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番外編2

デジレの恋8

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「ごめんなさい、エリク様」
「いいえ、こちらこそ粗末な邸に泊まらせてしまって申し訳ありません」
「そ、そんな」
 
 次兄の「迎えを出せない」という連絡のせいで、私はこの邸に一泊させてもらうことになった。
 
(どうしてこうなったの?)
 
 あの次兄が、こんな事態を招くなんて、今までにない事態だ。
 いつも、なんでもソツなくこなしているのに。

「本当にありがとうございます、エリク様」
「エリク」
「え?」
「エリクでいいですよ、デジレ様。貴女の方が身分も上ですし、俺に気を使ってくださらなくても良いのです」
「そ、そうですか? それでは私のこともデジレとお呼びください、エリク」
 
 そう言うと、エリクは傍目に見ても分かるくらい真っ赤になってしまった。
 
「わ、分かりました。デジレ……」
 
 何だかくすぐったいわね。
 自分の顔もエリクみたいになっていたらどうしようと、私は少し焦った。

「デジレ、俺……やっぱり貴女のことが」
「いけません、エリク」
 
 私はまっすぐにエリクを見据えた。声が震える。
 こんなこと、本当は彼に向かって言いたくない。

 けれど、ここで言っておかなければ、自分の気持ちをここで留めておかなければ、きっと私は取り返しのつかないことを仕出かしてしまう。
 子爵家よりも、私自身の感情を優先してしまう。
 貴族の子女として生まれたからには、そんな個人の我が儘は許されない。

「どうか、これ以上は……」
「デジレ?」
「私には、母が決めた婚約者がいるのです。私は子爵家のために、その方の元へ嫁がなければなりません」
 
 吐く息がやけに重く感じられた。
 エリクは困ったように微笑んで私を見ている。
 
「ごめんなさい、エリク」
「いいえ、貴女を困らせるようなことを言って、申し訳ありません」
 
 エリクが私の頬に手を伸ばした。
 
「あ、あの」
 
 彼の手が何かを拭ったのを感じ取った私は、そこで初めて自分が泣いているのだと気付いた。

「それでも、俺は貴女を愛していますよ」
「いや、でも、私には婚約者が……」
「気にしません」
 
 そこは気にしてください。
 
(まさか、彼の母親のように、エリクにも愛人願望が?)
 
 不安が首をもたげる。

「デジレ、好きです、初めて会ったときから貴女を愛しています。婚約のことがなければ、私との未来を考えてくださいますか」
 
 そんな、決心が揺らぐような話を今言わないで欲しい。
 子爵家を立て直すという使命が、私にはあるのだ。
 
「……想いだけでは、どうにもならないこともあります」
 
 また頬を温かい雫が伝う。涙は正直だ。

 ああ、私はもう、どうしようもなくエリクに惹かれているのだ。
 彼を好きになったって、どうにもならないのに。
 私は父みたいに次々と愛人を作る真似はしたくない。
 浮気などせずに、ここの家族のような幸せな家庭を築きたい。
 
(相手がブリスでは難しいでしょうけれど)
 
 お願いだから、私を迷わせないで欲しい。
 エリクは何かとても言いたそうにしていたけれど、結局下を向いて口をつぐんだ。

 私のためにと用意された部屋も、邸と同様に綺麗に手入れされていた。
 夫人の手作りらしい可愛い柄のベッドカバーやクッションカバーには、なんとも言えない温かみを感じる。
 けれど、ボドワン子爵家に泊まったその日、私は少しも寝付けなかった。

 ※

「デジレ、貴女朝帰りなんてどういうことなの!」
「え……?」
 
 帰宅した直後に、母の怒鳴り声が響いた。
 普段あれだけ私に向かって、「大声を出すなんてはしたない」だの、ああだのこうだの色々文句を垂れているくせに。
 
(一度自分の行いを振り返ったらどうかしら)

 黙っていると、さらに母の怒りは加速する。

「年頃の娘がなんてことなの! 婚約をしている身で、情けないわ!」
 
 どうして、帰って早々に母がここまで取り乱しているのか。
 次兄から全く連絡が行っていないのだろうか。
 
 彼のことだから、その辺りは完璧にフォローしてくれていると思っていたのに。
 肝心の兄を探したが、今は家にいないようだ。

「一体、どこに行っていたの!」
「……ロードライト侯爵家に」
 
 ごめんなさい、カミーユ。勝手に名前を使ってしまって。
 でも、父の愛人宅に泊まったなんて母に知れたらと思うと……言いだせない。

「そんな素行の悪い娘に貴女を育てた覚えはないわ!」
 
 私だって、貴女に育てられた覚えなどない!
 いつも長兄以外の子供をほっぽり出して、派手な社交の場にいそいそと出かけて。
 完全な育児放棄状態だった。
 長兄を除く私たち姉妹は、使用人たちに育てられたようなものだ。
 
「とにかく、今後貴女の外出は一切禁止するわ」

 母の命令で、私は自室に閉じ込められた。軟禁状態だ。
 肝心の次兄は、まだ帰って来ない。
 父も、こんな事態に私を巻き込んでおきながら、一切帰ってくる様子はない。

「本当に……どうして、私ばっかり」
 
 言わないと心に決めていた言葉が零れ落ちた。
 姉も、次兄も、それぞれの幸せを自分で掴んだのだから、祝福はしても妬んではいけないと思っていた。
 けれど……
 
「私ばかり、貧乏くじを引いているようだわ」
 
 彼等がジェイド子爵家のことを考えず、好き勝手な婚姻を結んだせいで自分にお鉢が回ってきたと思うと、恨まずにはいられない。
 皆のことは好きだけれど。こんなのは、辛すぎる。

「もう嫌……」
 
 私は、全ての思考を放棄した。考えても無駄だ。
 もう、どうにもならない。
 こうなってしまった今、全てが手遅れだ。

 ――私だけが辛い想いをするなんて、おかしいのではない?
 ――他の兄姉は、それぞれ好きな相手と結ばれているのに。

 小難しい考えを放棄すると、自身の欲求が浮かんできた。

 ――皆好き勝手にやっているのに、どうして私ばかりが犠牲にならなければいけないの?
 ――だって、父も兄も子爵家には限られた額のお金しか入れてくれていないわ。だから家計が火の車なのよ?
 ――子爵家にいなくても、私一人だけなら自分の稼ぎで充分に生きていけるのに。

 私は頭を振って、次々に浮かんでくる考えを否定しようとした。
 ジェイド子爵家が潰れたら、領民はどうするのだ。
 貴族として生まれてきたのに、義務を怠るのか。
 
「やっぱり、逃げられない」

 あれこれ悩んでいても、私は最終的には義務を選択してしまう。
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