Hermit【改稿版】

ひろたひかる

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心の扉を開けたなら~蘇芳と一平

5.渋谷で1日

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「古川!」

ハチ公の下で立っていた蘇芳は呼ばれた方を振り向いた。淡いプラチナブロンドに青い瞳、背もかなり高くておまけに甘いマスクだ、ものすごく注目を集めているのだが、本人は気がついていない。少しだけ遅刻してきた拓海は、慌てて蘇芳に駆け寄った。白のぶかっとしたTシャツにハーフパンツ姿で、ストライプのシャツにベージュのチノパン姿の蘇芳とは対照的だ。
「失敗した」という顔で蘇芳のところまでたどり着くと、蘇芳の腕を掴んで引っ張った。

「悪い、寝坊した! とにかく行こう」
「え、あ、うん」
「ダメだ、こんなに目立つと思ってなかった。周りの女子がみんな目がハートマークになってたじゃないか」

拓海に腕をひかれてスクランブル交差点を渡る。拓海が何を焦っているのかわからなくて、蘇芳はただ首をひねるばかりだ。そこから道玄坂を上がっていく。

「なあ、ところで何であんなにハチ公のことガン見してたん?」
「うん、渋谷って来たことなかったから。思ってたより小さいんだなと思ってさ」
「え、マジ? 普段どこで遊んでんの?」
「あんまり人混みが得意じゃなくて、静かなところかな。公園とか図書館とか」
「じゃ、渋谷なんて誘って悪かったな。大丈夫か?」

大丈夫か、といわれるとまあ大丈夫だ。眼鏡の効果なのか、思った以上に人の心は聞こえていない。頭痛がすることもない。

「うん、大丈夫。渋谷、初めてだから楽しみにしてたんだ」
「そっか! よし、んじゃおすすめの店を考えてきたんだ。行こう」

そう言って拓海は坂をどんどん上っていく。そしてしばらく行った先にある細い道を曲がった。

「いろいろ考えたんだけどさ、ひとつ思いついたんだよ。俺が小学校の頃好きだった奴でさ」

結局自分の経験から考えてくれたようだ。

「ここだよ」

そう言って拓海が示したのは、赤いアーケードのある一軒の店だ。アーケードには「琴平模型店」と白で染め抜かれている。

「模型?」
「そ。プラモとかな。もしその子が親を気にしてプレゼントを受け取れなくても、一緒に作ってやるだけでも楽しいだろうし、いいプレゼントになると思うんだよ。とにかく入ろうぜ――こんちは!」

ガラスの自動ドアが開くなり大きな声で拓海が奥に向かって挨拶する。すると、店主らしい老人がひょっこりと棚の間から顔を出した。

「おお、拓海くん。いらっしゃい」

すっかり髪のなくなった小柄な老人だ。親しげに拓海に話しかけている。どうやら拓海はこの店の常連か何からしいと蘇芳はあたりをつけた。店主は拓海の後ろにいる蘇芳をちらっと見てやはり「いらっしゃい」と頭を下げてから拓海に向き合った。

「おっちゃん、小学2年生くらいで今流行ってるのって何?」
「小学2年? そうさなあ、最近はまたミニ四駆が流行っててな。まあ小2じゃ自分でカスタムは難しいが、お兄ちゃんやお父さんと一緒にやってるのをよく見るぞ」
「ミニ四駆かぁ……悪くないけどなあ……他にもある?」
「そうだな、もし自分で作るなら――ちょっと待ってろよ」

店主は棚の間をすいすいと歩いて迷わずに2つの箱を取って戻ってきた。

「ちょっと手助けしてやれば、これならできるんじゃないか」

ひとつの箱は青いスポーツカー。レーシング仕様なのか、箱に描かれている絵には車体にシールがたくさん貼ってある。
もうひとつは銀色の飛行機。黒いプロペラのついた戦闘機のようだ。

「このあたりならパーツも少ないし塗装も必要ないし、パチって嵌めるタイプのやつだから、手伝ってやればできると思うよ」
「なるほどなあ」

しげしげと箱を眺めいてた拓海だが、すぐに蘇芳を振り向いた。

「どう? どれか気に入りそうなのあるか?」

蘇芳は箱を見て考えた。どれも確かに男の子が喜びそうなプラモだ。あるいはミニ四駆が流行しているならそれもありかもしれない。悩ましい。
けれどその時ふと思い出した。初めて一平と会った日、一平は工作で作った大きな飛行機を持っていなかっただろうか?
蘇芳の手は銀色の飛行機の箱を手にしていた。

