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「タエ子さんのクラスってどこだったんだろう」タカシが校庭の向こうに建つ校舎に目を向ける。「学校の中、入れないかな」
「呪いの教室を探すのか?」
マコトが身を乗り出す。
「やめとけって。先生や用務員さんに見つかったら怒られるぞ」
私は苦言を呈した。
夏休みのような長期休暇中でも、昼間の校内を無人にはしないであろうことは、当時の私でも知っていた。
「それにさ、その十何年前だかの噂話って、そのうち誰も話さなくなったんだろ? 今さらな気がするんだけど」
そう、私がこの小学校に入学してから、そんな話は微塵も聞いたことがなかった。この年の夏休みに入る直前までは。
自殺騒ぎは本当にあったかもしれない。そして呪いの教室も噂になったのかもしれない。だが、ほどなく沈静化したのではないだろうか。黒板の文字の跡も、その後使い続けているうちに自然と目立たなくなり、次第に誰も噂を口にしなくなった。そんなところではないだろうか。
だとしたら、なぜ今になって突然、噂が再び出回るようになったのだろう。そもそも出どころはどこからなのだろうか。
「シンジはホントビビりだなあ」
鉄棒の上のタカシが足をブラつかせながら云う。
私は怒られることが怖かったわけではなく、ただ長々と説教を聞かされるとか、面倒なことを避けたかっただけなのだが。
「マコトはどう思う?」
タカシはタイヤに座るマコトに意見を求めた。
「俺は探したいな、呪いの教室」
マコトは即答する。
「よし、決まり」
タカシは鉄棒から飛び降りると、
「中に入れるところがないか探そうぜ。どうしてもイヤなら、シンジは外で待っててもいいけど」
云いながらマコトと私を交互に見る。
「――分かったよ。俺も付き合うよ」
渋々答えた。自分の意見を通しきれず、周りに流されやすい性格は今も変わっていない。
「だけど、どこも開いてなかったら諦めろよ? まさか窓のガラスを割って入ろうとか考えてないよな?」
今の彼らならやりかねないと危惧した私は、念のため訊いてみた。
「そこまではやらねえよ。バレて親呼び出されたらシャレになんねえもん」
さすがのタカシでも、親は怖いらしい。
私たち三人は校舎へ向かって駆け出した。
校舎へ侵入するのは思いのほか簡単だった。体育館に続く渡り廊下への出入り口が開けっ放しだったからだ。
当初は気乗りしなかった私ではあったが、誰もいない校舎内の独特の雰囲気に、いつしか好奇心が駆り立てられるのを覚えていた。
「――誰!?」
三人で固まって廊下を歩いていると、最後尾のマコトが突然背後を振り返って声を上げた。
「なんだよ。ビビらせるなよ」
タカシが釣られて振り向く。
「今、女の人がいたような」
マコトの声は心なしか震えている。
「髪が長くて、白い服を着てた。廊下の向こうへ歩いてった」
私たちはマコトが女を見たという方へ引き返して確認したが、周囲に人影は見当たらなかった。
「誰もいねえじゃん」
タカシが少し残念そうに云う。
「おかしいなあ、見間違いかな」
首を捻るマコト。
「とりあえず俺たちの教室行こうぜ?」
タカシの後を追い、私たちは階段を駆け上がって三階の教室へ向かった。
見慣れた自分たちの教室だが、ほかに誰もいない休みの日は普段とは違う、日常とかけ離れた空間に思えた。
私は窓を開けて校庭を見下ろす。
体育館の向こう、裏手の雑木林の方から吹く風が心地よかった。
「ひと息ついたら三階の教室から調べてみるか。タエ子さんって何年生だったんだろうな」
自分の席の机に腰掛けたタカシが云う。
「さあ、知らないなあ」
マコトはチョークを片手に、黒板を凝視している。私は落書きはやめておけと忠告した。
「あ……」
私が校庭に目を戻したその時だった。
髪の長い、白い服を着た女性が、校庭から私たちの教室を見上げていた。
「お、おい! あれ!」
私は二人に向かって声を掛けた。
「なんだよ」
二人が窓際にやってくる。
「校庭に女の人が……」
私は指を差した。
だが視線を戻すと、そこにはすでに誰もいなかった。
「あれ? いない」
「なんだよ、今度はシンジかよ」
タカシが口を尖らせる。
「タエ子さんじゃないかな」
マコトが呟く。
「だから、タエ子さんは別にお化けってわけじゃないって……」
タカシが振り向きざまに云うと、
「な、なんだよ、それ!?」
黒板に駆け寄る。
「え? 黒板に薄く残ってた跡をチョークでなぞっただけだよ?」
マコトはそう答えると、自分が黒板に書いた物に、あらためて目を向けた。
「なにこれ!」
黒板に書かれたものは、大きく崩れた文字でこう読めた。
『このクラス全員呪ってやる』
「ここだったんだ……」
マコトが青ざめた顔で言う。
「タエ子さんのクラスって、この……俺たちの教室だったんだ」
――ガタッ
その時、かすかな物音がした。
私たち三人は、心臓が口から飛び出る思いだった。
「なんだ、今の」
タカシが廊下の方へ目を向けると、
「うわあっ!」
彼は悲鳴を上げた。
廊下の方を見ると、曇りガラスの窓の向こうに、佇んでいる人影があった。先ほど校庭にいた女性のように思えた。
私は――ほかの二人もそうだったろうが――、校舎に入り込んだことを激しく後悔した。
窓の向こうの人影は、そのうちすうっと消えたが、三人はしばらくその場から動くことが出来ずにいた。
「――逃げよう」
タカシがようやく口を開く。
「でも、廊下にあのお化けがいたらどうする?」
マコトは今にも泣き出しそうだ。
「いつまでもここにいられないよ。外へ出よう」
この時、私も怖くて仕方がなかったのだが、とにかくこの教室から逃げることを提案した。
「よし、行くぞ!」
私たちはタカシを先頭に、教室を飛び出した。
すでに人影はなかった。私たちは廊下の端まで走り、一目散に階段を駆け降りた。
「痛っ!」
一階まで降りると、勢い余ったマコトが、廊下に置かれた把手の付いた台車につまずいて転んだ。
「いってえ……」
膝を擦りむいたようだ。血が滲んでいる。
「何でここにこんなのがあるんだよ」
マコトが立ち上がりながらぼやく。かなり痛みがあるのか、左足を引きずっている。
廊下を見渡すと、台車のほかにも、その場に似つかわしくない物が置かれていた。ゴミなどを入れる、フタの付いた大きな青いポリバケツだ。
「用務員さんが夏休み中に何か運んでたんじゃないかな」
私が自分の考えを口にしたその時だった。
「こらっ!」
廊下中に女性の声が響いた。
私たちが驚きながら振り向くと、ロングヘアーを後ろで束ねた女性が両手を腰に当て、仁王立ちにしていた。白いブラウスに紺のスカートといった身なりで、薄いブルーのカーディガンを羽織っている。
「せ、先生……」
私たちは口々に呟く。
それは菊池先生だった。
私たちのクラスの担任ではないが、若くて美人の彼女は、私たち高学年の男子の間で人気の的だった。
「騒がしいから何ごとかと思ったら……あなたたち、こんな所で何してるの? 夏休み中は学校の中へ入っちゃダメでしょ」
三人は自然と横一列に並び、首をうなだれる。
結局説教されるのかと、私はため息をついた。
「あら、怪我してるじゃない」
先生は腰をかがめて、マコトの左膝を覗き込む。
「もう、しょうがないわね。保健室へ行きましょう。手当てしてあげるから」
私たちは先生の後に続いた。
「いて! いててて」
先生はピンセットで挟んだ脱脂綿を使い、消毒液で傷の周辺を拭う。かなりしみるのか、ベッドに腰掛けたマコトが悲鳴をあげた。
