44 / 47
44:<土曜日> 四色カレー2
しおりを挟む
「おいしいわね。重くなくて、食べやすいわ」
意外にも、母は好意的にスパイスカレーを見ているようで、どんどん皿の中身が減っていく。
嫌いなものは口にしない人だから、よほどカレーが気に入ったのだろうと思う。
カレーを完食した母は、一息ついて楓に話しかける。
「で、転職のことだけれど、どうするの?」
「……し、しないよ。ここで働く」
縮こまりながら答えると、母は信じられないというように目を見開く。
「何を言っているの? まさか、一生ここにいる気?」
「……それは」
将来どうなるかはわからないが、できる限り洋燈堂にいたいと思っている。
「カレー屋で働くのなら、なんのために大学へ通ったの?」
「…………」
聞かれても困る。なんのためでもなかったのだから。
行けと言われたから、学区で一番の高校を受験した。
行けと言われたから、両親の勧める大学を受験した。
本当に、当時の楓は何も考えていなくて、彼らの言いなりで動いていた。
「自分が悪かったのは理解しているよ。学費、少しずつだけど、返す……」
「そういう問題じゃないでしょ!」
「……やっと、やりたい仕事が、見つかったの」
「カレー屋での接客が、あなたのやりたいことなの? 接客なら、他にもあるでしょ?」
母の言葉と楓の意見は根本的に食い違っている。
接客がしたいとか、限定的な内容ではないのだ。
(染さんと一緒に洋燈堂を作っていきたい、良くしていきたい)
働きたいのは、この店だからなのだ。
けれど、母を前にして言葉で説明するのは、口下手で臆病な楓にとって酷く難しい。
「それに、カレー屋の接客って、アルバイトじゃないの? やめてよ、恥ずかしくて近所の人に言えないわよ、同級生のお母さんたちになんて言えばいいか」
「なんで他人にいちいち私のことを報告する必要があるの? カレー屋のどこが恥ずかしいの? お母さんもおいしいって言ったのに……」
どうして、洋燈堂を悪く言うのだろう。
楓にとって、この店での仕事は素晴らしいものなのに。
(非正規なのがいけないの?)
話さなくては、説得しなくてはと思うのに。感情が乱れて、思考がまとまらない。
母の視線が痛い。今にも心が折れてしまいそうだ。
すると、また染さんがさりげなく助け船を出してくれた。
「あの、すみません。前の会社で働いていた際に、か……天野さんが体調を崩して倒れたのはご存じですか?」
楓を睨んでいた母は、ぎょっとした様子で染さんの方を向いた。
「それは、本当ですか?」
「はい、たまたま、僕がその場に居合わせて、彼女を病院へ送り届けたんです」
「あらまあ、それは、ご迷惑をおかけしまして。体調管理すらできない駄目な娘で……」
昔から、母は息をするように他人の前で楓を貶める。
「そういうことではなくて、前の会社の業務内容や勤務時間、社内環境が祟って、天野さんは体を壊したんですよ。聞けば、早朝出勤や終電後の帰宅は当たり前、休日出勤や泊まり込みでの仕事もあったようです。それでは、体を壊すのは不思議ではないと思うのですが」
「社会人なのだから、それは仕方がないでしょう? 一度勤めた会社を辞めるなんて、いい大人のする行動ではないわ。入社したからには、一生そこで働く覚悟を持たないと。せっかく、他人に自慢できるような会社に入ったのだから」
世代が違うからか、母とは根本的に話がかみ合わないことが頻繁にあった。
染さんもそれを感じているだろう。
「うちは見ての通り小さな店ですが、天野さんのおかげで、食事時には行列ができるようになりました。最近では、雑誌でも紹介していただいて」
楓は近くに置いていた雑誌を手に取り、洋燈堂の載っているページを開く。
そこには、でかでかと四色カレーと店の説明が書かれてあった。
ペアー出版の鈴木さんは、一ページを丸々使って、洋燈堂を紹介してくれたのだ。
「確かに、天野さんはアルバイトとして勤務してくれています。ですが、彼女の功績と店の売り上げの増加に伴い、来月から彼女を正社員として雇いたいと考えています」
染さんの言葉に、楓は驚いて顔を上げた。
(もしかして、営業が終わってから話があると言っていたのは……このこと?)
