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四方山日記
女が色目使ってくるときは大抵裏がある
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「傑様ー、お茶を入れました!」
「うん。ありがとう」
私は榎本から受け取った冷たい麦茶を口に含む。
私、綿貫萌菜は執行室で学校祭に関する書類の作業に追われていた。好きでこの委員会活動に参加しているわけだが、さすがに何週間もの間、大量の書類に目を通していると、心身ともども疲れてくる。
九月の最後の週、今から三週間後には神宮高校学校祭が開催される。執行委員含め全校生徒はそれに向けて準備を進め、すでに祭りが始まっているんじゃないかと勘違いするほど、校内には熱い雰囲気が漂っていた。
残りの書類に目を通そうかと考えていたところ、戸ががらりと開いた。従妹のさやかと同じ部活に所属している、一年の山本雄清が体育祭の作業から戻ってきたようだ。
「ご苦労様、山本君。実行委員長とはうまくやれてる?」
学校祭は前半の文化祭三日間、間に準備日を挟み、後半の体育祭一日の平日五日間で行われる。運営を円滑に行うために、文化祭と体育祭とで実行委員は分けられてある。実行委員は学校祭準備期間だけ結成される臨時の委員会で、我々執行部がその手伝いをするという形になっている。
「あー、いやあ、なかなか」
山本は目をそらした。
私は小さくため息をつく。
体育祭実行委員長は二年の男子がやっているのだが、そいつはなかなかの曲者で(執行部の男も大概阿呆だが)、とりあえず、下級生である山本の助言など、聞くような男ではない。基本仕事は人任せで、自分は見ているだけ。いや、それだけならまだいいのだが、さぼっていたせいでろくに仕事の内容も理解していないくせに、やたらと口出しをしてくるのだ。円滑な委員会運営が行われていると言うにははかなり苦しい状況にあった。
山本はそんな状況に嫌気がさしたのか、最近は行くには行くようだが、すぐに抜け出してしまうらしい。執行部はあくまで手伝いなので、実行委員だけでも準備はできるはずなのだが、各クラスから強制的に選出される実行委員の士気はそれほど高くない。お目付け役として執行委員がついている。
仕事を放棄するのは褒《ほ》められたことじゃないが、状況を慮《おもんぱか》ると大声で糾弾するのも少しかわいそうな気もする。特に山本は一年であるわけだし。
執行部の仕事は実行委員の総括だ。私は主に文化祭のほうに顔を出しているが、運営の邪魔をするアホな男を脅はk、……もとい、アドバイスをするのは執行委員長として仕事の範疇だ。かわいい後輩のために骨を折るとするか。
結論が出たところで、再び山本を見てみる。
山本は少し疲れているようだった。
「どうしたの山本君、元気がないのか」
「……いや、僕は元気なんですけど、……委員長少しいいですか?」
山本はどうやら私に話があるらしい。榎本に聞かれたくないような話なのだろう。
私は頷いて、山本と一緒に執行室の外へと出て行った。
「話ってなに?」
私は山本に尋ねた。
「深山のことで相談があるんです」
「深山くんのこと? 彼にならさっき会ったけれど」
「そうでしたか」
「うん。柄にもなく説教めいたものをしてしまった」
深山くんは井上会長を妬み、目が曇っていた西脇理人の目を覚まさせた。偶然に私はその場に出くわした。
彼は私には到底できなかったことをした。尊敬する二人の先輩の仲が壊れて行くのを私は具に見ていた。見ていただけだった。
けど深山くんは違った。
それなのに深山くんは自分には才能がないという。彼はそれを意図して言っているわけではない。つまり、謙遜しようだとか、自信を持って振る舞うことは控えよう、とかいうことを考えているわけではない。彼は本当に自分を無能だと思っている。
彼は無自覚なのだ。自分がどれ程の才能を持っているかを。
それが傍から見ていて、腹立たしく思える。彼が無能ならば他の人間はどうなる? 彼による彼自身の否定は、すなわち周りの人間の否定だ。彼に存在価値がないとするならば、彼よりも能力に乏しい人間の立場がない。
それを見ていて面白いはずがない。つい感情的になって、説教めいたものをしてしまった。
「……どうして叱ったのですか?」
「プライバシーに関わるから詳しくは言えないが、彼の周りに対する態度に関係していることかな」
「……そうですか。実は僕の相談もその事なんです」
へえ……。
「僕が見るに、太郎は周りに関心が無さすぎる。そのせいで周りの人間が傷ついたとしても頓着しない」
自分しか見ていない、というのはすなわちそういうことになってしまうのだろう。私には、深山くんは自分さえも正しく見えていないように思えるが。
「何か気にくわないことでも言われた?」
「いえ、僕じゃないんですが、……その、さやかさんを泣かせてしまったんです」
さやかが泣いたのか。でもそれは、
「女子はちょっとしたことで泣くぞ。何でもありだ。自己防衛でも、かわいこアピールでも、好きな男の気を引くためでも」
「……なんか今すごく悲しいことを聞いた気がするんですけど」
でも、
「深山くんのことは私も気になる。彼は昔からああだったのか?」
「いえ、昔はもっと快活でした。人ともよく話したし、笑顔も多かった」
「何か、深山くんの心境を変化させる事件のようなものでもあったのか?」
「それがわからないんです。太郎がああいう風になったのは、劇的ではなくて、徐々になんです。年を経るごとに、疲れた顔をすることが多くなって。もしかしたら僕の知らないところで何かあったのかもしれませんけど」
「私は深山くんとよく話すわけではない。だから彼のことはよく知らないのだけれど、ちょっと気を付けて見てみるよ。それで、彼を更生する方法を見つければいいのかな?」
なんとも勝手な台詞だ。更生だなんて、私にその権利があるか甚だ怪しいが。
「まあ、僕としては今の太郎も好きですけど、明るい太郎の方が好きなんで。……見ていて不安になるんです。太郎は高校に入って、さやかさんに出会って、少しずつではあるけれども、昔の太郎に戻ってきた気もします。でも太郎は、それを良しとしていないようにも思える。自分でブレーキをかけているように見える。何かを恐れているみたいに。せっかくさやかさんと良い関係を築き始めているというのに、今の太郎は自分でそれを壊しかねない」
恐れている、か。
「今度外に連れ出してみるよ。彼が何を恐れ、何に失望し、今のニヒリズムの権化のような状態になった原因を探ってみる」
「お手を煩わして申し訳ありません」
「何、かわいい後輩の頼みだし、従妹の友人のことだからな」
さやかはあれに惚れているのだ。おおよそさやかは正しい判断をするし、恋に恋するような低俗の輩とは違うので、大丈夫だとは思うが、深山太郎が心底に隠す、私にも見えていない、クズの本性を見抜けてないないということになれば彼らを引き離さなくてはいけない。見抜いた上で彼に近づこうとしているのならば、……また考えるか。
私は次の日、山岳部の部室を訪れた。彼らが二十年前の生徒会の悲劇を調査しているからそのヒントを与える、というのを口実にした。
「……よし決まりだ。明日の九時に、名古屋駅の銀時計のところに」
二人きりになって深山くんを誘い出すことに成功した。
やはり深山くんも男の子である。胸元を強調し、首元をちらと見せ、目線を少し工夫すれば、すぐに落ちた。
翌日、私は名古屋駅で銀時計から離れたところから深山くんのやって来るのを待っていた。
人というものはほかの人間といるときは多かれ少なかれ、他人の欲する自分を演じるものである。優しい人間と思われているならその様に振舞い、誠実な人間と思われているならそのように振舞い、いやな奴だと思われているならそのように振舞う。
だから、人の本質を見るときはその人間が一人でいる時を観察するのが一番いい。それがその人物の自然体であるから。
深山君はJRの改札口から来て、私がまだ来ていないのを確認するや否や、立ちながら文庫本を読み始めた。
……これでは観察しても仕方がない。
「深山君お待たせ。待った?」
「今来たところです」
うん、知ってる。
「いこっか」
「はい」
私は深山君の腕をとってずんずんとつき進んでいった。まだ九月で、あまり引っ付くと暑いからあからさまにはしないけど、こすれるぐらいには私の胸が深山君の腕に当たっている。けれども深山君はほとんど無反応だ。昨日の今日でもう耐性がついてしまったのか。それとも深山君は女性の胸に反応しない質なのか。よくわからない。
「うん。ありがとう」
私は榎本から受け取った冷たい麦茶を口に含む。
私、綿貫萌菜は執行室で学校祭に関する書類の作業に追われていた。好きでこの委員会活動に参加しているわけだが、さすがに何週間もの間、大量の書類に目を通していると、心身ともども疲れてくる。
九月の最後の週、今から三週間後には神宮高校学校祭が開催される。執行委員含め全校生徒はそれに向けて準備を進め、すでに祭りが始まっているんじゃないかと勘違いするほど、校内には熱い雰囲気が漂っていた。
残りの書類に目を通そうかと考えていたところ、戸ががらりと開いた。従妹のさやかと同じ部活に所属している、一年の山本雄清が体育祭の作業から戻ってきたようだ。
「ご苦労様、山本君。実行委員長とはうまくやれてる?」
学校祭は前半の文化祭三日間、間に準備日を挟み、後半の体育祭一日の平日五日間で行われる。運営を円滑に行うために、文化祭と体育祭とで実行委員は分けられてある。実行委員は学校祭準備期間だけ結成される臨時の委員会で、我々執行部がその手伝いをするという形になっている。
「あー、いやあ、なかなか」
山本は目をそらした。
私は小さくため息をつく。
体育祭実行委員長は二年の男子がやっているのだが、そいつはなかなかの曲者で(執行部の男も大概阿呆だが)、とりあえず、下級生である山本の助言など、聞くような男ではない。基本仕事は人任せで、自分は見ているだけ。いや、それだけならまだいいのだが、さぼっていたせいでろくに仕事の内容も理解していないくせに、やたらと口出しをしてくるのだ。円滑な委員会運営が行われていると言うにははかなり苦しい状況にあった。
山本はそんな状況に嫌気がさしたのか、最近は行くには行くようだが、すぐに抜け出してしまうらしい。執行部はあくまで手伝いなので、実行委員だけでも準備はできるはずなのだが、各クラスから強制的に選出される実行委員の士気はそれほど高くない。お目付け役として執行委員がついている。
仕事を放棄するのは褒《ほ》められたことじゃないが、状況を慮《おもんぱか》ると大声で糾弾するのも少しかわいそうな気もする。特に山本は一年であるわけだし。
執行部の仕事は実行委員の総括だ。私は主に文化祭のほうに顔を出しているが、運営の邪魔をするアホな男を脅はk、……もとい、アドバイスをするのは執行委員長として仕事の範疇だ。かわいい後輩のために骨を折るとするか。
結論が出たところで、再び山本を見てみる。
山本は少し疲れているようだった。
「どうしたの山本君、元気がないのか」
「……いや、僕は元気なんですけど、……委員長少しいいですか?」
山本はどうやら私に話があるらしい。榎本に聞かれたくないような話なのだろう。
私は頷いて、山本と一緒に執行室の外へと出て行った。
「話ってなに?」
私は山本に尋ねた。
「深山のことで相談があるんです」
「深山くんのこと? 彼にならさっき会ったけれど」
「そうでしたか」
「うん。柄にもなく説教めいたものをしてしまった」
深山くんは井上会長を妬み、目が曇っていた西脇理人の目を覚まさせた。偶然に私はその場に出くわした。
彼は私には到底できなかったことをした。尊敬する二人の先輩の仲が壊れて行くのを私は具に見ていた。見ていただけだった。
けど深山くんは違った。
それなのに深山くんは自分には才能がないという。彼はそれを意図して言っているわけではない。つまり、謙遜しようだとか、自信を持って振る舞うことは控えよう、とかいうことを考えているわけではない。彼は本当に自分を無能だと思っている。
彼は無自覚なのだ。自分がどれ程の才能を持っているかを。
それが傍から見ていて、腹立たしく思える。彼が無能ならば他の人間はどうなる? 彼による彼自身の否定は、すなわち周りの人間の否定だ。彼に存在価値がないとするならば、彼よりも能力に乏しい人間の立場がない。
それを見ていて面白いはずがない。つい感情的になって、説教めいたものをしてしまった。
「……どうして叱ったのですか?」
「プライバシーに関わるから詳しくは言えないが、彼の周りに対する態度に関係していることかな」
「……そうですか。実は僕の相談もその事なんです」
へえ……。
「僕が見るに、太郎は周りに関心が無さすぎる。そのせいで周りの人間が傷ついたとしても頓着しない」
自分しか見ていない、というのはすなわちそういうことになってしまうのだろう。私には、深山くんは自分さえも正しく見えていないように思えるが。
「何か気にくわないことでも言われた?」
「いえ、僕じゃないんですが、……その、さやかさんを泣かせてしまったんです」
さやかが泣いたのか。でもそれは、
「女子はちょっとしたことで泣くぞ。何でもありだ。自己防衛でも、かわいこアピールでも、好きな男の気を引くためでも」
「……なんか今すごく悲しいことを聞いた気がするんですけど」
でも、
「深山くんのことは私も気になる。彼は昔からああだったのか?」
「いえ、昔はもっと快活でした。人ともよく話したし、笑顔も多かった」
「何か、深山くんの心境を変化させる事件のようなものでもあったのか?」
「それがわからないんです。太郎がああいう風になったのは、劇的ではなくて、徐々になんです。年を経るごとに、疲れた顔をすることが多くなって。もしかしたら僕の知らないところで何かあったのかもしれませんけど」
「私は深山くんとよく話すわけではない。だから彼のことはよく知らないのだけれど、ちょっと気を付けて見てみるよ。それで、彼を更生する方法を見つければいいのかな?」
なんとも勝手な台詞だ。更生だなんて、私にその権利があるか甚だ怪しいが。
「まあ、僕としては今の太郎も好きですけど、明るい太郎の方が好きなんで。……見ていて不安になるんです。太郎は高校に入って、さやかさんに出会って、少しずつではあるけれども、昔の太郎に戻ってきた気もします。でも太郎は、それを良しとしていないようにも思える。自分でブレーキをかけているように見える。何かを恐れているみたいに。せっかくさやかさんと良い関係を築き始めているというのに、今の太郎は自分でそれを壊しかねない」
恐れている、か。
「今度外に連れ出してみるよ。彼が何を恐れ、何に失望し、今のニヒリズムの権化のような状態になった原因を探ってみる」
「お手を煩わして申し訳ありません」
「何、かわいい後輩の頼みだし、従妹の友人のことだからな」
さやかはあれに惚れているのだ。おおよそさやかは正しい判断をするし、恋に恋するような低俗の輩とは違うので、大丈夫だとは思うが、深山太郎が心底に隠す、私にも見えていない、クズの本性を見抜けてないないということになれば彼らを引き離さなくてはいけない。見抜いた上で彼に近づこうとしているのならば、……また考えるか。
私は次の日、山岳部の部室を訪れた。彼らが二十年前の生徒会の悲劇を調査しているからそのヒントを与える、というのを口実にした。
「……よし決まりだ。明日の九時に、名古屋駅の銀時計のところに」
二人きりになって深山くんを誘い出すことに成功した。
やはり深山くんも男の子である。胸元を強調し、首元をちらと見せ、目線を少し工夫すれば、すぐに落ちた。
翌日、私は名古屋駅で銀時計から離れたところから深山くんのやって来るのを待っていた。
人というものはほかの人間といるときは多かれ少なかれ、他人の欲する自分を演じるものである。優しい人間と思われているならその様に振舞い、誠実な人間と思われているならそのように振舞い、いやな奴だと思われているならそのように振舞う。
だから、人の本質を見るときはその人間が一人でいる時を観察するのが一番いい。それがその人物の自然体であるから。
深山君はJRの改札口から来て、私がまだ来ていないのを確認するや否や、立ちながら文庫本を読み始めた。
……これでは観察しても仕方がない。
「深山君お待たせ。待った?」
「今来たところです」
うん、知ってる。
「いこっか」
「はい」
私は深山君の腕をとってずんずんとつき進んでいった。まだ九月で、あまり引っ付くと暑いからあからさまにはしないけど、こすれるぐらいには私の胸が深山君の腕に当たっている。けれども深山君はほとんど無反応だ。昨日の今日でもう耐性がついてしまったのか。それとも深山君は女性の胸に反応しない質なのか。よくわからない。
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