明鏡の惑い

赤津龍之介

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第十八章 森の葉隠れ

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 ステージの雛壇に並んで課題曲を歌う二年生たちを見て、音楽の棚橋晶子先生は不審のあまり充血した目を瞠った。指揮者を見ながらピアノに合わせて合唱する二年生たちは、みんなして手を後ろで組んでいた。「なぜだろう? 歌うときには両手は体側にと指導してきたではないか。あの子たちも私の見ているところでは、そういう姿勢で歌ってきたではないか。それをなぜ今こんな姿勢に変えたのだろう? まるで後ろ手に何かを隠し持ってでもいるようではないか。いったい何を隠している? あの子たちはいったい何を企んでいる?」と棚橋先生は、採点のために演奏を聴きながら訝りを禁じ得なかった。それにしても課題曲の演奏は見事であった。声量の豊かさとアンサンブルの正確さ、そして歌詞の的確な表現は文句のつけようがなかった。あの子たちは合唱がこんなにうまかっただろうか? 今学期に入ってから、歌うことへの関心の持ち方が明らかに変わった。いったい何があったのだろう?――棚橋先生が訝るうちに演奏が終わると指揮者が指揮台を降り、伴奏者が椅子から立ち上がって聴衆に一礼した。「続きまして自由曲は、石倉小三郎訳詞・シューマン作曲〈流浪の民〉」と棚橋先生のアナウンスが響くなか、入れ違いにペトラがピアノの前に立ち、留夏子が指揮台の横に立って聴衆に一礼した。ペトラが椅子に座って鍵盤の上に両手を構えるあいだ、留夏子はふわりと指揮台に飛び乗っていた。留夏子が両手を胸よりやや高い位置に構えると、しんとした静けさが体育館を満たした。
 アウフタクトに始まる二音からなる前奏をペトラが提示するあいだ、留夏子の手はほとんど動いているとは見えなかった。指先だけをわずかに動かし、クレッシェンドとアクセントをやや鋭く大きな動きで強調しただけであった。しかし、

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と合唱のソプラノとアルトが入り、

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と合唱のテノールが加わるところでは、留夏子は左右の腕を静かに波打たせながら的確に指示を出した。ピアノも合唱も抑制された弱音であった。三十人に満たない一群の生徒たちは、さながら暗く静かにざわめく森であった。「ぶなの樹の枝が生い茂る森の陰で、かすかに身動きする音や囁き声が聞こえる」という原詩の大意をみんなは掴んでいたので、クレッシェンドでもそれほど賑やかにすることはなかった。歌われる訳詞を額面通り信じないという態度を、二年生たちは完全に身に着けていた。

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と合唱のバスも加わり、ついに四声部が出揃うところではまた緊張感豊かな弱音に戻った。松明の炎が妖しく揺らめく様をイメージして歌った四声部は、

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で以前よりも大きくクレッシェンドした。「着飾った人々の姿と木の葉と岩石のまわりで、炎が揺らめき灯りがちらつく」という原詩の大意をみんなは知っていた。かすかに身動きして囁く者たちの姿が、いよいよ照らし出される。この人々を見よ――そんなクレッシェンドを留夏子は両腕を波打たせて盛り上げた。果たしてその直後には、

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と詩の主題がフォルテのユニゾンで提示された。伴奏を弾くペトラは、「それは動きゆくロマたちの群れだ」という原詩の運動的なニュアンスを汲み取って、ツインテールの髪を踊らせながら、オクターヴの上行が特徴的な動機に巧みなアクセントをつけた。クレッシェンドして開放的な不完全終止を示した音楽は、

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で再び囁くような弱音に戻って完全終止した(「その目はきらめき、その髪は波打っている」というのが原詩の大意である)。その強弱の対比の鮮やかなこと! いつだったか悠太郎は、「プロの演奏家とアマチュアの演奏家を分けるものはいろいろあるでしょうが、デュナーミクの幅広さもそのひとつだと言われています。強弱は極端なほどつけたほうがいいでしょう」と助言したことがあった。今それが留夏子に指揮された一群の生徒たちによって実行され、見事な演奏となって鳴り響いていることに悠太郎は満足していた。

