4 / 5
回想
しおりを挟む
「タエ子さんのクラスってどこだったんだろう」タカシが校庭の向こうに建つ校舎に目を向ける。「学校の中、入れないかな」
「呪いの教室を探すのか?」
マコトが身を乗り出す。
「やめとけって。先生や用務員さんに見つかったら怒られるぞ」
私は苦言を呈した。
夏休みのような長期休暇中でも、昼間の校内を無人にはしないであろうことは、当時の私でも知っていた。
「それにさ、その十何年前だかの噂話って、そのうち誰も話さなくなったんだろ? 今さらな気がするんだけど」
そう、私がこの小学校に入学してから、そんな話は微塵も聞いたことがなかった。この年の夏休みに入る直前までは。
自殺騒ぎは本当にあったかもしれない。そして呪いの教室も噂になったのかもしれない。だが、ほどなく沈静化したのではないだろうか。黒板の文字の跡も、その後使い続けているうちに自然と目立たなくなり、次第に誰も噂を口にしなくなった。そんなところではないだろうか。
だとしたら、なぜ今になって突然、噂が再び出回るようになったのだろう。そもそも出どころはどこからなのだろうか。
「シンジはホントビビりだなあ」
鉄棒の上のタカシが足をブラつかせながら云う。
私は怒られることが怖かったわけではなく、ただ長々と説教を聞かされるとか、面倒なことを避けたかっただけなのだが。
「マコトはどう思う?」
タカシはタイヤに座るマコトに意見を求めた。
「俺は探したいな、呪いの教室」
マコトは即答する。
「よし、決まり」
タカシは鉄棒から飛び降りると、
「中に入れるところがないか探そうぜ。どうしてもイヤなら、シンジは外で待っててもいいけど」
云いながらマコトと私を交互に見る。
「――分かったよ。俺も付き合うよ」
渋々答えた。自分の意見を通しきれず、周りに流されやすい性格は今も変わっていない。
「だけど、どこも開いてなかったら諦めろよ? まさか窓のガラスを割って入ろうとか考えてないよな?」
今の彼らならやりかねないと危惧した私は、念のため訊いてみた。
「そこまではやらねえよ。バレて親呼び出されたらシャレになんねえもん」
さすがのタカシでも、親は怖いらしい。
私たち三人は校舎へ向かって駆け出した。
校舎へ侵入するのは思いのほか簡単だった。体育館に続く渡り廊下への出入り口が開けっ放しだったからだ。
当初は気乗りしなかった私ではあったが、誰もいない校舎内の独特の雰囲気に、いつしか好奇心が駆り立てられるのを覚えていた。
「――誰!?」
三人で固まって廊下を歩いていると、最後尾のマコトが突然背後を振り返って声を上げた。
「なんだよ。ビビらせるなよ」
タカシが釣られて振り向く。
「今、女の人がいたような」
マコトの声は心なしか震えている。
「髪が長くて、白い服を着てた。廊下の向こうへ歩いてった」
私たちはマコトが女を見たという方へ引き返して確認したが、周囲に人影は見当たらなかった。
「誰もいねえじゃん」
タカシが少し残念そうに云う。
「おかしいなあ、見間違いかな」
首を捻るマコト。
「とりあえず俺たちの教室行こうぜ?」
タカシの後を追い、私たちは階段を駆け上がって三階の教室へ向かった。
見慣れた自分たちの教室だが、ほかに誰もいない休みの日は普段とは違う、日常とかけ離れた空間に思えた。
私は窓を開けて校庭を見下ろす。
体育館の向こう、裏手の雑木林の方から吹く風が心地よかった。
「ひと息ついたら三階の教室から調べてみるか。タエ子さんって何年生だったんだろうな」
自分の席の机に腰掛けたタカシが云う。
「さあ、知らないなあ」
マコトはチョークを片手に、黒板を凝視している。私は落書きはやめておけと忠告した。
「あ……」
