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婚 約 七月三十日 火曜日
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七月三十日午後一時 今日もまた、異常な暑さが続いている。
ニュースでは36度超えだと伝えていた。
春樹はまだ、出勤時間には早かったが、会社に向かった。
先日の騒動事件についての対応を知りたかったのだ。
会社には常務がいた。二階の会議室で話し合う事になった。
常務と部長が入って来ると、春樹は無言でお辞儀をした。
「話は聞いた、大変だったな」常務はいつも通りの対応だ。
「はい、ご迷惑をおかけしました」春樹は今一度頭を下げた。
「まぁ~なんだ、警察沙汰になったわけでもないし、会社の敷地外であれば、
ただの喧嘩だ。中だから問題だったんだが、
臼井は退職したので、春樹に問題はない。ただ、問題は上野さんだな」
部長が春樹に声をかけた。
「泉ちゃんは上野さんと付き合っているのか?」
「はい、今回の事で私も吹っ切れました。玲香と結婚します」
「ほぅ、そうか、結婚するのか」常務は驚いている
「つまり、上野さんは退職でいいのかな!」
部長は、これで、目の上のたんこぶがなくなったと安心したような顔つきだ。
「いえ、出来れば、このまま、ここで働きたいと言っています」
「んぅ、みんなに、元、AV女優って事、知れ渡っていて、やりにくくないのかな」
「会社はどうなんですか、AV女優ではダメなんですか」
「参ったねぇ、会社の規定にはAV女優は雇用できない、と云うものはない、
ただ、世間の反応がどうなんだろうな」
常務の本音は玲香が退職する事を望んでいた。
「世間の反応って、どういう事ですか。
臼井が昔のエロビデオを持ってきて騒ぎ立てなければ、
何も問題にはならなかった事、そんなビデオ、誰が見て、誰が問題にするのですか、
するとすれば、ここにいる人たちだけだと思いますが、違いますか」
春樹は常務に食い下がると、
「一応、玲香にはその他の選択を聞いてみますが、
ここに残りたいと言った時は辞めなくてもいいんですよね」
常務も、折れて、
「そうだな。もう、一回、社長にも掛け合ってみるよ」
常務も間に挟まれ、大変なようだ。
「で、いつ、上野さんと結婚するんだ」
「はい、八月二日、玲香の誕生日なのでその日に籍を入れます」
「上野さんの誕生日にか、そいつはいい、おめでとう」常務に笑顔が戻った。
「いや、でも、すごいね、どう、AV女優と結婚って、少しは抵抗はなかったか」
部長が意味ありげに問う。
「えぇ、ある人が言いました。
六十過ぎたら、AV女優も風俗嬢も無いだろうって、騒ぐのは今だけだって、
子供って事を除けば、セックスなんて人生のおまけみたいなもので、
六十歳から二人で互いに支えあって生きていく事が重要なんだって、
その時からが本当の結婚なんだって、私もそれで心が決まりました。
玲香と共に生きていく決心がつきました」
「たしかにね、六十過ぎてAVもないか、間違いない。がんばれ!」
常務はちょっと、心に響くものを感じた。
春樹は八月五日まで有休をもらって、玲香のもとに帰った。
マンションに近づくと、玲香は自由ケ丘のマックスバリューで買い物をして、
大きな袋を両手に持って歩いていた、長い坂を上ると左側に猫ヶ洞池が見えてくる。
ちょっと疲れたなと思った時、タイミングよく青いカローラが玲香の横に止まった。
「もう、クラクションくらいならしてよ、びっくりするから」
と言って玲香は車に乗り込んで来た。もう、この坂を下れば、すぐにマンションに着着くのだ。
車の中で春樹は会社での話を伝えた。
「俺はいいみたいだけど、玲香には、あまり、勤めてもらいたくないみたいだ、
