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第一章 うつろの気
十一
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西側・美濃の脅威が消えると、信秀は古渡城をこわして東側・三河により近い末森というところに城を築いた。末森城は小さな山の頂にあり、古渡城よりずっと実戦的な砦である。言わずもがな今川義元の侵攻に対するための新たな拠点だったが、この頃より、信秀の病は次第に重いものになっていく。
翌・天文十八年(一五四九年)、一月、末森からはるか北の犬山・楽田というとことで地侍らが蜂起した。この地は、そもそも弾正忠家のものでもなければ、清洲衆のものでもなかった。かつて清洲織田氏と守護代の地位を二分し、尾張の上群治めた岩倉織田氏の領地なのだが、信秀はここに弟の信康を派遣し長く支配させていた。
しかし、信康が二年前の美濃攻めの折に討死すると、跡を継いだのは幼年の息子(織田信清という)で、これまで清洲衆、弾正忠家に頭を抑えられていた岩倉織田氏の土豪らがこれに従うはずはなく、さらに信秀が重病と知るや、いよいよ清洲領の下群へちょっかいをかけてきたというわけである。
さて、岩倉衆の来襲を聞いた坂井大膳、不本意に弾正忠家と和睦させられた腹いせのつもりか、その撃退を信秀に命じてきた。「和睦した以上は、本来の主従に立ち返れよ」と、そういう訳である。
この時、病体の兄の名代として采配を振ったのが織田信光だった。
「やれやれ。冗談ではなく、前に信長さまが言っていた通りだったのかもしれないな。こうこき使われちゃ和睦した意味があったのか疑わしいものだ」
憂鬱なボヤキは止まないものの、その武勇は百戦錬磨。居城・守山城から打って出ると、あっという間に敵を押し返した。
そこへ信秀本隊もすこし遅れて合流する。
「お体は大丈夫なのですか、兄上」
「今川勢が来たときに腕がなまっていては、困るのでな」
「ハハ。それは、そうですな」
そう言って兄弟二人、逃げ行く敵を散々に追いかけて、余すことなく討ち取った。
「時に、なぜ今日も信長さまをお呼びにならないのですか」
「あれは戦が好きすぎる」
「乱世のことですから、不得手とするよりはよほど良いことではないですか」
「好きなものは放っておいても勝手に上達するものだ。しかし、肝心の兵が集められなければ戦はできん。何のために平手のようなカタブツを付けているかすらわからんらしい。あいつが学ぶべきことは、戦場にはない」
「手勢には例の取り巻きの一党がいるではないですか。大人たちの評判はともかく、下の者には慕われているご様子。たいした人望だ」
「あれで頭打ちだよ。趣味の戦についていく兵などいやしない。人間とは実利を示してやって初めて働くものだ」
自身でそう言って、信秀はわずかに妙な気持ちになった。仮に自分が死んだら、この弟は、果たして信長を支えてくれるのだろうか? そんなことを思ってしまった。信光を信頼していないわけではない。しかし、実力一つでのし上がった信秀には、力ある者が低い立場に甘んじ得ない心理のほどがよく分かってしまうのだ。
「兄上は、信長さまのこととなると口数がとたんに増えますな。ご自分ではお気づきでないかもしれませんが。ハハハ」
その語り口は朗らかで、表裏の欠片も見つけられないが、
「俺の死後、あいつがだらしない真似をしていたら、お前が尻を叩いてやってくれ」
つい、柄にもないことを言った。しかし、本当は「支えてやってくれ」と言いたかったのかもしれない。
「いけないな。そう簡単に死ぬなどと仰いますな、兄上」
信光はそう言うだけで信長の話には答えなかった。だからどうというわけではないが、それが信秀には強く印象づけられ、時折思い出すことがあった。
翌・天文十八年(一五四九年)、一月、末森からはるか北の犬山・楽田というとことで地侍らが蜂起した。この地は、そもそも弾正忠家のものでもなければ、清洲衆のものでもなかった。かつて清洲織田氏と守護代の地位を二分し、尾張の上群治めた岩倉織田氏の領地なのだが、信秀はここに弟の信康を派遣し長く支配させていた。
しかし、信康が二年前の美濃攻めの折に討死すると、跡を継いだのは幼年の息子(織田信清という)で、これまで清洲衆、弾正忠家に頭を抑えられていた岩倉織田氏の土豪らがこれに従うはずはなく、さらに信秀が重病と知るや、いよいよ清洲領の下群へちょっかいをかけてきたというわけである。
さて、岩倉衆の来襲を聞いた坂井大膳、不本意に弾正忠家と和睦させられた腹いせのつもりか、その撃退を信秀に命じてきた。「和睦した以上は、本来の主従に立ち返れよ」と、そういう訳である。
この時、病体の兄の名代として采配を振ったのが織田信光だった。
「やれやれ。冗談ではなく、前に信長さまが言っていた通りだったのかもしれないな。こうこき使われちゃ和睦した意味があったのか疑わしいものだ」
憂鬱なボヤキは止まないものの、その武勇は百戦錬磨。居城・守山城から打って出ると、あっという間に敵を押し返した。
そこへ信秀本隊もすこし遅れて合流する。
「お体は大丈夫なのですか、兄上」
「今川勢が来たときに腕がなまっていては、困るのでな」
「ハハ。それは、そうですな」
そう言って兄弟二人、逃げ行く敵を散々に追いかけて、余すことなく討ち取った。
「時に、なぜ今日も信長さまをお呼びにならないのですか」
「あれは戦が好きすぎる」
「乱世のことですから、不得手とするよりはよほど良いことではないですか」
「好きなものは放っておいても勝手に上達するものだ。しかし、肝心の兵が集められなければ戦はできん。何のために平手のようなカタブツを付けているかすらわからんらしい。あいつが学ぶべきことは、戦場にはない」
「手勢には例の取り巻きの一党がいるではないですか。大人たちの評判はともかく、下の者には慕われているご様子。たいした人望だ」
「あれで頭打ちだよ。趣味の戦についていく兵などいやしない。人間とは実利を示してやって初めて働くものだ」
自身でそう言って、信秀はわずかに妙な気持ちになった。仮に自分が死んだら、この弟は、果たして信長を支えてくれるのだろうか? そんなことを思ってしまった。信光を信頼していないわけではない。しかし、実力一つでのし上がった信秀には、力ある者が低い立場に甘んじ得ない心理のほどがよく分かってしまうのだ。
「兄上は、信長さまのこととなると口数がとたんに増えますな。ご自分ではお気づきでないかもしれませんが。ハハハ」
その語り口は朗らかで、表裏の欠片も見つけられないが、
「俺の死後、あいつがだらしない真似をしていたら、お前が尻を叩いてやってくれ」
つい、柄にもないことを言った。しかし、本当は「支えてやってくれ」と言いたかったのかもしれない。
「いけないな。そう簡単に死ぬなどと仰いますな、兄上」
信光はそう言うだけで信長の話には答えなかった。だからどうというわけではないが、それが信秀には強く印象づけられ、時折思い出すことがあった。
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