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旅の始まり

偵察

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 部屋に戻り、少しだけ休んでから、猫に変化して外に出た。

 首にはシャンテ入りのネックレスが洒落た首輪のように収まっている。

「宿屋ドリス」はアンリさんの宿屋のすぐ側に建っていた。

 真新しい建物は嫌味なほどゴテゴテとした装飾がされていて、成金趣味なのかとツッコミを入れたくなるダサさがあった。

 俺が泊まっている部屋からの景色を遮っていたのも宿屋ドリスだと分かりイラッとした。

 宿屋の裏にある家の屋根にジャンプで上がると、従業員らしき男達が休んでいる部屋が見えた。
 
 身なりはホテルマンのように統一された服を着ているのだが、休憩室はタバコの煙が充満し、賭け事でもやっているのか「クッソー」や「ほら、金寄越しな!」などの言葉が飛び交っている。

『柄が悪そうなのばっかりだな』

『知能の程度も引くそうだのぉ』

 どれがドリスなのか分からないため、隣の家の屋根に移り他の部屋も覗いてみる。

 この世界にカーテンという概念がなくて良かったと思う。

 カーテンが閉じられていたら部屋なんて覗けないのだから。

 しかし、ふとあることに気が付いた。

『あれ? 俺、遠くが見えてる?』

『何やら不便そうにしておったからの、ちょいとな』

 近眼に気付いたシャンテが何かしてくれたようで、人間の時と同じように見えている。

 だが、猫としての夜目の良さはきちんと残っているため、まるで昼間に行動しているかのようにあちこちよく見える。

『ありがたい』

『我が焚き付けたからのぉ』

 焚き付けたという自覚はあるようだ。

 従業員達が賭け事に勤しんでいた隣の部屋は物置きのようで、人は誰もいなかった。

 その隣の部屋は……覗いてはいけない部屋だった。

 女性達が着替えをしたり休んだりしている部屋だったようだ。

『見てないぞ! 俺は何も見てないぞ!』

女子おなごの下着を見たところで何だと言うのだ? 所詮は衣服の一部ぞ? それにアースも着ておろう、下着くらい』

『いや、俺は何も見ていない!』

『……そうか……そういうことにしておれば良い』

 裏から見える一階の部屋はそんな感じで、ドリスがいそうな部屋はなかった。

 屋根から木に飛び移り、二階の部屋を見てみることにした。

 ちょうどよく枝の張り出た木があってくれて助かった。

 左端の部屋は客室のようで、でっぷりとした腹のおっさんがバスローブのようなものを着て酒を煽っていた。

 真ん中の部屋は明かりが消えており無人のようだ。

 右端の部屋も客室となっていて、ここも覗いてはいけない部屋だった。

『……人間の営みか……興味深いな』

『おいっ! 見るなよ!』

『動物や魔物の交尾は見たことがあれど、人間のそれは初めてじゃからな、ちと観察させてくれ』

『駄目だ! 良い子は見るもんじゃありません!』

『我を子供扱いするのか? 今は卵なれど、我はアースよりも何倍も長く生きておるぞ?』

『そういう問題じゃねぇの!』

 なぜかシャンテが食い付いてしまったが、あれは良くない。……興味がないわけではないが、覗き見ていいものではない。

 枝を戻り、更に上に登り、三階が見える位置まで移動した。

 三階はどうやら続き間になっている一つの大きな部屋のようだ。

『どうやらここのようだのぉ』

 シャンテが言う通り、ここがドリスの部屋のようだ。

 どこで売っていたのか、趣味の悪い服を着ている豚のように肥えた男が、イライラした様子で貧乏ゆすりをしながら座っている姿が見えた。

『娘が言っておった通りの男よの』

 アシュリーが「変な服を着た太った人」と言っていたが、あれは相当優しい言い方だと思う。

 きっとあの子は心根の優しい良い子なのだろう。どうかそのまま育っておくれ……。

 それにしても想像以上にダサい。

 本当にどこで買ったんだ、あんな服。

 シャツの襟は何重にもフリフリが付いていて袖にも同じようなフリフリが付いている。

 シャツの色は緑色。

 その上に、ボタンがはち切れそうなベストを着ているのだが、そのベストには金刺繍でよく分からない模様がゴチャゴチャと施されており、ベースの色は紫。

 ズボンは、前世の絵本で見かけた王子様が穿いているような、太もも辺りに膨らみのある膝丈のかぼちゃパンツで色は赤。

 そこに真っ白いタイツらしきものを穿いている。

 靴までは見えないが、全体的に全く統一感がなく、色同士も喧嘩をしているようにしか思えない。

 総じてダサすぎる。

 歳の頃は三十代といったところだろうが、恐ろしく太っているので正直よく分からない。

 突き出した腹とタプタプしていそうな顎肉をたたえ、焦げ茶の髪の毛を肩で切りそろえている。

 いわゆるおかっぱヘアーである。

『人間の世界ではあのような服を着るのが富の象徴であるのか?』

『そんな象徴ねぇよ!』

『そうか……実に珍妙だな』

 何度か貴族を見たことがあるが、都会からやってくる貴族はもっと上質そうな服を着ていた。

 服のことなんて詳しくないが、洗練されているというのはそういうことを言うのだろうと思うほどスッキリとしていながら上品だった。

「何であの宿に客がいるんだ!」

 部屋に入ってきた男にドリスが怒鳴り始めたのが聞こえてきた。

 客とは俺のことだな、うん。

「あれほど客を近寄せるなと言っただろう! 私の計画が台なしになるだろう!」

 ブルブルと顎肉を揺らしながら顔を真っ赤にして怒鳴り散らしている。

「宿屋が潰れる寸前まで追い込まれたところを、この私が・・・・颯爽と救い出し、アンリちゃんは私に惚れるのだ! この完璧なまでの筋書きに、狂いが生じるなんてありえないのだ!」

 どこが完璧な筋書きだと言うのだろうか。

『相当知能が低い男だのぉ』

 シャンテも呆れているようだ。

「アシュリーとかいう娘もまだアンリちゃんの周りをウロチョロとしているようだし、一体お前は何をやっているんだ!」

「も、申し訳ありません! ですが、あの親子を引き離すのは非常に難しく」

「御託はいい! 結果を見せろ!」

「は、はいっ!」

 不穏でしかない会話に耳を疑った。
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