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1章-追放冒険者
4.暗転
しおりを挟む草木の生い茂る場所から飛び出す少年の姿を盗賊たちはしっかりと捉えた。
距離にしておおよそ40メートル。
この視界の悪い森の中で離れた少年の姿を捉えることができるのは盗賊たちが普段から森の中で生活しているからだろう。
「あ、あいつです!お頭!!」
ゼストは得たりと逃げる少年の後ろ姿を見つけるなり大声で叫んだ。
ゼストは心で小さく安堵した。
どれだけ弁明をしようが、盲目の少年を見つけることが出来なければ悪い立場になる事は火を見るよりも明らかだったからだ。
しかし、盗賊の頭目は失態を犯したゼストを安心などさせようとはしなかった。
「あいつか。者共!追え!!!」
「「「へい!!」」」
「ゼスト。お前は待て!」
追いかける体制に入っていたゼストはお頭にほんの少しだけ不満げに眼を向けた。
ガキを捕まえれば失態を挽回出来るのだ。ガキは一人しかいない。お頭と話していて誰かに捕まえられでもすれば自分の手柄が無くなってしまうからだ。
「ゼスト!お前にはしっかり罰を与えなければならねぇ!」
「は、はい」
(それは今言うべき事なのか?)
ゼスト自身が大なり小なり罰を受ける事はわかっていたがそれは今言うべきことではない。罰なんてガキを捕まえてから言えばいいことなのだから。
これではまるで、もうすでに罰が決まっているようではないか。
「お前の罰はガキを捕まえることだ!」
「??」
いよいよ言っている意味が理解できなくなった。
(お頭は有能だが、たまに感情的になったり意味がわからない事を言うことがある。これもいつもの謎の考えだろう)
だが、これが罰ならばゼストにとって楽以外の何者でもない。いつも失態した者が与えられる罰に比べれば天と地ほどの差があるのだから。
ゼストは心の中でニヤリと笑みが浮かべた。だが、それは顔には出さず、緊張した面持ちを頭目に向ける。
「それ、だけですか?」
「ああ、お前がガキを捕まえてくる事が罰だ」
「ならば今すぐにでも!」
「ただし!!お前以外の仲間がガキを捕まえたら、お前もガキと一緒にさよならだ」
お頭はグシャリと歪な笑みを浮かべ、ゼストに近づき、肩を優しくとたたく。
体から血の気が引いていくのを感じ、数瞬経つと意味のわからない汗がゼストの身体中から大量に吹き出した。
先ほどまで喜色を浮かべていた心はあっという間に絶望の青色へと染まる。
努めて作り上げた緊張の表情は心の底からの緊張へと変化した。
その極々微妙な変化に気づいているのか頭目は更に笑みを深める。
「一つ教えといてやろう。今回の依頼主が欲しがっているのは実験台だ。奴隷でもなんでもない。体をカッ捌ければ眼が見えなくても見えていてもどうでもいい。差し出すモンが一人増えようが依頼主は喜んでお前を貰うだろうな」
喜色を帯びた声で耳元に囁かれる。
与えられる罰は楽なものでもなんでも無かった。
絶望するゼストに更に続けるように耳元で囁かれた。
「それとなぁ、ゼスト。ルマリアが誰の女か忘れたわけじゃねぇよな」
だんだんと囁かれる声色から喜色が抜けて重く鋭く怒気が孕まれていく。
「お前はさっきいっちゃあいけねぇことをいった!ぶっ殺してやる!!!
っといいてぇところだがお前がガキを見つければお前がルマリアを馬鹿にした事は水に流してやる。さっさと行ってこいグズ!!!」
お頭の手が肩から離れるとゼストはカタカタと震える足に鞭を打ち狂ったように森へ走っていった。
「まぁ、お前がガキを逃した失態は許さねぇがな」
鬼気迫るゼストの後ろ姿を眺めながら、頭目はまるで宴の酒に期待するかのように醜く笑っていた。
***
「ハァッ…!ハァッ…!!」
どうして…!!どうしてこんな…!!