意外にも、母は好意的にスパイスカレーを見ているようで、どんどん皿の中身が減っていく。
嫌いなものは口にしない人だから、よほどカレーが気に入ったのだろうと思う。
カレーを完食した母は、一息ついて楓に話しかける。
「で、転職のことだけれど、どうするの?」
「……し、しないよ。ここで働く」
縮こまりながら答えると、母は信じられないというように目を見開く。
「何を言っているの? まさか、一生ここにいる気?」
「……それは」
将来どうなるかはわからないが、できる限り洋燈堂にいたいと思っている。
「カレー屋で働くのなら、なんのために大学へ通ったの?」
「…………」
聞かれても困る。なんのためでもなかったのだから。
行けと言われたから、学区で一番の高校を受験した。
行けと言われたから、両親の勧める大学を受験した。
本当に、当時の楓は何も考えていなくて、彼らの言いなりで動いていた。
「自分が悪かったのは理解しているよ。学費、少しずつだけど、返す……」
「そういう問題じゃないでしょ!」
「……やっと、やりたい仕事が、見つかったの」
「カレー屋での接客が、あなたのやりたいことなの? 接客なら、他にもあるでしょ?」
母の言葉と楓の意見は根本的に食い違っている。
接客がしたいとか、限定的な内容ではないのだ。
(染さんと一緒に洋燈堂を作っていきたい、良くしていきたい)
働きたいのは、この店だからなのだ。
けれど、母を前にして言葉で説明するのは、口下手で臆病な楓にとって酷く難しい。
「それに、カレー屋の接客って、アルバイトじゃないの? やめてよ、恥ずかしくて近所の人に言えないわよ、同級生のお母さんたちになんて言えばいいか」
「なんで他人にいちいち私のことを報告する必要があるの? カレー屋のどこが恥ずかしいの? お母さんもおいしいって言ったのに……」
どうして、洋燈堂を悪く言うのだろう。
楓にとって、この店での仕事は素晴らしいものなのに。
(非正規なのがいけないの?)
話さなくては、説得しなくてはと思うのに。感情が乱れて、思考がまとまらない。
母の視線が痛い。今にも心が折れてしまいそうだ。
すると、また染さんがさりげなく助け船を出してくれた。
「あの、すみません。前の会社で働いていた際に、か……天野さんが体調を崩して倒れたのはご存じですか?」
楓を睨んでいた母は、ぎょっとした様子で染さんの方を向いた。
「それは、本当ですか?」
「はい、たまたま、僕がその場に居合わせて、彼女を病院へ送り届けたんです」
「あらまあ、それは、ご迷惑をおかけしまして。体調管理すらできない駄目な娘で……」
昔から、母は息をするように他人の前で楓を貶める。
「そういうことではなくて、前の会社の業務内容や勤務時間、社内環境が祟って、天野さんは体を壊したんですよ。聞けば、早朝出勤や終電後の帰宅は当たり前、休日出勤や泊まり込みでの仕事もあったようです。それでは、体を壊すのは不思議ではないと思うのですが」
「社会人なのだから、それは仕方がないでしょう? 一度勤めた会社を辞めるなんて、いい大人のする行動ではないわ。入社したからには、一生そこで働く覚悟を持たないと。せっかく、他人に自慢できるような会社に入ったのだから」
世代が違うからか、母とは根本的に話がかみ合わないことが頻繁にあった。
染さんもそれを感じているだろう。
「うちは見ての通り小さな店ですが、天野さんのおかげで、食事時には行列ができるようになりました。最近では、雑誌でも紹介していただいて」
楓は近くに置いていた雑誌を手に取り、洋燈堂の載っているページを開く。
そこには、でかでかと四色カレーと店の説明が書かれてあった。
ペアー出版の鈴木さんは、一ページを丸々使って、洋燈堂を紹介してくれたのだ。
「確かに、天野さんはアルバイトとして勤務してくれています。ですが、彼女の功績と店の売り上げの増加に伴い、来月から彼女を正社員として雇いたいと考えています」
染さんの言葉に、楓は驚いて顔を上げた。
(もしかして、営業が終わってから話があると言っていたのは……このこと?)
