53 / 83
第三十一話
しおりを挟む
(31)
それは一枚の便箋に走り書きのように数行だけ書かれていた。
私と結婚する前に公務員の父が昔、数ヶ月泊まり込みで丹後の出張所へ行きました。その時に父は実母と知り会った。父は熊本に戻ってからあなたが生まれた。実母は一人で育てるつもりだったが、苦しくて二歳に成る前にあなたは父に引き取られた。
二十年前の出来事を数年前に綴《つづ》った便箋を彼女は仕舞った。
「二十年も育ててくれたとは思えないほど今の母は簡単な手紙をくれたでしょう」
「まあね、で、覚えてないの?」
「まったく覚えてないの」
「それから実の母には会ったの?」
「すぐに今のお母さんが知らせてくれた住所に手紙を書いた。そして返事をもらってから一度会いに行った」
「一度だけ」
「深山さんに知られたくなかったから、でもあなたの事で此の前もう一度会った。電話ではよくやりとりはしていたわ」
ーー母は命掛けて私を授かったのに、その相手には婚約者がいた。上司の娘さんだった。それが私の恋の真実を追究する原点に成っている。
「それでヘッセのあの本を勧めたのですか」
「あなたの理解力には感心した。あなたには他の人にはない物が備わってると信じてるの」
その原点に照らし合わせれば深山はどうなのだろう。すでにその枠に当てはまらないのは確かだ。
「なぜそう言い切れるんですか、それに深山さんを実家に連れて行ったからこそあなたはお母さんに会える機会が出来たと言ってもよい人なのに・・・」
確かに彼のお陰で会えたと頷く希美子に理由を尋ねる。この言葉に今度は歯切れが悪くなる。
「どう言えばいいのかしら」
と車窓に目を移し、困惑するように小首を傾げて人差し指をこめかめに当てながら「あの人は悪い人じゃないんだけど」と切り出した。ちょっと眉を寄せて困惑する顔を見ると思わず抱き締めたくなった。
「何を躊躇《ためら》ってるんです」
「よく判らないの・・・どう分析していいか・・・。巧く言い表せない・・・ただ受け入れようとしない自分がいるだけかも知れない」
嫌いな理由は見つけても好きになれない理由《わけ》は様々《さまざま》な要因が絡み合うらしい。
ーー深山は以前にあなたが前の会社で作った物を貶してたけど。それ以外にもあなたは学校紹介の会社をすぐ辞めてしまうような根性のない奴だから庇うのは止めるように忠告された。何でそんな風に言うのと口論になった。最後は気が合わなければしょうがないでしょうと言ったけど・・・。合わなくしたのはあなたかしら?
この時、列車は車輪を軋ませ大きく曲がった。彼女の体が妖艶な瞳のままぐぐっと寄りかかって来る。この一連の仕草と言葉が見事に共鳴して、苦悩する彼女の煩悩のすべてをこのまま身体ごと引き受けそうになった。
「じゃあどうしてぼくを実の母に会わせようとするんです」
「この街は古いけど考え方は新しい。九州って割と父も含めて古い考えの人が多いの、深山さんを連れて行った時も誰も反対しなかった。でもあなたは絶対反対した。年下だから、ただそれだけで他に理由はないの」
熊本の駅前ではどれだけの涙と引き換えても埋め尽くせなかった理由《わけ》がそこにあった。
それは一枚の便箋に走り書きのように数行だけ書かれていた。
私と結婚する前に公務員の父が昔、数ヶ月泊まり込みで丹後の出張所へ行きました。その時に父は実母と知り会った。父は熊本に戻ってからあなたが生まれた。実母は一人で育てるつもりだったが、苦しくて二歳に成る前にあなたは父に引き取られた。
二十年前の出来事を数年前に綴《つづ》った便箋を彼女は仕舞った。
「二十年も育ててくれたとは思えないほど今の母は簡単な手紙をくれたでしょう」
「まあね、で、覚えてないの?」
「まったく覚えてないの」
「それから実の母には会ったの?」
「すぐに今のお母さんが知らせてくれた住所に手紙を書いた。そして返事をもらってから一度会いに行った」
「一度だけ」
「深山さんに知られたくなかったから、でもあなたの事で此の前もう一度会った。電話ではよくやりとりはしていたわ」
ーー母は命掛けて私を授かったのに、その相手には婚約者がいた。上司の娘さんだった。それが私の恋の真実を追究する原点に成っている。
「それでヘッセのあの本を勧めたのですか」
「あなたの理解力には感心した。あなたには他の人にはない物が備わってると信じてるの」
その原点に照らし合わせれば深山はどうなのだろう。すでにその枠に当てはまらないのは確かだ。
「なぜそう言い切れるんですか、それに深山さんを実家に連れて行ったからこそあなたはお母さんに会える機会が出来たと言ってもよい人なのに・・・」
確かに彼のお陰で会えたと頷く希美子に理由を尋ねる。この言葉に今度は歯切れが悪くなる。
「どう言えばいいのかしら」
と車窓に目を移し、困惑するように小首を傾げて人差し指をこめかめに当てながら「あの人は悪い人じゃないんだけど」と切り出した。ちょっと眉を寄せて困惑する顔を見ると思わず抱き締めたくなった。
「何を躊躇《ためら》ってるんです」
「よく判らないの・・・どう分析していいか・・・。巧く言い表せない・・・ただ受け入れようとしない自分がいるだけかも知れない」
嫌いな理由は見つけても好きになれない理由《わけ》は様々《さまざま》な要因が絡み合うらしい。
ーー深山は以前にあなたが前の会社で作った物を貶してたけど。それ以外にもあなたは学校紹介の会社をすぐ辞めてしまうような根性のない奴だから庇うのは止めるように忠告された。何でそんな風に言うのと口論になった。最後は気が合わなければしょうがないでしょうと言ったけど・・・。合わなくしたのはあなたかしら?
