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第1章

お出掛け

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    ふと、爽やかな風が頬を掠めた。
   柔らかい畳の匂い、仄かに香る線香の香りと温かい光。

   朝だ。なんて素敵な朝なんだろう。
   久々にこんな晴れた朝を迎えたような気がする。
   何故なら今は10月ももう半ば、雨やら台風やら最近囁かれている異常気象なのか、そのせいで晴れない日が多く続いていたのだ。
   だからこんなポカポカとした日は、どこかに出掛けーーーーーー

   少し体を持ち上げたその時だった。

   グキっと腰に激しい痛みが伴った。

「いやぁぁぁぁあ!!!!!」

    春樹が思わず痛みに叫ぶと、その途端に「朝から騒がしいな。」と冷静沈着な声が聞こえた。
   紛れもなくお狐様だ。
   昨日もまたお狐様に何回も何回も抱かれ、腰が砕けそうになっていた。というかそろそろ砕けそうという段階まで来ているのだがお狐様はそういう所の察しは弱いようだった。
   春樹の虚しい叫びはあの変態野郎には届かないのだ。

   春樹はキッと睨むとお狐様に向かって「お狐様のせいだろうが!!」と怒鳴ったが、それでも平然とした顔を向けられると、    その次に言おうとしていた言葉さえも喉から引っ込んでしまう。

「そんなことより、今日は週末でちょうど天気も晴れているな。」

「…ま、まあそうですね。」

    そう言えば、朝にお狐様がいるなんてとても珍しいのでは?と思うかもしれないが、あの件(前の回参照)の時からお狐様は「お前の祖母には見つからない自信がある」とかなんとか言って、一緒に寝るようになったのだった。
    そしてそうしているうちに前よりも機嫌が良くなって、なんだかいつも嬉しそうな顔を浮かべるようになったのだ。
   春樹があの件であんなふうに嫉妬して大胆にお狐様に好きと言ったからだ、と考えると今すぐにでも穴に潜りたい気持ちだった。
   確かにあの時はもう嫉妬しまくりの乙女感満載だったがあれはあれ。そして今は今。
   ずっとこんなふうに、まるで昨日のことのようにニヤニヤされていても此方としては気持ち悪いものだ。
   春樹が身震いをしていると、ふとお狐様が立ち上がった。

「ーーー出掛けるか。春樹」

「え…!?」

「なんだ、嫌か?お前、今日学校は休みなのだろう?」

「い、いや……えーっとそうですけどぉ一体またなんで出掛けるだなんて…」

(今までそんなこと言わなかったのに…)

「いや、ただ…春樹のことを知るためには、春樹が好きな場所やよく行く場所も知っておいた方がいいだろうと今、ふと思ったからだ。」

   ドキン…

「なっ…なんだよそれ!」

   春樹は思わず顔を赤らめて下を向いた。
   こういう言葉にいちいちドキドキするようになったことに関しては隠すことは出来ないけれど、それでもなんだかムカムカするのだ。この余裕、この平然とした顔、本当にあの時から春樹はお   狐様に反応を面白がられているような気がする。

「いいだろう?」

「ま、まあ……で、でも夕方までには帰りますからね!」

「勿論だ。私も夜から仕事へ向かうからな。」

「…へぇ、今日は夜からなんだ。」

「いつもは朝からだが…?寝起きのお前の顔も見たいと思って最近は夜に行くようにしているだけだ。」

「はっ!?そ、そんなことしなくていいから!ちゃんと朝から仕事行ってください!!」

「何を言っている?それでまた寂しいと思ったらお前は嫉妬を抱いて私に素っ気なくなるのだろう?」

「あーもう、はいはい!あの時のことは忘れてくださいね!!」

「忘れはしない。むしろ頭に焼き付いている。嫉妬して泣いているお前の顔も何もかも…」

「だぁあぁあ!うるさい!!置いていくぞ!!」

「はっ…全くそうやってすぐ耳を赤くする。ガキだな。」

「うるせぇええ!!!」



   ーーーこうして僕は今日、お狐様と共にお出かけをすることになったのだった。


(つーか、よく行く場所って言われても通学路にあるカフェとか、少し大きいショッピングモールとか…そういうのしかないんだけどなぁ)