私が校庭に目を戻したその時だった。
髪の長い、白い服を着た女性が、校庭から私たちの教室を見上げていた。
「お、おい! あれ!」
私は二人に向かって声を掛けた。
「なんだよ」
二人が窓際にやってくる。
「校庭に女の人が……」
私は指を差した。
だが視線を戻すと、そこにはすでに誰もいなかった。
「あれ? いない」
「なんだよ、今度はシンジかよ」
タカシが口を尖らせる。
「タエ子さんじゃないかな」
マコトが呟く。
「だから、タエ子さんは別にお化けってわけじゃないって……」
タカシが振り向きざまに云うと、
「な、なんだよ、それ!?」
黒板に駆け寄る。
「え? 黒板に薄く残ってた跡をチョークでなぞっただけだよ?」
マコトはそう答えると、自分が黒板に書いた物に、あらためて目を向けた。
「なにこれ!」
黒板に書かれたものは、大きく崩れた文字でこう読めた。
『このクラス全員呪ってやる』
「ここだったんだ……」
マコトが青ざめた顔で言う。
「タエ子さんのクラスって、この……俺たちの教室だったんだ」
――ガタッ
その時、かすかな物音がした。
私たち三人は、心臓が口から飛び出る思いだった。
「なんだ、今の」
タカシが廊下の方へ目を向けると、
「うわあっ!」
彼は悲鳴を上げた。
廊下の方を見ると、曇りガラスの窓の向こうに、佇んでいる人影があった。先ほど校庭にいた女性のように思えた。
私は――ほかの二人もそうだったろうが――、校舎に入り込んだことを激しく後悔した。
窓の向こうの人影は、そのうちすうっと消えたが、三人はしばらくその場から動くことが出来ずにいた。
「――逃げよう」
タカシがようやく口を開く。
「でも、廊下にあのお化けがいたらどうする?」
マコトは今にも泣き出しそうだ。
「いつまでもここにいられないよ。外へ出よう」
この時、私も怖くて仕方がなかったのだが、とにかくこの教室から逃げることを提案した。
「よし、行くぞ!」
私たちはタカシを先頭に、教室を飛び出した。
すでに人影はなかった。私たちは廊下の端まで走り、一目散に階段を駆け降りた。
「痛っ!」
一階まで降りると、勢い余ったマコトが、廊下に置かれた把手の付いた台車につまずいて転んだ。
「いってえ……」
膝を擦りむいたようだ。血が滲んでいる。
「何でここにこんなのがあるんだよ」
マコトが立ち上がりながらぼやく。かなり痛みがあるのか、左足を引きずっている。
廊下を見渡すと、台車のほかにも、その場に似つかわしくない物が置かれていた。ゴミなどを入れる、フタの付いた大きな青いポリバケツだ。
「用務員さんが夏休み中に何か運んでたんじゃないかな」
私が自分の考えを口にしたその時だった。
「こらっ!」
廊下中に女性の声が響いた。
私たちが驚きながら振り向くと、ロングヘアーを後ろで束ねた女性が両手を腰に当て、仁王立ちにしていた。白いブラウスに紺のスカートといった身なりで、薄いブルーのカーディガンを羽織っている。
「せ、先生……」
私たちは口々に呟く。
それは菊池先生だった。
私たちのクラスの担任ではないが、若くて美人の彼女は、私たち高学年の男子の間で人気の的だった。
「騒がしいから何ごとかと思ったら……あなたたち、こんな所で何してるの? 夏休み中は学校の中へ入っちゃダメでしょ」
三人は自然と横一列に並び、首をうなだれる。
結局説教されるのかと、私はため息をついた。
「あら、怪我してるじゃない」
先生は腰をかがめて、マコトの左膝を覗き込む。
「もう、しょうがないわね。保健室へ行きましょう。手当てしてあげるから」
私たちは先生の後に続いた。
「いて! いててて」
先生はピンセットで挟んだ脱脂綿を使い、消毒液で傷の周辺を拭う。かなりしみるのか、ベッドに腰掛けたマコトが悲鳴をあげた。