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では、音符こそ流浪の民が示される箇所の繰り返しながら、クレッシェンドはもっと息の長いものであったから、オクターヴの上行が特徴的な動機に巧みなアクセントをつけるペトラは、いくらか上半身を反らせて弾いた。「聖なるナイル河の流れを飲んで育ち」という原詩の大意に相応しい、滔々たる流れが見えるようであった。

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では、音楽は目がきらめき髪が波打つ箇所の繰り返しとて、再び囁くような弱音に戻って完全終止した。「南国スペインの灼熱によって日焼けした」という原詩の大意は、訳詞にはほとんど活かされていなかったが、それでも頭韻のように繰り返されるkの子音は強調して発音され、ぴたりと揃って聴く者の耳に残った。次はいよいよ炎の描写であった。

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と始まる合唱のテノールをなぞる伴奏が、火の粉の爆ぜるようなスタッカートで弾むうちに、

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と合唱のアルトがその旋律を模倣するあいだ、伴奏もまたその模倣をなぞるので右手と左手の掛け合いになり(ここはペトラが練習でいちばん苦労した箇所であった。留夏子は「とにかくまずは片手ずつよ。それからゆっくりと合わせる。真壁もそうやってバッハのインヴェンションを練習していた」とペトラに助言していた)、合唱のソプラノがそこへまた、

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と模倣風に重なるので、まさしく渦巻いて燃え上がる炎が聴く者の目に見えるようであった。

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と合唱のテノールが歌うと、

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と合唱のアルトがそれを模倣し、

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と合唱のソプラノがそこへまた模倣風に重なるので、火勢はいよいよ盛んになって伴奏のスタッカートは火の粉と散った。「いや増す緑のなかに燃え上がる炎を囲んで、荒々しく精悍な男たちが座を占める」という原詩の大意に相応しい、ぎらつくような生命力が見事に表現された。流れるように波打つ両腕で不思議な図形を描きながら、留夏子は指揮者として最初の難関を乗り切ったわけであった。

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と合唱の四声部が、模倣風から打って変わって声を合わせるあいだ、伴奏の左手には爆ぜる火の粉の動機が執拗に繰り返され、

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と合唱がフォルテにまでクレッシェンドするあいだにも火の粉はいよいよ盛んに爆ぜ、伴奏ではアウフタクトに始まる二音からなる律動と爆ぜる火の粉の動機が、ついにふたつながら代わる代わる奏でられるのである。「そこに女たちはうずくまり食事の支度をし、いそいそと古びた杯に酒を満たす」という原詩の大意の通り、今やまさに宴は始まろうとしているのである。ペトラが少しだけテンポを落として、二音の律動と爆ぜる火の粉の動機というふたつの素材の並存を強調すると、合唱がフォルティシモのハ長調で、

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と歌い出したが、それは冒頭からこれまで続いてきた長・短・短のリズムをそのままに、ちょうど二倍の音価に拡大した音楽であった。これまでとは時間の流れが変わるのである。ペトラの左手には爆ぜる火の粉の動機がまた出て、

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と合唱は続いた。「円居まどいでは伝説や歌が響き渡る、色とりどりに花咲くスペインの庭のように」というのが原詩の大意であるから、流浪の民は好き勝手に騒いでいたわけではないことをみんなは知っていた。さればこそ合唱の響きは整然として厳かであった。フォルティシモながら、厳粛なものに耳を傾ける注意力さえ表現されていた。

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で合唱はヘ長調の弱音になり、伴奏は右手が休みになって、オクターブで進行する左手はしかし相変わらず爆ぜる火の粉の動機で合の手を入れ、

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の半ばで合唱がリタルダンドを始める頃には、また右手にも和音が戻ってきた。「災厄を祓う魔法の呪文を、老婆が耳を傾ける人々の群れに告げている」という原詩の大意の通り、みんなは耳を傾ける人の群れになったつもりで、老婆の呪文に聴き入るように緊張感を保ちながらデクレッシェンドした。このあたりの「伝説」とか「魔法の呪文」といった言葉を、多くの中学校二年生たちは好んだ。
 フェルマータのついた休符の沈黙を破って、伴奏のペトラが弾むような間奏を鳴らし始めると(それは流浪の民が示されるところに出た、オクターヴの上行が特徴的な動機の変形であったから、ペトラはまたも巧みなアクセントをつけて弾いた)、留夏子は両腕をだらりと垂らして指揮をやめてしまったので、それだけでも聴衆は何事かと怪しんだ。しかしもっと人々を驚かせたのは、竹渕智也がタンバリンを、真霜譲治がトライアングルを、それぞれ取り出したことであった。体の後ろで組んでいると見せかけていた手に、そんな打楽器が隠し持たれていたことを知った棚橋先生は、驚愕のあまり充血した目を剥いた。密輸も同然にステージ上に持ち込まれた打楽器は、ただ持ち込まれたばかりでなく実際鳴らされてもいた。鳴らされるために持ち込まれたのである以上、持ち込まれた楽器が鳴らされるのは当然といえば当然であったが、思いがけない奇策に動転した棚橋先生には、その当然のことが分からなくなっていた。棚橋先生はむくんだ顔を、二年生の担任である埴谷高志先生のほうへ向けると、充血した目で探るように埴谷先生のモアイのような顔を見た。埴谷先生も離れた両目に驚きの色を浮かべていたが、棚橋先生の視線を感じると「俺は知らねえよ」とばかり眉を上げながら肩をすくめてみせた。二年生の生徒たちが打楽器を教室のロッカーで密かに保管し、本番前の朝にはステージ袖のボール籠に隠しておいたことを、教師たちは誰も知らなかった。「してやられた! 騙し討ちだ! 出し抜かれた! 中学生ごときに、音楽教師であるこの私が出し抜かれた! してやられた! してやられた! してやられた!……」と棚橋先生は悔しがったが、その結果として鳴り響いている音楽の痛いような美しさは、やはり認めないわけにはゆかなかった。
 ト長調の踊るようなペトラの間奏に合わせて、一拍めにトライアングルが単発で打たれると、その裏拍からタンバリンが八分音符で二度叩かれ、それが一小節半続いた後でタンバリンは鈴のように振り鳴らされ、トライアングルはロール奏法で非常ベルのように響いた。すると両腕をだらりと垂らして静止していた留夏子が、スカートの裾をふわりと翻し、ポニーテールをぴょこりと弾ませながら素早く半回転して聴衆のほうを向くと、

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と凛々たる声でソプラノ独唱を響かせた。打楽器の出現に次いで、指揮者が独唱者に変身するという意外性の連続に、体育館を埋める聴衆はざわついた。だが悠太郎は驚きはしなかった。あるとき留夏子は悠太郎に、「どうしよう。ソプラノ独唱だけは希望者がいなくて決まらないの。きっとほかのパートの独唱よりも出番が多いからね」と相談していた。悠太郎はしばし考えた上で、「それならば留夏子さんが歌ってしまえばいいではありませんか」と答えた。「私が? でも指揮はどうするの?」と留夏子は問うたが、「独唱と合唱が同時に動く部分はどこにもありません。テンポの維持は、ペトラさんだけで可能だと思います」と悠太郎は答え、バッハの受難曲を歌いながら指揮するテノール歌手もいるという話を付け加えた。「へえ、歌い振りっていうのね。面白そう。ちょっと怖いけど、こうなったらやるしかないわね」と留夏子はその話に乗った。高いソの音まで楽々と駆け上がりながら、少しも歌詞が聞き取りづらくならない留夏子の独唱は、そうしたわけで披露されたのである。ちなみにこの箇所の原詩の大意は、「黒い目の乙女たちが踊りを始める」というもので、ドイツ語の乙女は複数形であることが留夏子と悠太郎の興味を引いていた。「複数の乙女たちが踊り出す場面を、ソプラノの独唱で歌わせるなんて、シューマンも無茶をするわね。日本語の訳詞しか知らなかったら、誰だって単独の乙女が踊り出したと思うじゃない」というのが留夏子の感想であったが、聴衆のなかでそんなことを知るのは悠太郎ばかりであった。ひとまず歌い終えても留夏子は、なお聴衆のほうを向いていた。
 踊るようなペトラの間奏は、ソプラノの独唱を導いたときよりも五度低いハ長調を示し、その一拍めでトライアングルが打たれると裏拍でタンバリンが叩かれ、二拍めでトライアングルが打たれるとまた裏拍でタンバリンが叩かれ、それが一小節半続いた後でタンバリンが鈴のように振り鳴らされ、トライアングルがロール奏法で非常ベルのように響くと、

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とエルフのような尖り耳の石井尚美が、やや湿っぽい声でアルトの独唱を響かせた。「赤く輝いて松明たいまつは火の粉を散らす」という原詩の大意に照らせば、その声はいくらか陰湿ではあったものの、音程や声量については特に問題はなかった。
 ペトラが奏でる踊るような間奏がやや暗い翳りを帯び、十六分音符の三連符も出ていっそう踊り狂ってゆくあいだ、タンバリンは疾駆する馬の蹄のようなリズムを刻んで叩かれ、トライアングルは緩急自在に単発打ちを繰り出し、それが一小節半続いた後でタンバリンが鈴のように振り鳴らされ、トライアングルがロール奏法で非常ベルのように響くと、

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とタンバリン叩きのブチ公こと竹渕智也が、よく響く歌声でテノールの独唱を聞かせた。「ギターが熱く誘い、シンバルが響き渡る」という原詩の大意を知って、エレキギターを好んで弾く智也は熱くなっていたのである。
 ペトラが奏でる間奏がまた翳りを帯び、テノールの独唱を導いたときよりも四度低く踊り狂うあいだ、タンバリンがもうひたすら鈴のように振り鳴らされ、トライアングルがもうひたすらロール奏法で鳴り続けて祝祭の盛り上がりを示すと、

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とトライアングル打ちのマッシモ・ジョルジョが、どすの利いた大声でバスの独唱を響かせた。オクターヴの跳躍を、ジョルジョはクレッシェンドしながら思い切りずり上げた。それはけっして上品な表現ではなかったが、「荒々しく、いっそう荒々しく輪舞のもつれ合うことよ」という原詩の大意に照らせば適切な表現であった。「こうすりゃいっそうワイルドじゃねえか」と考えたジョルジョが、その表現を工夫したのである。
 ジョルジョの図太い歌声が響いているうちに、もう留夏子は美しい乙女の舞い姿のように、右腕をすらりと横に伸ばしていた。その腕が伸びた方向は悠太郎から見れば左側であったが、それが留夏子の右腕であることは悠太郎にはすぐに分かった。セーラー服の白い袖に包まれたその腕が、しなやかに波打ちながら虚空に不思議な図形を描きつつ、背後にいる合唱のソプラノとアルトから、

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と気怠そうにリタルダンドする歌声を導き出す様に、悠太郎は何やら艶めかしいものを感じた。その腕は入江紀之の腕を悠太郎に思い出させもした。「それからみんなは夜の踊りに疲れて憩う」という原詩の大意に相応しく、崩れるようにテンポを落としたその歌声に応じて、

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と合唱のテノールとバスが同じくリタルダンドするあいだも、しなやかに波打つ留夏子の右腕はテンポの変化を的確にコントロールしていた。「橅の樹々がざわめいてみんなを眠り込ませる」という原詩の大意に相応しく、合唱はまたもやざわめく森のように静かであった。
 すると留夏子は伴奏のペトラと一瞬目を見交わすや、伸ばしていた右腕を折り曲げて胸に右手を当て、伴奏と息を合わせ冒頭のテンポに戻って、

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と凛々たる声で再びのソプラノ独唱を響かせた。「陽光降り注ぐふるさとを追放された者たちは、夢のなかに幸せの国を見る」という原詩の大意の通り、その歌声とピアノ伴奏は寄る辺なく追われゆく者の悲哀をよく表していた。その独唱も終わらないうちに再びすらりと伸ばされた留夏子の右腕が波打つと、背後の合唱の四声部がもう一度、

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と繰り返した。「楽土」という言葉を際立たせるかのように、その時点から急激なリタルダンドでテンポを落とすことを留夏子は命じていた。「真壁、流浪の民が眠りに就くところだけど、リタルダンドの始まりを一拍早めたいの。どう思う?」と留夏子が言っていたのは、まさにこの箇所のことであった。流浪の民が落ちる眠りの深さは、このようにして表現された。マッシモ・ジョルジョがもう一度トライアングルを、単発打ちで仏壇のおりんのように鳴り響かせた。
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