「お狐様、人多いとこでもいいですか?」

「構わない。今の私は術をかけているから人間と同じだ。バレることは無い。」

「ここの大通りの向こうにショッピングモールがあって、いろんなお店があるとこがあるんですよ。そこによく行くので」

「ほぅ…色々な店があるのか。」

「お狐様は何か欲しいものとか、見たいものとかあります?」

「そうだな、この世の書物とやらが気になるな。普段お前がどんな本を読んでいるかも気になる。」

「あ、じゃあ本屋さんあるんで行きましょう!」


    それから10分後、無事にショッピングモールに着いた。
   歩きできたから問題は無いが、駐車場はほぼ満車でモール内も人が沢山いて賑わいを見せていた。
   まあ今日は晴れた週末ということもあるし仕方ないか、とは思うもののこんなに賑やかなのはあまり好きじゃなかった。
   それはお狐様も同じだったのか、地図に書かれた本屋の場所を把握すると周りをじっくり見ることも無くスタスタと歩き始めた。

「春樹、私はこんなに人が多いとは聞いていない。」

「週末のショッピングモールだから仕方ないです!」

「ほう、週末は混むのか。」

「隠世ではどうかわからないですけど人間の世界では学校も仕事も、大体週末休みの人が多いんで。」

「ほう、休みがあるとは気楽なものだな。」

「え、お狐様には無いんですか?」

「ない。だからたまに放置する。」

(これぞダメな大人…!!!)


「わぁ、あのお兄さん黒の浴衣きてるー!!すごーい!」

   ふと小さい女の子がお狐様の前までくると指を指してそう言った。

(や、やば…子供…大丈夫か?子供は結構わかるって言うけど狐だってバレない…よな?)

   春樹が恐る恐るお狐様の方を見ると、お狐様は死んだような冷めた目で子供を見下ろしていた。

「ひっ…!」

   春樹が声を上げたのと同時に小さい女の子も怯えたような声を出してその瞬間「ママァァ!」と泣きながらどこかに走っていってしまった。

「ちょっちょっと!お狐様なんでそんな怖い顔すんだよ!相手子供ね!子供!」

「子供だろうが関係ない。歩いているところを邪魔されたのだ。それにこれは浴衣ではない。着物だ。」

「そんなの子供にわかるかー!!」


   それから3階に到着し、無事に本屋へと辿り着いた。

「ここが本屋です。」

「書物が沢山置かれているな。…ん?これはなんだ。」

   ふとお狐様が気になって手を取ったのは、今冬に映画化される大ヒットの少女漫画だ。
   春樹も広告なんかで少し内容を見た事があったが、バリバリに青春恋愛漫画の王道だ。

「これには文よりも絵が書かれているが、どういうことだ?」

「えーっとこれは漫画って言って、絵の方が割合が多いんですよ。読み方はこっちの方からこうやって読んでいくんです。」

    お狐様は言われた通りにその絵を辿って読み始めた。
   春樹はそれを不思議に思った。
   多分お狐様はこういうの好きじゃないだろうし、まさしく漫画なんて現代のものなのだからよく分からないだろう。

「どうです?お狐様。……お狐様?」

「……」

(あれ?お狐様、意外と熱中して読んでる…?)

「ーーーま、まあじゃあ、僕も少し本見てくるんでそこにいてくださいね!」

「……ああ。」

   ーーーそれから十五分後。


「お狐様ー!僕買いたい本が見つかったので買ってきましたーーーって、え?」

   そこには既に本屋の袋を片手に持ったお狐様が立っていた。

「お、お狐様まさかさっきの漫画買ったんですか?」

「いや、あれでは無いが…他の書物も探していたら面白いものを見つけてな。これは春樹も好きだろう。」

(僕も好きな本…?)