会社の言い分もわかるんだけどね」
「私、辞めた方がいいって!」
「なぁ、なんで、そんなにこだわるかな、タクシー会社なら、
近くに近鉄もあるし、香流タクシーだってあるし、
なんだったら別に無理して働かなくてもいいと思うけど」
「私は、前にも言ったと思うけど、春樹とすべての事を共有したいの、
つまり、戦争映画に出てくるような、二人で背中を合わせて、機関銃を持って、
どこに隠れているかもしれない敵を探しながら、一歩一歩前進していくの、
すごいって、思わない。敵が来たら、二人で機関銃でババババーンって打ちながら右に左に背中合わせて回るの。迫力あるでしょ、
だから、死ぬ時も一緒、逃げるのも一緒、私が転んでも絶対手を放さない
ねぇ、そんな人生を送りたい」
「すごい、元気、休む暇ないじゃん、俺はずーと、玲香の膝枕で寝ていたいけど」
「六十過ぎたら、ずーと膝枕してあげる、それまでは、私のために戦って、
勇敢な戦場の兵士となって、私を助けるの、わかったあぁ!」
「えぇ、六十まで戦い続けるのか」
「そう、六十まで戦い続けるの 大丈夫、疲れ切って死にそうになった時、
目の前に茜の花がいっぱいに咲いた大草原が現れるの、そこにうずくまっていると茜の精が現れて、私たちをかくまってくれるの、
修平という老兵がおにぎりを持ってきて食べろって差し出してくれるの、
そうそう、桑名のハマグリの酒蒸しもついている、美味しいんだから、
そして、体がゆっくり休まると、また、戦地に行って戦うの」
「俺はそこでもう少し休んでいたいけど・・・」
「春樹、知らないの?茜の精は怖いよ、早く行けって怒鳴って来るよ」
「そうだった、敵よりも怖いかも・・・って」 そんな話についていけないと思って春樹は現実に戻した。
「わかったけど、話が見えてこない、つまり、会社を辞める気はないのか」
「ない、部長が辞めろって直接、私に言うまで辞めない、もし、言いそうになったら機関銃で撃ち殺してやる」
「その機関銃、どこかにしまっておいたら、危なくってしょうがない」
「毎日、今日、暇だねとか、お客がいないねとか、
そんなふうにメールしているだけでもいいから、
春樹と時間を共有していたい、お願い」
夕食を作りながら、バタバタ話す玲香がいた。
「焼きそば、何味にする、ソース、塩、醤油、早く言って、焼きそばが焦げちゃう」
「塩、玲香の塩焼きそば、美味しい 大好き!」
「キッチンカウンターにある麻婆豆腐とサラダ、リビングに持って行ってよ」
春樹は臼井事件が終わった時、玲香に籍を入れようと言っていた。七月三十一日を
予定していたのだが、玲香の誕生日が八月二日であることを知り、
その日に籍を入れる事に決めたのだ。籍は八月二日に入れる。
翌日、七月三十一日(水) 春樹は千種区役所に行って婚姻届の用紙を貰ってきた。
保証人二名の記入欄にママと修平の名前を記入してもらえるよう頼んでいたので
今日はそれを二人に書いてもらうためにスナック茜に会いに行ったのだ。
夕方、六時にスナック茜に着いた。
春樹と玲香は、よそよそしく大きなハートケーキを持って中に入った。
「ママ、保証人、よろしくお願いします」二人で頭を下げる。
「まぁ、ご丁寧な事、修平も七時には来れるって言ってたから、それまで大丈夫?」
「はい、慌てる事はないので・・・ママ、先日はご迷惑をおかけしました」
春樹が恐縮して頭を下げた。
「本当ね、もう、大変だったわ、思い出しただけでもぞーとする」
ママが舌を出して笑った。
「あの時、カァ~と来て、みさかい、つかなくなったのね、
本当に取り乱しちゃって、大変だった」
玲香がママに婚約ケーキを渡すと
「ママ、ありがとう、ママに救われた。
私、本当に目の前に青酸カリがあったら飲んでいたかも」
「でもね、今回の事、たくさん、考えさせられたわね。
中里さんが言ってたけど、六十歳過ぎたら、AVだろうが風俗嬢だろうが
そんなもの話題にもならないって、犯罪犯したわけではないから、
なにも気にする事はないって、今、吹いている風が通り過ぎれば、
また、穏やかな日々が来るから、ここはひとまず、息を潜めて待つ事だって。
電話で玲香にも話したけど、なんだか、胸にグーときたのよね。
だから、れいちゃんもあんまり思い詰める事はないから、
春樹もわかってくれた事だし、嬉しいね、よかったね」
と言ってママは婚姻届に署名をしてくれた。
ハート型の婚約ケーキがカウンターをうるわしている。
玲香がママに言った。
「結婚祝いは八月四日にしたの。
夕方六時に澤正で予約を取っておいたけどよかった?」
「例の1時間の幸せがついてくるって、うなぎ屋さんね、楽しみだわ
修平も行った事は無いって言ってたし・・
ちょっと、でも、結婚祝いがうなぎ屋さんでれいちゃんはいいの」
「うん、だって、永遠の幸せ、手に入れたから澤正にお礼を言いたいくらい」
笑顔がたえない。智ちゃんが入ってきた。
「いらっしゃい、ご結婚、おめでとうございます」
香奈ちゃんも来た。
「わぁ、れいちゃんも春樹さんも来てたんだぁ、おめでとうございます。
でも、すごかったなぁ、れいちゃんにも見せたかった。
ママってすごいんだから、まるで、ヤクザ映画の女親分みたいで、す~ごく迫力あったんだから、
お客さんたちも、あの一部始終を只々、口を開いたまま眺めていた」
「本当、あの時、スマホに撮っておけばよかった、失敗しちゃった」
「春樹さんったら、小さくなって、小さくなって、面白かった」
智ちゃんと香奈ちゃんはお店に来るなり大盛り上がりだ。
「そうだね、ビデオに撮っておけばよかったね」春樹があの時の事を振り返る。
「馬鹿言ってんじゃないわよ、あんなのを撮られたら、
もう、恥ずかしくってお店を開けられなくなるでしょう、
あぶないあぶない、いいこと、智ちゃん香奈ちゃん、あの事は、忘れて、
れいちゃんも春樹も、忘れなさい、
それから、いいい、絶対、絶対、修平さんには言っちゃ駄目よ、
いいこと、絶対ダメだからね」
ママの迫力は一段と増さる。
「だけど、私、ママにもれいちゃんにも感動したなぁ、勇気をもらったって言うか、
体を張って生きるって、こういう事なんだって、
本当は、私の友達に風俗嬢になった女がいて、少し、軽蔑していたんだけど、
人生を生きるって、それこそ、いい加減じゃ、生きていけないんだって・・・
ちょっと、考え方、変わったなぁ」
しみじみと香奈ちゃんがつぶやいた。
「そんな事に感動していないで、
風俗嬢やAV女優なんてやっちゃいけないって話だからね、
駄目よ、そんな所へ足を踏み入れないでよ、
はい、約束、指切りげんまん嘘をついたらハリセンボン飲ーます」
ママは両手を出して二人と約束をした。
修平が入ってきた。修平の頭に汗が浮いている。
あかねは修平に冷たいおしぼりを渡すと《気持ちいい》と一言もらした。
修平は玲香を見るなり言った。
「よぉ、れいちゃん、よかったね おめでとう」
みんな、玲香の顔を見て、なんども、上下に顔を振った。
「ママ、下に吉田さんたち見えていた、
連れを待ってるって言ってたからもうすぐ来ると思うよ」と言って、
修平はテーブルにあった婚姻届に署名した。
吉田さんたち四人が入ってきた。冷たいおしぼりを用意してママが出迎える。
「いらっしゃい、吉田さん、テーブル、カウンター?」智ちゃんが案内する
「あれ、れいちゃん、どうした、チーママになった、いいねぇ、来てよかったな」
吉田さんたちのテンションが上がった。それを押さえるようにママが言う。
「れいちゃんは、今日は、婚約発表に来たのよ」
修平、春樹が頭を下げて挨拶をした。
「あれ、修平さん、今日は、そうか、結婚か」
「ちがうよ、れいちゃんと結婚するのは春樹、
まだ、春樹は吉田さんを送った事なかったっけ」
「そうか、春樹さんも茜の専属タクシーさんかな」
「はい、今後ともよろしくお願いします」
「やっと、れいちゃんに会えたと思ったら、もう、取られちゃったか」
みんな大笑いだ。吉田さんがママと修平にお礼を言った。
「あらためて、ママと修平さんに一言、お礼をと思ってね、
先週はありがとう、助かりました。わざわざ、桑名まで届けてもらえるなんて、
茜でなきゃできない事だよ、本当にありがとう。
おかげで商談もうまくいって助かった。
ママ、その棚にある{銀座のすずめ}キープもの」
「大丈夫よ、キープします?」
「婚約祝いも含めて、ここにいる皆さん、
全員に銀座のすずめが行き渡ったら乾杯しよう」
「れいちゃんと春樹さん、婚約おめでとう。
そして、スナック茜にかんぱ~い」
吉田さんが乾杯音頭を取った。
「そうだ、ママ、ハートケーキを忘れてた。
えぇと、全部で十人、智ちゃん、十等分して、皆さんに出してくれないかな」
春樹が言った。
麦焼酎と婚姻ケーキで玲香と春樹の結婚祝いだ。
お客さんがぞろぞろ入ってくる。
いつまでも、席を占領していてはまずいと言って三人はスナック茜を出た。
時間は十時近くになっていた。
春樹は赤いマツダ2で修平を茶屋ヶ坂のマンションまで送った。
「れいちゃん、おめでとう、でも、よかったね、
臼井のバカヤロウが問題を起こさなければ、
こんなに早く結婚なんてなかったよなぁ。
こういうのなんて言うんだろう、不幸中の幸い、違うか、地獄で仏かな、
雨降って地固まるか、まぁよかった、よかった、
春樹、大切にしろよ、ママが言ってたけど、
れいちゃんは、おまえにはもったいないほどの女性なんだぞ」
「やだ、修平さんまで飲み過ぎじゃない」
玲香がうれしそうに修平に言った。
大幸団地で修平を下ろすと二人は家に戻った。
ニュースでは36度超えだと伝えていた。
春樹はまだ、出勤時間には早かったが、会社に向かった。
先日の騒動事件についての対応を知りたかったのだ。
会社には常務がいた。二階の会議室で話し合う事になった。
常務と部長が入って来ると、春樹は無言でお辞儀をした。
「話は聞いた、大変だったな」常務はいつも通りの対応だ。
「はい、ご迷惑をおかけしました」春樹は今一度頭を下げた。
「まぁ~なんだ、警察沙汰になったわけでもないし、会社の敷地外であれば、
ただの喧嘩だ。中だから問題だったんだが、
臼井は退職したので、春樹に問題はない。ただ、問題は上野さんだな」
部長が春樹に声をかけた。
「泉ちゃんは上野さんと付き合っているのか?」
「はい、今回の事で私も吹っ切れました。玲香と結婚します」
「ほぅ、そうか、結婚するのか」常務は驚いている
「つまり、上野さんは退職でいいのかな!」
部長は、これで、目の上のたんこぶがなくなったと安心したような顔つきだ。
「いえ、出来れば、このまま、ここで働きたいと言っています」
「んぅ、みんなに、元、AV女優って事、知れ渡っていて、やりにくくないのかな」
「会社はどうなんですか、AV女優ではダメなんですか」
「参ったねぇ、会社の規定にはAV女優は雇用できない、と云うものはない、
ただ、世間の反応がどうなんだろうな」
常務の本音は玲香が退職する事を望んでいた。
「世間の反応って、どういう事ですか。
臼井が昔のエロビデオを持ってきて騒ぎ立てなければ、
何も問題にはならなかった事、そんなビデオ、誰が見て、誰が問題にするのですか、
するとすれば、ここにいる人たちだけだと思いますが、違いますか」
春樹は常務に食い下がると、
「一応、玲香にはその他の選択を聞いてみますが、
ここに残りたいと言った時は辞めなくてもいいんですよね」
常務も、折れて、
「そうだな。もう、一回、社長にも掛け合ってみるよ」
常務も間に挟まれ、大変なようだ。
「で、いつ、上野さんと結婚するんだ」
「はい、八月二日、玲香の誕生日なのでその日に籍を入れます」
「上野さんの誕生日にか、そいつはいい、おめでとう」常務に笑顔が戻った。
「いや、でも、すごいね、どう、AV女優と結婚って、少しは抵抗はなかったか」
部長が意味ありげに問う。
「えぇ、ある人が言いました。
六十過ぎたら、AV女優も風俗嬢も無いだろうって、騒ぐのは今だけだって、
子供って事を除けば、セックスなんて人生のおまけみたいなもので、
六十歳から二人で互いに支えあって生きていく事が重要なんだって、
その時からが本当の結婚なんだって、私もそれで心が決まりました。
玲香と共に生きていく決心がつきました」
「たしかにね、六十過ぎてAVもないか、間違いない。がんばれ!」
常務はちょっと、心に響くものを感じた。
春樹は八月五日まで有休をもらって、玲香のもとに帰った。
マンションに近づくと、玲香は自由ケ丘のマックスバリューで買い物をして、
大きな袋を両手に持って歩いていた、長い坂を上ると左側に猫ヶ洞池が見えてくる。
ちょっと疲れたなと思った時、タイミングよく青いカローラが玲香の横に止まった。
「もう、クラクションくらいならしてよ、びっくりするから」
と言って玲香は車に乗り込んで来た。もう、この坂を下れば、すぐにマンションに着着くのだ。
車の中で春樹は会社での話を伝えた。
「俺はいいみたいだけど、玲香には、あまり、勤めてもらいたくないみたいだ、
会社の言い分もわかるんだけどね」
「私、辞めた方がいいって!」
「なぁ、なんで、そんなにこだわるかな、タクシー会社なら、
近くに近鉄もあるし、香流タクシーだってあるし、
なんだったら別に無理して働かなくてもいいと思うけど」
「私は、前にも言ったと思うけど、春樹とすべての事を共有したいの、
つまり、戦争映画に出てくるような、二人で背中を合わせて、機関銃を持って、
どこに隠れているかもしれない敵を探しながら、一歩一歩前進していくの、
すごいって、思わない。敵が来たら、二人で機関銃でババババーンって打ちながら右に左に背中合わせて回るの。迫力あるでしょ、
だから、死ぬ時も一緒、逃げるのも一緒、私が転んでも絶対手を放さない
ねぇ、そんな人生を送りたい」
「すごい、元気、休む暇ないじゃん、俺はずーと、玲香の膝枕で寝ていたいけど」
「六十過ぎたら、ずーと膝枕してあげる、それまでは、私のために戦って、
勇敢な戦場の兵士となって、私を助けるの、わかったあぁ!」
「えぇ、六十まで戦い続けるのか」
「そう、六十まで戦い続けるの 大丈夫、疲れ切って死にそうになった時、
目の前に茜の花がいっぱいに咲いた大草原が現れるの、そこにうずくまっていると茜の精が現れて、私たちをかくまってくれるの、
修平という老兵がおにぎりを持ってきて食べろって差し出してくれるの、
そうそう、桑名のハマグリの酒蒸しもついている、美味しいんだから、
そして、体がゆっくり休まると、また、戦地に行って戦うの」
「俺はそこでもう少し休んでいたいけど・・・」
「春樹、知らないの?茜の精は怖いよ、早く行けって怒鳴って来るよ」
「そうだった、敵よりも怖いかも・・・って」 そんな話についていけないと思って春樹は現実に戻した。
「わかったけど、話が見えてこない、つまり、会社を辞める気はないのか」
「ない、部長が辞めろって直接、私に言うまで辞めない、もし、言いそうになったら機関銃で撃ち殺してやる」
「その機関銃、どこかにしまっておいたら、危なくってしょうがない」
「毎日、今日、暇だねとか、お客がいないねとか、
そんなふうにメールしているだけでもいいから、
春樹と時間を共有していたい、お願い」
夕食を作りながら、バタバタ話す玲香がいた。
「焼きそば、何味にする、ソース、塩、醤油、早く言って、焼きそばが焦げちゃう」
「塩、玲香の塩焼きそば、美味しい 大好き!」
「キッチンカウンターにある麻婆豆腐とサラダ、リビングに持って行ってよ」
春樹は臼井事件が終わった時、玲香に籍を入れようと言っていた。七月三十一日を
予定していたのだが、玲香の誕生日が八月二日であることを知り、
その日に籍を入れる事に決めたのだ。籍は八月二日に入れる。
翌日、七月三十一日(水) 春樹は千種区役所に行って婚姻届の用紙を貰ってきた。
保証人二名の記入欄にママと修平の名前を記入してもらえるよう頼んでいたので
今日はそれを二人に書いてもらうためにスナック茜に会いに行ったのだ。
夕方、六時にスナック茜に着いた。
春樹と玲香は、よそよそしく大きなハートケーキを持って中に入った。
「ママ、保証人、よろしくお願いします」二人で頭を下げる。
「まぁ、ご丁寧な事、修平も七時には来れるって言ってたから、それまで大丈夫?」
「はい、慌てる事はないので・・・ママ、先日はご迷惑をおかけしました」
春樹が恐縮して頭を下げた。
「本当ね、もう、大変だったわ、思い出しただけでもぞーとする」
ママが舌を出して笑った。
「あの時、カァ~と来て、みさかい、つかなくなったのね、
本当に取り乱しちゃって、大変だった」
玲香がママに婚約ケーキを渡すと
「ママ、ありがとう、ママに救われた。
私、本当に目の前に青酸カリがあったら飲んでいたかも」
「でもね、今回の事、たくさん、考えさせられたわね。
中里さんが言ってたけど、六十歳過ぎたら、AVだろうが風俗嬢だろうが
そんなもの話題にもならないって、犯罪犯したわけではないから、
なにも気にする事はないって、今、吹いている風が通り過ぎれば、
また、穏やかな日々が来るから、ここはひとまず、息を潜めて待つ事だって。
電話で玲香にも話したけど、なんだか、胸にグーときたのよね。
だから、れいちゃんもあんまり思い詰める事はないから、
春樹もわかってくれた事だし、嬉しいね、よかったね」
と言ってママは婚姻届に署名をしてくれた。
ハート型の婚約ケーキがカウンターをうるわしている。
玲香がママに言った。
「結婚祝いは八月四日にしたの。
夕方六時に澤正で予約を取っておいたけどよかった?」
「例の1時間の幸せがついてくるって、うなぎ屋さんね、楽しみだわ
修平も行った事は無いって言ってたし・・
ちょっと、でも、結婚祝いがうなぎ屋さんでれいちゃんはいいの」
「うん、だって、永遠の幸せ、手に入れたから澤正にお礼を言いたいくらい」
笑顔がたえない。智ちゃんが入ってきた。
「いらっしゃい、ご結婚、おめでとうございます」
香奈ちゃんも来た。
「わぁ、れいちゃんも春樹さんも来てたんだぁ、おめでとうございます。
でも、すごかったなぁ、れいちゃんにも見せたかった。
ママってすごいんだから、まるで、ヤクザ映画の女親分みたいで、す~ごく迫力あったんだから、
お客さんたちも、あの一部始終を只々、口を開いたまま眺めていた」
「本当、あの時、スマホに撮っておけばよかった、失敗しちゃった」
「春樹さんったら、小さくなって、小さくなって、面白かった」
智ちゃんと香奈ちゃんはお店に来るなり大盛り上がりだ。
「そうだね、ビデオに撮っておけばよかったね」春樹があの時の事を振り返る。
「馬鹿言ってんじゃないわよ、あんなのを撮られたら、
もう、恥ずかしくってお店を開けられなくなるでしょう、
あぶないあぶない、いいこと、智ちゃん香奈ちゃん、あの事は、忘れて、
れいちゃんも春樹も、忘れなさい、
それから、いいい、絶対、絶対、修平さんには言っちゃ駄目よ、
いいこと、絶対ダメだからね」
ママの迫力は一段と増さる。
「だけど、私、ママにもれいちゃんにも感動したなぁ、勇気をもらったって言うか、
体を張って生きるって、こういう事なんだって、
本当は、私の友達に風俗嬢になった女がいて、少し、軽蔑していたんだけど、
人生を生きるって、それこそ、いい加減じゃ、生きていけないんだって・・・
ちょっと、考え方、変わったなぁ」
しみじみと香奈ちゃんがつぶやいた。
「そんな事に感動していないで、
風俗嬢やAV女優なんてやっちゃいけないって話だからね、
駄目よ、そんな所へ足を踏み入れないでよ、
はい、約束、指切りげんまん嘘をついたらハリセンボン飲ーます」
ママは両手を出して二人と約束をした。
修平が入ってきた。修平の頭に汗が浮いている。
あかねは修平に冷たいおしぼりを渡すと《気持ちいい》と一言もらした。
修平は玲香を見るなり言った。
「よぉ、れいちゃん、よかったね おめでとう」
みんな、玲香の顔を見て、なんども、上下に顔を振った。
「ママ、下に吉田さんたち見えていた、
連れを待ってるって言ってたからもうすぐ来ると思うよ」と言って、
修平はテーブルにあった婚姻届に署名した。
吉田さんたち四人が入ってきた。冷たいおしぼりを用意してママが出迎える。
「いらっしゃい、吉田さん、テーブル、カウンター?」智ちゃんが案内する
「あれ、れいちゃん、どうした、チーママになった、いいねぇ、来てよかったな」
吉田さんたちのテンションが上がった。それを押さえるようにママが言う。
「れいちゃんは、今日は、婚約発表に来たのよ」
修平、春樹が頭を下げて挨拶をした。
「あれ、修平さん、今日は、そうか、結婚か」
「ちがうよ、れいちゃんと結婚するのは春樹、
まだ、春樹は吉田さんを送った事なかったっけ」
「そうか、春樹さんも茜の専属タクシーさんかな」
「はい、今後ともよろしくお願いします」
「やっと、れいちゃんに会えたと思ったら、もう、取られちゃったか」
みんな大笑いだ。吉田さんがママと修平にお礼を言った。
「あらためて、ママと修平さんに一言、お礼をと思ってね、
先週はありがとう、助かりました。わざわざ、桑名まで届けてもらえるなんて、
茜でなきゃできない事だよ、本当にありがとう。
おかげで商談もうまくいって助かった。
ママ、その棚にある{銀座のすずめ}キープもの」
「大丈夫よ、キープします?」
「婚約祝いも含めて、ここにいる皆さん、
全員に銀座のすずめが行き渡ったら乾杯しよう」
「れいちゃんと春樹さん、婚約おめでとう。
そして、スナック茜にかんぱ~い」
吉田さんが乾杯音頭を取った。
「そうだ、ママ、ハートケーキを忘れてた。
えぇと、全部で十人、智ちゃん、十等分して、皆さんに出してくれないかな」
春樹が言った。
麦焼酎と婚姻ケーキで玲香と春樹の結婚祝いだ。
お客さんがぞろぞろ入ってくる。
いつまでも、席を占領していてはまずいと言って三人はスナック茜を出た。
時間は十時近くになっていた。
春樹は赤いマツダ2で修平を茶屋ヶ坂のマンションまで送った。
「れいちゃん、おめでとう、でも、よかったね、
臼井のバカヤロウが問題を起こさなければ、
こんなに早く結婚なんてなかったよなぁ。
こういうのなんて言うんだろう、不幸中の幸い、違うか、地獄で仏かな、
雨降って地固まるか、まぁよかった、よかった、
春樹、大切にしろよ、ママが言ってたけど、
れいちゃんは、おまえにはもったいないほどの女性なんだぞ」
「やだ、修平さんまで飲み過ぎじゃない」
玲香がうれしそうに修平に言った。
大幸団地で修平を下ろすと二人は家に戻った。
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