この時、列車は車輪を軋ませ大きく曲がった。彼女の体が妖艶な瞳のままぐぐっと寄りかかって来る。この一連の仕草と言葉が見事に共鳴して、苦悩する彼女の煩悩のすべてをこのまま身体ごと引き受けそうになった。
「じゃあどうしてぼくを実の母に会わせようとするんです」
「この街は古いけど考え方は新しい。九州って割と父も含めて古い考えの人が多いの、深山さんを連れて行った時も誰も反対しなかった。でもあなたは絶対反対した。年下だから、ただそれだけで他に理由はないの」
熊本の駅前ではどれだけの涙と引き換えても埋め尽くせなかった理由《わけ》がそこにあった。
10
お気に入りに追加
1
あなたにおすすめの小説
寝室から喘ぎ声が聞こえてきて震える私・・・ベッドの上で激しく絡む浮気女に復讐したい
白崎アイド
大衆娯楽
カチャッ。
私は静かに玄関のドアを開けて、足音を立てずに夫が寝ている寝室に向かって入っていく。
「あの人、私が
【完結】亡き冷遇妃がのこしたもの〜王の後悔〜
なか
恋愛
「セレリナ妃が、自死されました」
静寂をかき消す、衛兵の報告。
瞬間、周囲の視線がたった一人に注がれる。
コリウス王国の国王––レオン・コリウス。
彼は正妃セレリナの死を告げる報告に、ただ一言呟く。
「構わん」……と。
周囲から突き刺さるような睨みを受けても、彼は気にしない。
これは……彼が望んだ結末であるからだ。
しかし彼は知らない。
この日を境にセレリナが残したものを知り、後悔に苛まれていくことを。
王妃セレリナ。
彼女に消えて欲しかったのは……
いったい誰か?
◇◇◇
序盤はシリアスです。
楽しんでいただけるとうれしいです。
【完結】愛も信頼も壊れて消えた
miniko
恋愛
「悪女だって噂はどうやら本当だったようね」
王女殿下は私の婚約者の腕にベッタリと絡み付き、嘲笑を浮かべながら私を貶めた。
無表情で吊り目がちな私は、子供の頃から他人に誤解される事が多かった。
だからと言って、悪女呼ばわりされる筋合いなどないのだが・・・。
婚約者は私を庇う事も、王女殿下を振り払うこともせず、困った様な顔をしている。
私は彼の事が好きだった。
優しい人だと思っていた。
だけど───。
彼の態度を見ている内に、私の心の奥で何か大切な物が音を立てて壊れた気がした。
※感想欄はネタバレ配慮しておりません。ご注意下さい。
余命宣告を受けたので私を顧みない家族と婚約者に執着するのをやめることにしました
結城芙由奈
恋愛
【余命半年―未練を残さず生きようと決めた。】
私には血の繋がらない父と母に妹、そして婚約者がいる。しかしあの人達は私の存在を無視し、空気の様に扱う。唯一の希望であるはずの婚約者も愛らしい妹と恋愛関係にあった。皆に気に入られる為に努力し続けたが、誰も私を気に掛けてはくれない。そんな時、突然下された余命宣告。全てを諦めた私は穏やかな死を迎える為に、家族と婚約者に執着するのをやめる事にした―。
2021年9月26日:小説部門、HOTランキング部門1位になりました。ありがとうございます
*「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています
※2023年8月 書籍化
旦那様が不倫をしていますので
杉本凪咲
恋愛
隣の部屋から音がした。
男女がベッドの上で乱れるような音。
耳を澄ますと、愉し気な声まで聞こえてくる。
私は咄嗟に両手を耳に当てた。
この世界の全ての音を拒否するように。
しかし音は一向に消えない。
私の体を蝕むように、脳裏に永遠と響いていた。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる