいお友達』でいたいのです。
 アンドルー王子のおかげで、夏は一人祠の番をしておりました。
 とても有意義な時間でした。これからはもっと一人の有意義な時間を大切にしたいと思っておりますの。
 ルシアとお幸せに。幸福を祈っております」

「なんだと……このレジュッシュ王国の第二王子の僕の申し出を断るというのか?」

「え?婚約破棄をなさったのはアンドルー王子ですよ。
 『いいお友達』にしてくださったのも王子ではないですか。
 友達になれて、大変光栄だと思っておりました。
 まさか、一国の王子が何度も同じ話を破棄してまた撤回してと繰り返すおつもりで?」

「ぐぐう」

 アンドルー王子は唸り、歯を食いしばって死ぬほど悔しそうな顔をした。

 私は立ち上がり、アンヌマリーに声をかける。

「ランチにしましょう。食堂ではなく、今日は屋上のカフェテリアなんてどう?」
「いいわね!行きましょう」

 私は鬼のような形相のアンドルーを置いてアンヌマリーと教室を出た。
 背中に「覚えていろよ!」と捨て台詞が聞こえてきたけれど、聞こえないふりをした。
 
 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 帰宅すると、笑顔の両親が待ち構えていた。

「リンジー、お前、ついに術式の発動に成功したんだってな!
 しかも中級クラスのモンスターを一撃で殲滅させたんだって?」
「さすが私の娘だわ、リンジー!
 本当に誇らしいわぁ!
 校長があなたを最優秀特待生にしてくれるそうよ!」

 ああ、この流れか。
 自分の親の笑顔がこんなに醜く見える日が来るなんて。
 二人はああだこうだいいながら、私の肩を抱いて歩き、私を強引にリビングのソファに座らせる。
 私がこれまで何年も座らせてもらえなかった豪華なソファ。
 柔らかな座面に沈み込む体……ああ、このソファは、こんな座り心地だったんだなあ。

「王子との婚約破棄だが、また再婚約となりそうだぞ。
 先程王室から遣いが来てな。明日朝一番で王宮の謁見の間に来いとのことだ」
「きっと婚約破棄を取り消して下さるのだわ!良かったわねえ、リンジー!」

「それはありません。
 今日、アンドルー王子から再婚約してもいい、と、上から目線で言われたので、はっきりお断りした所です」

「は?はい?」
「今あなたなんて言ったの?」

「だから、断ったんです。再婚約の申し出を。
 王宮に呼び出されたのだとしたら、別件か、なにかの罰を受けるのかも知れませんね。
 王子からの再婚約の提案を断った罪、とかで。知らないですけど」

 私の言葉に、みるみる両親の顔が曇っていく。
 最後は眉間にシワを寄せて、私の言葉が終わる前には、いつも通り喚き散らしはじめていた。

「何を言っているんだお前は?何故断った!?
 何故そんなありがたい申し出を断ったのだ!」

「いや、もともと婚約破棄をしてきたのはアンドルー王子ですし。
 その後すぐ、別の女性と婚約をしておられましたよ。
 そしてまた、その方との婚約も破棄。
 そんないい加減な方と婚約したくありません。
 私はアンドルー王子が好きではありませんし、私を『無能令嬢』と読んで虐げていた男性ですよ。
 結婚して幸せになれるとは思えません」

「王子との結婚以外に幸せがあると思っているの?
 リンジー!なんて親不孝な、なんて恥知らずな!」

「お母様、あまり喚かないで下さる?
 耳に障ります……『静寂(サイレンス)』」

 ヒステリックにわめきたてていた母の喉に、私は視線と呪言だけで魔法を発動させた。
 お母様は突如声を失い、喉を抑えて、金魚のように口をパクパク。
 声を出せなくする魔術だ。すぐ解けるように調整はしたけれどね。

「リンジー!お前は……!
 何をした?母親に『静寂(サイレンス)』の魔法をかけたのか?
 なんということだ……お前をそんな風に育てた覚えはないぞ!
 我がハリンソン家の一人娘としての自覚を持て!」

 私はどう育てられたんだっけ?
 無能とわかって以来、ほっておかれたんじゃなかったかしら。
 
 そんな事を考えていると、廊下の方から足音が。騒ぎを聞きつけたのか、リビングに兄、次男のイグニス兄様が駆けつけた。今日残りの兄二人は仕事のようだ。
 イグニス兄様だけが家にいたのだろう。
 飛び込んできたリビングの惨状を目にして、イグニス兄様は鬼のような形相となり、私を睨みつけてきた。

「お前、母親になんてことを……!魔法が発動できるようになったからといって調子に乗るなよ」

 そういって私に掴みかかってくる……。
 動きが遅い。いや、十分早いんだろうけれど、今の私には遅く見える。
 私はひらりとイグニス兄様の腕をかわし、風の魔法で壁まで吹き飛ばした。

「ぐあっああ……」

 しこたま壁に叩きつけられて、呻きながら床に崩れ落ちるイグニス兄様。

「あらごめんなさい。イグニス兄様は、風のエレメントの使い手でしょう?
 上手く相殺して着地なさると思ったのだけれど。たいしたことなかったですね。
 私を無能な妹、無能な妹とからかっておられましたけれど、お兄様の風の魔法こそ、たいしたことなかったのですね。
 本当に王宮にお務め出来ていて?」

 両親、床で呻く兄、心配して様子を見に来た使用人数名。
 誰もが私の豹変に驚き、口をあんぐり開けて、何も言わず棒立ちになっていた。
 
「お父様、お母様。安心して。
 お母様の『静寂(サイレンス)』はあと数分で解けることでしょう。
 イグニス兄様も怪我はなかったはず。
 もしあれば私が光魔法で癒やして差し上げてよ。
 あ、そうそう、私の世話をしていたメイドと使用人を全員解雇して下さい。
 全員サボっています。冷えた食事にはもううんざりと台所にも伝えて。異論はありますか?」

「い、いやないよ……リンジー。
 それより、どうだ、今日は食堂で夕食を一緒にとらないか……今後のことをな、話し合うのはどうかと……」

「いえ。結構。私はお父様とお母様が与えてくださった薄暗い屋根裏部屋が気に入っておりますから。
 夕食はいつも通り一人でとります。温かい食事、期待しておりますわ」
 
 私はスカートの裾をつまんで礼をすると、堂々とリビングを出て、屋根裏部屋へと向かった。
 通りすがる使用人は皆壁に張り付き、これでもかと云うほどきれいな姿勢で私に頭を垂れている。
 これまでは、まるで私を幽霊かなにかみたいに、何も反応しないですれ違っていたくせにね。
 
 私が本当の力を発揮すると、皆怯えて豹変してしまって、馬鹿みたい。

 屋根裏部屋の扉を空けると……そこには先客がいた。
 海辺の祠で会った男だ。
 彼は当たり前のように窓台に腰掛け、足を組み、面白そうに私を眺めている。
 
「私の部屋で何をしているの?」

「目覚めた気分はどうだ?リンジー。いや。伝説の大魔女、エララ」

「いい気分よ。私ってこんなに強かったのね。
 今まで萎縮して生きてきたのがばかみたい。あんなに弱い人達にビクビクしていたなんてね。
 ねえ、私の過去の記憶は漠然としているの……。あなたは一体誰?」

「いずれ思い出すさ。リンジー。
 俺はお前が不遇な人生を送っているのを見るのが耐えられなかっただけだ」

 背後で扉がノックされた。

「リンジーお嬢様。お食事をお持ちしました」

 私が振り返ってドアの方を見たほんの一瞬で、男の姿は消えていた。
 震えながらお母様付きのメイドが食事のお盆を運んできた。
 そこには、暖かで豪華な食事が並んでいる。

 私はいつも通り、一人でその食事を食べ始めた。
 暖かなスープは、本当に美味しかった。
 
 あの謎の男とは、またいつか出会うだろう。そんな気がしていた――。
 
 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 翌日、私は王宮に出向き、謁見の間でレジュッシュ国王陛下と久々の対面を果たした。
 王からの用件。一つ目は、アンドルー王子の非礼への詫びだった。

「リンジー・ハリンソン。わが息子が迷惑をかけた。学園でのこれまでの非礼の数々、許してやってほしい」

「別に。気にしておりません。私とアンドルー殿下は、今は『いいお友達』ですからね」

「そ、そうか。寛大なリンジーよ。今日はもう一つ、頼みがある。
 現在我が国は、隣国と冷戦関係である事は知っているな」

「はい。両国の間にある自由国境地帯の件ですね。
 魔物が跋扈(ばっこ)する<赤色荒野の断崖レッドクリフ>をどちらの領土にするか、押し付け合う形で数十年膠着状態と聞いております」