「我慢しなさい。バイ菌が入ったら大変なんだから」
「……はい」
顔をしかめながら答えるマコト。
先生は続いて大きめの絆創膏をマコトの膝に貼ると、
「はい、これでおしまい」
指先で膝の絆創膏を軽く叩いた。
「ありがとうございました」
私たちは三人で頭を下げた。
「君たち、学校の中で何やってたの?」
菊池先生は呆れ顔で机に頬杖をつく。
私たちは正直に話していいものか、考えあぐねていた。すると、
「先生、さっき校庭とか三階の廊下にいました?」
タカシが逆に先生に尋ねた。私たちの見たあの女性は先生だったのではないか、確かに私も気になっていた。
「いいえ。午前中に一度校舎内をひと通り見廻りしたけど、午後はずっと職員室にいたわよ。どうして?」
やはり先生ではなかったようだ。タカシとマコトは何も言えなくなっていた。
「先生、実は――」
私は、私たち三人が学校内で女性らしい人影を見たことを話した。
「――それで、噂になってるお化けなんじゃないかって思って」
マコトが続ける。マコトの中では、すでにタエ子さんはお化けになっているらしい。
「今日、私が学校でひとりだから、脅かそうって言うの?」
先生は厳しい目で私たち三人を見回す。
「いえ、そうじゃないんですけど……」
私が歯切れの悪い言葉を返した。私たちは実際に人影を見たのだが、そう簡単には信じてもらえそうにない。
「それじゃあ、お返しに私からも恐いお話を聞かせてあげようか。どうする?」
先生は椅子の背もたれに体重を預け、腕を組みながら提案した。
私たち三人は互いの顔を見合わせる。
「はい、聞きたいです」
タカシが代表して答えた。先生の話に興味があったのもあるが、説教されるよりはマシだと考えたのも確かだ。
「実はね、先生もこの小学校の卒業生なの」
菊池先生はかしこまった様に語り出した。
「私が五年生の頃、同じ学年にイジメのあるクラスがあってね。ひとりの子をクラス中で無視したり、嫌がらせとか酷いことをしていたそうなの。で、ある日その子は朝早く、教室で自殺しようとカッターで手首を切ったの。すぐに救急車で運ばれて、命は助かったそうなんだけどね。だけど、その子が自殺しようとした教室の黒板には、彼女の書いた『このクラス全員呪ってやる』って文字がいつまでも消えなかったそうなの。以来、その教室は『呪いの教室』って呼ばれるようになったの」
タエ子さんの噂話だ。私たちは身体の震えが止まらなかった。根も葉もない、単なる噂話などではない。本当にあった話だったのだ。
「あなたたち、クラスの誰かをイジメたりしてないでしょうね?」
幸い、私たちのクラスでは、イジメ問題などは一切なかった。少なくとも目に見える形では。
「あら、もうこんな時間」
先生は腕時計を覗いて呟いた。
「さあ、あなたたちもそろそろ帰りなさい? 特別に今日のことは担任の先生には言わないでおいてあげるから」
私たちは先生に促されるように、昇降口へ向かった。噂話が本当の出来事だったことを知ったせいか、校舎内が不気味な空間に見えた。
「気をつけて帰るのよ」
先生は私たちを見送るため――また校舎内を歩き回ることを危惧したのかも知れないが――、昇降口まで同行してくれた。
「先生――」
別れ際、私は先生に呼びかけた。
「今度はなあに?」
「今日、学校は先生ひとりなんですか?」
私はガランとした校舎内で、ふと気になったことを尋ねた。
「そうよ。用務員さんも今日はお休みだから」
先生は平然と答える。
「この後もう一度校舎内を見廻って、戸締りを確認したら私も帰るわ」
あんな恐い話をした後なのに、誰もいない学校が平気だなんて、やはり大人って凄いと、その時の私は妙に感心したものだった。
「じゃあね、登校日にまた会いましょう」
私たちを見送り、昇降口の扉を施錠すると、菊池先生は校舎の奥へと消えていった。
「呪いの教室を探すのか?」
マコトが身を乗り出す。
「やめとけって。先生や用務員さんに見つかったら怒られるぞ」
私は苦言を呈した。
夏休みのような長期休暇中でも、昼間の校内を無人にはしないであろうことは、当時の私でも知っていた。
「それにさ、その十何年前だかの噂話って、そのうち誰も話さなくなったんだろ? 今さらな気がするんだけど」
そう、私がこの小学校に入学してから、そんな話は微塵も聞いたことがなかった。この年の夏休みに入る直前までは。
自殺騒ぎは本当にあったかもしれない。そして呪いの教室も噂になったのかもしれない。だが、ほどなく沈静化したのではないだろうか。黒板の文字の跡も、その後使い続けているうちに自然と目立たなくなり、次第に誰も噂を口にしなくなった。そんなところではないだろうか。
だとしたら、なぜ今になって突然、噂が再び出回るようになったのだろう。そもそも出どころはどこからなのだろうか。
「シンジはホントビビりだなあ」
鉄棒の上のタカシが足をブラつかせながら云う。
私は怒られることが怖かったわけではなく、ただ長々と説教を聞かされるとか、面倒なことを避けたかっただけなのだが。
「マコトはどう思う?」
タカシはタイヤに座るマコトに意見を求めた。
「俺は探したいな、呪いの教室」
マコトは即答する。
「よし、決まり」
タカシは鉄棒から飛び降りると、
「中に入れるところがないか探そうぜ。どうしてもイヤなら、シンジは外で待っててもいいけど」
云いながらマコトと私を交互に見る。
「――分かったよ。俺も付き合うよ」
渋々答えた。自分の意見を通しきれず、周りに流されやすい性格は今も変わっていない。
「だけど、どこも開いてなかったら諦めろよ? まさか窓のガラスを割って入ろうとか考えてないよな?」
今の彼らならやりかねないと危惧した私は、念のため訊いてみた。
「そこまではやらねえよ。バレて親呼び出されたらシャレになんねえもん」
さすがのタカシでも、親は怖いらしい。
私たち三人は校舎へ向かって駆け出した。
校舎へ侵入するのは思いのほか簡単だった。体育館に続く渡り廊下への出入り口が開けっ放しだったからだ。
当初は気乗りしなかった私ではあったが、誰もいない校舎内の独特の雰囲気に、いつしか好奇心が駆り立てられるのを覚えていた。
「――誰!?」
三人で固まって廊下を歩いていると、最後尾のマコトが突然背後を振り返って声を上げた。
「なんだよ。ビビらせるなよ」
タカシが釣られて振り向く。
「今、女の人がいたような」
マコトの声は心なしか震えている。
「髪が長くて、白い服を着てた。廊下の向こうへ歩いてった」
私たちはマコトが女を見たという方へ引き返して確認したが、周囲に人影は見当たらなかった。
「誰もいねえじゃん」
タカシが少し残念そうに云う。
「おかしいなあ、見間違いかな」
首を捻るマコト。
「とりあえず俺たちの教室行こうぜ?」
タカシの後を追い、私たちは階段を駆け上がって三階の教室へ向かった。
見慣れた自分たちの教室だが、ほかに誰もいない休みの日は普段とは違う、日常とかけ離れた空間に思えた。
私は窓を開けて校庭を見下ろす。
体育館の向こう、裏手の雑木林の方から吹く風が心地よかった。
「ひと息ついたら三階の教室から調べてみるか。タエ子さんって何年生だったんだろうな」
自分の席の机に腰掛けたタカシが云う。
「さあ、知らないなあ」
マコトはチョークを片手に、黒板を凝視している。私は落書きはやめておけと忠告した。
「あ……」
私が校庭に目を戻したその時だった。
髪の長い、白い服を着た女性が、校庭から私たちの教室を見上げていた。
「お、おい! あれ!」
私は二人に向かって声を掛けた。
「なんだよ」
二人が窓際にやってくる。
「校庭に女の人が……」
私は指を差した。
だが視線を戻すと、そこにはすでに誰もいなかった。
「あれ? いない」
「なんだよ、今度はシンジかよ」
タカシが口を尖らせる。
「タエ子さんじゃないかな」
マコトが呟く。
「だから、タエ子さんは別にお化けってわけじゃないって……」
タカシが振り向きざまに云うと、
「な、なんだよ、それ!?」
黒板に駆け寄る。
「え? 黒板に薄く残ってた跡をチョークでなぞっただけだよ?」
マコトはそう答えると、自分が黒板に書いた物に、あらためて目を向けた。
「なにこれ!」
黒板に書かれたものは、大きく崩れた文字でこう読めた。
『このクラス全員呪ってやる』
「ここだったんだ……」
マコトが青ざめた顔で言う。
「タエ子さんのクラスって、この……俺たちの教室だったんだ」
――ガタッ
その時、かすかな物音がした。
私たち三人は、心臓が口から飛び出る思いだった。
「なんだ、今の」
タカシが廊下の方へ目を向けると、
「うわあっ!」
彼は悲鳴を上げた。
廊下の方を見ると、曇りガラスの窓の向こうに、佇んでいる人影があった。先ほど校庭にいた女性のように思えた。
私は――ほかの二人もそうだったろうが――、校舎に入り込んだことを激しく後悔した。
窓の向こうの人影は、そのうちすうっと消えたが、三人はしばらくその場から動くことが出来ずにいた。
「――逃げよう」
タカシがようやく口を開く。
「でも、廊下にあのお化けがいたらどうする?」
マコトは今にも泣き出しそうだ。
「いつまでもここにいられないよ。外へ出よう」
この時、私も怖くて仕方がなかったのだが、とにかくこの教室から逃げることを提案した。
「よし、行くぞ!」
私たちはタカシを先頭に、教室を飛び出した。
すでに人影はなかった。私たちは廊下の端まで走り、一目散に階段を駆け降りた。
「痛っ!」
一階まで降りると、勢い余ったマコトが、廊下に置かれた把手の付いた台車につまずいて転んだ。
「いってえ……」
膝を擦りむいたようだ。血が滲んでいる。
「何でここにこんなのがあるんだよ」
マコトが立ち上がりながらぼやく。かなり痛みがあるのか、左足を引きずっている。
廊下を見渡すと、台車のほかにも、その場に似つかわしくない物が置かれていた。ゴミなどを入れる、フタの付いた大きな青いポリバケツだ。
「用務員さんが夏休み中に何か運んでたんじゃないかな」
私が自分の考えを口にしたその時だった。
「こらっ!」
廊下中に女性の声が響いた。
私たちが驚きながら振り向くと、ロングヘアーを後ろで束ねた女性が両手を腰に当て、仁王立ちにしていた。白いブラウスに紺のスカートといった身なりで、薄いブルーのカーディガンを羽織っている。
「せ、先生……」
私たちは口々に呟く。
それは菊池先生だった。
私たちのクラスの担任ではないが、若くて美人の彼女は、私たち高学年の男子の間で人気の的だった。
「騒がしいから何ごとかと思ったら……あなたたち、こんな所で何してるの? 夏休み中は学校の中へ入っちゃダメでしょ」
三人は自然と横一列に並び、首をうなだれる。
結局説教されるのかと、私はため息をついた。
「あら、怪我してるじゃない」
先生は腰をかがめて、マコトの左膝を覗き込む。
「もう、しょうがないわね。保健室へ行きましょう。手当てしてあげるから」
私たちは先生の後に続いた。
「いて! いててて」
先生はピンセットで挟んだ脱脂綿を使い、消毒液で傷の周辺を拭う。かなりしみるのか、ベッドに腰掛けたマコトが悲鳴をあげた。
「我慢しなさい。バイ菌が入ったら大変なんだから」
「……はい」
顔をしかめながら答えるマコト。
先生は続いて大きめの絆創膏をマコトの膝に貼ると、
「はい、これでおしまい」
指先で膝の絆創膏を軽く叩いた。
「ありがとうございました」
私たちは三人で頭を下げた。
「君たち、学校の中で何やってたの?」
菊池先生は呆れ顔で机に頬杖をつく。
私たちは正直に話していいものか、考えあぐねていた。すると、
「先生、さっき校庭とか三階の廊下にいました?」
タカシが逆に先生に尋ねた。私たちの見たあの女性は先生だったのではないか、確かに私も気になっていた。
「いいえ。午前中に一度校舎内をひと通り見廻りしたけど、午後はずっと職員室にいたわよ。どうして?」
やはり先生ではなかったようだ。タカシとマコトは何も言えなくなっていた。
「先生、実は――」
私は、私たち三人が学校内で女性らしい人影を見たことを話した。
「――それで、噂になってるお化けなんじゃないかって思って」
マコトが続ける。マコトの中では、すでにタエ子さんはお化けになっているらしい。
「今日、私が学校でひとりだから、脅かそうって言うの?」
先生は厳しい目で私たち三人を見回す。
「いえ、そうじゃないんですけど……」
私が歯切れの悪い言葉を返した。私たちは実際に人影を見たのだが、そう簡単には信じてもらえそうにない。
「それじゃあ、お返しに私からも恐いお話を聞かせてあげようか。どうする?」
先生は椅子の背もたれに体重を預け、腕を組みながら提案した。
私たち三人は互いの顔を見合わせる。
「はい、聞きたいです」
タカシが代表して答えた。先生の話に興味があったのもあるが、説教されるよりはマシだと考えたのも確かだ。
「実はね、先生もこの小学校の卒業生なの」
菊池先生はかしこまった様に語り出した。
「私が五年生の頃、同じ学年にイジメのあるクラスがあってね。ひとりの子をクラス中で無視したり、嫌がらせとか酷いことをしていたそうなの。で、ある日その子は朝早く、教室で自殺しようとカッターで手首を切ったの。すぐに救急車で運ばれて、命は助かったそうなんだけどね。だけど、その子が自殺しようとした教室の黒板には、彼女の書いた『このクラス全員呪ってやる』って文字がいつまでも消えなかったそうなの。以来、その教室は『呪いの教室』って呼ばれるようになったの」
タエ子さんの噂話だ。私たちは身体の震えが止まらなかった。根も葉もない、単なる噂話などではない。本当にあった話だったのだ。
「あなたたち、クラスの誰かをイジメたりしてないでしょうね?」
幸い、私たちのクラスでは、イジメ問題などは一切なかった。少なくとも目に見える形では。
「あら、もうこんな時間」
先生は腕時計を覗いて呟いた。
「さあ、あなたたちもそろそろ帰りなさい? 特別に今日のことは担任の先生には言わないでおいてあげるから」
私たちは先生に促されるように、昇降口へ向かった。噂話が本当の出来事だったことを知ったせいか、校舎内が不気味な空間に見えた。
「気をつけて帰るのよ」
先生は私たちを見送るため――また校舎内を歩き回ることを危惧したのかも知れないが――、昇降口まで同行してくれた。
「先生――」
別れ際、私は先生に呼びかけた。
「今度はなあに?」
「今日、学校は先生ひとりなんですか?」
私はガランとした校舎内で、ふと気になったことを尋ねた。
「そうよ。用務員さんも今日はお休みだから」
先生は平然と答える。
「この後もう一度校舎内を見廻って、戸締りを確認したら私も帰るわ」
あんな恐い話をした後なのに、誰もいない学校が平気だなんて、やはり大人って凄いと、その時の私は妙に感心したものだった。
「じゃあね、登校日にまた会いましょう」
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