「我慢しなさい。バイ菌が入ったら大変なんだから」
「……はい」
顔をしかめながら答えるマコト。
先生は続いて大きめの絆創膏をマコトの膝に貼ると、
「はい、これでおしまい」
指先で膝の絆創膏を軽く叩いた。
「ありがとうございました」
私たちは三人で頭を下げた。
「君たち、学校の中で何やってたの?」
菊池先生は呆れ顔で机に頬杖をつく。
私たちは正直に話していいものか、考えあぐねていた。すると、
「先生、さっき校庭とか三階の廊下にいました?」
タカシが逆に先生に尋ねた。私たちの見たあの女性は先生だったのではないか、確かに私も気になっていた。
「いいえ。午前中に一度校舎内をひと通り見廻りしたけど、午後はずっと職員室にいたわよ。どうして?」
やはり先生ではなかったようだ。タカシとマコトは何も言えなくなっていた。
「先生、実は――」
私は、私たち三人が学校内で女性らしい人影を見たことを話した。
「――それで、噂になってるお化けなんじゃないかって思って」
マコトが続ける。マコトの中では、すでにタエ子さんはお化けになっているらしい。
「今日、私が学校でひとりだから、脅かそうって言うの?」
先生は厳しい目で私たち三人を見回す。
「いえ、そうじゃないんですけど……」
私が歯切れの悪い言葉を返した。私たちは実際に人影を見たのだが、そう簡単には信じてもらえそうにない。
「それじゃあ、お返しに私からも恐いお話を聞かせてあげようか。どうする?」
先生は椅子の背もたれに体重を預け、腕を組みながら提案した。
私たち三人は互いの顔を見合わせる。
「はい、聞きたいです」
タカシが代表して答えた。先生の話に興味があったのもあるが、説教されるよりはマシだと考えたのも確かだ。
「実はね、先生もこの小学校の卒業生なの」
菊池先生はかしこまった様に語り出した。
「私が五年生の頃、同じ学年にイジメのあるクラスがあってね。ひとりの子をクラス中で無視したり、嫌がらせとか酷いことをしていたそうなの。で、ある日その子は朝早く、教室で自殺しようとカッターで手首を切ったの。すぐに救急車で運ばれて、命は助かったそうなんだけどね。だけど、その子が自殺しようとした教室の黒板には、彼女の書いた『このクラス全員呪ってやる』って文字がいつまでも消えなかったそうなの。以来、その教室は『呪いの教室』って呼ばれるようになったの」
タエ子さんの噂話だ。私たちは身体の震えが止まらなかった。根も葉もない、単なる噂話などではない。本当にあった話だったのだ。
「あなたたち、クラスの誰かをイジメたりしてないでしょうね?」
幸い、私たちのクラスでは、イジメ問題などは一切なかった。少なくとも目に見える形では。
「あら、もうこんな時間」
先生は腕時計を覗いて呟いた。
「さあ、あなたたちもそろそろ帰りなさい? 特別に今日のことは担任の先生には言わないでおいてあげるから」
私たちは先生に促されるように、昇降口へ向かった。噂話が本当の出来事だったことを知ったせいか、校舎内が不気味な空間に見えた。
「気をつけて帰るのよ」
先生は私たちを見送るため――また校舎内を歩き回ることを危惧したのかも知れないが――、昇降口まで同行してくれた。
「先生――」
別れ際、私は先生に呼びかけた。
「今度はなあに?」
「今日、学校は先生ひとりなんですか?」
私はガランとした校舎内で、ふと気になったことを尋ねた。
「そうよ。用務員さんも今日はお休みだから」
先生は平然と答える。
「この後もう一度校舎内を見廻って、戸締りを確認したら私も帰るわ」
あんな恐い話をした後なのに、誰もいない学校が平気だなんて、やはり大人って凄いと、その時の私は妙に感心したものだった。
「じゃあね、登校日にまた会いましょう」
私たちを見送り、昇降口の扉を施錠すると、菊池先生は校舎の奥へと消えていった。
「呪いの教室を探すのか?」
マコトが身を乗り出す。
「やめとけって。先生や用務員さんに見つかったら怒られるぞ」
私は苦言を呈した。
夏休みのような長期休暇中でも、昼間の校内を無人にはしないであろうことは、当時の私でも知っていた。
「それにさ、その十何年前だかの噂話って、そのうち誰も話さなくなったんだろ? 今さらな気がするんだけど」
そう、私がこの小学校に入学してから、そんな話は微塵も聞いたことがなかった。この年の夏休みに入る直前までは。
自殺騒ぎは本当にあったかもしれない。そして呪いの教室も噂になったのかもしれない。だが、ほどなく沈静化したのではないだろうか。黒板の文字の跡も、その後使い続けているうちに自然と目立たなくなり、次第に誰も噂を口にしなくなった。そんなところではないだろうか。
だとしたら、なぜ今になって突然、噂が再び出回るようになったのだろう。そもそも出どころはどこからなのだろうか。
「シンジはホントビビりだなあ」
鉄棒の上のタカシが足をブラつかせながら云う。
私は怒られることが怖かったわけではなく、ただ長々と説教を聞かされるとか、面倒なことを避けたかっただけなのだが。
「マコトはどう思う?」
タカシはタイヤに座るマコトに意見を求めた。
「俺は探したいな、呪いの教室」
マコトは即答する。
「よし、決まり」
タカシは鉄棒から飛び降りると、
「中に入れるところがないか探そうぜ。どうしてもイヤなら、シンジは外で待っててもいいけど」
云いながらマコトと私を交互に見る。
「――分かったよ。俺も付き合うよ」
渋々答えた。自分の意見を通しきれず、周りに流されやすい性格は今も変わっていない。
「だけど、どこも開いてなかったら諦めろよ? まさか窓のガラスを割って入ろうとか考えてないよな?」
今の彼らならやりかねないと危惧した私は、念のため訊いてみた。
「そこまではやらねえよ。バレて親呼び出されたらシャレになんねえもん」
さすがのタカシでも、親は怖いらしい。
私たち三人は校舎へ向かって駆け出した。
校舎へ侵入するのは思いのほか簡単だった。体育館に続く渡り廊下への出入り口が開けっ放しだったからだ。
当初は気乗りしなかった私ではあったが、誰もいない校舎内の独特の雰囲気に、いつしか好奇心が駆り立てられるのを覚えていた。
「――誰!?」
三人で固まって廊下を歩いていると、最後尾のマコトが突然背後を振り返って声を上げた。
「なんだよ。ビビらせるなよ」
タカシが釣られて振り向く。
「今、女の人がいたような」
マコトの声は心なしか震えている。
「髪が長くて、白い服を着てた。廊下の向こうへ歩いてった」
私たちはマコトが女を見たという方へ引き返して確認したが、周囲に人影は見当たらなかった。
「誰もいねえじゃん」
タカシが少し残念そうに云う。
「おかしいなあ、見間違いかな」
首を捻るマコト。
「とりあえず俺たちの教室行こうぜ?」
タカシの後を追い、私たちは階段を駆け上がって三階の教室へ向かった。
見慣れた自分たちの教室だが、ほかに誰もいない休みの日は普段とは違う、日常とかけ離れた空間に思えた。
私は窓を開けて校庭を見下ろす。
体育館の向こう、裏手の雑木林の方から吹く風が心地よかった。
「ひと息ついたら三階の教室から調べてみるか。タエ子さんって何年生だったんだろうな」
自分の席の机に腰掛けたタカシが云う。
「さあ、知らないなあ」
マコトはチョークを片手に、黒板を凝視している。私は落書きはやめておけと忠告した。
「あ……」
私が校庭に目を戻したその時だった。
髪の長い、白い服を着た女性が、校庭から私たちの教室を見上げていた。
「お、おい! あれ!」
私は二人に向かって声を掛けた。
「なんだよ」
二人が窓際にやってくる。
「校庭に女の人が……」
私は指を差した。
だが視線を戻すと、そこにはすでに誰もいなかった。
「あれ? いない」
「なんだよ、今度はシンジかよ」
タカシが口を尖らせる。
「タエ子さんじゃないかな」
マコトが呟く。
「だから、タエ子さんは別にお化けってわけじゃないって……」
タカシが振り向きざまに云うと、
「な、なんだよ、それ!?」
黒板に駆け寄る。
「え? 黒板に薄く残ってた跡をチョークでなぞっただけだよ?」
マコトはそう答えると、自分が黒板に書いた物に、あらためて目を向けた。
「なにこれ!」
黒板に書かれたものは、大きく崩れた文字でこう読めた。
『このクラス全員呪ってやる』
「ここだったんだ……」
マコトが青ざめた顔で言う。
「タエ子さんのクラスって、この……俺たちの教室だったんだ」
――ガタッ
その時、かすかな物音がした。
私たち三人は、心臓が口から飛び出る思いだった。
「なんだ、今の」
タカシが廊下の方へ目を向けると、
「うわあっ!」
彼は悲鳴を上げた。
廊下の方を見ると、曇りガラスの窓の向こうに、佇んでいる人影があった。先ほど校庭にいた女性のように思えた。
私は――ほかの二人もそうだったろうが――、校舎に入り込んだことを激しく後悔した。
窓の向こうの人影は、そのうちすうっと消えたが、三人はしばらくその場から動くことが出来ずにいた。
「――逃げよう」
タカシがようやく口を開く。
「でも、廊下にあのお化けがいたらどうする?」
マコトは今にも泣き出しそうだ。
「いつまでもここにいられないよ。外へ出よう」
この時、私も怖くて仕方がなかったのだが、とにかくこの教室から逃げることを提案した。
「よし、行くぞ!」
私たちはタカシを先頭に、教室を飛び出した。
すでに人影はなかった。私たちは廊下の端まで走り、一目散に階段を駆け降りた。
「痛っ!」
一階まで降りると、勢い余ったマコトが、廊下に置かれた把手の付いた台車につまずいて転んだ。
「いってえ……」
膝を擦りむいたようだ。血が滲んでいる。
「何でここにこんなのがあるんだよ」
マコトが立ち上がりながらぼやく。かなり痛みがあるのか、左足を引きずっている。
廊下を見渡すと、台車のほかにも、その場に似つかわしくない物が置かれていた。ゴミなどを入れる、フタの付いた大きな青いポリバケツだ。
「用務員さんが夏休み中に何か運んでたんじゃないかな」
私が自分の考えを口にしたその時だった。
「こらっ!」
廊下中に女性の声が響いた。
私たちが驚きながら振り向くと、ロングヘアーを後ろで束ねた女性が両手を腰に当て、仁王立ちにしていた。白いブラウスに紺のスカートといった身なりで、薄いブルーのカーディガンを羽織っている。
「せ、先生……」
私たちは口々に呟く。
それは菊池先生だった。
私たちのクラスの担任ではないが、若くて美人の彼女は、私たち高学年の男子の間で人気の的だった。
「騒がしいから何ごとかと思ったら……あなたたち、こんな所で何してるの? 夏休み中は学校の中へ入っちゃダメでしょ」
三人は自然と横一列に並び、首をうなだれる。
結局説教されるのかと、私はため息をついた。
「あら、怪我してるじゃない」
先生は腰をかがめて、マコトの左膝を覗き込む。
「もう、しょうがないわね。保健室へ行きましょう。手当てしてあげるから」
私たちは先生の後に続いた。
「いて! いててて」
先生はピンセットで挟んだ脱脂綿を使い、消毒液で傷の周辺を拭う。かなりしみるのか、ベッドに腰掛けたマコトが悲鳴をあげた。
