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梓の話

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 ランチタイムが終わると『ナルセ』はティータイムに突入する。
 この時間はカレーはなく、コーヒーやケーキ、軽食のみを提供している。
 ティータイムは午後2時から5時まで、その後はディナータイムになるのだ。

 今日のティータイムには、近くにある女子高の生徒がグループで訪れている。ちょっと名の知れたお嬢様学校だ。

「全く知りませんでした。カレー専門店だからカレーしか出さないものとばかり」

 花村梓は真っ直ぐな長い黒髪をさらりと揺らして首を少しかしげた。そんな仕草が全く嫌味にならない品のいい少女だ。
 高校からの帰り道、梓は書記として加入している生徒会のメンバーと寄り道をしていた。彼女は見た目も経歴も何もかもが正真正銘のお嬢様なので、帰り道にクラスメイトと寄り道して買い食い、などということは基本的にしない。今日は学期末の打ち上げをしよう、という生徒会長の提案で参加することになったのだ。もちろん親にはきちんと断りを入れてある。

「そうよねえ、梓ちゃんはいつもお迎えが来ちゃうしね。一緒にお茶しに来られて嬉しいな」

 生徒会長の碧がにっこり笑った。まっすぐな黒髪を肩のあたりできれいに切りそろえたシンプルなボブカットが理知的な碧にはよく似合う。
 碧の言う通り、梓は普段登下校とも自家用車で通っているので、それが寄り道できない理由のひとつでもあったりする。富豪で格式のある家の娘なので、誘拐などの犯罪に巻き込まれることを過保護な両親が心配して車で送迎させているのだ。
 いつもとは違うこの時間がすごく楽しくなってきて、梓は微笑みながら供されたばかりのカフェオレを一口飲んだ。生徒会室でおしゃべりしている時とはメンバーは一緒でも何かが違って新鮮だ。

「皆さん、ここのカレーも召し上がって事がおありですか?」
「あるよ。私はチキンマサラカレーにチーズトッピングしたのが好き」
「あ、私はかぼちゃのカレー。甘くておいしいよ」
「私はマトンカレーが」

 生徒会メンバーがそれぞれお勧めのカレーを語り始めた。いわく、スパイスが効いてすごく香りがいい、辛くてでも旨味が強くておいしい、辛さの調節の幅が広い。それぞれ思ったことをかわるがわる話して聞かせてくれる。

「そうだ! 試しにここのカレートースト食べてみるといいよ。すごく美味しいよ」

 碧がぱちんと手を合わせて言い出した。すぐにさくらを呼んで注文し、テーブルにカレートーストが運ばれてくる。厚切りの食パンに特製のキーマカレーを載せ、チーズをトッピングして焼いてある。スパイシーな香りが食欲をそそり、全員でわけてかじりついた。

「あ、美味しい」
「でしょ? ここのカレー、本当においしいんだ」
「ねえ今度一緒にカレー食べに来ようよ」
「――ぜひ来たいですね。もし許可がもらえたらその時は坂本に送迎させますわ」

 坂本は梓の付き人の青年だ。運転手もボディガードもこなしているので、学校の友人たちとも面識がある。生徒会メンバーはみんなくすっと笑った。

「坂本さんかあ。ねえ花村さん、坂本さんって彼女とかいるのかなあ?」

 副会長の琴子が梓に聞いた。

「彼女――ですか? いないと思います」
「そうなの? 坂本さん、結構イケメンじゃない。彼女のひとりや2人いてもおかしくない感じ」
「そうですか?」
「そうよ、私も琴子に賛成」
「茶子さんまで」

 呆れたように梓はため息をつく。

「坂本のことより、皆様のお話を聞きたいです。確か会長は――」
「やだなあ、こっちに矛先を向けないでちょうだい。私の話より琴子の方が面白い話が聞けるわよ」
「かっ、会長おおお?」

 さり気なく碧がレシーブを琴子に上げる。琴子は悲鳴を上げた。

「くっ、面倒だから私を生贄にしましたね? 会長」
「ほらほら、今月は何人から告られたの? 琴子」
「ええ、確かに4人から呼び出されましたよ! 断りましたけどね!」

 げんなりと琴子が返した。女子同士の恋バナは花盛りだ。尽きずに上がる黄色い声はまるでさえずるカナリヤたちのようだ。時を忘れて話は続く。

 けれど楽しい時間はあっという間に過ぎていってしまう。

「お嬢様、お迎えに上がりました」

 低い声に顔を上げると、いつの間にか梓の後ろに背の高い青年が立っていた。紺のスーツに細身の眼鏡、ピシッと隙なく整っている。

「あら、もうそんな時間? ごめんなさい皆様。坂本が来ちゃったから帰らないと」

 梓がかばんとコートを手に立ち上がる。そのかばんはさりげなく坂本の手に移った。
 時計はもう5時、碧が「あら」と窓の外を見て空の暗さに驚いた。

「そうね、私達もお開きにしましょうか」

 そのまま解散になり、店の外で別れた。梓はもちろん坂本の運転する車で帰る。他の生徒会メンバーが駅へ向かって歩いていく背中に手を振りながら、梓がぽそりとつぶやいた。

「結構、じゃなくてものすごくイケメンなんですよ、琴子さん」
「何かおっしゃいましたか? お嬢様」
「いいえ、何も」

 坂本を見上げて梓は笑みを作った。
 坂本は20代後半、まだ16歳の梓なんてどんなに想ったって子供過ぎて相手にもしてもらえない。
 たとえ仕事だからという理由でも、坂本が自分のそばにいてくれるだけで今は幸せなのだ。そのはずだ。

「さっきカレートーストを一口頂いたんだけど、本当に美味しかったわ。だから今度はここでご飯をご一緒しようって皆様とお約束したのよ」
「それはよかったですね」

 そう言いながらにっこりと笑いかけて坂本が後部座席のドアを開けた。梓が乗り込むと、坂本は車の周りを回って運転席へと向かう。
 その僅かな時間で梓は坂本の笑顔にノックアウトされた心臓を必死になだめるのだった。



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