スイはひたすらに足を動かしていた。
後ろの方から叫び声と草木をかき分けて走る複数の音が聞こえる。
幸いにして逃げるタイミングが良かったのか自分の存在はバレたものの姿を隠す事はできた。
だが、見つかるのも時間の問題だろう。
片や盲目で何かの拍子に転ぶかもわからぬ人間。片や森を走りなれた複数の人間。
すぐに決着が着くことは誰が見ても明らかだった。
スイはそれでも足を動かした。
恩人に裏切られた。
その現実から目を背けるようにただひたすらに足を動かした。
走った結果、何にもぶつからずに開けた空間にたどり着いた。
水辺だろう。
地面は土から砂利に変わり、川の流れる音が聴こえる。
そこからスイは川を下るように川に沿って走った。
ボロボロの靴底から感じる石の感触が痛い。
だがその痛みを無視して走った。
捕まれば死ぬ。
生きる道は川を下り、森を抜けて、人里に降りる事。
森を抜けた所で人里へ出るとは限らない。
メルドラから出た事がないスイは半ば無意識のまま川を下っていた。
しかし、それも長くは続かなかった。
「おいぃぃ、クソガキィ…!どこに向かってるんだぁ?」
背後から知った声が突然に響いた。
「…ッ!!」
気づくことが出来なかった。
横に流れる川の音に人の足音が消されていたのだ。
「なんとか、言えやぁクソガキがぁ!!」
「ガハッ!!」
どこか狂気を孕んだゼストの蹴りがスイの背中にズシリとした重く、鋭い痛みが走る。
体のどこかの骨がミシリと音を立てて肺にあった空気が全て抜けた。
地に倒れこんだスイは痛みで顔を歪め、悔しさで砂利を握りしめる。
(クソっ!なんて自分勝手なんだっ!
どうして僕はこんな目に会わなければいけない!!)
(何も出来ないからと仲間に捨てられたっ!!)
(それからは周りは皆、自分を『ゴミ』と呼ぶ…!!)
(やり直すチャンスを得たと思った…!!)
ギリギリと歯をくいしばると口の中は血の味がした。
「どう…して…!どうして!どうして!!どうしてなんだ!!」
倒れていた体を無理やり起こし、脳が悲鳴をあげ痛みを訴えるがそれを無視して手に持っていた短剣を振り抜き、声の主であるゼストに向かい刺突する。
「あぁ?何がだクソガキィ…あまり大声で叫ぶんじゃ…ねぇよ!…見つかっちまったらどうすんだぁぁ?」
「グァアッ!!」
繰り出された刺突は軽々と避けられ、空を切ると、次は脇腹に猛烈な蹴りをくらう。
ドシャリとその場で倒れこむ。悲鳴ををあげていた骨は完全に折れ、手に持っていた短剣はどこかへ吹き飛ばされてしまった。
スイは大きな恐怖心に支配されていた。
自分を殺すことができるもの。その圧倒的武力が今ここに存在しているのだとかろうじて働いている頭が認識した。
短剣を向けた相手に今度は足がすくんで立てなくなる。
川の音はいつのまにか聞こえなくなり、自分の心臓の音が鳴り響いていた。
「殺してぇ…てめぇのお陰で俺はいい恥さらしだ!手足をズタズタにした後にゴブリンの餌にしてやりてぇ…」
御者はそうブツブツと吐きながら、川辺に転がって震えるスイの手首を掴む。
「元を辿ればルマリアのクソアマだ。あいつがこの俺にこんな仕事を頼まなければ…クソっ!」
吐き捨てられる悪態をスイを引きずりながら漏らす。
「…ルマリア…さん…」
思い浮かぶ姿は元気に挨拶をする姿だった。
役立たずとして追放され、『ゴミ』と周りから呼ばれるスイにまともに話してくれる人間はミルドラの街でルマリアさんだけだった。
話を聞いてくれて、棘のない声で返してくれる。
たったそれだけの事でもスイにとって涙が出るほど嬉しい事だった。
ギルファス達がいなくなって正気を保っていられたのもルマリアさんがいたからだ。
だからだ。
だからスイはルマリアさんの言ったことに従った。
その結果が今の自分だった。
役立たずはどこまで言っても役立たずである。
人を信じたからこうなったのだ。
人を信じれば、信じるほど裏切られた時、心に大きな穴が開く。
(僕は…今まで何故、生きることを望んだのだろう。