   お狐様は袋からガサゴソとそれを取り出すと春樹に差し出した。
   そこには男のイラストが2人書かれていて題名にはーーー

(メス犬♂…の…調教…………)


   ……。


「うわぁぁぁぁあ!!!なんだこれぇぇえ!ゴリゴリのBLエロ漫画じゃねぇかぁぁあ!!!!こんなの好きじゃねぇよ!!!つーか、さっきの少女漫画はどうした!?少女漫画からなんでそうなった!?ねぇ!?」

「まあそう喚くでない。そういうことなら安心しろ。お前のためにと、この本をもう1冊買っておいたからな。」

「どういうことだよ!要らねぇよ!!!!」

「遠慮するな。」

「遠慮してねぇ!!!」

   その時だった。

「……あれ?春樹…くん、だよね?」

「えっ…?」

   ふと女の子に名前を呼ばれて、春樹は我に返り急いで振り向いた。すると本屋の前でニコニコと笑いながら手を振る女の子ーーー   この前本を貸し借りしていてクッキーを家に持ってきてくれた有山優美が立っていたのだった。

「優美ちゃん!!」

(ま、まさかこんなタイミングで会ってしまうなんて…!ま、待って今の会話聞かれてないよな!?)

「やっぱ春樹くんだー!ミステリーの新刊買いに来たの?」

「あっ…あーえっと、そうだよ!!」

「私もちょうど買おうと思ってて…………あれ?その人は…?」

   優美はお狐様の方を見て、少し驚いたように目を見開いた。それもそうだろう。
   こんな季節に見たことも無い柄の黒の着物を着た男がいたらまず疑問に思うはずだ。

「あーえっと、この人は……」

「ん?聞くまでもない。私は春樹の恋…」

   バシッ!!!

   春樹はお狐様の顔に本の袋を投げつけると、慌てて訂正した。

「あーえっと!兄ちゃんだよ!兄!!」

   すると優美は尚更驚いたような顔を浮かべた。

「へぇー!春樹くんってお兄さんいたんだ!それにしても書道の先生みたい!めちゃくちゃ美形だしかっこいいんだね!」

   優美はキラキラした目をお狐様に向けた。
   その瞬間春樹の心の中であれ?という疑問が浮かんだ。

(まてまてまて、その目はなんだ!その乙女な目はなんだ!?まさかこういうのがタイプなのか!?クッキーなんかくれるからてっきり僕に気があると思ったのに……)

   その時だった。何故かゴゴゴゴという音が聞こえて、春樹も優美も後ろを振り向いた。するとお狐様が袋を顔に張りつけたまま異様なオーラを放って一言低い声で呟いた。

「春樹ぃ…許さんぞ…」

(ひ、ひぇえええ!!!怒ってる!!!)

   しかし春樹は優美の不安そうな顔にハッとすると、慌てて手を前に振った。

「あっ、これはえっと、なんでもないよ!!と、とにかく、えーっと、あ、そうだ!今度また読みたいって言ってた本貸すから!」

「え、あ、ありがとう…!あ、あのお兄さんの名前ってなんていう…」

(名前!?そ、そんなの今すぐ考えるわけないし!それにお狐様も機嫌損ねてるし…とりあえず退散しないと!)

「ご、ごめん優美ちゃん!僕達ちょっと急いでるからまた学校で話して!じゃあ!」

「えっ……あ、う、うん。また…ね?」

   春樹は戸惑い気味の優美に手を振ると、お狐様の腕を引っ張り急いで本屋をあとにして、1階へと降りた。
   その間お狐様は終始自分の話を遮られたことに拗ねているご様子でムッと眉間にシワを寄せたままで、息を切らした春樹を見つめたあと、小さくため息をついてから口を開いた。

「ずっと聞きたかったことだが、どうしてお前はいつも私との関係を兄と嘘をつく。私のことは恋人だと、そう思っていないのか?」

「そ、それは違うけど!仕方ないじゃないですか!だってあの子は学校の友達ですよ!?男と付き合ってるとかバレたら色々と関係が…」

「それの何が問題だ?愛する人がいるのは素晴らしいことだろう。否定するやつはぶった斬って…」

「んもぉー!!ぶった斬ってとか無理だろ!とにかく!お狐様は何も分かってないんだからそういう事には口出すなって!………つーか、走ったらお腹減った。」

   お狐様は少し悲しそうな顔をしたが、そのあと何かを諦めたような顔をして頷いた。

「…………何か、食べるか。」

「うん。」
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