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第六章 細波
一
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六里ヶ原の春はまだ遠く、山々を白く染めている雪は里にもなお融け残り、照月湖の氷は依然として湖面を覆い尽くしていた。とはいえ一九九〇年の三月ともなれば、真冬に比べてよほど暖かな日が続いたので、氷の緩んだ照月湖ではすでにスケート場の営業が終わっていた。冬のあいだじゅう磨き上げられてきた銀盤の表面は、うっすらと水に浸っていた。湖上の雪は融けかけてはまた凍ることを繰り返したために、白さのなかに粗い虹色のきらめきを瞬かせていた。真冬のあいだには氷上にテントを構え、ピッケルやアイスドリルで氷を砕いて穴を空け、釣り糸を垂れながら熱燗のワンカップ大関を飲んで、ワカサギ釣りに興じる客も多くいた。そんな客たちも、今ではもういなくなっていた。
雪が融け残る起伏に富んだ林間の舗装道路を、悠太郎はひとり湖へと歩んできていた。道には落葉したままの樹々が影を落とし、雪の重みで折れた枯れ枝が散らばっていたが、悠太郎はそんな枯れ枝を弱い自分のようだと思った。急な坂道を降りるあたりで、湖の向こうの正面に近々と迫る鷹繋山を見れば、鎌倉幕府を開いた源頼朝の巻狩伝説が思い出された。母の秀子と手袋越しに手を繋ぎ、『曾我物語』に出てくる浅間野や三原野の歌を暗唱しながら湖まで歩いたのは、ちょうど二年前のこんな日ではなかったか。まだ幼稚園を知らなかったあの日に比べれば、悠太郎が着込んだ子供用のふかふかしたジャンパーは、いくらか小さくなったように思われた。相変わらず華奢ではあるが、悠太郎とてやはり少しは大きくなっていたのである。するとあれはあながち嘘ではなかったのか、尖った顎を傲然と上げて冷たく澄ましたような大野温子先生が、卒園記念のスクラップブックに「たくましくなったね ゆうちゃん」と書いてくれたのは――。大きくなることも逞しくなることも、悠太郎には別段嬉しいことではなかった。なぜまわりの子供たちが喜び勇んで大きくなってゆくのか、悠太郎には全然分からなかったのである。
物問いたげな目を見開いてそんなことを考えながら、悠太郎は誰もいないスケート場で、その冬最後のスケートをしていた。思う存分滑り納めをさせてもらうよう秀子に勧められた悠太郎は、現実にスケートを滑ることがそれほど好きではなかったが、家を離れて静かなところに身を置きたかったので、母の勧めに従った。営業が終わったスケート場にはもはや〈スケーターズ・ワルツ〉もほかの音楽も流れなかったので、カラスの鳴き声や羽音がはっきりと聞こえるほど、そこは静かであった。防水仕様の作業服を着たライサクさんこと桜井謙助老人が、ギョロ目を見開いて額に三筋の皺を寄せながら、ボート番小屋の奥からスケート靴を出してくれた。その靴の皮革が発する強い臭気は、いつもながら悠太郎に歳月の遥けさを感じさせた。悠太郎がスピードスケートではなくフィギュアスケート用の靴を履いていたのは、子供にはそのほうが立ちやすいという黒岩栄作さんの助言があったからである。祖母の梅子が常日頃からパンチパーマの頭をゆらゆらと揺らしながら、「フギア」と発音するあのフィギュアであった。とはいえ悠太郎は別にステップやターンや回転ジャンプの練習をしていたわけではなく、あたかも緩慢なスピードスケートのように無人のリンクを滑りまわっていた。サカエさんは桟橋の突端に立って、七三に分けたふさふさの髪を掻き上げながら、薄黒いサングラスの奥で微笑ましげに目を光らせて悠太郎を見守っていた。
うっすらと水に浸った氷の上をゆっくりと滑走しながら悠太郎は、白い寝観音のような浅間山の方角の湖畔に建つ、地面まで届く赤いなだらかな屋根を戴く観光ホテル明鏡閣を眺めた。卒園式の後の謝恩会が、あそこの二階の大広間で開かれたのは、いかにも相応しいことだったんだ。明鏡閣は熊川河畔にあった浅間観光ホテルよりも大衆向けなんだから、幼稚園が使ったっておかしくなかったんだ――。そんなことを考えながら悠太郎は、新旧ふたつのホテルの由来や逸話について教わったことや、明鏡閣で秋以来起こったことを思い出していた。フィギュアスケートの厚い刃が通った後には、昼過ぎの太陽に照らされて、氷の傷跡が光り輝いた。
