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不審者にご注意ください
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「最近なんだか、いつも誰かに見られてる気がするの」
スピーカー越しに聞こえる由加里の声は、心なしか震えていた。
「気のせいじゃないの?」
ぼくは外出先で足を止め、彼女の声に聞き入った。
「気のせいなんかじゃないわ。仕事帰りも駅から家に向かう途中、背後に人の気配を感じるのよ」
由加里の住む賃貸マンションは最寄り駅から徒歩二十分ほどの、閑静な住宅街にある。駅周辺の繁華街を通り過ぎると、とたんに人気がなくなる土地柄だ。
「たまたま同じ方向へ歩いている人がいたんじゃない?」
ぼくは苦笑しながらコンクリートの壁に寄りかかった。
「もうっ、自意識過剰だって言いたいの?」
由加里の語気が強くなる。
「そうじゃないけどさ。ちょっと神経過敏なんじゃないかとは思うよ」
上着の内ポケットから出した煙草を一本くわえ、火を点けた。夜空に紫煙が広がる。
「そりゃあ神経過敏にもなるわよ。地元でストーカー騒ぎがあったばかりだもの」
「ああそうか。あれって由加里の家からそれほど離れていないんだっけ」
駅ふたつ隣の街で起きたストーカー事件がネットニュースを賑わせたのは、つい三日前のことだ。ぼくも当然、記事に目を通していた。
独り暮らしの若い女性が、しつこく付きまとわれていた男から自室で暴行を受けたという内容だった。
「あの事件、犯人がまだ捕まってないんでしょう? 近所に住んでる独り暮らしの女子は誰でも恐がってると思うわよ」
由加里の家の周辺では、特に独り暮らしの若い女性に向け、防犯対策を強く呼びかけているそうだ。まったく、はた迷惑にも程がある。
「そうだよね。――うん、分かった。なにか心配なことがあったらいつでも連絡してよ」
根元近くまで灰になった煙草の火を揉み消し、吸い殻を携帯灰皿に収めた。
「あと、夜独りで過ごすのが恐いんだったら、泊まりに行ってあげてもいいよ」
「ありがとう。それじゃあ早速だけど、今日これから来られる? わたし、さっき駅に着いて、家に向かってるところなの」
これからか。弱ったな。腕時計を覗き、時間を確認する。
「うーん、さすがに今からすぐにってのは無理だよ。そろそろ電車も終わる時間だし」
「――そうよね。ごめんね無理言って。あともう少しで家に着くから、今日はもう大丈夫」
「そう。家に入ったら戸締りは十分にしなよ?」
「うん、そうするわ」
ぼくはほっと胸を撫で下ろした。
「ところで――」
由加里の声に少し、普段の明るさが戻る。
「禁煙。続けてるんでしょうね」
耳が痛い。何度も挑戦しているが、長続きした試しがない。
「もちろん。あれから一本も吸ってないよ」
再び内ポケットの煙草に手を伸ばしかけていたぼくは、笑いが込み上げるのを必死に堪えた。
「ふふ、頑張ってね。あ、もう家だから切るね」
「うん。それじゃあまたね、由加里」
「おやすみ、キョウ子」
ヒールがアスファルトを叩く音が近づいてきた。目を向けると、スマートフォンを手にした由加里が外灯の青白い明かりに照らされ、ぼくの目の前を通り過ぎるところだった。
コンクリート打ちっぱなしの、マンションのエントランスの物陰に身を潜めていたぼくは、由加里のバッグに仕込んだ盗聴マイクの受信機のスイッチを切り、彼女の元へと静かに歩を進めた。
目の前の由加里がふと足を止め、薄暗い玄関ホールの掲示板に貼られた一枚のチラシに視線を移す。
「不審者にご注意ください」
チラシにはそう書かれていた。
〈了〉
スピーカー越しに聞こえる由加里の声は、心なしか震えていた。
「気のせいじゃないの?」
ぼくは外出先で足を止め、彼女の声に聞き入った。
「気のせいなんかじゃないわ。仕事帰りも駅から家に向かう途中、背後に人の気配を感じるのよ」
由加里の住む賃貸マンションは最寄り駅から徒歩二十分ほどの、閑静な住宅街にある。駅周辺の繁華街を通り過ぎると、とたんに人気がなくなる土地柄だ。
「たまたま同じ方向へ歩いている人がいたんじゃない?」
ぼくは苦笑しながらコンクリートの壁に寄りかかった。
「もうっ、自意識過剰だって言いたいの?」
由加里の語気が強くなる。
「そうじゃないけどさ。ちょっと神経過敏なんじゃないかとは思うよ」
上着の内ポケットから出した煙草を一本くわえ、火を点けた。夜空に紫煙が広がる。
「そりゃあ神経過敏にもなるわよ。地元でストーカー騒ぎがあったばかりだもの」
「ああそうか。あれって由加里の家からそれほど離れていないんだっけ」
駅ふたつ隣の街で起きたストーカー事件がネットニュースを賑わせたのは、つい三日前のことだ。ぼくも当然、記事に目を通していた。
独り暮らしの若い女性が、しつこく付きまとわれていた男から自室で暴行を受けたという内容だった。
「あの事件、犯人がまだ捕まってないんでしょう? 近所に住んでる独り暮らしの女子は誰でも恐がってると思うわよ」
由加里の家の周辺では、特に独り暮らしの若い女性に向け、防犯対策を強く呼びかけているそうだ。まったく、はた迷惑にも程がある。
「そうだよね。――うん、分かった。なにか心配なことがあったらいつでも連絡してよ」
根元近くまで灰になった煙草の火を揉み消し、吸い殻を携帯灰皿に収めた。
「あと、夜独りで過ごすのが恐いんだったら、泊まりに行ってあげてもいいよ」
「ありがとう。それじゃあ早速だけど、今日これから来られる? わたし、さっき駅に着いて、家に向かってるところなの」
これからか。弱ったな。腕時計を覗き、時間を確認する。
「うーん、さすがに今からすぐにってのは無理だよ。そろそろ電車も終わる時間だし」
「――そうよね。ごめんね無理言って。あともう少しで家に着くから、今日はもう大丈夫」
「そう。家に入ったら戸締りは十分にしなよ?」
「うん、そうするわ」
ぼくはほっと胸を撫で下ろした。
「ところで――」
由加里の声に少し、普段の明るさが戻る。
「禁煙。続けてるんでしょうね」
耳が痛い。何度も挑戦しているが、長続きした試しがない。
「もちろん。あれから一本も吸ってないよ」
再び内ポケットの煙草に手を伸ばしかけていたぼくは、笑いが込み上げるのを必死に堪えた。
「ふふ、頑張ってね。あ、もう家だから切るね」
「うん。それじゃあまたね、由加里」
「おやすみ、キョウ子」
ヒールがアスファルトを叩く音が近づいてきた。目を向けると、スマートフォンを手にした由加里が外灯の青白い明かりに照らされ、ぼくの目の前を通り過ぎるところだった。
コンクリート打ちっぱなしの、マンションのエントランスの物陰に身を潜めていたぼくは、由加里のバッグに仕込んだ盗聴マイクの受信機のスイッチを切り、彼女の元へと静かに歩を進めた。
目の前の由加里がふと足を止め、薄暗い玄関ホールの掲示板に貼られた一枚のチラシに視線を移す。
「不審者にご注意ください」
チラシにはそう書かれていた。
〈了〉
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