0
お気に入りに追加
211
あなたにおすすめの小説
宇宙に恋する夏休み
桜井 うどん
ライト文芸
大人の生活に疲れたみさきは、街の片隅でポストカードを売る奇妙な女の子、日向に出会う。
最初は日向の無邪気さに心のざわめき、居心地の悪さを覚えていたみさきだが、日向のストレートな好意に、いつしか心を開いていく。
二人を繋ぐのは夏の空。
ライト文芸賞に応募しています。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
ことりの台所
如月つばさ
ライト文芸
※第7回ライト文芸大賞・奨励賞
オフィスビル街に佇む昔ながらの弁当屋に勤める森野ことりは、母の住む津久茂島に引っ越すことになる。
そして、ある出来事から古民家を改修し、店を始めるのだが――。
店の名は「ことりの台所」
目印は、大きなケヤキの木と、青い鳥が羽ばたく看板。
悩みや様々な思いを抱きながらも、ことりはこの島でやっていけるのだろうか。
※実在の島をモデルにしたフィクションです。
人物・建物・名称・詳細等は事実と異なります
ブエン・ビアッヘ
三坂淳一
ライト文芸
タイトルのブエン・ビアッヘという言葉はスペイン語で『良い旅を!』という決まり文句です。英語なら、ハヴ・ア・ナイス・トリップ、仏語なら、ボン・ヴォアヤージュといった定型的表現です。この物語はアラカンの男とアラフォーの女との奇妙な夫婦偽装の長期旅行を描いています。二人はそれぞれ未婚の男女で、男は女の元上司、女は男の知人の娘という設定にしています。二人はスペインをほぼ一ヶ月にわたり、旅行をしたが、この間、性的な関係は一切無しで、これは読者の期待を裏切っているかも知れない。ただ、恋の芽生えはあり、二人は将来的に結ばれるということを暗示して、物語は終わる。筆者はかつて、スペインを一ヶ月にわたり、旅をした経験があり、この物語は訪れた場所、そこで感じた感興等、可能な限り、忠実に再現したつもりである。長い物語であるが、スペインという国を愛してやまない筆者の思い入れも加味して読破されんことを願う。
【完結】年収三百万円台のアラサー社畜と総資産三億円以上の仮想通貨「億り人」JKが湾岸タワーマンションで同棲したら
瀬々良木 清
ライト文芸
主人公・宮本剛は、都内で働くごく普通の営業系サラリーマン。いわゆる社畜。
タワーマンションの聖地・豊洲にあるオフィスへ通勤しながらも、自分の給料では絶対に買えない高級マンションたちを見上げながら、夢のない毎日を送っていた。
しかしある日、会社の近所で苦しそうにうずくまる女子高生・常磐理瀬と出会う。理瀬は女子高生ながら仮想通貨への投資で『億り人』となった天才少女だった。
剛の何百倍もの資産を持ち、しかし心はまだ未完成な女子高生である理瀬と、日に日に心が枯れてゆくと感じるアラサー社畜剛が織りなす、ちぐはぐなラブコメディ。
【本編完結】繚乱ロンド
由宇ノ木
ライト文芸
番外編更新日 12/25日
*『とわずがたり~思い出を辿れば~1 』
本編は完結。番外編を不定期で更新。
11/11,11/15,11/19
*『夫の疑問、妻の確信1~3』
10/12
*『いつもあなたの幸せを。』
9/14
*『伝統行事』
8/24
*『ひとりがたり~人生を振り返る~』
お盆期間限定番外編 8月11日~8月16日まで
*『日常のひとこま』は公開終了しました。
7月31日