代金を払って店を出る。外はむっとする暑さだ。

「あの、番匠くん。ありがとう」
「よかったな、気に入ったのがあって。んじゃ俺の買い物にもつきあえよ――それからさ、俺のことは拓海でいいよ。俺も古川のこと――」

そこまで言って拓海はぴたりと言葉を止めた。そしてちょっと悩むそぶりを見せて、続けた。

「なあ、おまえの下の名前、なんて読むの?」


それから二人でショッピングに行った。拓海は服を買いたかったらしいので流行の店を覗いてTシャツを物色するのに夢中だ。

「なあ蘇芳、おまえも服買えよ」
「そうだなあ、せっかく来たんだからTシャツくらい買ってくかなあ」

蘇芳がそう言ってシンプルな無地のTシャツを見ていたら、拓海が蘇芳の背中をバシッと叩いた。

「せっかくここまで来たんだから無地なんかじゃなくてもうちょっと冒険しろよ。よし! 俺に任せろ」

自信満々に拓海が選んだTシャツの柄が普段着たことがないようなストリート系で、気がつかないうちに微妙な顔をしていたらしく拓海に笑われた。それも大爆笑だ。

「ひー、笑いすぎて腹が痛え。でもさ、蘇芳なら何でも着こなしちゃいそうで怖いよな」
「そう?」
「うん。いけるいける」

そう言いながらまじまじと蘇芳の顔をのぞき込むので、ちょっと引いてしまう。

「な、何」
「蘇芳おまえ、コンタクトにはしねえの? まあ眼鏡好き女子もいるけどさ、眼鏡外したらやばいくらいモテまくるんじゃないか?」
「ああ――今のところ変える気はないかな。眼鏡、もう顔の一部みたいなものだし」

言ったことは嘘じゃないけれど、本心はもちろん眼鏡を外すのはが怖いからだ。人の声が自分を押しつぶしそうになるから。

「そ? まあ、モテすぎたらそれはそれで大変そうだしな。さっきのハチ公前といい、結構苦労してるんじゃ」

「いや、別にモテないよ、僕は。拓海だって知ってるだろ、クラスでは浮いてるし」
「――」

はぁ~。拓海の盛大なため息が漏れる。

「嫌味か? 嫌味なのか? いや、そんな感じじゃないな――ド天然か」

そしてなぜか突然蘇芳の背中をバン! と叩いた。

「いてっ! 何だよ急に」
「蘇芳、今度髙橋達と一緒に遊びに行こうぜ」
「え? 髙橋くん? 髙橋智昭くん?」
「そうそう。俺と髙橋と堀川な、三人でよくつるんでるんだけどさ。話しやすいしいい奴らなんだよ。どう?」

そんなことを言われたのは初めてだ。驚いてどう返事をしていいか困ってしまう。自分が拓海達の仲間に入って、気まずい思いをさせるんじゃないだろうか。でも誘われたことは純粋に嬉しいと思う。
固まってしまった蘇芳を後目にスマホを取り出した拓海は、たたたっとラインをしたためる。するとすぐに返信を知らせる通知音が鳴り、すごくいい笑顔で拓海が顔を上げた。

「髙橋と堀川に話したら、ぜひっていってるよ」
「い、いいのかな」
「当たり前だろ? あっちが来たいって言うんだから。よし、昼メシでも食いながら今度みんなでどこ行くか考えようぜ」

そうして二人で策を練るべくファミレスを探して歩き出した。

昼食を食べながら相談をして、それからもう一度ショッピングに回った。拓海に口説かれて蘇芳はさっきのストリート系のTシャツとカーゴパンツを買わされて、無理矢理ショッピングビルのトイレで着替えさせられた。着替えた蘇芳を見た拓海は「似合うけど似合わねー!」とまた大爆笑していた。わけがわからない。
その後カラオケに行って、ゲーセンに行って。
気がつけば夜まで遊んでいた。

蘇芳は初めてできた友達にはしゃいでいた。
そして今度は髙橋や堀川とも仲良くなれるかもしれない。
家に帰ってからも高揚した気持ちは続いていて、寝る前も明るい心地だった。
ベッドに入っていつも通り眼鏡を外して。

「――そういえば」

ふと気がついた。
渋谷なんて一番の繁華街に丸一日いたのに、頭痛がしていない。

「どうして――」

今日は一日気分が高揚していて、拓海と目一杯遊んで、柄にもなくはしゃいで、いつものような空虚なのに重たい気持ちになっている暇なんてなかった。気の持ちようなのだろうか? 自在に力をコントロールできたわけではないけれど、少なくとも全ての心の声を拾ってしまうようなことはなかった。
普段、眼鏡をかけていても強い心の声は響いてくる。それすらなかったのだ。あれだけ人の多いところなら、ひとりや二人心の底で叫んでいる人はいるものだ。
つまりそれは――

「コントロール……できる可能性があるっていうことか」

蘇芳は今までそんなことができるようになるとは思ってもいなかった。けれどそのきっかけを掴むことができたかもしれない。
光が目の前に見えた気がした。それ以来蘇芳は自分の力のコントロールを練習するようになった。

だから気がつかなかったのだ。
すぐそばで異変が起こっていたことに。

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