不良令嬢と残虐鬼辺境伯の政略結婚！！

３：大根令嬢と美しき辺境伯

　普通の令嬢なら悲鳴を上げて逃げ出すところだが、血に耐性のあるクレアは普通にその場に突っ立っていた。
　そんなクレアの前で青年の足が止まる。

「お怪我はありませんか、クレア嬢」

　彼の言葉を聞いたクレアは、持っていた剣を後ろ手に隠しつつ首をひねった。

「ああ、大丈夫だが。どうして俺……わたくしの名前を知っていやがるのですか？」

　後ろでは、アデリオが片手で顔を覆っている。
　クレアの完璧な令嬢ぶりを見て、必死に笑いをこらえているのだ。

　幼い頃は密偵として演技の練習もしてきたクレアだが、がさつな性格ゆえに細かい仕草が苦手だった。
　任務では力技メインの役目を言いつけられることが多く、変装をすることがあっても少年姿。
　しかも、クレオからクレアになった瞬間、唐突に嫁げと言われたので体裁を取り繕う練習もろくにできていない。
　人生の大半を男として過ごしたクレアにとって、女の真似――しかも、おしとやかな令嬢になることは苦行だった。

（クレオの影武者は、多少お上品に話すだけで楽だったな。女役は、やりづらい）

　未熟な演技に気がつかないのか、青年は微笑みながら言葉を続ける。

「なぜって、私はあなたの夫だから。はじめましてクレア嬢、私はサイファス・アリスケレイヴ。この先の領地を治める辺境伯なんだ」
「ああ、なるほど。残虐鬼だったのか」

　得心のいったクレアは警戒を解き、笑顔で彼に対峙した。

「それにしてもすごい剣技だな……ですわ。わたくし、感動いたしました！」

　荒事に慣れ、他人の技を見るのが好きなクレアは、心の底からサイファスを褒め称える。
　サイファスはというと、クレアの反応に驚いた様子だ。
　まじまじと見つめてくる空色の瞳に、やや居心地の悪さを感じるクレアだった。

「……女性から剣技を褒められたのは、初めてだなあ」

　そう口にした瞬間、少し顔を赤くした彼は花のような笑みを浮かべた。
　残虐鬼の名前にふさわしくない大変艶やかで儚く優しげな表情を見て、クレアは少しだけ動揺する。

（予想していた男とだいぶ違うな。だが、あの剣技は本物だ……残虐鬼、一体何者なんだ）

　にこにこと笑うサイファスは、クレアのことを気に入ったようだった。

「嬉しいな。戦っている私の姿を見て、そんな風に言ってくれたご令嬢は君が初めてだ。屋敷へは、一緒に馬車に乗って行こう。二人で馬に乗る方が早いけど、それでは君の体に負担になるからね」

　慣れない女扱いを受けたクレアは、全身がムズムズした。

（本当になんなんだ、この男は……）

　同じことを思っているのか、アデリオも複雑な顔つきでサイファスを見ている。
　結局、クレアはサイファスと一緒に馬車で領地へ向かうことになった。
　クレアの付き人に扮したアデリオは、大人しく御者台に座っている。
　大量の酒瓶は、使用人たちがこっそり片付けたようだった。

　サイファスの治める領地は、この国ゼシュテの東部――最果てにある領地だ。
　そして、ゼシュテの東側はアズム国という好戦的な国に隣接している。
　この国は、宝石の取れる鉱山を欲して度々ゼシュテに侵攻していた。

　それを食い止めているのが、クレアの夫となる残虐鬼というわけだ。
　彼は、今まで一度たりとも敵に負けたことはない。ゼシュテ国最強の盾である。
　しばらく走り続けた馬車は翌日、辺境伯領にあるサイファスの屋敷へ到着した。