「我慢しなさい。バイ菌が入ったら大変なんだから」
「……はい」
顔をしかめながら答えるマコト。
先生は続いて大きめの絆創膏をマコトの膝に貼ると、
「はい、これでおしまい」
指先で膝の絆創膏を軽く叩いた。
「ありがとうございました」
私たちは三人で頭を下げた。
「君たち、学校の中で何やってたの?」
菊池先生は呆れ顔で机に頬杖をつく。
私たちは正直に話していいものか、考えあぐねていた。すると、
「先生、さっき校庭とか三階の廊下にいました?」
タカシが逆に先生に尋ねた。私たちの見たあの女性は先生だったのではないか、確かに私も気になっていた。
「いいえ。午前中に一度校舎内をひと通り見廻りしたけど、午後はずっと職員室にいたわよ。どうして?」
やはり先生ではなかったようだ。タカシとマコトは何も言えなくなっていた。
「先生、実は――」
私は、私たち三人が学校内で女性らしい人影を見たことを話した。
「――それで、噂になってるお化けなんじゃないかって思って」
マコトが続ける。マコトの中では、すでにタエ子さんはお化けになっているらしい。
「今日、私が学校でひとりだから、脅かそうって言うの?」
先生は厳しい目で私たち三人を見回す。
「いえ、そうじゃないんですけど……」
私が歯切れの悪い言葉を返した。私たちは実際に人影を見たのだが、そう簡単には信じてもらえそうにない。
「それじゃあ、お返しに私からも恐いお話を聞かせてあげようか。どうする?」
先生は椅子の背もたれに体重を預け、腕を組みながら提案した。
私たち三人は互いの顔を見合わせる。
「はい、聞きたいです」
タカシが代表して答えた。先生の話に興味があったのもあるが、説教されるよりはマシだと考えたのも確かだ。
「実はね、先生もこの小学校の卒業生なの」
菊池先生はかしこまった様に語り出した。
「私が五年生の頃、同じ学年にイジメのあるクラスがあってね。ひとりの子をクラス中で無視したり、嫌がらせとか酷いことをしていたそうなの。で、ある日その子は朝早く、教室で自殺しようとカッターで手首を切ったの。すぐに救急車で運ばれて、命は助かったそうなんだけどね。だけど、その子が自殺しようとした教室の黒板には、彼女の書いた『このクラス全員呪ってやる』って文字がいつまでも消えなかったそうなの。以来、その教室は『呪いの教室』って呼ばれるようになったの」
タエ子さんの噂話だ。私たちは身体の震えが止まらなかった。根も葉もない、単なる噂話などではない。本当にあった話だったのだ。
「あなたたち、クラスの誰かをイジメたりしてないでしょうね?」
幸い、私たちのクラスでは、イジメ問題などは一切なかった。少なくとも目に見える形では。
「あら、もうこんな時間」
先生は腕時計を覗いて呟いた。
「さあ、あなたたちもそろそろ帰りなさい? 特別に今日のことは担任の先生には言わないでおいてあげるから」
私たちは先生に促されるように、昇降口へ向かった。噂話が本当の出来事だったことを知ったせいか、校舎内が不気味な空間に見えた。
「気をつけて帰るのよ」
先生は私たちを見送るため――また校舎内を歩き回ることを危惧したのかも知れないが――、昇降口まで同行してくれた。
「先生――」
別れ際、私は先生に呼びかけた。
「今度はなあに?」
「今日、学校は先生ひとりなんですか?」
私はガランとした校舎内で、ふと気になったことを尋ねた。
「そうよ。用務員さんも今日はお休みだから」
先生は平然と答える。
「この後もう一度校舎内を見廻って、戸締りを確認したら私も帰るわ」
あんな恐い話をした後なのに、誰もいない学校が平気だなんて、やはり大人って凄いと、その時の私は妙に感心したものだった。
