明鏡の惑い

赤津龍之介

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第十七章 燃ゆる火

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 家に帰った悠太郎は、早速ブックレットの歌詞対訳を見ながら、改めてドイツ語で歌われる〈流浪の民〉を繰り返し聴いては、可能な限り独和辞典を引いて歌詞の意味を確かめていった。留夏子が疑問に思っていた「ニイル」というのは、ナイル河のことであると判明した。この流浪の民がエジプト起源の民族と考えられていたという話が思い出され、ナイル河の名が挙がっていることに得心が行った。そしてどうやら南国とはスペインであるらしかった。それでは流浪の民がこうして野営しているのは、いったいどこなのだろう? 少なくとも南国スペインとは対照をなす、北方的な風土と考えてよかった。それは森の国ドイツであろうか。ぶながそれほど北方的な樹木といえるかどうか――。悠太郎は本棚にある『国民百科事典』で、ロマ民族のことを調べたついでに橅の樹についても調べてみた。どうやらスペインにまったくない樹木ではないらしかった。橅の樹だけで北方的な風土を表現しようとした詩人ガイベルの意図は、あまり成功しているとも思えなかった。それでもやはりエジプトに起源を持ち、スペインを追われて北方の国を流浪する民族というストーリーが、詩人の念頭にあったと想定してよさそうであった。
 古びつつあった東芝ルポを悠太郎は取り出した。黒くてずっしりと重たい機体のワープロは、悠太郎に最後の貢献をしようとしていた。これまで調べてきたことを、悠太郎は一目瞭然の形にまとめようと考えた。二年生たちが実際に歌うことになる文語訳の歌詞、その口語訳、ドイツ語の歌詞、片仮名によるその発音、そしてドイツ語の歌詞の日本語訳という五行を連ねて悠太郎は入力していった。文語の歌詞を口語訳するのには、秀子が昔使っていた古語辞典が役に立った。悠太郎は五行入力すると、一行空けてまた五行入力した。両手を使うタイピングにはいつしか慣れていた。そしてワープロは昔の通り、時々不気味な感情を悠太郎の胸に呼び起こすことがあった。不可能なコマンドを入力してしまったとき、「位置不適当。取消キーを押してください」とか「組み合わせ不適当。取消キーを押してください」とかエラーメッセージが表示されるたび、なぜか悠太郎は樹々の葉叢がざわざわと鳴るしんとした静けさのなかで、昔の通り死の恐怖を思った。しかしこのときは、大切な人の役に立てることから来る喜びのほうが強かった。さすがに疲れる作業だったので、入力を終わらせるのに二日かかった。作業中のデータはフロッピーディスクに保存された。そのフロッピーディスクは学習机の引き出しに入れられた。インクリボンで普通紙にひと通りプリントアウトした悠太郎は、なお不備を確認するために、もう一日それを引き出しに寝かせた。そうこうするうちにも、おロク婆さんがいつかくれた白い紙には、手書きの譜例とともに大まかな楽曲分析が記された。それはタヌキ先生から借りた『最新名曲解説全集』に書いてあったことを、より詳細に跡づける試みであった。シューマンがいかに限定された素材を用いて作曲したかを悠太郎は見抜いていた。冒頭の律動が第一の素材であり、燃え上がる炎のところに出てくる上行音階が第二の素材であった。それらがいかに反復され、拡大され、混合されるかを悠太郎は書き連ねた。完全終止と不完全終止の対比にも注意が促された。転調についても言及されたが、とりわけソプラノ、アルト、テノール、バスの独唱が次々と現れる箇所における転調の巧みさについては詳述された。曲を締め括るアルペジオは、ホ短調の主音を最低音としない転回形であるため、寄る辺ない不安感を残すことが指摘された。「ユウちゃんは絵を描くのが好きか? それとも字を書くのが好きか? まあそんなことはどっちでもええ。どっちでもええし、どっちもええ。ユウちゃん、紙が足りなくなったらね、このロク婆に言うんだよ。あたしはうんと内職をして、紙を集めておくからね」というおロク婆さんの活力ある弁舌が思い出された。「この紙に音符を書くことになるとはな。いつかおロク婆さんが言った通りになった」と悠太郎は思った。アナリーゼを記した紙のほうは原本のほかに、留夏子とペトラのために一部ずつ、コンビニエンスストアでコピーを取った。歌詞のほうは三部プリントアウトした。ペトラさんの分のカセットテープを忘れていたことに思い当たり、同じものをもうひとつ作った。差し当たり提供できるだけのものは、これで揃ったわけであった。
 七月も終わろうとするある日の昼過ぎ、部活動の練習を終えた三人は、またぞろ音楽室で密談した。今度はピアノの椅子にペトラが座り、留夏子と悠太郎もその近くに寄せた椅子に座っていた。留夏子とペトラは悠太郎が提出した書類に目を通していた。悠太郎もまた自分で書いたものながら、そうしてふたりが読んでいるあいだ、やはりそれに目を通していた。やがていち早く読み終えたらしい留夏子は深々と息をつくと、吸音板が貼られた波型の天井を仰いだ。「まさかこれほどのものが……。真壁、あなたに相談すれば、何事か得るところはあるだろうと思っていた。でもまさかこれほどの成果を、これだけの短期間で出してくるとは考えもしなかった。何とお礼を言っていいか……。ありがとう真壁、本当にありがとう」と留夏子は感謝を表明し、少なからぬ無理をしたのであろう悠太郎を気遣った。
 「トライアングルとタンバリンなんて面白そうじゃない。この学校にあるかな?」とペトラが言うので、悠太郎は「探しましょう」と応じ、三人は合唱のパート練習のときに使う音楽準備室へ入っていった。黒板が設置された壁の真後ろに、そういう細長いスペースがあった。留夏子が戸棚のひとつを開けると、そこには古ぼけたタンバリンと錆びたトライアングルがあった。「長らく使われていなかったのかな」とペトラが言った。「吹奏楽部があるわけではなし、タンバリンもトライアングルも、中学生の器楽にとって必須の楽器ではないのでしょう」と悠太郎は応じ、「ここに置いたままにすれば、本番当日までに処分されてしまわないとも限りません。今のうちに確保しておくべきでしょう」と提案した。「盗み出せというの?」と留夏子が驚いて言った。「別の場所で保管するだけです。おふたりのロッカーにでも隠しておけばいいでしょう」と悠太郎は答え、それからタンバリンを様々なリズムで叩いたり鈴のように振ったり、トライアングルを単発で打ったりロール奏法で鳴らしたりした。ロール奏法というのは、トライアングルの内側の角でビーターを往復させて高速連打する鳴らし方で、悠太郎はレコードで聴いたブラームスの交響曲第四番の第三楽章からこの奏法を知っていた。再びもとの席に戻った三人は、打楽器をどこで鳴らすべきかについて相談した。「任意というからには、シューマンがどこでどう鳴らせと楽譜に書き込んだわけではないのでしょう。それは演奏者に任せられています。最初からは鳴らさないほうがいいでしょう。曲が盛り上がって賑やかになるあたりで加わるのがいいでしょう」と悠太郎が意見を述べると、「やっぱりそうよね。だとすると、このあたり?」と留夏子が例の書類にワープロ打ちされた歌詞を指さした。ペトラと悠太郎は指し示された箇所をのぞき込んで頷いた。「マッカベさんのおかげで、面白くなってきたね。二学期が始まったら、早速打楽器とも合わせましょう」とペトラがはしゃいで言った。しかし悠太郎は「いや、それは早計だと思います」と制止した。「合唱コンクールにタンバリンやトライアングルを持ち込むことは、棚橋先生が認めないでしょう。事は秘密裏に遂行する必要があります。棚橋先生にも埴谷先生にも知られないように練習を進め、本番のステージに楽器を持ち込むのです。事前に知られてしまえば禁止されることでも、実際に本番で鳴らしてしまえば、それはもはや既成事実です。誰にもそれを撤回することはできません。秘密が漏れないようにするためにも、打楽器は練習の最終段階で初めて加えるべきでしょう。あまり早くから合わせれば、鳴り物に頼る心が皆さんのなかに生じる恐れがあります。歌詞の意味が完全に理解され、アンサンブルが充分に調ったところへ、最後の仕上げとして鳴り物を加えるべきでしょう」
 「よくもまあ知恵が回ること。ここまで来ると恐ろしいよ。あんたが味方でよかった」とペトラは感心して、また悠太郎がコピーしてきた『最新名曲解説全集』のページに目をやった。「それにしても明治四十年か。古いよね。歴史でいうといつ頃? 日露戦争の頃?」とペトラが言うと、すかさず留夏子が「日露戦争は明治三十七八年戦役だから、それが終わった頃ね」と答えた。それを聞いた悠太郎は、つまり増田ケンポウ社長が生まれた頃かと内心で思いながら、「明治といえば、いろいろと調べる過程で面白いことを知りました。石倉小三郎によるこの訳詞が作られる以前には、〈流浪の民〉は〈薩摩潟〉という題で歌われていたそうです。安政の大獄で追われる身となった月照という僧侶が、西郷隆盛と一緒に海に身を投げるという歌だったそうです」と話し、シューマンのメロディーに乗せて西郷入水の情景を歌ってみせた。「〈薩摩潟〉? 何それ! あっはっは! おかしい」とペトラは笑いこけ、「もともとの歌詞とは全然関係ないじゃない。ほんのこて、ひどかごわんどな」とおどけた。留夏子はしかしこれらの話をすべて心に納め、静かに思いをめぐらしていたが、ややあって「そうとばかりも言えないわ」と応じた。「この詩に歌われたロマの人たちは、南国スペインに住んでいたけれど、その故郷を追放されたのよね?」と留夏子が問うたので、悠太郎はそのように読めると答えた。verbanntというドイツ語には明らかに追放されたというニュアンスがあるし、各地でロマの追放令が出されたという歴史もあるらしい、おまえたちをここには置いておかないという支配者の強い意志によって、ロマたちは流浪を余儀なくされているのだとも悠太郎は付け加えた。すると留夏子は「そこなのよ、共通するのは」と応じ、「幕末の日本において、西郷や月照は徳川幕府から弾圧されていたわけでしょう? ヨーロッパにおけるロマ民族も、支配者によって迫害されていたわけでしょう? 権力によって追い詰められる人々、体制のなかに安住を許されない人々という意味では、両者は共通すると考えられないかしら? 〈薩摩潟〉は案外でたらめな翻案ではなかったのかもしれない」と意見を述べた。この卓見には悠太郎も物問いたげな目を瞠らざるを得なかったし、さっきまで笑いこけていたペトラも驚いて神妙な顔をした。「さすがは留夏子さんです。私などはそこまで考えてもみませんでした」と悠太郎が言えば、「そりゃ普通は考えないよ。ルカが天才すぎるんだよ。あんたたちは、ふたりともすごいな。それぞれにすごい。あんたたちと一緒にいると、あたしなんかまるっきり馬鹿みたいじゃない」とペトラも感嘆した。「追われる者の苦しみ。居場所もなく行き場もない人々の悲しみ――。きっとそれは普遍的な感情なのね。あともう少しで、何か大切なものに考えが届きそうな気がする。現代の私たちが、この場所でこの曲を歌うことの意味に、もう少しで手が届きそうな予感がする」と留夏子は言いながら、ワープロ打ちの歌詞を見つめて切れ長の目を細めた。「また何か気がついたことがあったらお伝えします。お留守のあいだはペトラさんに。合唱のほうはこれでスタートラインに立てたわけですから、ひとまずは憂いを忘れてモンタナの大自然を満喫なさってください。旅のご無事を祈ります」と悠太郎は言った。そのとき留夏子は驚きに打たれた。リヴィングストン行きを前にした留夏子を、悠太郎が気遣ったことは明らかであった。