信じた人に捨てられてなお、足を動かしたのだろう)
ゼストに乱雑に引きづられ朦朧とする意識の中で考える。
わからない。
何故生きようとしたのかわからない。
最初はギルファスだった。
(記憶も、眼も、何もない僕を拾ってくれたギルファスのために生きようとした)
ギルファスに捨てられたスイはこの一年何のために生きてきたのか。
答えは虚無だった。
生きる目的など何もない。ただの空っぽ。
ギルファス達を見返したいだとか復讐したいなんて気持ちも持ち合わせていない。
彼らは生き方を教えてくれた恩人だから。記憶のない僕に何から何まで教えてくれたのは彼らだ。感謝こそすれ、恨む気持ちなど持ち得ない。
(だから僕は何も考えず、ただ生きた)
スイの心に感情はなかった。
『ゴミ』と呼ばれようとも蔑まれようとも悔しさも絶望も感じずにいられた。
しかし、そんな虚無の空間にルマリアという温もりが現れた。
ルマリアのおかげでやり直そうと思えるようになった。
しかし今。
『ゴミ』以下に扱われるこの今こそが現実。
非常なまでの真実であった。
(もう、良いだろう)
何もかもを失って無様に生きる必要は無いのだから。
引きずられる足の感覚はもう無くなっている。
(もうこの意識も手放してしまっても良いだろう。
そちらの方が楽だ)
どうせこれから死ぬのだから。
(…死ぬのだから。)
(…死ぬの、だから。)
(…死ぬ……だか…ら)
(死ぬ??)
(…死に……)
(…死に…ない)
(…死にたくない)
(死にたくない)
(死にたくない!!死にたくない!!!死にたくない!!!!)
「ハァッ…ハァッ…ハァッ…ハァッ…!!!」
スイの体は急激に熱くなり心臓は鳴動する。
無くなっていたはずの足の痛みも戻り始める。
(熱い。痛い)
「死にたくない!死にたくない!!死にたくない!!!」
「うぁ!なんだ急に!クソガキ!黙れ!」
突如、息を吹き返したようにスイの体がジタバタと動き始める。
それはまるで幼児の駄々のようにも見える。
しかし駄々をこねているのは幼児ではなく青年とも言える歳の男。
奇々、狂気、鬼気全て当てはまるスイの暴走だった。
ゼストは突然喚き暴れ出したスイの手を掴んだまま、膝を腹に入れる。
「ゔぁっ!!死にだぐない!!死にだぐない!!!」
「クソッ!なんだこいつ!!」
何かの糸が切れたように醜く暴れるスイを見て、思わず手を離してしまう。
盗賊ならば発狂した人間なんて見慣れている筈だ。
だがゼストは暴れるスイに言いやれない不気味さを感じていた。
無秩序にガクガクと揺れ動く頭からあるはずのない視線を感じていた。
両目は大きな傷によって確かに閉じられている。
自分の何もかもがその閉じられている眼に見透かされているような感覚に陥った。
殺さなければ。
ゼストの本能は警戒音とともにそう告げていた。
「チッ…武器も何も持っていないゴミクズのクソガキに何を警戒してんだ俺は…フゥーー」
ゼストは力を抜く。
ゴミのような姿で正気を失って暴れるスイの姿を見ながらも努めて落ち着こうと会えて息を深く吐いた。
ゼストは何度か深呼吸をして体に入っていた余計な力を抜く。
「ハッ…!!」
ガタガタと暴れるスイの隙をついて腹に蹴りを入れる。
しっかりと蹴りが入り、簡単に吹っ飛ばされるスイ。
川の砂利を巻き込みながらズザーッと滑っていく。
ゼストから繰り出されたのは普通の人間ならば、意識ごと命も刈り取るだろう一撃だった。
スイの吹き飛ぶ姿を見て、しまったと頭を抑えて慌てる。
先ほどの警戒で力が完全に抜け切れていなかったのか手加減したよりも強い力で蹴りを入れてしまったからだ。
もしスイを殺してしまえば自分が依頼の実験台にされてしまう。
本気で焦りを覚えたゼストは慌ててスイの元へ駆け寄る。
だが、ゼストはスイの姿を見て先ほど慌てていたのを忘れるほど驚愕した。
「ゔぁぁああああアアアア!!死にだぐナイ!!死ニダぐナイ!!!!」
生きているどころか気すら失っていない。
もしかしたらダメージも受けていないのではと思わせるほどに立ち上がり動いていた。
手加減していたとはいえ、ボロボロの少年を一撃で殺してしまいかねない蹴りを完璧に腹に入れたはずだった。
気づけばゼストの体が震えていた。
畏怖とも言える感情が身体中を支配する。先ほど頭目に感じていた恐怖や絶望よりも更に深く大きな感情。
もっと根源的な何か。人ではない違うナニカ。
自分が対峙しているモノからそれを感じ取ってしまった。
「な、なんなんだよ!おまえぇ!!」
ゼストは捕まえるという事を忘れて、スイに飛びかかり、押し倒す。
暴れるスイの体に無理矢理またがり、スイの首をきつく絞めた。
殺すのだ。殺さなければならい。
「ゔぁぁああ!ヴァァアアアア!ビビバブバババババ!!!」
「死ねッ!!しねぇぇぇ!!」
「ゔぁぁああ…!ゔぉぉぉ…ゔ……」
「死ね!!死ね!!」
「……」
しばらくしてからスイが動かなくなっている事にと気付かずに首を絞め続けた。
「フゥッ…フゥッ…!!」
短く裏返ったような奇妙な息を上げながらようやくスイの首を離す。
動かなくなったスイを見やり、凝り固まった筋肉を一気に弛緩させる。
数秒置いて正気に戻ると、自分のしでかしてしまったことに気づき顔を青くした。
「ハァ…ハァ…殺しちまった!!やべぇ…お頭に殺される!!」
ここから逃げなければならない。
この死体も川へ流さなきゃならない。
ゼストは今まで使ってこなかった脳みそをフル回転させた。
何秒間か思考した後、動かなくなったスイをとにかく川へ捨てることにした。
(死体は見つからない方がいい)
そう思い、スイの手首を先ほどのように掴み川まで引きづる。
ズザザッ
足と砂利が擦れる音が響いた。
ザザッ
ジャブジャブ
しっかりと川に流れるように川の一番深いところに向かう。
深いと言っても腰ほどの高さだが。
ちゃんと流れるように。
そんな事を祈りながらゼストはスイの手首を離した。
はずだった。
「…な、なんだ!?」
思わず自分の手を見る。
しっかりと自分の手がスイの手首を握っていない事を確認する。
しかし、死んだはずのスイの手はゼストの手首をガッチリと掴んでいた。
「ヒィィィッ!!」
慌てて手首を揺らすが硬く掴まれた手は離れようとしない。
むしろどんどんと強く硬く握られている気さえする。
いや、気のせいではない。次第に強くなってきている。
「あがぁっ!!」
握られた手首は遂に痛みを訴えるほどになった。
慌てて反対側の手を使い外そうとすると反対側の手首も掴まれてしまう。
ゼストの両の手首がゆっくりと万力のように握りしめられていく。
「クソッ!!クソッ!!!離せ!!クソ!!!!!」
身をよじろうにも川の流れでうまくいかず、蹴りをしようにも水の抵抗でうまく決まらなかった。
次第に手首の骨はビキリと音を立てていく。
「ああっ!あぁ!!」
ビキビキと骨が軋む音が自分の耳からでも聞こえる。
そして
バギィ!!
「ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああぁ!!!!!!!!!!!」
天が裂けるほどの叫び声があがった。
両の腕はスイの手によって完全に砕けた。
最早、再生は不可能、今や手と腕をつないでいるのは手首ではなく、皮だった。
しかし、スイの手はゼストの手首を離すことはない。
ゼストは歯を強く噛みしめると右足を川の流れに従い横になっているスイの肩にかける。
そして一気に
「ゔんんんんんんんんんぁぁあああああああ!!」
脚にありったけの力を込めてスイの肩を押す。
するとスイはゼストの体から離れて川の流れに従い流されていった。
ゼストはおもむろに川に流され行くスイの姿を見た。
「ッ…!!」
そこにはいたのだ。
ゼストの両の手首を握りしめながらゼストの顔を覗き見る紺碧色の眼をした化け物が。
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