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四方山日記

深山太郎という男

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 私たちは連れ立って、さかえへといった。栄のデパートでぶらりとウィンドウショッピングをする。男子の例にもれず、深山君は女子が服の買い物をしている姿なんて見ても楽しくはないだろう。けれども、ちらりちらりと確認したところ、明らかに退屈そうなそぶりは見せない。結構忍耐強いようだ。
「深山君は何か見たいものある?」
「……いや、特には」
「遠慮しないでお義従姉ねえさんに言ってごらん」
「……今なんか、妙なこと言いませんでしたか?」
「えっ、別に言ってないけど」
「……そうですか。じゃあ、本屋見てもいいですか」
「いいよ」
 今日も待ち時間に読もうとしていたくらいだ。かなりの読書家なのだろう。
 
 本屋に行ってから、私はまた少し離れたところから深山君を観察することにした。 
 彼は一般文芸の棚の前に立っている。どういうものを普段読んでいるのだろうか。ここからでは何を見ているかわからない。 
 そんな時、一人の小さな子供が深山君の近くで転んだ。その男の子は泣き声をあげる。深山君はそれに気づくとすぐにかがんで男の子を立たせてやり、声をかけている。しばらくぐずっていたようだが、母親が飛んできて、深山君にぺこぺこと頭を下げている。深山君は手を顔の少し下で振って何か言っているようだった。母親は男の子の手をつなぎ、再度お辞儀をしてからどこかへと去っていった。
 深山君はすぐに本棚に目を戻した。 
 しばらくしてから深山君は一般文芸の棚から離れ、別な本を探し始めた。何度かきょろきょろし、店内に下げられた看板を確認してお目当てのコーナーを見つけたのかずんずんと歩き始めた。どうやら学参を見るらしい。
 彼が学参の棚に向かう途中で、おばあさんが園芸の図書のコーナーで困った顔をしてきょろきょろとしていた。深山君はそれに気づくと、おばあさんに声をかけ、二言三言話を聞き、おばあさんの指さすほうを見て、手を伸ばして高所にあった本を取り、おばあさんに渡した。おばあさんはにこやかにお礼を言って去っていった。
 ようやく学参のほうに行くかと思ったら、今度は、中年の女性がひっくり返した山積みの本を、元に戻すのを手伝ったり、文庫本コーナーの場所を初老の男性に尋ねられて、そこまで自ら引き返して誘導したりして、学参のコーナーについたのは二十分ほど経ってからだった。
 私はそこで深山君に近づいた。
「何かお目当ての本は見つかった?」 
 彼が何も見ていないことを知りながら尋ねる。
「あっ、萌菜先輩はもういいですか?」
「私はいいけど、君はどうなの」
「俺も大丈夫です」
 深山君はそう言った。それが嘘であることを私が知っていると知らずに。
 私たちはそれから、デパート内のレストランで食事をとって、少し休憩をした。

「深山君、次どこ行きたい?」
 食後のコーヒーを飲んでいた彼に私は尋ねた。
「……どこといわれましても」
「……じゃあ、観覧車乗る?」
「へっ?」
「私とじゃ乗りたくない?」
 そういって、意地悪く笑う。
「そんなことはありませんが」
 そうだね、君はここで断りはしない。
「じゃあ、行こう」
 立ち上がりかけた私に、深山君は声を掛けた。
「でも、ここの観覧車日曜しか動いてないし、しかも乗れませんけど」
 ここの、というのはこのデパートの屋上にある小さな観覧車のことだろう。あれは確か日本で一番古い観覧車で、文化財に指定されていた気がする。存在を認知しているのも大概珍しいけれども。
「……ここのとは言ってないだろう」
「ああ、そうですか。俺は萌菜先輩が構わないのならば別に良いですけど」
 そういうことなので、デパートを出て交差点を渡り、向こうにあるサンシャインサカエへと向かった。

 受付を済ませ、観覧車乗り場に出る。係員に誘導され観覧車に乗った。私が左奥の席に座ったところ、深山君は対角線上に座った。
 …………。

 深山君はぼんやりと名古屋の街を眺めている。どこか物憂げなその表情の下で彼は何を考えているのだろうか。

 私は考えた。
 山本は深山太郎という男は他人に関心がないのだといった。 
 私は自分の能力に無自覚な彼を詰《なじ》った
 さやかは彼を称賛した。思慮深く思いやりにあふれるとも言った。
 隆一兄さんは聡明そうめいな男だといった。
 賢二伯父さんは誠実な男だと評した。
 西脇理人は正しいがゆえに鼻持ちならない奴だといった。

 どれも間違ってはいないがどれもかいではない。深山太郎という男を表現するのにはどの答えも不十分だ。
 単に人に関心がないのならば、だれか困っている人を助けるだなんてことはしないだろう。
 見栄を張ってそうするのならばわかる。だが今日の彼の行動はどれも見返りを求めないものだった。私が見ていなくても、いや私がいなかったからこそ、彼は困っている人間に手を差し伸べるのだろう。おそらくはそれも無意識にやっている。彼自身これが善行であるとか、助けてやろうだとか、そういう意識を持って行動しているわけではない。彼の自然として、考えるよりも前にまず、行動してしまうのだ。
 深山太郎にとって周りの困っている人間は、そこにあるだけのもので、周りの人間が勝手に助かるという、流れにさおさす行為を自然にやっているだけだ。それこそ息をするように。ある意味では究極に無関心だ。そこには、同情も、哀れみも、偽善ぎぜんも、虚栄きょえいも存在しない。彼には人を助けているという意識がない。
 故に思慮深く思いやりにあふれているという評価も正しくない。周りの人間から見れば彼は優しいのだろうが、彼自身にとってそれは優しさではない。彼にとって周りの人間は景色でしかない。
 正しく誠実で聡明というのはどうなのだろうか。
 正しいというのはどう決まるのだろうか。正しいことが人に認められ、喜ばれることならば、彼は正しくはない。彼はいつでも大方の人間に対し正しくないことをする。 
 深山太郎は不正を嫌い、聞きたくもない真実を突きつけ、あいまいな関係を否定する。
 現実にはその行為は認められないし、だれも喜ばない。真実は人を傷つける。うわべだけの関係を認めないなら、この世から友達なんて存在は消え去る。
 深山太郎は絶対的に正しいから、現実的には間違える。 
 彼自身の主観的評価はともかく、客観的な評価では、深山太郎という人間は正しすぎて、優しすぎて、この世では異質な存在だ。
 正義が彼で、世界が曲がっている。だから、彼は間違った存在だ。
 世間では正しくないことが普通で、優しくないのが現実だ。
 だから彼はニヒリズムに陥る。この世の人間に絶望して、世界からつまはじきにされて。
 彼は周りの人間を見ない。深山太郎は聡明すぎて見なくていいものまで見てしまう。生き方としては賢くない。見えすぎる真実にてられ、人を見るのが怖くなっているのだ。
 彼が恐れているのは化けの皮をかぶった人間という化け物だ。
 彼が今のような状態になったのに、劇的なものなんて存在しない。原因をあげるとすれば日常の世界にあった。
 人は彼を見て、ひねくれ者だというだろう。
 だが、ひねくれて不貞ふて腐れているのは世界のほうだ。

 更生しようだなんて烏滸おこがましい。彼はすでに正しさそのものだ。

 私はそうした諸々に気づき、この問題は解決できないのだと悟った。すでに彼が正解している。丸付け役は私にはできない。
 観覧車が頂点に来た時、私はつぶやいた。
「深山君は優しくていつでも正しい」
 深山君は驚いた顔をしたがすぐに、
「それは誤解ですよ」
 といった。
「ああ、君の考えではな。君はこう言う。自分は周りの人間に見られるのを嫌っているだけだ。自分のせいでみんなの気分を害するから、と。だがそれは、君が優しすぎて正しすぎて、他の人にとって毒だからだ。過多は寡少かしょうに大差なく、出る杭は打たれる。いや、排斥はいせきされる、のほうが現実に即しているな。出る杭はそのまま抜かれる訳だ。
 君はそのことをよく思い知らされたんじゃないか。今までの人生で。君は世界に絶望した。どうしようもないのが人間という存在で、君が変わっても、君が働きかけても、人間は、世界は変わらない。それに君は気づいた。
 だから辞めたんだ、人と深く関わるのを。君が他人に無関心であれば世界も君をそっとしていてくれる」
「……過大評価です。俺はそんな立派な人間じゃありません。世界を変えようだなんて思ったことは一度もありません」
「なぜそう思うか教えてあげようか? 大体人間は意識して、そんな立派な存在にはなれないんだ。そういうやつがいるとすれば、利己的な理由を隠しているか、偽善に満足し酔っているだけだ。君がそうではないといえるのは、存在であることが君の自然だからだよ。君にとって君がする行動は善悪の基準に基づいてなされるものではない。呼吸と同じなんだよ。飾らないでいる状態なんだ。だから君にとってそれは優しさでもなければ正しさでもない。行為に理由も感情もない。だから人に褒められれば否定する」
 ある意味ではどこまでも残酷だ。彼の前ではどんな人間も虫けら扱いなのだ。そんな虫けらを無意識に拾い上げているのが深山太郎という存在だ。
 彼は心を閉ざしている。それをこじ開けられるのはいったい誰だろうか。
 彼ほど優しくて正しい人間がいるとすればそれは……。さやかの顔がちらと浮かんだ。さやかならあるいは深山君の自然と付き合えるかもしれない。だがそれも不確定だ。
 とりあえず私には深山君の心をひらくことはできない。
「……そうではないと思います」
 深山君は目を泳がせ、自信なさげに行った。
「本当に?」
 深山君はそれには答えなかった。
「まあ、じっくり考えてみるといいよ」
 
 観覧車から降り、地下鉄の駅で深山君と別れた。

 
 
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