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恋慕日記

選考会の悪夢

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「嗚呼、何で俺が他人の問題に首を突っ込まなければならんのだ?」
「他人ではないよ。僕らのクラスの話なんだから」
 俺はぶつぶついいながらも、仕方なしに、雄清に連れられて、予餞会の選考会の会場である第二体育館へと向かっていた。

 俺は部室棟の階段を降りている時に、妙な匂いがすることに気が付いた。何か燃えるような……。髪の毛を燃やしたような臭いか?
「なあ雄清」
「なんだい?」
「なんか焦臭こげくさくないか」
「そう?」
 雄清はくんくんと鼻をひくつかせる。
「あー、確かにちょっと臭うね。野焼きでもやってるんじゃない?」
「今一月だぞ」
 草なんぞ枯れているし、畑を起こすのにも早い気がするんだが。そもそも野焼きって違法じゃなかったか? 農業でやる場合は別なのだろうか?
「農業のことは僕にはわかんないけど、太郎もそうだろう」
 まあ、それはそうなんだが。

「それより、問題はクラスの方だろう」
 雄清のその言葉に俺はため息をつく。

 のんびりした放課後ティータイムを、ざつおん! とでも言うべき些事さじ(もはや断定)に中断されたのだ。文句も言いたくなる。
「何で執行部が、俺たちのクラスの問題に首を突っ込むんだ」
 そうすれば、俺が手を煩わされることもなかったというのに。
「仕方ないよ。予餞会よせんかいでの問題を、執行部が放っておくわけにはいかないんだから」
 だからと言って、現場にいない俺を、人まで遣って呼びに行かせるのは、道理ではない。まったくあの人は……。

「もう演技は始まっているんだろう」
「僕らのクラスのかい? そうだねえ、もう終わるころじゃないかしら」

   *

「深山君、来たね」
 俺たちが第二体育館へと入ったところ、萌菜先輩が待ち構えていた。
「ほんとに勘弁してくださいよ」
「勘弁も何も、私は君らのクラスの問題を解決してあげようと頑張っているだけだよ」
 でもその解決を俺に頼ろうとしている。

 さすがにクラスの面々が集まっているところで、そんなことはどうでもいいとは言えなかった。
 俺が安寧の高校生活に価値を置く一方、みんなでワイワイ、例えば演劇に勤しむ、ということで学校生活の充実を図ろうとする御仁がいることは理解しているつもりだ。俺がそれを気に食わないからと言って、否定することはできないだろう。人が何に価値を置くかは、全く以て自由であるべきだ。
 
 誰か、俺の幸福を追求する権利を取り戻してほしい。

 小さくため息をついて、話を聞く。
「……何があったんですか?」
「そうそう。男児たる者潔くなけりゃね。……こういうこと言うと、ジェンダー論がどうとか言いたくなるんだろうが、堪忍してくれよ」
 萌菜先輩に先手を打たれてしまったので、口から出かかった言葉を、飲み込んだ。

「えっと、まあ要するにだ、小道具が取り換えられてしまったらしく、誰の仕業か探ってほしいんだ」
「……ざっくりしすぎていて、良く分からんのですが」
「すまない、まとめて話すのはどうも苦手で。えっと、今日は一年B組と二年B組の発表があったんだが、双方のクラスで使われる予定だった、小道具のマントが取り違えられていたそうなんだよ」
 ……?
「何かそれで実質的に問題が?」
「問題というと、特にはないんだが、ちと状況が特殊でな。どう考えても、双方のクラスのマントが取り換えられるような状況にあったとは言えないんだよ。故意的人為的作為がなければ」

 別に調べて、犯人を見つけて、そいつを糾弾したところで、誰かが得するわけでもない。どちらも同じようなマントを用意していたのなら、損害などほとんどゼロに等しい。
 調べる必要性など、俺には到底感じられないのだが、萌菜先輩には弱みを握られているので、命令に従うほかないのだ。
 ……何がいけなかったのだろうか。佐藤と平穏な高校生活について、話をすることなく、さっさと家路についていれば、こんな事件に巻き込まれなかったのかもしれない。
 人はえてして社会的な動物であり、誰しも誰かの助けなくしては生きられないというが、俺にとって人間関係というものは八割方トラブルの種のような気もする。それの正誤を考えることはおろか、厄介ごとに巻き込まれたことを嘆く暇さえ今は与えられていないようである。

 萌菜先輩曰く、二年B組の演技の後、一クラス二年A組を挟んで、一年B組の演技が行われた。演技終了後、前の組の道具は演者もろとも、下手側に移される上、規約違反がないか執行部が確かめるので、前後の組の道具は混ざりようがないのだという。一年B組の責任者に話を聞いても、マントを取り替えてもらうというようなことはしなかったらしい。

「今日発表のあるのは、その三組だけなんですか?」
「いや、一年のA組もこれからあるよ」
「二年B組のマントは、彼らのものだったんですよね」
「演者はそう言っている」
「一年が劇で使ったマントはその二年のものだったと」
「そうだ」

 ふうむ。

「B組の人たちに話を聞きたいんですが」
「そうか、じゃあ来てくれ」

 俺たちは、第二体育館の隅で片付けをしている、クラスのやつに話を聞きに行った。自分のクラスの奴に、事情聴取をするというのは、なんとも奇妙なものだ。
 萌菜先輩がクラスの代表に取り次いだところ、
「深山? お前は暇そうだな」
 と予餞会よせんかいのリーダーである某君に言われる。

 俺とて萌菜先輩に脅されなければ、こんなことをするつもりはさらさらなかった。てかこいつ誰だっけ?

「劇おつかれ」
 雄清が労いの言葉を某君にかける。
「おお、山本は執行部の方で忙しそうだな」
 そう言いながら、俺の方を意味ありげに見てくる。……へえへえ、おらあ暇ですよお。

 敢えてか、単に早く話をしたかったのか知らないが、雄清は某君の言葉をさらりと受け流し、尋ねるべきことを聞く。
「マントのことなんだけど、もう一度詳しく話を聞かせてもらえないかな」
「ん? ああ、マントな。正直、もうどうでもいいんだけどな。さっき話した以上のことは話せないし」
 と某君は答えた。
 どうやら本当に些事だったらしい。
 であれば、俺はなんのためにここに引っ張り出されたのだ? 
 
 帰りましょうよ、と萌菜先輩に告げようとしたところ、彼女は某君に耳打ちするようにした。
 某君は、甲斐性なく頬を染めている。
 ふん、馬鹿め。童貞くんが美人に顔を近づけられて舞い上がっている。これだから発情期のお猿さんは嫌いなんだ。
 彼女の見え見えなハニートラップに、気がつけないでいるのは、嫌悪を通り越して哀れですらある。

 萌菜先輩の説得ゆうわくは終了したらしく、彼女は一歩身を引いた。

 某君は頬を染めたまま言った。
「まぁ、せっかくだし、話すとするか。深山にはクラスの一員として、問題を解決する義務があるし」
 ……哀れむべきは、お馬鹿な男子ではなく、俺の身の上の方だったらしい。

   *

「結局、大したことは聞けませんでしたね」
 萌菜先輩のハニートラップも空しく、某君から聞き出せたのは、事前に雄清と萌菜先輩から聞かされたことばかりだった。マントの取り違えに最初に気が付いたのが、演者だったということだけは新たに知れた。

「もう留奈たちのクラスの演技が始まるね」
 雄清が言う。
「そうか」
 そういえば佐藤も、自分たちのクラスが演技をするというのに、呑気に部室で漫画を読んでいたが、大丈夫なのだろうか。劇に関係していないのかもしれないが、人の和を乱すことを嫌うあいつにしては、クラスの催しごとに参加していないというのは、なんだか珍しい。

「佐藤は劇には出ないのか?」
「うん? 留奈かい? 留奈は結構シャイだからねえ。よほど強く頼み込まれない限り、こういうのはやらないだろうね」
 シャイねえ。定期的に平手打ちを食らっている俺としては、佐藤留奈を評する言葉に、まず始めにシャイという形容詞を持ってくることはできないだろうな。
「お前はあいつのこと良く知っているなあ」
「太郎もおんなじくらい、もしかしたら僕より長く留奈と一緒にいると思うんだけど」
 だのに、気付けない俺はおかしい、と言外に含んでいる。

「そうか?」
 家の近さで言ったら、確かに俺の家の方が近いが。

「深山君は、人のこと見ないからねえ」
 萌菜先輩が俺たちの会話を受けて、コメントをした。
「それ、前にも言われたような気がします」
 雄清にも言われたし、萌菜先輩からは栄の観覧車に乗った時、同じような趣旨の言葉を貰っていたと思う。
「そりゃ事実だから。なかなか嫌なこともあるのかもしれないけど、自分の世界に閉じこもってばかりじゃいけないよ」
 ……何で引っ張り出されたうえで、お説教まで食らっているのだろうか。
「俺は別に自分が好きと言うわけじゃないんですが」
「そこがなおさら悪いんだ、君の場合は。君のことを好きになってくれる子がいるんだから、君も自分を好きになりなさい」
「……あいつのことは今関係ないじゃないですか」
「あいつって誰かな? 私は特定の子を指して言ったわけじゃないんだけど」
 そう言って萌菜先輩は悪戯っぽく笑った。……嫌な先輩だ。

 そんな時、佐藤が会場にやって来たのが見えた。
「あいつ来たみたいだな」
「ほんとだね」

「どうなった?」
 俺たちに気が付いた佐藤は、こちらに来て、事の次第を訪ねる。

 雄清が佐藤に、顛末を話した。

 雄清の話が終わるところで、佐藤たちのクラスの演技が始まるようで、執行役員である、萌菜先輩と雄清は所定の位置に戻っていった。

 俺は別段、寸劇になぞ興味はないので、帰ってしまいたかったのだが、後で何をされるかたまったものではないので、仕方なく演技の終わるのを待っていた。どのみち問題が解決しない限り、萌菜先輩は許してくれまい。

「萌菜先輩」
 一年A組の演技が終わったところで、様子をうかがって、萌菜先輩の方に近づき声をかけた。
「どうしたの?」
「二のBの人にも話を聞きたいんですが」
「……そうだね。じゃあ行こうか」

 ステージから離れて、雄清とともに二年B組の教室へと、萌菜先輩の後ろに従って向かった。佐藤が俺たちの方をちらと横目で見ていたが、クラスの連中に声をかけられて、そっちの方に応対していた。何か言いたそうな顔をしていたが、第二体育館を去る俺たちを追いかけて話すことほどでもないらしい。


 二年B組の面々は、選考会が終わったためか、和やかな様子だった。
 すでにリア充(笑)が「打ち上げどうする? ラウワン行っちゃう? 行っちゃう?」と騒いでいる。
 何がラウワンだ。打ち上げと言ったら、快活クラブ一択だろうが(独りで)。
 まだ選考会が終わったにすぎないのだが、本番の予餞会というのは、ほとんどお祭りのようなものらしく、選考会の方が緊張するというのが真実なのかもしれない。

 萌菜先輩が責任者に話をして、俺達のいる廊下まで、連れてきてくれた。

「何か問題でもあったのか? マントはとりあえず戻ってきているんだけど」
 お偉い執行委員長様に連れてこられたその男は、ウェイのウェイ乗並みにウェイしている男だった。後にも先にも、こんな御仁と話す機会は俺にはないだろうな。だからと言って今回のことを、萌菜先輩に感謝するということはないだろうが。

「マントの取り違えがあったそうですが」
 俺は話を切り出した。
「そんなことないぜ」
「どういうことですか?」
「どうもなにも、端から一年が借りに来て、それを返したんだから問題なんて起こってない」
「えっ、じゃあ、一年B組のマントは?」
「そんなん知らんよ。ないから俺らに借りに来たんだろうが」
「借りに来たのって、どんな人か覚えてませんか? 性別とか教えてもらえます?」
「女だよ。地味な子だったな。演技の衣装か知らんが、青いドレスみたいの着てたぞ。白雪姫みたいな」
 ドレスを着ているのに地味とはどういう子なのだろうか。性格のことを言っているのかもしれない。このウェイウェイに比べれば誰でも地味に見えるだろが。
「……そうですか」
「もういいか」
 その二年生は、話は終わったと言わんばかりに手を振って、奥へと戻っていった。打ち上げの事で頭がいっぱいらしい。

「俺は取り違えって聞いたんですが」
「すまない。どこかで伝達ミスがあったようだ」
「……まあいいですけど」
「どうする太郎?」

 どうする、か。俺が聞きたいな。
 俺は一人、空を仰いで、小さく息を漏らした。
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