*『恋心』・・・本編の171、180、188話にチラッと出てきた京司朗の自室に礼夏が現れたときの話です。
6/18
*『ある時代の出来事』
6/8
*女の子は『かわいい』を見せびらかしたい。全1頁。
*光と影 全1頁。
-本編大まかなあらすじ-
*青木みふゆは23歳。両親も妹も失ってしまったみふゆは一人暮らしで、花屋の堀内花壇の支店と本店に勤めている。花の仕事は好きで楽しいが、本店勤務時は事務を任されている二つ年上の林香苗に妬まれ嫌がらせを受けている。嫌がらせは徐々に増え、辟易しているみふゆは転職も思案中。
林香苗は堀内花壇社長の愛人でありながら、店のお得意様の、裏社会組織も持つといわれる惣領家の当主・惣領貴之がみふゆを気に入ってかわいがっているのを妬んでいるのだ。
そして、惣領貴之の懐刀とされる若頭・仙道京司朗も海外から帰国。みふゆが貴之に取り入ろうとしているのではないかと、京司朗から疑いをかけられる。
みふゆは自分の微妙な立場に悩みつつも、惣領貴之との親交を深め養女となるが、ある日予知をきっかけに高熱を出し年齢を退行させてゆくことになる。みふゆの心は子供に戻っていってしまう。
令和5年11/11更新内容(最終回)
*199. (2)
*200. ロンド~踊る命~ -17- (1)~(6)
*エピローグ ロンド~廻る命~
本編最終回です。200話の一部を199.(2)にしたため、199.(2)から最終話シリーズになりました。
※この物語はフィクションです。実在する団体・企業・人物とはなんら関係ありません。架空の町が舞台です。
現在の関連作品
『邪眼の娘』更新 令和6年1/7
『月光に咲く花』(ショートショート)
以上2作品はみふゆの母親・水無瀬礼夏(青木礼夏)の物語。
『恋人はメリーさん』(主人公は京司朗の後輩・東雲結)
『繚乱ロンド』の元になった2作品
『花物語』に入っている『カサブランカ・ダディ(全五話)』『花冠はタンポポで(ショートショート)』
神様のボートの上で
shiori
ライト文芸
”私の身体をあなたに託しました。あなたの思うように好きに生きてください”
(紹介文)
男子生徒から女生徒に入れ替わった男と、女生徒から猫に入れ替わった二人が中心に繰り広げるちょっと刺激的なサスペンス&ラブロマンス!
(あらすじ)
ごく平凡な男子学生である新島俊貴はとある昼休みに女子生徒とぶつかって身体が入れ替わってしまう
ぶつかった女子生徒、進藤ちづるに入れ替わってしまった新島俊貴は夢にまで見た女性の身体になり替わりつつも、次々と事件に巻き込まれていく
進藤ちづるの親友である”佐伯裕子”
クラス委員長の”山口未明”
クラスメイトであり新聞部に所属する”秋葉士郎”
自分の正体を隠しながら進藤ちづるに成り代わって彼らと慌ただしい日々を過ごしていく新島俊貴は本当の自分の机に進藤ちづるからと思われるメッセージを発見する。
そこには”私の身体をあなたに託しました。どうかあなたの思うように好きに生きてください”と書かれていた
”この入れ替わりは彼女が自発的に行ったこと?”
”だとすればその目的とは一体何なのか?”
多くの謎に頭を悩ませる新島俊貴の元に一匹の猫がやってくる、言葉をしゃべる摩訶不思議な猫、その正体はなんと自分と入れ替わったはずの進藤ちづるだった
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる