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第十六章 遠い遠い昔
二
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悠太郎は家に帰ろうと畑道を歩んだ。その夏も畑一面にトウモロコシは育ち、夕風に緑の葉をざわめかせていた。だが今やそれらのトウモロコシは、さして背が高いとは思われなかった。初めて陽奈子先生のレッスンを受けに行ったあの日、青空から燦々と降る光を浴びて畑道を通るとき、悠太郎は両側に生い茂る背の高いトウモロコシを、驚いて見上げたものであった。トウモロコシの雌蕊のひげをなびかせる爽やかな風に、あたり一面の緑濃い葉が海のようにざわめいていたものだった。「お母さんはね、今日も日が昇る前にトウモロコシを収穫していたの。涙とともに種を蒔く人は、喜びの歌とともに刈り入れる。種の袋を背負い、泣きながら出ていった人は、束ねた穂を背負い、喜びの歌をうたいながら帰ってくる。お母さんの好きな聖書の御言葉よ。今朝もきっとこれを唱えながら収穫していたんだわ。私も農作業を手伝うときには、繰り返し唱えるように言われているの。聖書が農作業に尊厳を与えるんですって」と語ってくれた留夏子の声を悠太郎は思い出した。あのとき俺はまだ小学校二年生で、留夏子さんは小学校三年生だったのだ――。悠太郎はまたも時の経過を実感し、痛いような淋しさに心が貫かれるのを感じた。
そのとき泥汚れた野良着姿の老人が、畑道に現れて悠太郎に出くわした。トウモロコシに夕方の水やりをしていたらしく、老人は汚れた手にジョウロを持っていた。「おお、おめえは真壁さんのうちの悠太郎くんか」と言いながら、老人は頭に巻いていたタオルを取ると、それで皺だらけの顔を拭った。彼のいくらか斜視気味の目も険のある顔つきも、ひょろ長い手足もどこか隼平を思わせた。「今朝次さん、こんにちは」と悠太郎は頭を下げて挨拶した。その老人は陽奈子先生の義父であり、留夏子や隼平の祖父であった。「おめえ、中学生になってもまだピアノなんざ習いに、うちの嫁のところへ通っているのか。まあずありがてえこったな」と、佐藤今朝次さんはきつい口調で吐き捨てるように言った。その言葉に混じる軽蔑を感じ取った悠太郎は、「陽奈子先生には、いつもお世話になっています」とだけ言い置いてその場を逃れようとした。だが今朝次さんは突然大きな嗄れ声で、「なあ教えてくれよ。どうしてだい? なぜおめえは嫁のところへピアノを教わりに通うだい? 音楽で腹が膨れるわけでもあるめえに。俺には分からねえから、おめえ俺に教えてくれ。うちの嫁は何者だい? おめえのピアノの先生は、いったいどんな人だい?」と続けざまに問うたので、悠太郎は逃げられなくなってしまった。「陽奈子先生は……」と悠太郎は考え考え、慎重に言葉を選びながら言った。「音楽の奥深さを教えてくれる人ですが、私にとってはそれだけではありません。音楽を通じて、私たちが見たり聞いたりするこの現実とは別の現実があることを教えてくれる人です。私はこの六里ヶ原にいられるあいだに、そうしたことを少しでも学んでおきたいのです。将来何になろうと、その別の現実を信じられるようにしておくことが、私の人生を導いてくれると思うのです。それでこうして通っています……」
「へえ、そうかい。別の現実ねえ」と今朝次さんはいくらか苦々しげに言った。「そんなものを信じられる人は幸せだね。音楽も神様も天国も、嫁にとってはつまりはそういうことなんだろうね。だが俺にはとても信じられねえ。俺は若い頃に農業恐慌で食い詰めて、一か八かで満蒙開拓団に参加した。大陸へ渡って、北満のだだっ広い荒野を切り拓き耕した。ところが日本は戦争に負けて、関東軍は俺たちを見棄てた。引き揚げのときの地獄絵図は、はあ思い出したくもねえ。それからはこの六里ヶ原を開拓して、第三のふるさとを作った。それだって並大抵のことじゃなかった。俺にとっての現実は、血と汗と泥と飢えと渇きにまみれた地獄のようなこの現実ひとつきりだ。音楽や神様や天国は、この現実といったい何の関係があるのか、教えられるものなら俺に教えてほしいところだが……まあそんなことまでおめえに求めるのは酷だね。なんたっておめえはまだ中学生なんだからね。まあず倅は変わった女を妻にしたもんだが、その嫁はどうやらいい生徒に恵まれたらしいね。せいぜい月謝が無駄にならねえように、うんとピアノを教わってくれや。まあ月謝くらい、おめえの家にとっては苦にもならねえだろうがね。じゃあ気をつけて帰れや……」夕風にざわつくトウモロコシの畑道を、悠太郎はうつむきながら歩んだ。そして今朝次さんの荒い言葉が残していったざらざらしたものの正体を、しきりと考えるのであった。
「へえ、ハイドンのソナタを集中的に? バッハとウィーン古典派が音楽史でいちばん重要だって、あなたの先生は言ったのね?」と、ある日音楽室で黒岩梨里子はピアノに向かいながら、骨格のしっかりした彫りの深い愁いがちな顔に、怪訝そうな表情を浮かべて悠太郎に言った。楽典や音楽史の知識ならいざ知らず、ピアノ演奏の腕にかけては悠太郎は梨里子に全然及ぶべくもなかった。幼稚園時代からすでにピアノを習っていた梨里子は、応桑小学校と呼ばれる六里ヶ原第二小学校にいたとき、早くも与喜屋で教室を開いている先生の手に負えなくなって、一時期はプロのピアニストにその指導を委ねられたこともあったという。悠太郎は中学校に入ってから、こうして音楽の授業が始まる前に時々梨里子がピアノに向かって、ショパンの〈幻想即興曲〉や〈革命のエチュード〉の一節で、まわりの同級生たちを圧倒するのを見ていた。それらの曲が呼び起こす幽暗にして甘美哀切な情緒を思い起こしながら、それに逆らおうとでもするかのように悠太郎は、「そうなんだ。人は夜空を見上げたとき、最初は真っ暗なところがいちばん深いと思うかもしれない。でもそれはただの雲なんだって。夜空の限りなく深いところには、星々が澄んだ光を輝かせている。本当の深さは、暗いところではなくて明るいところにあるんだって。ハイドンの明朗闊達さは、まさしくそういうものだと先生は言った」と答えた。
梨里子は濃い眉をひそめてしばし考えていたが、やがて「あなたの先生がそんなことを言うのは、教える相手があなただからなんじゃない?」と問題を提起し、「悠太郎くんは幼い頃から物思いに沈みがちで、何かにつけてはすぐに死のことばかり考えていた。そういうあなたの危うさを見抜いていればこそ、ことさらにロマン派の音楽を遠ざけて、明朗な古典派の音楽ばかりを教えたがるんじゃないかしら。だってピアノを学んだ人が、ロマン派の音楽に見向きもしないなんて、ちょっと考えられないもの。あなたの先生が留学なさったハンガリーは、フランツ・リストを生んだ国でしょう?」と続けた。「言われてみればそうだけど……。でも先生にとってハンガリーは、何よりもまずエステルハージ侯の国なんだと思うよ。ハイドンが長年仕えながら作曲した、あの侯爵家の」と悠太郎は答えた。すると隼平が「梨里子ちゃん、もっと言ってやってくれよ。ユウのピアノはますます堅苦しく、つまらなくなっていくんだぜ。ロマンの香りが全然ないんだ。ブルグミュラーを弾いていた頃はまだよかったよ。だが前々から堅苦しい音楽への傾きはあったんだ。『ソナチネアルバム』に入っていたシューマンの〈楽しき農夫〉を母さんは教えなかったんだぜ」と口を挟んだ。「どうしてあなたの先生は〈楽しき農夫〉を教えなかったの?」と梨里子が問うたので、「あんなものは音楽じゃなくて文学だって先生は言うんだ。開拓農家に嫁いできた先生に言わせると、農業はあの曲のように楽しくはないそうだよ」と悠太郎は答えた。「その話は傑作だわ。シューマンもずいぶん嫌われたものね」と梨里子は濃い眉を開いて笑った。そしてもうひとり口を挟んだ同級生がいた。常日頃から生まれたばかりの怪獣のような据わった目と、ざっくばらんな物言いをするアテロ集落の岡崎冬美は、のっしのっしと席に着きながら「真壁くんのピアノには、音楽ならではのディオニュソス的陶酔が足りませんなあ。もっと梨里子が教えてあげるべきですなあ」と言ったのである。冬美の父親は開拓農家でも屈指の教養人で、家にはゲーテやニーチェやリルケの本を多く蔵していると噂されていた。冬美自身は絵画や彫刻を得意としていたが、そうした造形芸術を常に音楽との対比で考えていた。造形芸術はアポロン的な夢の原理を、音楽はディオニュソス的な陶酔の原理を代表することを一応は把握しながらも、冬美は音楽にもまたアポロン的な原理があることを見抜いていた。そしてまた絵を描いたり彫刻を作ったりするときには、この線にはメロディーがあるか、この色彩にはハーモニーがあるか、この事物は聞こえない歌をうたっているかと冬美は自問した。これらのことは小学校時代を通じて、梨里子と対話するなかで培われた問題意識であった。
「まあ教え方は人それぞれでしょうけど、私はちょっと心配よ」と梨里子は言った。「真壁くん、考えてもみて。あなたの先生がそもそもの初めから、いきなり星の輝く夜空の叡智に達したと思う? あなたの先生にだって、幼い頃があって、今の私たちくらいの頃があって、もっと大人の若い娘になって、恋に身を焼いていた時代もあったことでしょう。そんなときシューマンやショパンやリストのピアノ曲に、その想いを全然託さないなんてことがあり得たかしら? あなたの先生だって、星の輝く夜空の叡智に到達するためには、やっぱり暗い雲のなかを通り抜けなければならなかったんだと思うの。そうだとすれば、やっぱり真壁くんも少しはそうする必要があるんじゃないかしら。古典派しか知らずにいて、もしも感情の暗い嵐に見舞われたとき、それに立ち向かう代わりに、悟り澄まして偽りの明朗さのなかへ逃げ込んでしまうようなことがなければいいけど。私が心配するのはそのことよ」
「ありそうなことだな」と隼平がいくらか斜視気味の目を笑わせて言い、「ありそうですなあ」と冬美が据わった目で悠太郎を見ながら言った。「そうかな……」と悠太郎は困惑して言い、「しかし俺だってロマン派を全然聴かないわけじゃないぜ。シューベルトの歌曲なんか、フィッシャー゠ディースカウのレコードで毎晩のように聴いているよ。それにしても、感情の暗い嵐ってどういうことだい?」と続けた。「今に思い知るわよ」と梨里子は答え、「それに巻き込まれたら、もう無我夢中で戦い抜くしかないの。健闘を祈る!」と言って、ショパンの〈英雄ポロネーズ〉の中間部を勇ましく鳴らした。オクターヴで駆けめぐる左手の連打を、悠太郎は魔法にでもかけられたように見つめていた。梨里子は時に親指と小指で、時に親指と薬指で、時に親指と中指でオクターヴを打鍵した。親指と中指で完全八度に届くのか! 悠太郎はそれを見て呆気に取られた。なんという手の大きさだろう! なんという指の広がり方だろう! あまり手の大きくない悠太郎とは、演奏のための器官からして出来が全然違うのであった。
さてその音楽の時間は期末試験であった。生徒たちはひとりずつ、みんなの前で歌曲をうたわされるのである。課題曲は〈花の街〉で、真面目にやらなければ〈魔王〉を歌わせると予め告げられていた。棚橋晶子先生は、荒々しく踏み鳴らす足でずんぐりむっくりの体を運んで音楽室にやって来ると、内巻きワンカールボブの髪を絶望のあまり振り乱しながら、やけになったように荒っぽくピアノ伴奏を弾いた。七月のこととて六里ヶ原はもうすっかり万緑輝く夏を迎えており、春よ春よという季節では全然なかったが、しかしみんなは〈花の街〉を歌ったので、幾筋もの風のリボンが流れていった。さて悠太郎の番になった。悠太郎は相次いで歌われる〈花の街〉に飽きていたので、気分転換でもしようと思って「私は〈魔王〉を歌います」と言った。棚橋先生はいかにも嫌そうな顔をして、「真壁くんは正気か? すき好んで地獄へでも落ちるつもりか? 嫌なこった! あんな伴奏を弾いたら、腱鞘炎になっちまう」と言った。するとそこへ梨里子が立ち上がって歩み寄りながら、「私が弾いて差し上げましょう。どうぞ先生は存分に採点なさって。誰か譜めくりをお願い」と言ったので、みんなは静まり返った。王者のごとき梨里子の威風に気圧された棚橋先生は、投げやりにピアノを明け渡した。「俺が譜めくりをやるよ」と芹沢カイが、雀斑の散った顔をニヤリと笑わせながら進み出た。梨里子は椅子に座って教師用の指導書を見ながら、「この楽譜ではホ短調になっているけど、真壁くんはそれでいい? それとももう少し高いほうがいい?」と問うた。悠太郎はびっくりして、「できればヘ短調がいいけど……でもそんなことができるの? まさかホ短調の楽譜を見ながら、ヘ短調に移調して弾けるの?」と問い返した。「私を誰だと思っているの?」と言った梨里子は、微笑みながら右手でオクターヴの三連符を連打し始めた。
不気味な静けさのなかを疾駆する馬の蹄が聞こえ、不吉な夜風が吹き抜けるのが聞こえた。そうだ、たしかにこの調だ。家で勉強の合間に繰り返し聴いたフィッシャー゠ディースカウのレコードでも、たしかにこの調だった。胸を高鳴らせながらその歌曲を聴いた夜毎の思い出が、今このときに押し寄せた。悠太郎はそれが試験の時間であることも、自分が誰かも忘れるほどその暗い前奏に没入していたから、いざ歌が入るところへ来たときに、誤ってドイツ語で歌い始めてしまった。さてこうなったら引っ込みはつかなかったから、それからはもう無我夢中で悠太郎は、日本語の歌詞の下に書き写しておいたドイツ語を追いかけて歌い継いだ。語り手による導入が終わってひと息つきながら伴奏者を見やると、梨里子は「そうこなくっちゃ」とばかり不敵な微笑みを浮かべていた。その横に立ったカイも楽しそうであった。聴いているほかのみんなの様子まで見る余裕はなかったが、こうなったらもうそれどころではなかった。父親の声はやや暗く、落ち着きを装って――。
幻覚を見て怯える息子の声はヴィブラートなしで、いかにも幼げに――。
魔王が誘惑するくだりは、悠太郎が音楽的にいちばん美しいと感じていた部分であったが、梨里子はここぞとばかりに伴奏の音を弱めてくれたから、遠くから聞こえるように魔王の声を表現したい悠太郎にはありがたかった。
息子を落ち着かせようとする父親の願いも虚しく、息子の恐怖はますます募り、その声は次第に高くなってゆく。とうとう魔王が暴力を用いる。息子は苦痛のあまり絶叫する。魔王がぼくに痛いことをしたよ!――
悠太郎につけられたゲターンというあだ名は、実にシューベルトのゲーテ歌曲〈魔王〉から来ていたのである。息子の絶叫を歌う迫真の表現を神川直矢や大柴映二が馬鹿にして、悠太郎のことを「ゲターンの野郎」と呼ぶようになったのである。悠太郎は秀子が大学時代に使っていた独和辞典で、ほかの単語ともどもgetanの意味を調べて知っていた。英語の不規則変化動詞の変化表には、do, did, doneというのが載っていた。英語でいうところのdoneに当たるのが、どうやらドイツ語のgetanであるらしかった。それは過去分詞というものであった。しかし直矢も映二もそんなことは知らないで「ゲターンの野郎」と言うのである。意味も知らない言葉を面白おかしく使えるその性根が、結局のところ悠太郎には分からなかった。ともあれ試験はどうにか成功裡に終わって、少なからずみんなを驚かせた。譜めくりをしていたカイは「梨里子ちゃん、右手のオクターヴの連打を、時々左手で助けていたね。右手の親指で弾くべきところを、左手の親指で弾いていた」と指摘した。「そうよ。左手が空いたときにはそうしたの。腱鞘炎にならないためには手抜きもしなくちゃ」と梨里子が答えたので、気の毒な棚橋先生は無知を晒す羽目になってしまった。
そのとき泥汚れた野良着姿の老人が、畑道に現れて悠太郎に出くわした。トウモロコシに夕方の水やりをしていたらしく、老人は汚れた手にジョウロを持っていた。「おお、おめえは真壁さんのうちの悠太郎くんか」と言いながら、老人は頭に巻いていたタオルを取ると、それで皺だらけの顔を拭った。彼のいくらか斜視気味の目も険のある顔つきも、ひょろ長い手足もどこか隼平を思わせた。「今朝次さん、こんにちは」と悠太郎は頭を下げて挨拶した。その老人は陽奈子先生の義父であり、留夏子や隼平の祖父であった。「おめえ、中学生になってもまだピアノなんざ習いに、うちの嫁のところへ通っているのか。まあずありがてえこったな」と、佐藤今朝次さんはきつい口調で吐き捨てるように言った。その言葉に混じる軽蔑を感じ取った悠太郎は、「陽奈子先生には、いつもお世話になっています」とだけ言い置いてその場を逃れようとした。だが今朝次さんは突然大きな嗄れ声で、「なあ教えてくれよ。どうしてだい? なぜおめえは嫁のところへピアノを教わりに通うだい? 音楽で腹が膨れるわけでもあるめえに。俺には分からねえから、おめえ俺に教えてくれ。うちの嫁は何者だい? おめえのピアノの先生は、いったいどんな人だい?」と続けざまに問うたので、悠太郎は逃げられなくなってしまった。「陽奈子先生は……」と悠太郎は考え考え、慎重に言葉を選びながら言った。「音楽の奥深さを教えてくれる人ですが、私にとってはそれだけではありません。音楽を通じて、私たちが見たり聞いたりするこの現実とは別の現実があることを教えてくれる人です。私はこの六里ヶ原にいられるあいだに、そうしたことを少しでも学んでおきたいのです。将来何になろうと、その別の現実を信じられるようにしておくことが、私の人生を導いてくれると思うのです。それでこうして通っています……」
「へえ、そうかい。別の現実ねえ」と今朝次さんはいくらか苦々しげに言った。「そんなものを信じられる人は幸せだね。音楽も神様も天国も、嫁にとってはつまりはそういうことなんだろうね。だが俺にはとても信じられねえ。俺は若い頃に農業恐慌で食い詰めて、一か八かで満蒙開拓団に参加した。大陸へ渡って、北満のだだっ広い荒野を切り拓き耕した。ところが日本は戦争に負けて、関東軍は俺たちを見棄てた。引き揚げのときの地獄絵図は、はあ思い出したくもねえ。それからはこの六里ヶ原を開拓して、第三のふるさとを作った。それだって並大抵のことじゃなかった。俺にとっての現実は、血と汗と泥と飢えと渇きにまみれた地獄のようなこの現実ひとつきりだ。音楽や神様や天国は、この現実といったい何の関係があるのか、教えられるものなら俺に教えてほしいところだが……まあそんなことまでおめえに求めるのは酷だね。なんたっておめえはまだ中学生なんだからね。まあず倅は変わった女を妻にしたもんだが、その嫁はどうやらいい生徒に恵まれたらしいね。せいぜい月謝が無駄にならねえように、うんとピアノを教わってくれや。まあ月謝くらい、おめえの家にとっては苦にもならねえだろうがね。じゃあ気をつけて帰れや……」夕風にざわつくトウモロコシの畑道を、悠太郎はうつむきながら歩んだ。そして今朝次さんの荒い言葉が残していったざらざらしたものの正体を、しきりと考えるのであった。
「へえ、ハイドンのソナタを集中的に? バッハとウィーン古典派が音楽史でいちばん重要だって、あなたの先生は言ったのね?」と、ある日音楽室で黒岩梨里子はピアノに向かいながら、骨格のしっかりした彫りの深い愁いがちな顔に、怪訝そうな表情を浮かべて悠太郎に言った。楽典や音楽史の知識ならいざ知らず、ピアノ演奏の腕にかけては悠太郎は梨里子に全然及ぶべくもなかった。幼稚園時代からすでにピアノを習っていた梨里子は、応桑小学校と呼ばれる六里ヶ原第二小学校にいたとき、早くも与喜屋で教室を開いている先生の手に負えなくなって、一時期はプロのピアニストにその指導を委ねられたこともあったという。悠太郎は中学校に入ってから、こうして音楽の授業が始まる前に時々梨里子がピアノに向かって、ショパンの〈幻想即興曲〉や〈革命のエチュード〉の一節で、まわりの同級生たちを圧倒するのを見ていた。それらの曲が呼び起こす幽暗にして甘美哀切な情緒を思い起こしながら、それに逆らおうとでもするかのように悠太郎は、「そうなんだ。人は夜空を見上げたとき、最初は真っ暗なところがいちばん深いと思うかもしれない。でもそれはただの雲なんだって。夜空の限りなく深いところには、星々が澄んだ光を輝かせている。本当の深さは、暗いところではなくて明るいところにあるんだって。ハイドンの明朗闊達さは、まさしくそういうものだと先生は言った」と答えた。
梨里子は濃い眉をひそめてしばし考えていたが、やがて「あなたの先生がそんなことを言うのは、教える相手があなただからなんじゃない?」と問題を提起し、「悠太郎くんは幼い頃から物思いに沈みがちで、何かにつけてはすぐに死のことばかり考えていた。そういうあなたの危うさを見抜いていればこそ、ことさらにロマン派の音楽を遠ざけて、明朗な古典派の音楽ばかりを教えたがるんじゃないかしら。だってピアノを学んだ人が、ロマン派の音楽に見向きもしないなんて、ちょっと考えられないもの。あなたの先生が留学なさったハンガリーは、フランツ・リストを生んだ国でしょう?」と続けた。「言われてみればそうだけど……。でも先生にとってハンガリーは、何よりもまずエステルハージ侯の国なんだと思うよ。ハイドンが長年仕えながら作曲した、あの侯爵家の」と悠太郎は答えた。すると隼平が「梨里子ちゃん、もっと言ってやってくれよ。ユウのピアノはますます堅苦しく、つまらなくなっていくんだぜ。ロマンの香りが全然ないんだ。ブルグミュラーを弾いていた頃はまだよかったよ。だが前々から堅苦しい音楽への傾きはあったんだ。『ソナチネアルバム』に入っていたシューマンの〈楽しき農夫〉を母さんは教えなかったんだぜ」と口を挟んだ。「どうしてあなたの先生は〈楽しき農夫〉を教えなかったの?」と梨里子が問うたので、「あんなものは音楽じゃなくて文学だって先生は言うんだ。開拓農家に嫁いできた先生に言わせると、農業はあの曲のように楽しくはないそうだよ」と悠太郎は答えた。「その話は傑作だわ。シューマンもずいぶん嫌われたものね」と梨里子は濃い眉を開いて笑った。そしてもうひとり口を挟んだ同級生がいた。常日頃から生まれたばかりの怪獣のような据わった目と、ざっくばらんな物言いをするアテロ集落の岡崎冬美は、のっしのっしと席に着きながら「真壁くんのピアノには、音楽ならではのディオニュソス的陶酔が足りませんなあ。もっと梨里子が教えてあげるべきですなあ」と言ったのである。冬美の父親は開拓農家でも屈指の教養人で、家にはゲーテやニーチェやリルケの本を多く蔵していると噂されていた。冬美自身は絵画や彫刻を得意としていたが、そうした造形芸術を常に音楽との対比で考えていた。造形芸術はアポロン的な夢の原理を、音楽はディオニュソス的な陶酔の原理を代表することを一応は把握しながらも、冬美は音楽にもまたアポロン的な原理があることを見抜いていた。そしてまた絵を描いたり彫刻を作ったりするときには、この線にはメロディーがあるか、この色彩にはハーモニーがあるか、この事物は聞こえない歌をうたっているかと冬美は自問した。これらのことは小学校時代を通じて、梨里子と対話するなかで培われた問題意識であった。
「まあ教え方は人それぞれでしょうけど、私はちょっと心配よ」と梨里子は言った。「真壁くん、考えてもみて。あなたの先生がそもそもの初めから、いきなり星の輝く夜空の叡智に達したと思う? あなたの先生にだって、幼い頃があって、今の私たちくらいの頃があって、もっと大人の若い娘になって、恋に身を焼いていた時代もあったことでしょう。そんなときシューマンやショパンやリストのピアノ曲に、その想いを全然託さないなんてことがあり得たかしら? あなたの先生だって、星の輝く夜空の叡智に到達するためには、やっぱり暗い雲のなかを通り抜けなければならなかったんだと思うの。そうだとすれば、やっぱり真壁くんも少しはそうする必要があるんじゃないかしら。古典派しか知らずにいて、もしも感情の暗い嵐に見舞われたとき、それに立ち向かう代わりに、悟り澄まして偽りの明朗さのなかへ逃げ込んでしまうようなことがなければいいけど。私が心配するのはそのことよ」
「ありそうなことだな」と隼平がいくらか斜視気味の目を笑わせて言い、「ありそうですなあ」と冬美が据わった目で悠太郎を見ながら言った。「そうかな……」と悠太郎は困惑して言い、「しかし俺だってロマン派を全然聴かないわけじゃないぜ。シューベルトの歌曲なんか、フィッシャー゠ディースカウのレコードで毎晩のように聴いているよ。それにしても、感情の暗い嵐ってどういうことだい?」と続けた。「今に思い知るわよ」と梨里子は答え、「それに巻き込まれたら、もう無我夢中で戦い抜くしかないの。健闘を祈る!」と言って、ショパンの〈英雄ポロネーズ〉の中間部を勇ましく鳴らした。オクターヴで駆けめぐる左手の連打を、悠太郎は魔法にでもかけられたように見つめていた。梨里子は時に親指と小指で、時に親指と薬指で、時に親指と中指でオクターヴを打鍵した。親指と中指で完全八度に届くのか! 悠太郎はそれを見て呆気に取られた。なんという手の大きさだろう! なんという指の広がり方だろう! あまり手の大きくない悠太郎とは、演奏のための器官からして出来が全然違うのであった。
さてその音楽の時間は期末試験であった。生徒たちはひとりずつ、みんなの前で歌曲をうたわされるのである。課題曲は〈花の街〉で、真面目にやらなければ〈魔王〉を歌わせると予め告げられていた。棚橋晶子先生は、荒々しく踏み鳴らす足でずんぐりむっくりの体を運んで音楽室にやって来ると、内巻きワンカールボブの髪を絶望のあまり振り乱しながら、やけになったように荒っぽくピアノ伴奏を弾いた。七月のこととて六里ヶ原はもうすっかり万緑輝く夏を迎えており、春よ春よという季節では全然なかったが、しかしみんなは〈花の街〉を歌ったので、幾筋もの風のリボンが流れていった。さて悠太郎の番になった。悠太郎は相次いで歌われる〈花の街〉に飽きていたので、気分転換でもしようと思って「私は〈魔王〉を歌います」と言った。棚橋先生はいかにも嫌そうな顔をして、「真壁くんは正気か? すき好んで地獄へでも落ちるつもりか? 嫌なこった! あんな伴奏を弾いたら、腱鞘炎になっちまう」と言った。するとそこへ梨里子が立ち上がって歩み寄りながら、「私が弾いて差し上げましょう。どうぞ先生は存分に採点なさって。誰か譜めくりをお願い」と言ったので、みんなは静まり返った。王者のごとき梨里子の威風に気圧された棚橋先生は、投げやりにピアノを明け渡した。「俺が譜めくりをやるよ」と芹沢カイが、雀斑の散った顔をニヤリと笑わせながら進み出た。梨里子は椅子に座って教師用の指導書を見ながら、「この楽譜ではホ短調になっているけど、真壁くんはそれでいい? それとももう少し高いほうがいい?」と問うた。悠太郎はびっくりして、「できればヘ短調がいいけど……でもそんなことができるの? まさかホ短調の楽譜を見ながら、ヘ短調に移調して弾けるの?」と問い返した。「私を誰だと思っているの?」と言った梨里子は、微笑みながら右手でオクターヴの三連符を連打し始めた。
