白昼夢 - daydream -

紗倉亞空生

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発端

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 いまだ残暑の厳しい九月下旬、そのよく晴れた日の午後のことである。

 私は手土産をたずさえ、友人の田母神洋輔たもがみようすけの元を訪ねた。

 資産家の三男坊である彼は、三十手前の現在も定職に就くことはなく、住まいの安アパートに篭っては日がな一日読書にふけるという、何とも羨ましい優雅で気ままな生活を送っている。

 まるで昭和の時代にタイムスリップしたかのような下町の裏通りにひっそりと佇む、築半世紀はゆうに越えているであろうこの木造二階建てのアパートを訪れるのもしばらくぶりだ。

 実家が裕福なのだから、もっとマシなところに住めば良いのにといつも思うのだが、田母神いわく「ここで十分満足している。広い部屋はどうにも落ち着かない」のだそうだ。

 相当な変わり者ではあるが、人付き合いの苦手な私にとっての、数少ない友人の一人でもある。

「やあ、久しぶり。よく来たね」

 呼び鈴を鳴らすと、彼は無造作に伸ばした髪と無精髭で私を出迎えた。

 顔立ちが整い、長身で細身の田母神は、何の変哲もない部屋着姿でもなぜか様になる。

「ちゃんと食事してる?」

 私が手にした買い物袋を掲げて尋ねると、

「うん、一応。インスタント中心だけどね」

 彼は欠伸あくび混じりで答える。やはりそうか。

「いつまでも若くはないんだからさ、もうそろそろ改善した方がいいぞ」

 この男は基本的に衣食住に対し無頓着である。放っておくと何日でも不摂生を続けてしまう。そのため、たまに私がこうして差し入れをしているというわけだ。もちろん購入金額の幾ばくかは、彼自身にも負担させているのだが。

「分かってるって」と云いながら、彼は私の持つ買い物袋を覗き込む。「今日は何を買ってきてくれたんだい?」

 通された部屋の中央に鎮座するちゃぶ台に、差し入れの品々を並べる。近所のスーパーで買ってきた惣菜の数々、それに数本の缶ビールだ。アルコールを燃料にして生きていると言っても過言ではない田母神の頬が、途端に緩む。

「いつも悪いね」

 彼は早速ビールに手を伸ばすと、プルタブを開けて口に運び、旨そうに喉へ流し込んだ。

 昼間から呑むのもたまにはいいだろう。私も一本手に取った。


 久々に訪れた友人宅は、前に来たときと特に変化はない。相変わらず床が見えなくなるほど、様々なジャンルの本がいくつもの山を築いている。私にはただ粗雑に本が散らかっているようにしか見えないのだが、田母神に言わせるとこの部屋は「混沌カオス」ではなく「秩序コスモス」だそうで、必要な本がどこにある――どこに埋もれている――のかは全て頭に入っているとのこと。下手に書棚などに収めてしまうと、余計に分からなくなってしまうのだそうだ。

 整理整頓とはほど遠い田母神だが、根は綺麗好きらしい。掃除はまめに行っているようで、物が散乱している割りには、意外にも不潔さは感じない。

「最近、何か面白い話はないのかい?」

 出不精で、世間の出来事にうとい田母神が、あじの南蛮漬けをつまみ代わりにつつきながら訊く。

「うん、実は今朝の新聞に載っていたある記事を見てたら、突然昔のことを思い出してね」

 手帳に挟んで持参した記事の切り抜きを田母神に手渡す。

「この記事なんだけどね」

「ふむ……」

 彼は興味深げに、切り抜きに見入った。

 記事の内容はおおむね次のとおりである。

昨日さくじつ九月X日未明。C県S市M町で、宅地開発のための整地工事中、雑木林の地中から人間の白骨死体が発見された。年齢二十代から三十代の女性で、死後およそ十五年ほど経過していると思われる。骨は全身共に損傷は見られないが、人為的に埋められた形跡があることから、C県警は殺人および死体遺棄事件として捜査を開始。現在、死体の身元確認を急いでいる』

「この事件がどうかしたのかい? 君は何か知っているのか?」

 田母神は目を輝かせながら、切り抜きを私に突きつける。

 読書家で、特にミステリ小説を好む彼は、この手の謎めいた事件には目がない。

「いや、期待させておいて悪いんだけど、その事件自体は関係ないんだ」

 私はポテトサラダを口に運びながら続ける。

「記事に出てくるC県S市M町は、俺が昔住んでいた家の近くでね」

「それだけ?」

 あからさまに落胆する田母神は、早くももう一本のビールに手を伸ばした。

「ああ。事件現場の地名を目にしたら、ずっと忘れていた昔のことを思い出したってわけさ」

「……なんだ」

 彼は興味を失くしたらしく、手近の本を手に取って広げる。キルケゴールの『死に至る病』。どうやら今は哲学書にハマっているらしい。

「待て、本題はこれからだ。その思い出した昔の記憶の中に、奇妙な出来事があるんだよ」

「奇妙な出来事?」

 田母神は再び目を輝かせ、身を乗り出す。

「うん。今日はその話を君に聞いてもらおうと思ってね」

「それを先に言えよ。ぜひ聞かせてくれ」

 彼はそう云いながら、開いたページにしおりを挟んで本を閉じた。
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