「うむ、その通り。
 当然、魔物が棲み着き、人が暮らせぬ地域を自国領土したくないと考えて、両国が領有を押し付けあっておる。
 過去、サンドル国は<赤色荒野の断崖レッドクリフ>をこちらに押し付ける替わりに、同じくどちらの国にも属さない自由国境地帯、平和なサンタ・ヴェレ諸島を寄越せと言い出してな。
 当然断ったのだが、それ以降両国は数十年冷戦状態だ。
 もちろん大きな戦が起きているわけではないが、<赤色荒野の断崖レッドクリフ>を挟む形で東側に我が国の砦と城壁、西側にサンドル国の砦と城壁。
 両国の砦と兵士が向かい合い、魔物退治に励みつつも、その疲労から両国兵同士の険悪さも段々と増してきている。
 そんな中、最近になりサンドル国が、新たな和平調停の条件を出してきた。
 サンタ・ヴェレ諸島の領有権の主張を取り下げる替わりに、<赤色荒野の断崖レッドクリフ>の魔物を一掃せよ、それならばあの一帯を引き受け終戦とする、と言い出したのだ。
 もちろん、無理と分かっての上での条件だ。
 広大な<赤色荒野の断崖レッドクリフ>には、数え切れないほどの魔物が生息し、しかもどれもが中級以上の魔物だ。一掃するなど出来ようはずがない」

「なるほど。
 その条件を断れば、サンドル国に、平和なサンタ・ヴェレ諸島に攻め込んでくる口実を与えてしまう。
 戦争を避けようとサンタ・ヴェレ諸島を譲れば、国境は近づき我が国には脅威となるし、<赤色荒野の断崖レッドクリフ>の魔物の討伐は全て我がレジュッシュ王国の義務となってしまい、兵は疲弊し民の不満が募る……と。
 いずれにせよ、近い将来、両国の衝突は避けられない状況ですね」

「飲み込みが早いな。リンジー。
 魔法が発動できない頃から、聡明ではあると思っていたが……。
 術式が発動できないというだけで、そなたのことを軽く見すぎていたようだ。
 私もまたリンジー・ハリンソンに詫びねばならぬな。本当に済まなかった。
 『ゼロ級』の魔法使いのリンジー・ハリンソン。
 お前に頼みだ。
 今の状況で、<赤色荒野の断崖レッドクリフ>の問題を解決する手段はないか?
 その頭脳と能力を貸してはくれぬか」

「――わかりました。私がこの問題を解決します。
 その代わり、陛下にお願いしたい事がいくつかございます」

 私は陛下に近寄る許可をいただき、耳打ちで己の希望を伝えた。

「なんと……そんな事でいいのか?」
「はい。この願いを聞き入れてくれると約束して下さい。
 そうすれば、私が両国の悩みのタネ、<赤色荒野の断崖レッドクリフ>の魔物を一掃してみせましょう」

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 かくして、私はレジュッシュ王国の東の地、<赤色荒野の断崖レッドクリフ>に隣接するギマラン領へ出向いた。

 山岳に囲まれた草原地帯であるレジュッシュ王国の東。
 ギマラン公爵が治めるギマラン領。
 
 ギマラン領は東に行くほど荒野になっていき、東の果てはサボテンしか生えぬ赤い石と砂が続く大地となる。
 赤い大地には深い亀裂がいくつも走り、いつしか<赤色荒野の断崖レッドクリフ>と呼ばれるようになった――。
 魔物に殺された死者の血を吸って赤くなったとも言い伝えられている死の大地。
 <赤色荒野の断崖レッドクリフ>から人間の住む平野側を守るべくして作られた砦、そして城壁は延々と続き、その上が見張り台となっている。
 
 砦の西側、<赤色荒野の断崖レッドクリフ>の反対側には兵士の集会所が幾つも造られている。
 その兵士達相手に商売をする酒屋、食堂、商店なども並ぶ。
 魔術師ギルドの出張所、そして、露出度の高いドレスをきた女性たちの姿も見える。
 
 ギマラン領の砦に来たのは初めてだったけれど、こんなに賑わっていたとはね……。

 砦を訪ねると、砦の主であるジョアキン・ギマラン公爵が迎えてくれた。
 三十過ぎくらいだろうか。
 赤銅色の短い髪、日に焼けた肌。筋骨隆々とした肉体に鎖帷子を装備し、腰には長剣とナイフを帯びている。
 魔法王国では少数派の肉体派の武人と聞いてはいたが、いかにも強そうだ。

「お前が、ハリンソン侯爵家令嬢のリンジー・ハリンソンか。
 アンドルー王子に婚約破棄された後、『無能令嬢』から覚醒して、『ゼロ級』の魔法使いへと変貌だって?
 なんとも面白い経歴じゃないか」

 彼はそう言って掠れた低い声で笑った。
 私は表情を変えず、ただ一度頷いただけ。何も言う事がなかったので黙っていた。

「なんとも無口なんだな。
 まあいい、この俺のことはジョアキンと呼んでくれ。
 断崖公(クリフこう)と呼ぶものもいるが、それは通称だ。
 俺はこの砦で生まれた。
 物心ついてから、ずっと<赤色荒野の断崖レッドクリフ>で育ってきた。
 なんの資源もなく、亀裂から魔物を生み出し続ける死の大地と共に育った。
 親父が死んでから公爵の地位を継いだが、実質は砦の長だ。
 常に魔法使い、兵士と前線に出て魔物と戦っている。
 リンジー、お前のような細身のお嬢さんがこの死の大地の魔物を一掃してくれるだって?
 我が王の派遣してきた魔法使いとはいえ、期待していいものかどうか、まだ困惑しているよ」
 
「ご安心下さい。<赤色荒野の断崖レッドクリフ>の詳細な地図をいただけますか?
 幾つかの区画に分けて、討伐していきます。
 明日から現地に行くつもりです」
 
「おい、本当に大丈夫か?
 上級のモンスターがうようよいるんだぞ。
 命の保証はない」
 
「ええ、普通の魔法使いならそうでしょうね。
 でも私は大丈夫ですから。
 あなたは己と部下の心配をしていて下さい」

 そう言うと、面食らって言葉を失った後、ジョアキンは腹を抱えて笑いはじめた。

「面白いお嬢様だ。いいだろう。
 そこまで言うなら、お手並み拝見といこうか」
 
 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 <赤色荒野の断崖レッドクリフ>の魔物討伐は一週間でほぼ終わった。
 
 荒野の地図を参考に、いくつかブロック分けして、私が風の魔法で荒野を飛ぶ。
 上から見かけた魔物を攻撃魔法で一掃していく。
 ローラー作戦だ。ただそれだけ。
 おそらく一週間で千体以上の魔物を倒しただろう。
 制圧が終わったエリアを、砦の兵士達が地上から確認していく。
 サンドル国側の砦の兵士達も、困惑した様子でレジュッシュ国の動きを見に来ていたけれど、大風で煽り、雨を降らせて追い払っておいた。魔物討伐の邪魔だ。
 
 今日のノルマを終えて飛行魔法で砦に戻ると、砦の門の前に大きなレッドスライムが湧いていた。
 私の魔法で倒しそこねたスライムが、棲む場所を追われ群れとなり巨大化したのだろう。
 砦の魔法使いと兵士達が集まり、必死にスライムと戦っていた。
 
 だめだ。あの人達は、あの大きなスライムに立ち向かうには弱すぎる。

 私は飛行魔法の行く先を変え、スライムと彼等の間に降り立つ。
 そして強力な水の魔法、そして闇の魔法をかけ合わせて呪言を唱える。

「『凍れ』」

 はい、一丁上がり。

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
 
 「リンジー、よくやった!」

 よく通る低い声。
 砦の門が開き、鎧姿の筋骨隆々の武人の姿が現れてお出迎え。
 ジョアキンだ。彼は短く刈り込んだ赤銅色の髪の毛の頭をかきながら、私の側までやってきた。
 
「これで<赤色荒野の断崖レッドクリフ>の魔物はほぼ殲滅出来ただろう。
 残りの魔物は数える程度であろう。
 魔物が一掃された大地が手に入るとなれば、隣国サンドル国も<赤色荒野の断崖レッドクリフ>を引き受け、他の自由国境地帯の領有を諦めざるを得まい。
 向こうが言い出した交渉事なのだからな。ハッハッハ!
 俺が育った<赤色荒野の断崖レッドクリフ>がサンドル国のものになるのは寂しいものだが……なに、それでこの砦が消えるわけでもない。
 俺は時々、この砦から平和になった<赤色荒野の断崖レッドクリフ>を眺めてリンジーの活躍を思い出すとしよう!」