不気味な静けさのなかを疾駆する馬の蹄が聞こえ、不吉な夜風が吹き抜けるのが聞こえた。そうだ、たしかにこの調だ。家で勉強の合間に繰り返し聴いたフィッシャー゠ディースカウのレコードでも、たしかにこの調だった。胸を高鳴らせながらその歌曲を聴いた夜毎の思い出が、今このときに押し寄せた。悠太郎はそれが試験の時間であることも、自分が誰かも忘れるほどその暗い前奏に没入していたから、いざ歌が入るところへ来たときに、誤ってドイツ語で歌い始めてしまった。さてこうなったら引っ込みはつかなかったから、それからはもう無我夢中で悠太郎は、日本語の歌詞の下に書き写しておいたドイツ語を追いかけて歌い継いだ。語り手による導入が終わってひと息つきながら伴奏者を見やると、梨里子は「そうこなくっちゃ」とばかり不敵な微笑みを浮かべていた。その横に立ったカイも楽しそうであった。聴いているほかのみんなの様子まで見る余裕はなかったが、こうなったらもうそれどころではなかった。父親の声はやや暗く、落ち着きを装って――。
幻覚を見て怯える息子の声はヴィブラートなしで、いかにも幼げに――。
魔王が誘惑するくだりは、悠太郎が音楽的にいちばん美しいと感じていた部分であったが、梨里子はここぞとばかりに伴奏の音を弱めてくれたから、遠くから聞こえるように魔王の声を表現したい悠太郎にはありがたかった。
息子を落ち着かせようとする父親の願いも虚しく、息子の恐怖はますます募り、その声は次第に高くなってゆく。とうとう魔王が暴力を用いる。息子は苦痛のあまり絶叫する。魔王がぼくに痛いことをしたよ!――
悠太郎につけられたゲターンというあだ名は、実にシューベルトのゲーテ歌曲〈魔王〉から来ていたのである。息子の絶叫を歌う迫真の表現を神川直矢や大柴映二が馬鹿にして、悠太郎のことを「ゲターンの野郎」と呼ぶようになったのである。悠太郎は秀子が大学時代に使っていた独和辞典で、ほかの単語ともどもgetanの意味を調べて知っていた。英語の不規則変化動詞の変化表には、do, did, doneというのが載っていた。英語でいうところのdoneに当たるのが、どうやらドイツ語のgetanであるらしかった。それは過去分詞というものであった。しかし直矢も映二もそんなことは知らないで「ゲターンの野郎」と言うのである。意味も知らない言葉を面白おかしく使えるその性根が、結局のところ悠太郎には分からなかった。ともあれ試験はどうにか成功裡に終わって、少なからずみんなを驚かせた。譜めくりをしていたカイは「梨里子ちゃん、右手のオクターヴの連打を、時々左手で助けていたね。右手の親指で弾くべきところを、左手の親指で弾いていた」と指摘した。「そうよ。左手が空いたときにはそうしたの。腱鞘炎にならないためには手抜きもしなくちゃ」と梨里子が答えたので、気の毒な棚橋先生は無知を晒す羽目になってしまった。
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少し田舎の土地にある女子校、華水黄杏女学園の1年生のあるクラスの乗ったバスが校外学習の帰りに渋滞に巻き込まれてしまい、急遽トイレ休憩のために立ち寄った小さな公園のトイレでクラスの女子がトイレを済ませる話です(分かりにくくてすみません。詳しくは本文を読んで下さい)
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