上 下
4 / 7

捜査

しおりを挟む
 ライブハウス・ボレロの入るビルの周囲は、出入り口に制服の警官が立哨し、青い作業着の鑑識課員が大きな機材を手に、慌ただしく行き来していた。

 島崎が摩耶を連れてきたのは、ライブハウス・ボレロだった。

 二人は隣のビルとの間の、外階段前にやってきた。非常階段のようだ。上り口には「立入禁止」の文字の入った、黒と黄色の縞模様のビニールテープが幾重にも張られ、ここにもやはり制服の警官がひとり見張りに立っていた。

「万世橋署の島崎です」

 島崎が身分証を提示すると、若い警官は敬礼の後、ビニールテープの片側を剥がして二人を通した。なぜメイド服姿の女が同行しているのか、警官は首を傾げた。

「あ、そうそう。君、ちょっといいかな?」

 島崎は振り返り、警官に声を掛けた。

「はい、何でしょう」

「こういうの、興味ない?」

 そう言いながら、島崎はショルダーバッグからチラシを一枚取り出し、警官に手渡した。先ほど摩耶から受け取った、カフェ・コスモスの広告チラシだ。

「いいぞ、メイド喫茶は。社会勉強だと思って一度行ってみるといい」

「は、はあ……」

 チラシを手にした警官は、見るからに困惑していた。

「お待たせ摩耶くん、では行こうか」

 まさか事件現場でも捜査員全員に配るつもりでは……。島崎にチラシを渡したことを、摩耶は少し後悔していた。


【ライブハウス・ボレロ見取り図】

「このビルの二階にライブハウスがあるんだ。そこで殺人事件が起こった。昨晩のことだ」

 島崎を先頭に階段を上り始めると、ようやく彼は本題について語り始めた。

「この階段がライブハウスの出入り口なんですか? なんだか不便そうですけど」

 膝上丈のスカートの裾を片手で押さえながら、摩耶が尋ねた。

「いや、一般客はビルの正面入口から出入りするんだけど、こっちの階段は控え室へ直接行き来するためのものなんだ。関係者用というわけだね」

「なるほど。――ってことは」

「そう、事件現場はステージでも客席でもなく控え室だ。詳細は現場で話すよ」

 島崎は両手に白手袋を嵌め、二階の扉を開くと摩耶を先に通した。

 改装されてまだ間もない二階フロアは、全体的に明るく、こざっぱりとしていた。

 通路は左右に伸びており、島崎は右手側へ進む。

「こっちが控え室になってる。で、反対側へ行くとステージに出るんだ。後でステージにも案内するよ」

 通路を五メートルほど進むと突き当りになる。物入れにしているのだろう、スチール製の大きなロッカーが正面に置かれている。左手側には扉があり、この扉が控え室の出入り口だ。扉は開いた状態で固定されており、やはり見張りの制服警官が立っていた。

「ご苦労さまです」

 警官が島崎に敬礼する。

「今、中に誰かいる?」

 島崎が尋ねると、

「いえ、現在こちらには誰もおりません。捜査員は全員ステージか、客席の方だと思います」

 見るからに真面目そうな警官は、しかつめらしい態度で答える。鑑識による現場検証はすでに終了したとのことだ。

「ありがとう」

 島崎は警官に礼を言うと、「ここが事件現場だ」摩耶を招き入れる。

 控え室の中は、事件当時の状態を保存してあるため、雑多な物であふれていた。ハンガーに掛けられた数着の派手な衣装が、摩耶の目を惹いた。

 床には白いテープで人型が描かれている。腹部を中心に、どす黒く変色した血痕が生々しく広がっていた。その近くには、やはりテープが小さな円形を作っており、人型から血の滴った跡が続いてる。凶器が投げ捨てられた跡だろう。

「事件について説明するよ。まあ座って」

 島崎はパイプ椅子を引き寄せて、摩耶に薦めた。彼女が腰を下ろして居住まいを正すと、島崎は事件の詳細を語った。


 昨晩の午後八時十分頃、このライブハウスの従業員から110番通報があった。控え室で女が死んでいるというものだった。

 八時二十分。最寄りの万世橋署から捜査員が急行し、すぐに初動捜査が開始された。

 被害者は三十代の女性で、昨晩行われたライブの関係者全員の確認により、アイドルプロデューサーの塔岡侑理であることが判明した。

 彼女は腹部を数箇所鋭利な刃物で刺され、出血多量による失血死が死因と判断された。

 凶器は遺体の傍らに捨てられていた、刃渡り十五センチほどの、アウトドア用ナイフだと思われる。刃の形状と遺体の刺創とが一致していることから、まず間違いないとのことだ。

 ナイフから指紋は採取できなかった。また、ネット通販で大量に出回っていることから、入手経路からの犯人の特定は難しいだろうと思われた。

 捜査開始後、早速ライブハウスの従業員、出演者、観客全てに対して事情聴取が行われた。

 各人の証言によると、昨晩のライブは午後七時ちょうど開演。八時頃に衣装替えのためステージは一時インターバルに入り、出演者が控え室に戻った際に、塔岡の遺体を発見したとのことだった。出演者とスタッフは開演の直前、ステージ袖で被害者と会話していることから、犯行推定時刻は開演後の午後七時から、遺体が発見された八時までの間であると思われる。検死の結果もそれを裏付けるものだった。

「塔岡侑理って、あの塔岡侑理ですか?」

 アイドル事情にうとい摩耶でも、有名人である塔岡の名前だけは知っていた。

「ああ。俺も現役アイドル時代の塔岡侑理を知ってる世代だから、結構ショックだったよ」

「それじゃあ、夕べここでライブをやってたのって……」

「お察しのとおり、アマテラスだよ」

 アイドルグループのアマテラスについては、摩耶もよく知っていた。専門学校の友人にもファンが多い。

 摩耶はあらためて室内を見回す。なるほど、ハンガーに掛けられているのはアイドル衣装だったか。

「――まったく、天照大御神を率いる地下アイドル界の『神』が殺されるだなんて、ここはとんだ高天原たかまがはらですね……」

 摩耶が小声で呟くと、

「え? 何か言った?」

 言葉の意味を理解できなかった島崎が聞き返す。

「ああ、いえ、こっちの話です」

「……そう。じゃあ続けるよ?」

 島崎はバッグからファイルケースを取り出すと、その中から更に資料を出してテーブルに広げた。昨晩行われた事情聴取を記録した調書のコピーである。

「犯行がライブの真っ最中だったことから、ライブ会場にいた観客、ライブスタッフ、それにアマテラスのメンバーには完全なアリバイがあることになる。つまり、昨晩この場にいた者は全員がシロってことだ」

 島崎は手にしたボールペンの尻でこめかみを掻きながら言う。

「捜査が行き詰まっているのはそこですか?」

「ああ。殺害場所が控え室だからね、まず観客には絶対に無理だ。控え室へ行くにはステージ袖からと、あとは建物の外から、さっき俺たちが来たルートを使うしかない」

 摩耶は頭の中で見取り図を組み立てる。

「アマテラスのメンバーも、犯行推定時刻には文字どおり衆人環視しゅうじんかんしの中にいたわけだから、彼女らにも犯行は絶対に無理だね。ライブスタッフも同様。ライブ中に持ち場を離れたらすぐバレるはずだ」

「この控え室、扉の鍵はどうだったんですか?」

 扉に目を向けながら、摩耶は尋ねる。

「鍵は掛かっていなかったそうだ。衣装替えで一旦戻ってきたメンバーのひとり、ええとリーダーの……辻本涼香が証言している。通常は施錠しているらしいので、彼女はステージ袖でスタッフから鍵を受け取り、控え室に戻って扉を鍵で開けようとしたところ、鍵は掛かっていなかったそうだ」

「出演者のメンバーが鍵の開け締めを行ったんですか?」

「うん。本来であればマネージャーも兼任している塔岡が同行して行うはずだそうなんだが、昨晩はなぜか彼女がステージ袖にいなかったため――彼女はその時にはすでに控え室で死んでいたわけだが――、急遽リーダーの辻本がスタッフから鍵を受け取り、それを使用するつもりだったそうだ。時間もなかったらしいからね」

 島崎は捜査資料をめくって該当箇所を探しながら、摩耶の質問に答える。

「ちなみに塔岡も控え室の鍵を所持していた。なぜライブ中にここへ戻ったのかは不明だけど、恐らく犯人に呼び出されたのではないかというのが我々捜査員の見解だ」

「つまり、塔岡さんは外部からやってきた何者かによって殺されたということですね」

「そのとおりだ」

 そんな島崎の返事に、摩耶は不満の目を向ける。

「どうかしたのかい?」

 摩耶の不満を察した島崎が尋ねる。

「そこまで分かっているなら簡単じゃないですか。塔岡さんのことを恨んでいて、なおかつ昨晩このライブハウスの中にいなかった人物を探し出せばいいだけでしょ? 夜八時前後ならまだ人通りも多いし、出入りした犯人を目撃した人だっているかもしれない」

 パイプ椅子の背もたれに体を預けながら、摩耶は口を尖らせた。

「それがそう簡単な話じゃないんだよ。話をまとめると、恐らく塔岡はライブ中に、犯人とこの控え室で落ち合う約束をしていた。そして犯人は建物外の階段を使って二階までやってきた。扉の鍵は予め塔岡が開けておいたんだろう。塔岡に招き入れられた犯人は彼女を殺害、そしてやはり建物外の階段を使って逃走した」

 島崎が一気に語る内容を、摩耶は自身の頭の中であらためて反芻する。

「……わたしもそう思います。何が簡単じゃないって言うんです?」

「目撃者だよ」

「夕べこの辺りには誰もいなかったってこと?」

 摩耶は首を傾げながら、質問を重ねる。

「その逆さ。昨晩この建物の周囲は、ライブのチケットが手に入らなかったアマテラスのファンが大勢たむろしていたんだ。外階段の上り口の周りは特にね」

「チケットがないのに?」

「そう。ライブ会場に出入りするメンバーが見られるんじゃないかって。いわゆる『出入り待ち』ってやつ」

「ああ、そういうこと」

「昨晩は彼らにも足止めをして事情聴取を行ったんだけど、午後七時から八時の間、階段を上り下りした者を誰一人として目撃していないんだ」

 ここまでの島崎の説明で、摩耶はようやくこの事件の不可能状況が理解できた。

 犯行推定時刻は午後七時から八時までの間。その間ライブ会場にいたライブ関係者と観客には、犯行現場の控え室へ行き来することは絶対に不可能だった。

 犯人は当然外部からやってきた人物で、建物の外に設置された階段を使って二階へ行き来しているはずだ。ところが、階段の上り口付近にいたアマテラスのファンたちは、階段を上り下りした者を見ていないと全員が証言している……。

 犯人は一体どのように、衆人環視の中を誰の目にも触れることなく控え室へ行き来し、塔岡侑理を殺害することできたのか。扉に鍵は掛かっていなかったが、確かにこれは密室殺人事件である。

「そろそろステージの方も見に行くかい?」

 犯行現場は間違いなくこの控え室である。

 ライブ会場へ行ったところで、新たな発見があるとは思えない。だが、この正木摩耶なら警察も見落としているような意外な手掛かりから、密室の謎を解き明かすかもしれない。島崎は彼女に期待していた。

「ええ、お願いします」

 摩耶が答えると、二人は控え室を後にした。


 控え室を出た島崎と摩耶は、来た時の通路を進み、階段への出入り口を素通りして先へ向かった。

 やがて右手側にもうひとつの扉が現れる。

「ここは機材置き場の出入り口だ」

 摩耶に訊かれるのを見越して島崎が説明する。

「中にはドラムセットやらキーボードなどが収納されている。通常はステージ上にセッティングされてるらしいんだけど、昨晩のライブでは使用しないことから、この中に移動したそうだ」

「ああ、夕べは生演奏ではなく、カラオケを流したんですね」

 島崎の説明に、摩耶は相槌を打つ。

「規模の小さいライブハウスだからね。ステージもそれほど広くない。アイドルのライブだとダンスのスペースも必要だから、大きな機材が置けないんだろう。――この扉は普段から施錠しているそうだ」

 島崎はドアノブを回し、扉が開かないことを確認すると、

「本来はこの扉でも機材置き場を通ってステージへ行けるんだけど、今は中の機材が扉の向こう側を塞いでいるから、鍵が開いてたとしても行き来はできないだろうね」

 続けて補足を加えた。

 二人が控え室と隣の機材置場の外側をぐるりと回り込む形で通路を進むと、やがて正面にもうひとつの扉が現れる。ステージへ出る扉だ。「開演中はお静かに」と張り紙がしてある。

 そのまま扉を開き、ステージ袖の薄暗いスペースを横切ると、ステージ上に出た。

「おお島崎、やっと戻ってきたか」

 客席スペースから声が掛けられる。その場にいた数人の捜査員の視線が一斉にステージに集まる。

 岩美茂いわみしげる警部、年齢四十歳。島崎の上司で、今回の事件で捜査の指揮を執っている。

 恰幅のいい体格とやや強面こわもてのためか、周りからは誤解されがちだが、実際はかなりの紳士である。
 彼はステージの方へ歩いてくると、

「摩耶くんも悪いね。急に呼び出したりして」

 摩耶にも声を掛ける。岩美も摩耶とは顔なじみであり、彼女の活躍には一目置いている。

「え、ええ。島崎さんに、半ば強引に連れてこられちゃいました」

 横目で島崎に視線を送る摩耶。

「ああ、仕事中だったのか」

 岩美は摩耶のメイド服姿を一瞥して苦笑する。

「それで、話はどこまで聞いたのかな」

 摩耶と島崎を交互に見ながら、岩美が訊く。

「事件の概要は大体把握しました」

「結構。ほかに何か聞きたいことはあるかい?」

 岩美が続けて尋ねと、

「ああ、事件関係者の詳細と、その供述内容についてはこれからです」

 島崎が割って入った。

「ん、そうか。それじゃあ俺も参加させてもらうよ。現状判明していることの再確認も兼ねてね。摩耶くんは気になることがあったら、都度質問してくれて構わない」

 岩美は二人を客席スペース隅に寄せられたテーブルへ移動させ、パイプ椅子を薦めた。


「まずは被害者の塔岡侑理について」

 島崎は捜査資料をめくりながら切り出した。

「言わずと知れた、事件当夜ここでライブを行ったアイドルグループ・アマテラスのプロデューサー兼マネージャーです。昨晩ここにいた各関係者との間柄については、特に不審なところはありません。グループのメンバーたちとの関係も良好だったそうです」

「方向性の違いだとか、ギャラで揉めたりすることも全くなかった?」

 岩美が質問を挟む。

「はい。塔岡はダンスレッスンやボイストレーニングでは、高いレベルを求めるなど厳しい一面もあったそうですが、それ以外ではメンバーの面倒見がよかったとのことです。また、アマテラスを踏み台にして他方面へ進むことにも寛容で、不満を漏らす声はほとんどなかったと、各メンバーとも声を揃えて答えています。ただ……」

「ただ、何だ?」

「これは彼女のアイドル時代からの悪い話ですが、昔から男関係はかなり派手で、現在もそういった話は後を絶たないようです」

「昔から、なんですか?」

 摩耶が口を挟む。彼女も最近の塔岡のスキャンダルはたまに耳にしていたが、昔のことは初耳だった。塔岡が現役アイドルだったのは十年以上前、摩耶がまだ小学校低学年のころだ。

「うん。当時から『スキャンダルは利用するもの』って持論があったらしくて、名を売るためにかなり無茶をしてたらしいんだ」

「へえー。今どきのアイドルじゃ考えられないですね。グループによっては恋愛禁止なんてところもあるって聞くし」

 と、摩耶は目を丸くする。

「当時、一番マスコミを騒がせたのはやはり友木明広ともきあきひろとの不倫騒ぎだろうね」

「ああ、それなら俺も覚えてるよ。大人気俳優だったからな。そうか、あの時の不倫相手が塔岡侑理か」

 岩美が話に加わる。

「それってどんな話なんですか?」

 摩耶は身を乗り出す。

「え? こんな話に興味があるのかい? まあいいか」

 当時の記憶を辿りながら、島崎が語った塔岡のスキャンダルは次のような内容だ。

 約十年前、当時二十四歳で人気絶頂にいた塔岡侑理は、出演したドラマで共演した、大人気だった男性俳優の友木明広との熱愛騒動で、マスコミの格好の標的になっていた。

 友木明広は当時三十五歳で、一般人女性とすでに結婚しており、八歳の娘を持つ一児の父親でもあった。

「理想の夫」「理想の父親」のクリーンなイメージで、幅広い年齢層の女性ファンからの支持を得ていた友木ではあったが、塔岡との不倫騒ぎが引き金となり一気にイメージダウン、人気は急降下した。

 その後、芸能界一のおしどり夫婦と言われていた友木夫妻は離婚し、やがて友木も俳優業を引退、その後の行方は分からずじまいとなった。

 その直後、塔岡は所属アイドルグループからの卒業の際、友木とのスキャンダル騒ぎは噂に過ぎないと全面否定する。当然、塔岡自身、一時は売名行為とのバッシングを受けたが、『イメージ戦略』『利用できるものはなんでも利用する』との強気な発言が、意外にも新たなファンを生み、支持を得ることになった。

「――そんなことがあったんですね」

 島崎の語る、塔岡の過去をひと通り聞いた摩耶は、深いため息をついた。

「以降の塔岡侑理の活躍は君も知るとおりだ」

 摩耶が頷くと、島崎は

「メンバーに、アマテラスを踏み台に利用することを容認すると言っていたのも、彼女自身がそうしてのし上がってきたから、グループの活動に経験を活かしてたんだろうね」

 と続けた。

「つまり――以前から敵も多かったということだ。我々も夕べここにいた者以外の、外部からの侵入者による犯行の可能性が高いと見て、塔岡の身辺を徹底的に洗っているところだ」

 腕を組んで聞き入っていた岩美が言葉を引き継ぐ。

「――続けます」

 岩美の反応を伺いながら、島崎は報告を再開する。

「次にアマテラスのメンバーですね。彼女らには完全なアリバイがあるわけですが、各人に話を聞いたところ、それぞれに動機らしいものはありました」

「塔岡との関係は良好ではなかったのか?」

 岩美が訊く。

「殺したくなるほど、というレベルではないような些細なことですが」

「まあ、他人から見たら些細な事でも、当人にとっては大問題という場合もあるだろうしな。続けてくれ」

「はい。まず辻本涼香ですが、リーダーという役割もあり、塔岡からは特に厳しくされていて、本人はそれをかなり重荷に感じていたそうです。他のメンバーからの印象では、それだけ期待されているからだ、とのことですが」

「ふむ」

 岩美が相槌を打つ。

「次にセンターポジション、グループの中心を務める美月姫華です。彼女は現在の地下アイドルという状況に不満を感じていたそうです」

「はい」

 摩耶が挙手して発言を求める。

「どうぞ」

「さっきの話だと、塔岡さんは日頃からメンバーにアマテラスを踏み台にしろって言ってたんですよね? 現状に不満があるなら、昔の塔岡さんのようにグループを利用すればいいんだから、美月さんの場合は殺害の動機と呼べるほどではないと思います。単なる愚痴というか、そのレベルじゃないかと」

「言われてみればそうだね。夢は大女優とも言っていたそうだし、彼女にとってはアマテラスは夢に向かう足掛かりの第一歩ってわけか」

 後頭部を掻きながら島崎が答える。

「そんな女優の卵にとっては、芸能界に強い影響力を持つ今の塔岡は、むしろ一番死んで欲しくない存在だろうな」

 と、岩美。

「――ですね」

 島崎の返事に併せ、摩耶も頷く。

「他のメンバーはどうなんだ?」

 岩美が先を促す。

「続いて若山菜々美です。のんびり屋の彼女は運動がやや苦手らしく、ダンスに苦戦しているそうです。振り付けがなかなか覚えられないとか、ステージでもミスをすることが多く、塔岡からは頻繁に強く叱られていたのだとか」

 実際に事を起こすかどうかはさて置き、動機としては十分にあり得るだろう。そう摩耶は思った。

「次に芹沢玲央奈。ボーイッシュなイメージを売りにしている彼女ですが、実際には可愛いものが大好きといった、かなりの少女趣味なんだそうです。ところが塔岡からはイメージ優先ってことで、女の子っぽいものを身に付けることを禁じられているとかで、不満を漏らしていたそうです」

「へえー」

 意外な事実に、摩耶は思わず声が出た。ファンの間でもあまり知られていないのではないだろうか。

「最後に最年少の武部風佳。十五歳の現役中学生なので、昨晩のライブも八時以降はステージを降りる予定だったそうです」

「ああそうか、労働基準法か」

 岩美が割り込む。

「はい。彼女は幼少期から塔岡のファンで、それが講じてアマテラスに加入したそうです。ですが、他メンバーの話によると単なるファンとか憧れの存在を通り越して、その、何というか」

 島崎が言葉を濁すと、

「ひょっとして、恋愛対象として見ていた?」

 と摩耶が続ける。

「そう。塔岡に対しては、『恋する乙女』のような目で見ていたそうだよ。ちょっと理解に苦しむけどね」

「そうでもないんですよ? そのくらいの歳の女の子って、異性よりも同性に惹かれたりすることもあります」

「君にも経験があるのかい?」

「うーん、はっきりと覚えてないですけど、中学生のころ憧れの女子の先輩がいて、今思い返すと、あれってやっぱり恋だったのかも」

「ううん!」

 話が脱線しかけたところで、岩美警部の咳払いが割って入った。

「続きは後回しにしたまえ」

「失礼しました」

 島崎が頭を下げる。摩耶もばつが悪そうにうつむいた。

「で、武部は塔岡に対し憧れ以上の感情を抱いていたわけですが、うーん、この場合も殺人の動機とは言えないか」

「分からんぞ。可愛さ余って憎さ百倍ということだってある」

 岩美が言うと、

「それに、もし塔岡さんの派手な男性関係を知ったとしたら、何ていうか裏切られたように思うんじゃないでしょうか」

 摩耶が続ける。

「なるほど。適切かどうかは分からないが、いわゆる痴情のもつれってやつか」

 岩美はそう言うと、天井に目を向けた。

「あれ?」

 摩耶が声を上げると、

「さっき武部さんが最後って言ってましたけど、アマテラスって今は六人メンバーのはずですよ? もう一人は?」

 島崎に問いかける。

「ああ、小森未夢か。彼女は最近加入したばかりの新メンバーで、他のメンバーもまだ彼女のことはよく知らないそうだ。夕べのライブは体調不良とのことで欠席している。現場にいなかったから、まだ事情聴取も行っていないんだ」

 そう言うと、島崎は腕時計を覗いて時間を確認する。

「もうそろそろだな」

 島崎は独り言のように呟く。

「小森未夢には、話を聞くためここに来るよう連絡してもらっている。警察署に呼び出すよりはいいだろうと思ってね」
 続けて岩美が摩耶に向かって言う。確かに、いきなり警察署に呼び出されたら、答えられるものも答えられないかもしれない。

「摩耶くんも直接話しを聞いてみるといい」

 岩美が言うと、島崎は続けて昨晩のライブスタッフを務めた、ライブハウス従業員への事情聴取の記録を報告した。だが、摩耶にとってはこれといった、気になる点はなかった。


 事件に関する情報共有をひと通り終え、摩耶・島崎・岩美の三人はペットボトルのお茶などを飲みながら、ひと息ついていた。

 するとその時、客席奥の扉が開き、制服警官と、ひとりの少女が入ってきた。

「警部、小森未夢さんをお連れしました」

 警官はそう言うと、続けて少女に「こちらへ」と、三人の元へ誘導する。

 摩耶は少女を観察する。

 私服姿でノーメイクの彼女は、顔立ちの整ったかなりの美人だ。背が高く手足も細くて長い。これがモデル体型というやつか。アマテラスにはいなかったタイプだ。

 未夢は摩耶と同じ十八歳。摩耶は完全に気圧けおされていた。

「わたし、少し離れて話を伺ってます」

 摩耶は隣の島崎に小声で耳打ちした。

「ん? そうかい?」

「こんな格好ですから、小森さん怪しんでますよ」

 何でメイドがここに? と言いたげな未夢の訝しむ視線が痛かった。

 摩耶は席を外すと、数歩下がってステージ脇の壁際に立った。両手は体の前で揃えている。まるでこのライブハウスの専属メイドのようである。

「ご足労いただき感謝します。私、本件の捜査主任を務めます、万世橋署の岩美と申します。こちらは捜査員の島崎です」

 岩美警部と島崎巡査長は、それぞれ身分証を提示した。

「こちらにお掛けください」

 続けて岩美は小森に椅子を薦めた。
 未夢は小さく会釈すると、パイプ椅子に腰を下ろした。

 そういえば彼女は全く言葉を発していない。無口なタイプの娘なのだろうか。見た目の印象と違うことから、摩耶は意外に思った。

「事件についてはすでにお聞きになっていると思います。昨晩のことや、被害者の塔岡侑理さんについて、いくつかお話を伺いたいと思います」

 親子ほどの年齢差があるにも関わらず、岩美は丁寧な口調で語りかける。彼の強面に少なからず怯えていたであろう未夢の顔から、緊張の色が消えた。

「分かりました。わたしがお話できることであれば、何でも答えます」

 未夢はよく通る声で答えた。反面、その表情は憔悴しきっていた。事件のことが相当ショックだったのだろう。

「ご協力感謝します。では、まずは塔岡さんについてですが――」

 小森未夢への、事件関係者に関する質疑応答はわずか十分程度で終了した。グループに加入してまだ間もない彼女は、被害者の塔岡を始め、他メンバーについても語れることはほとんどなく、事件の手掛かりに繋がりそうな情報を引き出すことは出来なかった。当然の結果と言えた。

「――続いて昨晩のあなたの行動についてお尋ねします。あなたは昨晩のライブを欠席したそうですね。差し支えなければ理由を話してもらえますか? 体調不良とのことですが、それはどのような?」

 岩美と交代し、今度は島崎が尋ねた。
 未夢はうつむくと、

「……昨日はその、女の子の日で」

 と恥ずかしそうに答えた。

 差し支え大ありである。島崎のデリカシーのなさに、摩耶はいきどおりを覚えていた。

「あ、なるほど。大変失礼しました」

 島崎は頭を掻きながら謝罪すると、質問を続けた。

「では昨晩は自宅にいたということですね?」

「はい」

「それを証明できる人や、物はありますか?」

「いえ。わたし、実家を出て独り暮らししてますので」

「そうですか……」

 島崎は手にしたボールペンをテーブルに転がす。

「あの、これはどうですか?」

 未夢は身に着けたパーカーのポケットからスマートフォンを取り出すと、手早く操作した後、画面を島崎に向けた。

「SNSなんですけど、夕べライブのあった時間にアマテラスメンバーとしてのアカウントから、ファンの皆さんに向けていろいろと投稿してたんです」

「拝見させてもらいます」

 スマートフォンを受け取ると、島崎は横の岩美と共に画面を確認した。

「わたしが家にいたという証拠にはならないと思いますが、少なくても夕べわたしが塔岡さんと会ったりはしてなかったという根拠にはならないでしょうか?」

 未夢が釈明すると、

「残念ですが、これではアリバイとしては認められないですね。あなた自身の操作によって投稿された物とは限らない」

 島崎はスマートフォンを返しながら冷たく言い放つ。

「そうですよね……。刑事さん、わたしは疑われてるんでしょうか?」

 未夢は島崎にすがるように訴えかける。

「ああ、いえ、これはあくまでも形式的なものでして。あなただけを特別に疑っているわけではありません」

 今度は岩美が口を開き、未夢をたしなめる。

 上手い言い回しだ。「あなたを全く疑っていないわけではない」というニュアンスを十分に含んでいる。事件の関係者である以上、彼女もやはり容疑者のひとりである。

「お話は以上です。ひとまずはお帰りになって結構です」

 岩美はそう言うと、出入り口付近に待機していた制服警官に目配せで合図を送る。

「捜査の状況によっては、またお話を伺うことになるかも知れません。その時はまたご協力をお願いします」

 岩美の言葉に相槌を打った未夢は席を立つと、再びペコリと会釈して出口に向かった。先ほどの制服警官は階下まで随伴するのだろう、彼は出入り口の扉を開いて未夢を通した。

 それにしても――
 未夢を目で追う摩耶は思う。彼女は一挙手一投足が絵になる。背が高くスタイルがいいから? 手足が長いから? いやそれだけではない。彼女の醸し出す、一種のオーラのようなものが、そうさせているのだと感じる。彼女こそ正にスターになるべくして生まれた逸材なのだろう。

 それはそうと、未夢は夕べ自宅からSNSの投稿をしていたと語っていた。

 摩耶は制服のポケットから自分のスマートフォンを取り出すと、アプリを開いて確認を試みた。

 ハッシュタグ「#アマテラスアイドル」で検索すると、数多くの呟きが表示された。

 画面をスクロールさせ、昨晩七時から八時頃の投稿を探す。あった。

 本人の供述どおり、ユーザー名「【アマテラス】小森未夢【本人だよ】」で多くの投稿をしていた。

『今日のライブ、参加できなくてゴメンナサイ 19:36』

『ライブは今ごろ盛り上がってるんだろーなー 19:38』

『次のライブから本気だす 19:41』

 などを始め、絵文字のみのものなど、小まめに呟いていた。いずれも多くのいいね、リツイートがされ、彼女を気遣うファンがリプライを付けていた。

 摩耶は更にタイムラインを遡る。すると、午後七時のライブ開演の直前の時間帯で、気になる呟きが目に入った。ひとりのアマテラスファンによるものだ。

『ボレロ前で入り待ち中 関係者用の階段をひとり上ってった 背が高いからミムちゃんだったりして 18:45』

 昨晩このビルの周囲にいたという、チケットを入手しそこねたファンだろう。階段の上り口近くにいたらしい。

 その呟きにはいくつかのリプライが付いていた。

『それ見間違い 今日はミムちゃん欠席だよ 18:46』

『公式垢見てないのかよ 18:47』

 それらに対し呟きの投稿主は、

『勘違いかも 男のようにも見えたからスタッフだったかもしれない 18:49』

 と、更に返信している。

「摩耶くん、何を真剣に見てるんだい?」

 島崎が声を掛ける。摩耶はSNSで未夢の投稿を確認していることを告げた。

「これを見てください」

 続けて摩耶は、気になる呟きを見せた。

「これは!」

「外階段からの侵入者かも知れません。目撃者がいました」

「やはりそうか」

 島崎は捜査資料をめくる。ライブハウス従業員の供述を記録した箇所を開くと、供述内容の時間と照らし合わせる。

「やっぱりだ。午後六時四十五分といえばライブ開演の目前だ。こんな時間に外出していたスタッフはひとりもいない」

「この人物が、塔岡さんと控え室で落ち合う約束をしていた、そして恐らく塔岡さんを殺した犯人――」

「まず間違いないだろうね。警部、これを見てください」

 島崎は岩美を呼び、状況を説明した。

「なるほど。一歩前進だな」

 岩美が満足そうに頷く。

「ここで一度、ライブ開演前後の出来事を整理しましょう」

 島崎が提案すると、

「うん。頼むよ」

 岩美が同意する。

「各人の供述をまとめると、午後六時四十分、控え室のアマテラスメンバーはスタッフに呼び出され、ステージ袖に向かいます。四十五分には塔岡を除くメンバー全員がステージ袖に集まりました」

「塔岡は同行しなかったのか?」

「携帯電話に着信があったとのことで、メンバーに少し遅れて行くと言って、控え室に留まったそうです」

「ふむ」

「続けます。その後、五分後の六時五十分、塔岡がステージ袖に現れ、メンバーとスタッフの関係者全員と最終的な確認作業を行い、七時ちょうどにライブ開始、というのが表向きの流れでした」

「ところがその裏では……」

「はい、ここからは推測になりますが。塔岡が控え室に留まったのは外からやってくる人物と会うためでした。そしてその人物は約束の時間どおり、六時四十五分にやってきた。この時点で控え室は塔岡以外に誰もいません。彼女はその人物を建物の中へ招き入れた」

 島崎は一旦言葉を切る。内容に疑問がないか、摩耶を一瞥するが、彼女が何も言わないことを確かめると、話を続けた。

「その人物を控え室に残すと、塔岡はステージ袖に向かう。そしてライブが開始されると、控え室に引き返した。その後その人物とどういったやり取りがあったのかは不明ですが、恐らく揉めることとなり、塔岡はその人物に殺害された」

「うん。今のところ矛盾はないな」

 岩美が相槌を打つ。

「問題なのはその後ですよね」

 島崎の話に耳を傾けていた摩耶が口を開く。

「その人物はその後、どうやってこの建物から出ていったのか。ライブ開始以降の時間帯のSNSのタイムラインも確認してみましたが、やはり外階段を下りてきた者を見たという呟きは全くありません」

「不可能状況は変わらずか」

 岩美は天を仰いだ。

「どう出ていったのかは一旦さて置くとして、その、外からやってきた人物って何者なんでしょう」

 摩耶が誰ともなく尋ねる。

「目撃者の呟きだと『男のようにも見えた』と、かなり曖昧だね」

 スマートフォンのSNSアプリの画面を見ながら島崎が答える。

「外階段は外灯が申し訳ていどのものだし、隣のビルとの間の狭いスペースにあることもあって、夜は薄暗いんだ。外見についての証言はあまり当てにならないだろうね」

「仮に犯人が男性だったとして」

 摩耶が意見を口にする。

「ぱっと思い付くのは、さっき話に出た不倫騒ぎの俳優さんですよね」

「友木明広か!」

 岩美は目を見開く。

「確かに、彼には塔岡を殺す動機は十分過ぎるほどある。不倫騒動がきっかけで俳優業は引退、プライベートでは離婚に追い込まれ、塔岡に人生を潰されたのも同然だからな」

「友木がその後どうなったのか不明ですが、行方を調べる必要がありますね」

 島崎が言うと、

「捜査本部に連絡して、友木の所在の確認と、任意で引っ張ってくるよう手配してくれ」

 岩美は檄を飛ばした。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

校長室のソファの染みを知っていますか?

フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。 しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。 座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る

JKがいつもしていること

フルーツパフェ
大衆娯楽
平凡な女子高生達の日常を描く日常の叙事詩。 挿絵から御察しの通り、それ以外、言いようがありません。

短編小説集 つまらないものですが。

全力系団子
ミステリー
短編小説をあげます! 笑えるものやゾットするものなど色々あります。

めぐるめく日常 ~環琉くんと環琉ちゃん~

健野屋文乃
ミステリー
始めて、日常系ミステリー書いて見ました。 ぼくの名前は『環琉』と書いて『めぐる』と読む。 彼女の名前も『環琉』と書いて『めぐる』と読む。 そして、2人を包むようなもなかちゃんの、日常系ミステリー きっと癒し系(⁎˃ᴗ˂⁎)

密室島の輪舞曲

葉羽
ミステリー
夏休み、天才高校生の神藤葉羽は幼なじみの望月彩由美とともに、離島にある古い洋館「月影館」を訪れる。その洋館で連続して起きる不可解な密室殺人事件。被害者たちは、内側から完全に施錠された部屋で首吊り死体として発見される。しかし、葉羽は死体の状況に違和感を覚えていた。 洋館には、著名な実業家や学者たち12名が宿泊しており、彼らは謎めいた「月影会」というグループに所属していた。彼らの間で次々と起こる密室殺人。不可解な現象と怪奇的な出来事が重なり、洋館は恐怖の渦に包まれていく。

特殊捜査官・天城宿禰の事件簿~乙女の告発

斑鳩陽菜
ミステリー
 K県警捜査一課特殊捜査室――、そこにたった一人だけ特殊捜査官の肩書をもつ男、天城宿禰が在籍している。  遺留品や現場にある物が残留思念を読み取り、犯人を導くという。  そんな県警管轄内で、美術評論家が何者かに殺害された。  遺体の周りには、大量のガラス片が飛散。  臨場した天城は、さっそく残留思念を読み取るのだが――。

声の響く洋館

葉羽
ミステリー
神藤葉羽と望月彩由美は、友人の失踪をきっかけに不気味な洋館を訪れる。そこで彼らは、過去の住人たちの声を聞き、その悲劇に導かれる。失踪した友人たちの影を追い、葉羽と彩由美は声の正体を探りながら、過去の未練に囚われた人々の思いを解放するための儀式を行うことを決意する。 彼らは古びた日記を手掛かりに、恐れや不安を乗り越えながら、解放の儀式を成功させる。過去の住人たちが解放される中で、葉羽と彩由美は自らの成長を実感し、新たな未来へと歩み出す。物語は、過去の悲劇を乗り越え、希望に満ちた未来を切り開く二人の姿を描く。

虚構の密室

山瀬滝吉
ミステリー
『虚構の密室』――最先端のAI技術と人間の心の闇が交錯するサスペンス・ミステリー。 ある静かな夜、閑静な住宅街にひっそりと佇む一軒家で、孤独な老婦人が何者かに命を奪われた。施錠されたドア、内側から閉じられた窓、そして争った形跡も見当たらない完璧な「密室」。まるで幽霊の仕業のように、不気味な静寂が漂うその家で起こったこの事件は、不可解な「密室殺人」として町に瞬く間に恐怖をもたらす。 警察はすぐに捜査を開始するも、犯行の手がかりは皆無。周囲の住民にも全員アリバイがあり、犯人に繋がる糸口は何一つ見つからない。事件は早々に行き詰まり、捜査班は閉塞感と無力感に包まれていた。そんな中、名探偵・黒岩がこの事件の調査を依頼される。過去に数々の難事件を解決してきた黒岩だが、この密室の謎は、彼が今までに直面したどの事件よりも厄介で、異質な雰囲気を醸し出していた。直感で感じる何か「不自然」なもの――それが黒岩の推理魂に火を灯し、調査を開始させた。 黒岩は、被害者の生活をつぶさに調べ、周囲の住民に話を聞きながら、事件の真相に迫ろうとする。やがて、防犯カメラの映像に映る住人たちの動きに微かな「違和感」を覚える。映像に映る住民たちのぎこちない動作、不自然な挙動…そして、彼らの目にはどこか虚ろな光が浮かんでいるようにさえ見えた。その映像に疑念を抱いた黒岩は、ITエンジニアの協力を得て、最新の技術を駆使しながら映像の真偽を徹底的に解析する。 やがて明らかになる真実――それは、AIを使って犯行時刻の映像が「偽装」されていたという衝撃の事実だった。まるでその場にいないかのように見せかけられた住人たちの動きは、すべてAIが巧妙に創り出した虚像だったのだ。犯人は高度な技術力を駆使し、誰もが完璧だと信じて疑わなかった「密室」を創り出していた。 さらに黒岩は、犯人がAIを使ってなぜここまで精巧なトリックを仕掛けたのか、その背後にある動機に迫る。被害者の過去に潜む悲劇的な出来事、絶縁された息子との確執、そして封印された家族の記憶――それらが複雑に絡み合い、犯人の心に深い闇を宿らせていた。黒岩はその心理に踏み込むことで、事件の真実にたどり着こうとするが、犯人もまた黒岩の動きを先読みし、さらなるトリックで対抗してくる。 虚構と現実が入り交じる心理戦の果てに、黒岩は真犯人と対峙することとなる。AIが生み出す偽りの映像と、剥き出しの人間の感情がぶつかり合うこの対決の先には、一体どのような結末が待っているのか?そして、犯人が最後まで隠し通そうとした「真の動機」とは――。

処理中です...