 浅間山を南西に望むこの町は、アメリカ合衆国モンタナ州のリヴィングストンと姉妹都市提携を結んでいた。リヴィングストンの中学生はこの町を訪れ、この町の中学生もリヴィングストンを訪れるという交換ホームステイが実施されていた。留夏子もまたイエローストーン川沿いにある、西部開拓時代の街並みを残すリヴィングストンへ赴いて、見聞を広めようというのであった。出発に先立ち、留夏子はリヴィングストンの歴史や周辺の環境について能う限り調べた。英語で書かれたパンフレットにも目を通した。からりと晴れ上がった青空の下で、草原や森林はどんなにか広々としているだろう。夏の日射しを浴びて、イエローストーン川やパインクリークの滝はどんなにか眩しく光っているだろう。イエローストーン国立公園では、ヘラジカやバイソンやハヤブサに会えるだろうか。色鮮やかな野生の花々は、どんな香りがするだろうか。ハックルベリーの実は、どんな味がするだろうか――。母の陽奈子先生が弾くピアノの音を聞きながら、留夏子は切れ長の目を閉じてそうしたことに思いを馳せた。しかし明るい映像を翳らせるひとつの思念があった。目を通し得た限りの資料から詳しく知ることはできなかったが、それでも白人に追われたアメリカ先住民がいたのだと思うと留夏子の心は痛んだ。
 八月の初めに留夏子が旅立った後のある日も、悠太郎とペトラは防球フェンスで体育館を分け合って、午前中をそれぞれの部の練習に費やした。バレーボール部のペトラは、顧問のタヌキ先生が眼光も鋭く指導するなか、猫のように跳躍して伸びたり縮んだりした。卓球部の悠太郎は、顧問のユタカちゃんが離れた両目で見守るなか、背中を丸めて芹沢カイとせわしく球を打ち合った。カイはシェイクハンドのラケットを使って縦横にカットを繰り出した。悠太郎はペンハンドのラケットを使っていたが、その扱いには不器用さが目立った。スマッシュで打たれたオレンジ色の卓球ボールは、時々勢い余ってバレーボール部の領分にまで飛んでいった。そんなときそのボールを卓球部の領分にまで届けに来てくれるのは、ペトラであったり黒目がちな金谷涼子であったり、生まれたばかりの怪獣のようにのっしのっしと歩く岡崎冬美であったりした。
 そんな部活動が終わって帰宅の途に就くとき、悠太郎はのんびりしたペトラの声に呼びとめられた。ふたりはそれぞれ押していた自転車を停めると、バスを待つ人のための屋根つきベンチに並んで座り、白いヘルメットを脱いだ。ベンチの屋根を抱くようにして立っている桜の樹の葉叢が、涼やかな風の歌をうたっていた。目の前の国道は光に照らされて眩しかった。時々は自動車が右から左へ、また左から右へと、車体に太陽を反射しながら走り過ぎた。「あれからピアノ伴奏を練習してるんだけど、マッカベさんのアナリーゼは参考になるよ」とペトラは口を切り、「これまではどんな楽譜を見ても、ただ音の連なりがあるとしか思えなかった。書いてある通りの音を出せば、それでいいんだと思っていた。でも音符の意味や面白さを少しでも理解した上で弾くと、鳴る音が全然違うね。ここは不完全終止でここは完全終止だとか、ここのト長調は主調であるホ短調の平行調だとか、意味が分かれば弾いていて楽しいし、暗譜だってしやすい。なんだかのっぺらぼうに目鼻がついたみたいだよ。楽譜のアナリーゼって、のっぺらぼうに目鼻をつけることなんだね」と続けた。「それは言葉と似ています」と悠太郎は答えた。「国語の教科書を音読するのでも、書いてある言葉の意味を理解しないでただ音読するのと、意味を理解して音読するのとでは、まるで違うでしょう。そして理解の深さはおのずと表現の深さになります。それは音楽も同じです」
 路傍で笹叢が風にさらさらと鳴っていた。冬を越したクマザサの葉は縁を白く隈取られ、若い葉はしかし鮮やかな緑に輝いて、清しい風に逆らうかのようであった。まだ冬を知らないクマザサの葉のようなふたりは、その音をしばし黙って聞いていた。「ルカのこと本当にありがとう。あいつが憂いなくアメリカへ行けるように、あんたは仕事を急いでくれたんだよね」とやがてペトラは言った。「なるべく急いだほうがいいと考えたのはたしかです」と悠太郎は答え、「二学期が始まってからでは手遅れになると思いました。練習が始まる前に、詩と音楽の全体像が、指揮者と伴奏者によってはっきりと掴まれていなければなりません。あれだけの難曲ですから、解釈上の迷いは最小限に抑える必要があります。だから夏休みのうちにはと思いました。しかしよく考えてみれば、留夏子さんはモンタナ行きを控えていました。ならばいっそ、その前にある程度までは進めようと思いました」と続けた。「おかげであいつは今頃、英語力を磨くことに専心できているんでしょうね。奇跡の学力にますます磨きがかかるのは、ちょっと恐ろしい気がする」とペトラは言った。
 「私は留夏子さんがモンタナの大自然のなかで、つらい現実から束の間でも解放されてほしいと思います」と悠太郎は応じ、途切れ途切れに語った。「よきにつけ悪しきにつけ、あの人は重荷を背負いすぎています。あの人の家庭は、やはりちょっと普通じゃありません。お父さんとのことや祖父母とのことは、いろいろ聞いてもいれば実際目にしてもいます。そんななかでお母さんである陽奈子先生からの影響を直に受けて、留夏子さんはああなりました。何もかもが場違いなんです。学力も飛び抜けている。運動能力も飛び抜けている。凛とした声で歌をうたい、リコーダーを吹かせれば右に出る者はいない。容姿も立ち居振る舞いも美しい。他人に優しくて思いやりがある。頼朝の巻狩以来八百年、あれほどの逸材は六里ヶ原に現れたことがないと言う人もいます。しかしそれはよいことなんでしょうか? 誰にとって? 留夏子さん自身にとって、そうしたいちいちの才能や美質は重荷ではないでしょうか? 私は小学校のあいだ、あの人がそうした重荷を投げ捨てたがっているのを、何度か見たように思います。いつか中島猛夫先輩に殴られて、殴り返したという話が伝わっています。中島先輩は、いつか殺すとあの人に言ったそうです」
 「その話を人づてに聞いたとき、あたしはにわかに信じられなかった。でもそう思ってよくよく見れば、あいつにはどこか自分を大切にしないところが、たしかにあるよね。何をするにも捨て身のところがある。昔からそうだった……」とペトラは遠くを見るような目をした。「あたしがあいつのことを、大切な友達だと思うようになったわけを話すね。あれは幼稚園のときだった。あんたが入ってくる前の年の秋ね。あれはいったいどこだったのかな。この応桑のどこかだったのかな。あたしたちの組は先生に連れられて、みんなでどこかの林間の道を散歩していたの。幼稚園児の足では、そんなに遠くまで歩けるはずがないから、やっぱりこのあたりのどこかだったと思うけど、記憶のなかでは夢のように遠い場所だったような気がする。樹々の葉は赤に黄色に燃え上がって、秋の青空から降る澄んだ光のなかで輝いていた。空気はガラスみたいにひんやりと涼しかった。〈お外はなんて気持ちがいいんだろう、なんて綺麗な眺めだろう〉と思いながら、あたしは浮かれて、はしゃいで、くるくる回りながら歩いていた。ところがはしゃぎすぎたのね、足をもつれさせて、あたしは転んだの。幸いどこも怪我はしなかったんだけど、なんだか急に惨めな気持ちになった。そこへみんなが寄ってたかって〈麻衣ちゃんがこけた! 麻衣ちゃんがこけた!〉と囃し立てて笑うの。あたしはすっかりいじけちゃって、〈もうやだ。もう歩かない〉と言ったなりしゃがみ込んで、しくしく泣き始めたの。そのときルカがね、突然藪のなかへ分け入っていったの。驚いた弦巻先生が、〈ルカちゃん、危ないよ。怪我をするよ〉と注意しても、ルカは鋭い草の葉や棘のある枝を掻き分け掻き分け、暗い林の奥まで踏み込んでいった。しばらくして出てきたルカは、手も首も耳も顔までも傷だらけだった。そんな姿でルカはあたしに近づいてきて、〈麻衣ちゃんにこれをあげる。元気を出して〉と言いながら、傷だらけの手に持ったアケビの実を差し出したの。ルカの切れ長の目の下に、涙のように血が出ていたのを今でも憶えている。ぱっくり割れた紫色の実から取り出して食べた果肉の甘さも憶えている。〈なんておいしい実だろう。これをあたしに食べさせるために、ルカちゃんはこんなに痛い思いをしたんだ。いじけているあたしを励ますために、ルカちゃんは危ないことをしたんだ。怪我ひとつしていないあたしを元気づけるために、ルカちゃんは傷を負ったんだ〉とか〈こんなに勇気のあるルカちゃんを、みんなは不気味なものでも見るように眺めている。それもみんな、あたしのせいなんだ。そんなあたしにも、ルカちゃんはなんて優しいんだろう〉とか、心のなかではっきりと言葉にならない思いがぐちゃぐちゃに渦巻いて、あたしにはどうしていいのか分からなかった。だから大声を上げて泣いたんだ。しんとした林のなかにあたしの鳴き声が広がっていった。ルカはそんなあたしの頭をなでたり、肩を叩いたりしてくれた。泣きながらあたしは思ったんだ。つらいことがあっても、いじけていてはいけない。あたしがいじけていれば、またルカちゃんが傷だらけになってしまう。つらいことがあっても、あたしはきっと笑っていよう。そうして今度はルカちゃんを元気にしてあげよう――。そして現在に至るってわけ。父さんが女と逃げても、あたしはこの通りよ」
 「いかにも留夏子さんがやりそうなことです」と心を打たれた悠太郎は言い、「たしかにあの人は、何をするにも捨て身ですね。今度のモンタナ行きだってそうでしょう。海の彼方の外国まで、自分を追い詰めてゆかずにはいられないかのようです。際限のない淋しさが、あるときは際限のない優しさになり、またあるときは際限のない向学心になり、そしてまたあるときは際限のない暴力性になるのかもしれません」と続けた。そのときベンチの前を自転車に乗って、陸上部の石井尚美が通り過ぎていった。並んで座ったふたりを認めたときの尚美の目つきは、奇妙なものを見るかのようであった。どんなに遠ざかっても尚美はエルフのような尖り耳で、ふたりの会話を聞いているのではないかと悠太郎には一瞬思われた。しかしそんなことはすぐに忘れた。「私はペトラさんのことを誤解していたかもしれません。友達思いなんですね」と悠太郎は言った。「マッカベさんは、あたしの思った通りの人だったよ。やっぱりあんたはいい奴だったよ。あんたみたいないい奴がルカの力になってくれて、あたしは嬉しいよ」とペトラは応じ、「ルカったら今頃は、リヴィングストンでくしゃみをしているでしょうね」と言った。「七連発くらいはしているでしょう」と悠太郎が応じると、「マッカベさんは冗談を言うときでも生真面目なんだから。おかしい。あっはっは!」とペトラは笑った。
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