 ジョアキンは、豪胆に笑いながら私の手を握りぶんぶんと握手をしてくる。
 私は彼の汗ばんだ手にうっとなって、そっとその手をそっと放した。

「契約ですから。私は王との約束を果たしただけです。
 さて。最後のブロックの魔物討伐は明日ですね。本日はもう休ませて頂きます」
「おい。リンジー」
「はい?」
「その、よければ……前祝いに、今夜一杯、俺とどうだ?」

 三十過ぎの武人の大柄な体が幾分もじもじとしている。
 恥ずかしそうに視線をつま先に落とし、頬を赤らめて誘ってきたジョアキン・ギマラン公爵。
 
 私は軽くため息をついて首を横に振る。

「明日も早いですので、遠慮します。それでは」
「そ、そうか――。明日も頼むぞ、リンジー・ハリンソン侯爵令嬢」

 私は振り返らず、砦の門をくぐり、与えられた部屋へと戻った。
 この戦地での職務が終われば、私は自由。
 それまで、ナンパに引っ掛かっている場合ではない。

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
 
 翌日、私は<赤色荒野の断崖レッドクリフ>の上空を飛び、最後のエリアを魔法で爆撃。
 地上の部隊が魔物の消滅を確認。
 こうして私の役目は終わった。

 飛行魔法でギマラン領の砦に戻ると、砦の魔法使い、兵士、そして平野側の町の人達が大歓声で私を迎えてくれた。

「リンジー様万歳!死の大地に平和をもたらしてくれた女神だ!」
「リンジー様は、半島を救ったあの『伝説の大魔女』エララのようだ。ありがとう!ありがとう!」

 笑顔と歓声が私を包む。
 学院の生徒たちが媚びてきた時に見せた笑顔とは違う、心からの笑顔。
 これまで魔物の恐怖に怯えながら暮らしていたギマラン領領民の、本物の笑顔だ。
 私も、無自覚のうちに笑みを浮かべていた。

「笑顔も美しいな、リンジー」

 肩を叩かれ、振り返るとジョアキンが立っていた。

「お前の笑顔を見たのは、初めてだ。見ろ。お前が救った民だ。
 お前が俺の領地を救ってくれた。ありがとう――お前は偉大なる魔法使いだ」

「こちらこそ……お褒め頂き恐縮です。さて、用事も終わったことだし、私は王都に戻るわ」
「なに?そんなに急いでか。俺と勝利の盃を交わしてはくれぬのか」
「次の機会に」
「ならば、それは約束だぞ。また会いに来てくれ……俺は。ずっと砦で独り身だった俺にとって、全てを変えてくれたお前は……」
「いかなきゃ。それでは。このまま飛んで帰ります」

 私はジョアキンの言葉を遮り、風の魔法を起こす。
 私は空を飛び、一度ぐるっと<赤色荒野の断崖レッドクリフ>の上を旋回すると、そのまま王都へと飛んだ。
 
 美しい赤い大地。
 死の大地と呼ばれた<赤色荒野の断崖レッドクリフ>。
 さようなら。
 私は荒野より、海が好きなの。

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

「<赤色荒野の断崖レッドクリフ>魔物を全て殲滅した、か。
 しかもギマラン領からたった数時間で飛んで王都に戻るとは。
 さすがだ……『ゼロ級』の魔法使いというのは……もはや、人智の及ぶ存在ではないのかも知れぬな」

 レジュッシュ王国国王陛下は嘆息し、俯いて呆れたように首を振った。

「これでサンドル国との冷戦も終わる。
 <赤色荒野の断崖レッドクリフ>とサンタ・ヴェレ諸島の領有権争いは終結することだろう。
 国には数十年ぶりの平和が訪れる。
 リンジー・ハリンソン。国家元首としてお前に礼を言おう。
 よくやった。ありがとう」

 王宮の謁見の間には、元婚約者のアンドルー王子、両親と三名の兄も揃っていた。
 他のレジュッシュ貴族たちも集まっている。

「すごいわリンジー!よくやりましたよ!」
「さすが我がハリンソン家の娘だ!」
「わが妹、誇らしいぞ。俺たち兄弟も王宮で鼻が高いな」
 
 両親と兄がなにやら騒いでいる。
 私の手柄を、なんだと思っているんだろう。
 まさか、ハリンソン家の手柄だとでも?

「リンジー!君をもう一度取り戻したい。
 君は優れた魔法使いだ。
 A級魔法使いの僕と子をなせば、素晴らしい魔法使いが生まれるぞ!」

 未だにアンドルーがなにやら寝言を言っているけれど、無視。

「国王陛下。<赤色荒野の断崖レッドクリフ>の問題を解決しました。
 約束通り、私の願いを聞き届けて下さいますか」

「いいだろう。
 サンタ・ヴェレ諸島の小島を一つ所有したい、とのことだったな。
 お前がギマラン領に出向いている間に、サンタ・ヴェレ諸島領主と話をつけておいた。
 真珠クアルソ海岸から見える小島を一つ、お前にやろう。
 名も無い島だが、あそこはお前だけの島。自由に使うと良い」

「ありがたき幸せ」
 
「そして、あと一つ。
 リンジー・ハリンソン。お前に宝名を賜る。
 これからは『虚空の大魔女』を名乗るが良い。
 そして、ハリンソン侯爵家から籍を抜く願いも叶えよう。
 これからは、お前はただのリンジー。
 『虚空の大魔女』リンジーだ」

「なんですって!?」

 お母様が悲鳴のような声を上げた。

「ハリンソン侯爵家から籍を抜くだと……!?」

 お父様が震え声で続ける。どういうことだ、なんなんだと、兄達も騒然とし始めた。

「ハリンソン侯爵家の者よ、静かにせよ!」

 そこを、国王陛下が一喝。

「これまで、稀有な能力を持つリンジーを散々家庭内で冷遇してきたそうだな。
 人それぞれ才能の開花には時間差というものがある。
 それを理解せず、リンジーを詰り、まるで動物のような扱いをしてきたというではないか。
 見損なったぞ、ハリンソン侯爵。そして、その息子達よ。
 お前達も妹をかばうことなく、両親に味方していたそうだな」

 兄三名がぐっと言葉に詰まった。

「弱き存在をかばうことなくいじめ抜く者は王宮にはいらぬ。
 本日を持って、ハリンソン家から侯爵位は剥奪するものとする。
 王都の屋敷も没収だ。これからは、一平民として自分たちの力で暮らすがいい。
 なに、ハリンソン家が再びその魔法の才能で国に貢献すれば、また爵位が与えられる日もくるであろう。
 これからは家名に甘えず、実力で生きてみせよ」

 両親と兄は国王陛下の言葉に目を見開き、顔色が真っ青になっていき……事態を飲み込んだ後は、獣のように何か叫んでいた。
 そして、集まった兵士達に囲まれ、捕らわれ、謁見の間を強引に退室させられていった。
 リンジー、なんとか言え、家族だろう!とかなんとか、色々なわめき声が聴こえてくるけど、私の心は少しも動かなかった。
 ざわめく謁見の間の貴族たち。
 最高位の侯爵家の没落を目の当たりにしたのだ。当然だろう。
 私は侯爵家から籍を抜きたいと頼んだだけで、父の侯爵位を剥奪しろとまでは頼んではいませんよ?でも、これも当然の結果なんじゃないだろうか。
 あの人達は同じ家に住んでいただけ。私にはもはや、家族ではなかった。

「父上、やり過ぎでは……?
 僕のリンジーをいじめていたとしても、ハリンソン一家の侯爵位の剥奪はさすがに……」

 アンドルー王子、まだ「僕のリンジー」なんて言っている。
 はあ。ほんと呆れるな。

「アンドルー。お前もまだ勘違いしているようだな。
 兵士達。アンドルーを塔の最上階に連れて行け。
 しばらく謹慎処分だ」

「なんだって!?お父様、どういうことだよ!」

「お前は国王である私に無断でリンジーとの婚約を解消し、しかもそれを学院の食堂、公衆の面前にて独断で行ったと言うではないか。
 しかもその後、新たに男爵家の令嬢と婚約宣言までしたそうだな。
 そしてすぐその令嬢を一方的に突き放し、今度はまたリンジーに言い寄っている。
 全て私に許可を取っておらぬな。
 お前には王子としての自覚がない。
 お前の行動の全てが、王家の者としてだけでなく、人間として恥ずべき行動であると、理解していないのか?」

「お、お父様、だってそれは……リンジーが悪いんだ!
 リンジーが『無能令嬢』だったからで……」

「くどい!
 もうよい、お前を甘やかし過ぎたのは私の責任でもある。連れて行け……」

 国王陛下は頭を抱え、側近に手のひらで合図。
 両脇を抱えられたアンドルー王子は、捕まった動物のように引きずられて謁見の間から退室。
 貴族たちのざわめきは最高潮に達した。

「良いのですか、国王陛下……まだリンジー・ハリンソ……いえ、『虚空の大魔女』リンジーがこれからどう動き、国家にどう影響を与えるかわかってはおらぬのですぞ!」

 並ぶ貴族の一人が叫ぶ。

「なるほど、それもそうだ。リンジー。お前はどうしたい」

 私がどうしたいか……。
 私はどう生きたいか……。

「私は、ただ平和に暮らしたいです。
 サンタ・ヴェレ諸島の頂いた小島で、一人で静かに暮らします。
 もし、また国家に緊急事態が訪れて、私の力が必要になったらあの島に遣いをよこして下さい。
 私は、このレジュッシュ王国、ひいてはアラス大陸の平和のためなら、いつでも力をお貸しします」

 どよどよどよ……。謁見の間はどよめき……そして、誰かが拍手を始め、やがて居並ぶ貴族諸侯達全ての拍手がホール中に響いた。

「『虚空の大魔女』万歳!」
「『虚空の大魔女』リンジー、万歳!」
「魔法王国レジュッシュ王国に祝福あらんことを!」
 
 歓声と拍手はいつまでも続いた。

 国王陛下は玉座を降り、両手で私の手を握った。
 その手は暖かかった。

「これまでの息子の非礼を許してやってほしい。そして、息子の婚約者のお前の境遇に気付かなかった、愚かな私のことも……」

「国王陛下。私はもう怒っていません。ただもう、平和に暮らしたいなと……」

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 こうして。
 私はサンタ・ヴェレ諸島の小島を一つ手に入れた。
 それは小さな無人島で、小さな山とその頂上付近から流れる川が幾つか存在していた。
 そして、小さな館を建てるのに十分な平地もあった。
 
 その海が近い平地に、魔法を使い、二階建てのテラスのある石造りの館を構築した。
 なかなかの出来栄えだ。家具も魔法で運び込み、すぐ暮らせる状態に持っていった。
 今後足りないものが出てくれば、サンタ・ヴェレの町のどこかに飛行魔法で買いに行けばいい。
 国王陛下からは報奨金も貰っている。これで当分は何もしなくても生活出来るだろう。
 
 日中は小島の砂浜で泳ぎ、疲れたら浜辺のヤシの木陰で昼寝。
 お腹が空いたら館に戻り、魔法で調理した食事を採る。
 サンタ・ヴェレの町で買ったフルーツジュースを飲み、夜はテラスで波の音を聴きながら星を眺める。
 
 年中温暖で気候の良いサンタ・ヴェレ諸島。
 ハリケーンのシーズン以外は快適そのものだ。
 ハリケーンが襲ってきても、島に結界を張ってしまえば被害はないだろう。
 
 テラスの藤の椅子に腰掛けると、真っ白な浜辺の真珠クアルソ海岸が見える。
 大魔女エララ……前世の私を祀った『海の祠』のかがり火も。

 太陽が陰り、空が緋色と濃紺のグラデーションを描くまで、私はそこに座って波音を聴いていた。

「どうだ?この島の住心地は」

 背後から聞こえたのは、ようやく聞き慣れて来た声。
 振り返られなくてもわかる。
 あの、黒髪、無精髭の流浪の錬金術師だ。私の前世の記憶を蘇らせた、神出鬼没の男。
 
「最高よ。ようやく、自分の居場所を見つけた気がする」

「長年、真珠クアルソ海岸の祠で眠っていたせいかな。
 いや、お前は昔から海が好きだった……だから、あそこにお前を祀ったんだ。エララ」

 男は私の横の椅子に座り、並んで真珠クアルソ海岸の方を眺めた。

「俺のことを思い出したか?」

「ええ。
 あなたはチコね。
 前世の私の恋人。錬金術師のチコ」

 私の前世の記憶は、覚醒後も漠然としていた。
 魔法の回路構成、発動やコントロールは脊髄反射で出来たんだけれど……三百年前の人生の記憶は、断片的で曖昧なままだったのだが……。
 
 <赤色荒野の断崖レッドクリフ>で様々な魔法を駆使しているうちに、過去世の記憶も甦ってきていた。

 大魔女と呼ばれた私、エララには錬金術師の恋人がいた。その名はチコ。
 過去世の思い出の中には、今と同じ容姿のチコと愛し合っていた記憶がある。
 過去、エララの魔術とチコの錬金術で、『長命』の秘術を完成させたのだ。
 チコは自分にその術を使ったけれど、エララは『長命』の秘術を使うことは好まず、自然のまま生きて、歳を重ね、病気で死んだ。
 そして、チコにサンタ・ヴェレ諸島が見える真珠クアルソ海岸に葬って欲しいと頼んだのだ。

「海や、真珠クアルソ、サンタ・ヴェレの島々を眺めていると落ち着く。
 それは前世からだったのね」

「ああ、お前は本当に海が好きだった。
 俺よりも一人で海を眺める事を愛していたぞ。
 心が落ち着く、そう言ってな。
 お前は、どんな人間も魔物も敵わない大魔女だったが、本当は平和を好み、静かに暮らしたがっていたんだ。
 レジュッシュ王国、半島の英雄として祭り上げられて以降、しょっちゅう魔物討伐に駆り出されたり、農作物の為に天候を変えたりと多忙だったが、暇を見つけてはサンタ・ヴェレの島々を周っていた。
 そして、真珠クアルソ海岸で星を眺めていた」

「そうだったわね……もう遠い記憶だわ。
 ねえ、チコ。
 なんで私の前に現れたの?」

「前にも言ったろう?あまりに俺の恋人が不憫だったからさ。
 見るに見かねてな。今生で潜在能力を引き出すには、前世の影響が強すぎたようだ。
 俺はエララとの約束を破り、生まれ変わりのお前……リンジーに、前世の記憶を復活させた。
 ……そう、エララから、もし自分が生まれ変わっても干渉しないでそっとして欲しいと頼まれていたのに、俺はその約束を破ってしまったよ。
 だが、その後は、お前が自ら動いたんだぞ。
 レジュッシュ王国の冷戦を終わらせた、『虚空の大魔女』様」
 
「よしてよ」

 私は苦笑した。

「エララ、いや。リンジー」

 穏やかに話していたチコの声のトーンが低くなった。
 
「なに?」

「今のお前は――まだ俺を愛しているか?」

 そうか。チコ。――チコはまだエララを愛しているのね……。

「感謝している。
 でも私はリンジー。エララじゃない。
 あなたを愛してはいないわ」

「そうか……。
 まあ、そうだよな。
 生まれ変わりとはいえ、別人なんだから」

 チコはため息を付き、椅子にそっくり返って天を仰いだ。

「仕方ないな。これもまた、運命なんだろう。
 リンジー。お前はしばらくここで隠居生活か?」

「ええ。『無能令嬢』だった頃から、学園で唯一仲良くしてくれていたアンヌマリーがたまに遊びに来てくれるって言うから、完全に孤独ではないから。安心して。
 それに、<赤色荒野の断崖レッドクリフ>の魔物が一体も残らず消滅したかも、今度確認にいかなきゃね。
 ついでに、ジョアキン・ギマラン公爵にもお会いしようかしら?
 一杯付き合えって誘いを断ってしまったけれど、今なら一杯位お付き合いしてもいいかも」

「ジョアキンと?やめとけ、やめとけ!
 あいつは女慣れしていないからすぐお前に恋して熱烈に迫ってくるぞ」

「ふふ。そうかもね。でも、私は今自由。
 いつでも好きなところに行けるし、誰も私を縛り付けることは出来ない……。本当の人生を満喫しなきゃ」

 私は笑った。
 心からの笑みだった。

「ああ。これまでの分、人生を目一杯楽しめよ。
 時々俺も付き合うぜ。
 なんせ、長すぎる人生だ……退屈すぎてな」

「いいわよ。ただし、まずは礼儀正しい知人からのスタートよ?
 勝手にこうやって家に入ってこないで、玄関をノックして入ってきてね。
 それから……少しずつ時間を重ねて、友達になっていくっていうのはどうかしら」

「はいはい、細かいやつだ」
 
 チコは苦笑いしたけど嬉しそうだ。
 
 もう『無能令嬢』と呼ばれたリンジー・ハリンソン侯爵令嬢はいない。
 私は『虚空の大魔女』リンジー。

 さて。これからの人生、どう生きよう?とりあえず、無敵みたいだけれど。

【完】
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