「じゃあね、登校日にまた会いましょう」
私たちを見送り、昇降口の扉を施錠すると、菊池先生は校舎の奥へと消えていった。
0
お気に入りに追加
1
あなたにおすすめの小説
『量子の檻 -永遠の観測者-』
葉羽
ミステリー
【あらすじ】 天才高校生の神藤葉羽は、ある日、量子物理学者・霧島誠一教授の不可解な死亡事件に巻き込まれる。完全密室で発見された教授の遺体。そして、研究所に残された謎めいた研究ノート。
幼なじみの望月彩由美とともに真相を追う葉羽だが、事態は予想外の展開を見せ始める。二人の体に浮かび上がる不思議な模様。そして、現実世界に重なる別次元の存在。
やがて明らかになる衝撃的な真実―霧島教授の研究は、人類の存在を脅かす異次元生命体から世界を守るための「量子の檻」プロジェクトだった。
教授の死は自作自演。それは、次世代の守護者を選出するための壮大な実験だったのだ。
葉羽と彩由美は、互いへの想いと強い絆によって、人類と異次元存在の境界を守る「永遠の観測者」として選ばれる。二人の純粋な感情が、最強の量子バリアとなったのだ。
現代物理学の限界に挑戦する本格ミステリーでありながら、壮大なSFファンタジー、そしてピュアな青春ラブストーリーの要素も併せ持つ。「観測」と「愛」をテーマに、科学と感情の境界を探る新しい形の本格推理小説。
特殊捜査官・天城宿禰の事件簿~乙女の告発
斑鳩陽菜
ミステリー
K県警捜査一課特殊捜査室――、そこにたった一人だけ特殊捜査官の肩書をもつ男、天城宿禰が在籍している。
遺留品や現場にある物が残留思念を読み取り、犯人を導くという。
そんな県警管轄内で、美術評論家が何者かに殺害された。
遺体の周りには、大量のガラス片が飛散。
臨場した天城は、さっそく残留思念を読み取るのだが――。
Strange Days ― 短編・ショートショート集 ―
紗倉亞空生
ミステリー
ミステリがメインのサクッと読める一話完結タイプの短編・ショートショート集です。
ときどき他ジャンルが混ざるかも知れません。
ネタを思いついたら掲載する不定期連載です。
仮題「難解な推理小説」
葉羽
ミステリー
主人公の神藤葉羽は、鋭い推理力を持つ高校2年生。日常の出来事に対して飽き飽きし、常に何か新しい刺激を求めています。特に推理小説が好きで、複雑な謎解きを楽しみながら、現実世界でも人々の行動を予測し、楽しむことを得意としています。
クラスメートの望月彩由美は、葉羽とは対照的に明るく、恋愛漫画が好きな女の子。葉羽の推理力に感心しつつも、彼の少し変わった一面を心配しています。
ある日、葉羽はいつものように推理を楽しんでいる最中、クラスメートの行動を正確に予測し、彩由美を驚かせます。しかし、葉羽は内心では、この退屈な日常に飽き飽きしており、何か刺激的な出来事が起こることを期待しています。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。

ナガヤマをさがせ~生徒会のいちばん長い日~
彩条あきら
ミステリー
中学生徒会を主役に、行方不明の生徒会長を探し回るミステリー短編小説。
完全無欠の生徒会長ナガヤマ・ユウイチがある日、行方不明になった!彼が保管する文化祭実行のための重要書類を求め、スバルたち彩玉学園中学生徒会メンバーは学校中を探し始める。メンバーたちに焦りが募る中、完璧と思われていた生徒会長ナガヤマの、知られざる側面が明らかになっていく…。
※別サイトの企画に出していた作品を転載したものです※
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる