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第1章

9.未知なるもの

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誰もいない闘技場の中央で、右手には愛刀・八咫烏を持ち、特にそれを構えるわけでもなく、キサギは1人静かに佇む。


「……"破魔壁"」


心の準備をするでもなく、彼女はただ静謐さを保ったまま言葉を紡いだ。


刹那、キサギから膨大で濃密な魔力の奔流が放たれ、闘技場内に彼女の得意な高位結界魔法が展開される。


彼女から放たれる異様な魔力に誰もが肌を粟立てるも、聞いた事もないそれが展開されるやいなや、その結界の外に立った途端に肌の粟立ちが収まる。


「何だったんだ?さっきの魔力は……」


状況が呑み込めず、マティアスが肌を摩りながら困惑を抑えきれないでいた。


「ハマヘキ…と言っていたか?聞いた事ない結界魔法だな……」


ベリルがポツリと呟く。


そばにいるメンバー達もどうやら同じ疑問を持っているようで、キサギが立つ中央を静かに見つめているシュリ、ビャクラン、ソウエイの3人へと皆が視線を向ける。


だがこちらの視線に気づきながらも、3人は中央を見つめたままでこちらを見ようともしないし、その疑問に答える素振りもない。


完全に無視されていた。


「あのさ!あれは俺達の知る結界魔法じゃないんだが、あれが何なのか教えてくれないか?」


痺れを切らしたベリルが、静謐ながらも圧倒感を放つ彼らに勇気を持って話しかけた。


先程の圧倒に3人が新人である事を忘れそうになるも、一応自分達のほうが先輩で高位の階級である事を己に言い聞かせ、なるべく優しい口調を選んで。


3人は彼を一瞥し、またすぐ中央のキサギへと視線を戻す。


その様子から、どうやら欲しい答えを貰えそうもないとベリルが諦めかけたその時。


「あなたのおっしゃる結界がどういうものかはわかりませんが、あれは御前が編み出されたものなので、ご存知ないのも無理はないかと」


中央へ向いたまま、薄く微笑みを浮かべている白髪の妖艶美女ビャクランが淡々と答えた。


その言葉に魔法を多用するベリルとラミラは驚愕し、目を剥く。


「編み出したですって?!あんなお嬢ちゃんが?!こんな繊細で濃密な魔力の塊を?!嘘でしょう?!」


癇癪気味なラミラの甲高い金切り声に、3人は眉を顰め、侮蔑をこめた絶対零度の視線を投げつける。


思わずウッと唸り仰け反る彼女に、ベリルは思わず片手で顔を覆い、溜息を漏らす。


「……別にそちらが知ろうが知るまいが、そのような些事、我々の知る所ではありません。どのような結界か、英雄と呼ばれるS級冒険者の皆様ならば、見ていれば自ずとわかるのではないのですか?」


微笑みは浮かべているのに、向けられるその口調と空気感から優しさの欠片も感じられない美女からの返答に、ベリルとラミラは押し黙るしか出来なかった。


「それじゃ、魔獣を召喚するわよー!」


召喚術師のリアが中央のキサギに向かってそう声をあげると「はーい!」と左手を高くあげた小気味良いキサギの返答が返ってくる。


先程問答を繰り広げていた彼らは、一旦溜飲を下げ中央に向き直した。


どのような展開になるのか、天狼メンバーは想像も出来ない先の事に息を呑んでいる。


だがマティアスは「頼むから施設を壊してくれるなよぉ…」と、1人皆とは違う不安を内心抱えながら見守る。


「魔獣、召喚!」


リアが己の持つロッドを天高く掲げ、キサギに向かって召喚魔法を放つ。


中央の地面に古代文字の様なものが描かれた、幾重もの円が浮かび上がる。


(緻密で綺麗な魔法陣ね…)


感心するキサギの目の前の魔法陣から淡い光が放たれ、下からズブズブとまっ黒いゴツゴツした肌の四足魔獣の巨体がゆっくり浮かび上がって来た。


誰かの息を呑む声が微かに聞こえる。


「研究資材として魔獣テイムの依頼があったんだけど、あれはその捕らえた中型魔獣の内の一体だよ。どうにも獰猛すぎて危険だから、処分する予定だったんだ」


リアが見守る3人に、特に聞かれたわけではないが説明する。


完全に姿を現した巨大な魔獣は、中型と言われるには随分と大きく見える。


魔獣が目の前に静かに佇むキサギを捉えるとゆっくり前傾姿勢をとり、牙を剥きダラダラとだらしなく涎をたらしながらグルグルと喉を鳴らす。


さながら獲物を見つけた捕食者のように。


グオォォォォォォ!!


魔獣が咆哮をあげ、前足で地面をガシッガシッと蹴りあげた後、キサギを捉えながらノッシノッシと周回し始める。


頃合いを見てキサギに飛びかかろうとしているのだろう。


本来なら新人冒険者が処理する事などあり得ない、困難なレベルの魔獣だ。


対処に相当するレベルは低くてC級、いってもB級が妥当だろう。


間違ってもE級が出会ってしまったなら、無理せず退避するべき存在である。


そんな獰猛な魔獣が突然目の前に現れれば、普通の人なら腰を抜かしたり、悲鳴をあげて一目散に逃げるだろうし、対処可能なレベルの冒険者ならば、距離をとり、戦術を練り、態勢を整えるものだろう。


だがキサギは愛刀を構える事もなく中央に静かに佇んだまま、自分の周りをゆっくり周回する魔獣を目だけで捉えている。


(さぁ…どうする)


魔法を見たいと言い出したのはベリルだ。


騒ぐ胸の内を抑え、成り行きを見つめた。


一瞬、ピクリとキサギの瞼が反応した。


あまりにも小さく僅かな反応だったため、マティアスや天狼メンバーは気付かない。 


ビャクラン、シュリ、ソウエイの3人を除いて。


しばらく睨み合いが続いたその時、事は動いた。


周回してキサギの正面に戻った魔獣が、大きな唸り声をあげながら彼女へ向かって一気に駆け出した。


一見か弱い少女に見える彼女へと獰猛な魔獣が襲いかかろうとしているその様に、思わず助けたくなる衝動にかられるが、それを抑え天狼メンバーは成り行きを見つめながら息を呑む。


迫り来る魔獣を視界に捉え、キサギはスッと愛刀八咫烏を振り上げ、切先を天へと向ける。


「神圧、序ノ口」


キサギは言葉に魔力を乗せて、刀身にその魔力を走らせ、先端から放つ。


刹那、向けられた切先の更に上、闘技場の天井近くに十重二十重に古の文字が並び織り出された魔法陣が現れる。


見た事もない文字、そして見た事もない数の魔法陣に魔力が巡り神々しい光を放ち始めると、結界外の彼らはその神秘的な光景にただ口を開けて見惚れてしまう。


と、そこから膨大な魔力が音もなく放たれ、圧力の塊となって容赦なく魔獣へと墜とされる。


結界の外にいてキサギの魔法を受けていないにも関わらず、彼らはまるで圧縮した重い空気に押し潰されそうになる錯覚に陥り、息苦しさに襲われる。


離れて見守る式神ら3人を、やはり除いて。


その圧力をまともに全身で受けた魔獣は、ズゴォォンという轟音と共に盛大に地面に押し潰され、そこから煙のような土埃があがる。


堕とされた圧力によって円環状に地面は抉れ、クレーターとなっていた。


穴の中心では魔獣が先程の圧力に押し潰され、既に行動不能となっている。


僅かに唸り声をあげながら口から大量の体液を流し、その巨体をビクッビクッと痙攣させている。


掲げていた愛刀を下ろし、土埃が収まるのを見計らって、キサギは行動不能となった魔獣のもとへと歩き出す。


「っ?!おい!危険だ!!」


いくら魔獣が動けなくなっているとはいえ、あまりにも無防備なその姿に、思わずグエンが声を張り上げる。


だがキサギは気にもとめず、魔獣が埋もれるクレーターの縁に立った。


グエンは彼女を止めるよう見守る3人へ勢いよく顔を向けるが、彼らは平然とその様を見ているだけだった。


クレーターの中の魔獣を眼下に捉え、キサギは魔力を馴染ませるように左手で愛刀の刀身を根元から切先へ向かって優しくなぞりながら、その刃を魔獣へと向ける。


途端に黒い煙のようなモヤが、刀身をみるみる覆っていく。


その様子を結界外の彼らは息を殺し、何も見逃すまいと凝視する。


「黒き炎よ。神が創りし御技をもって、薙ぎ払え」


言葉と共に八咫烏を勢いよく横一閃に払う。


ヒュンッと風を切る音と共に刀身から黒炎の衝撃波が繰り出され、クレーターの中の魔獣に襲い掛かった。


ブワンッ!!と圧倒的な衝撃とともに魔獣は横一文字に両断され、その巨体を黒炎が覆い燃え上がらせていった。


それはあまりに一瞬で、そしてあまりに衝撃な場面に、マティアスと天狼メンバーは止まった時間が漸くゆっくりと動き出した奇妙な感覚に陥る。


キサギは刀身に纏う黒いモヤを払うように愛刀を軽くひと振りし、目の前で黒い炎に包まれる魔獣の残骸を静かに見据えた。


そして、おもむろに口を開く。


「シュリ、ソウエイ、来い。ビャクランは不測に備えて、そのまま待機。彼らを守れ」


主から下されたオーダーを受け、呼ばれた2人が瞬時に結界内のキサギの後方へ立ち、ビャクランは成り行きを見守っていた彼らの前へと即座に動く。


マティアスをはじめとした天狼メンバーが何事かと、一瞬虚をつかれたように目を見開きたじろぐ。


「さて。出てらっしゃいな。さっきからこっちをデバガメしてる"誰か"さん?」


いまだ黒炎の覆う魔獣の残骸へ、視線を逸らす事なく見据えたまま、キサギが誰かに向かって声をかける。


マティアス、天狼らは、残骸に向かって誰かに呼びかけるように話すキサギの様子に、困惑したまま成り行きが見通せずついていけていない。


誰もいないじゃないか…そんな言葉を誰かが口にしようとした瞬間。


「へぇ~。僕に気づいてたんだぁ~」


なんとも間延びする声が闘技場を包んだ。


刹那、魔獣の残骸からユラユラと陽炎のような影が浮かびあがり、少しずつ正体が形成されていく。


細身の体躯に異様に白い肌、さらりとしつつもふわっと空気感の含まれた漆黒の髪、鋭利な赤い瞳とニンマリと釣り上げた口から覗く尖った八重歯。


上半身裸の肌の大半に、何やら炎柄のような目立つ刺青が彫られているのがイヤでも目に入る。


目の前に1人の魔人が腕を組み、空気椅子に座るかのように足を組んでフワフワと浮いている。


「可愛い顔して、おっそろしいコだねぇ、キミ」


その鋭利な赤い瞳を更に細めてニタニタと笑みを深める魔人は、目の前の宵闇色の髪を靡かせる美しい少女と対峙した。
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