舗装工事のコンクリートも無事固まり、燃えるような紅葉が枯葉となって落葉した頃であったか、社員食堂という名の狭苦しい従業員詰所には、いつものように煙草の煙が充満していた。ひと騒動を収めた後で黒岩栄作さんは、うまそうに吸った煙を口から輪っかの形にして吐き出していた。そのひと騒動というのは、明鏡閣の正面玄関の西側にあるコンクリートの段の角が、とうとう古代の神殿のように崩れたことであった。先頃コンクリートを扱った経験を活かして、早速サカエさんが補修したので形ばかりは元に戻ったが、古いコンクリートと真新しいコンクリートの色合いの違いは、やはり目立った。悠太郎がそのことを指摘すると、煙草の煙を吐き出したサカエさんは、「あのくれえはどうっちゅうこともねえ。ここは熊川のほうにあったホテルに比べて大衆向けだものを、細かいことは気にしねえだよ。この明鏡閣にはもっと面白い伝説があるぞ」と言って、観光ホテル明鏡閣のロゴが入った陶器の灰皿で煙草を揉み消した。「一階の大食堂では雨漏りがした。お客が食事しているところへおめえ、ポターリ、ポターリ雨の雫が落ちてきた。ところが落ちてきたのは雨の雫だけじゃなかった。ユウくん、何が落ちてきたと思う? 猫だよ。猫が天井を突き破っておめえ、ドサーリ落ちてきただよ。さぞやお客もたまげたんべえ」とサカエさんが愉快そうに話すと、みんなは楽しげに笑った。
「そうそう、猫が落ちてきたのよ。雨漏りじゃなくて猫漏りだなんて言って、私たちもお客さんも大笑いしたわ。そんなこともあったわねえ」と常務の妹の三池光子さんがアイシャドウの濃い目をぱちくりさせながら、月光に照らされた黒天鵞絨のような声で言うと、みんながまた笑った。悠太郎にとってもその話は面白かったが、しかし冗談では済まされないことのような気もした。いくら大衆向けとはいえ、お客さんはお金を払って泊まりに来ているのだから、雨漏りだの猫漏りだのしたら怒られはしないのか――。そう悠太郎が問うと、光子さんは優雅な手つきで煙草を燻らせながら、「そこが浅間観光の普通じゃないところなのよ。雨が漏ろうが猫が漏ろうが、そういうものとして愛される。そういうところがいいと言って、お客さんたちはまた来てくれる。観光ホテル明鏡閣はそういうところよ」と答えた。剽軽者の橋爪進吉さんは痒い背中を柱にこすりつけながら、ゲジゲジ眉毛の顔をひしゃげたように笑わせて、「わが浅間観光は永久に不滅です!」とプロ野球の名選手が引退したときの台詞をもじったので、みんなは濛々たる煙のなかでまた笑った。壁に飾られた増田ケンポウの写真も豪快な恵比寿顔で、自身が創業した株式会社浅間観光の繁栄を寿いでいるかに見えた。
「ところで熊川の旧ホテルって、どんなだったんですか? あのあたりをぼく時々バイクで走るんですけど」と若い林浩一さんが平たい顔で尋ねると、髪を四角く刈り込んだ南塚支配人は「うおっほ、うおっほ、うおっほ」と咳払いして往時を思い起こし、「あちらのホテルはこちらと全然違いましてね、断然高級志向でしたよ。浅間石で組み上げられた門柱は、旧ホテルの跡地に残っていますが、熊川の水を庭先まで引いて、ちょっとした池にして、錦鯉なんか泳がせましてね。設備はおおむね学芸村倶楽部から引き継いだものでしたよ。硬式・軟式のテニスコート五面、円形の大浴槽を男女別の半円に仕切った浴場、卓球台やビリヤード台、碁盤や将棋盤、岩波文庫を満載した書架、六里ヶ原に舞う色とりどりの蝶の標本、そしてずっしりと重い高価な銀食器――懐かしいですな。あちらが失われて以来、似たようなものをこちらにも揃えてきましたが、いやはや同じにはなりませんな。そもそもの初めから格式も違えば、ターゲットにする客層も違うのです。もともとこちらは学生さんの林間学校や合宿なんかに向いているのです。もし例の画伯が――というのは森のなかの湖とか、そのほとりを走る白馬とかの絵を描く有名な洋画家が――熊川河畔の浅間観光ホテルではなくて、この湖畔の明鏡閣に泊まったら、それは不釣り合いで奇妙なことだったでしょう」と話してまた煙草を吸った。「まああちらのことは梅子さんや秀子さんがよくご存知でしょう。何しろ千代次さんと一緒に別館で暮らしておられたわけですから」と南塚支配人が言うと、梅子は急須から湯呑みにお茶を注ぎながら「ウッフフ、うちの人はねえ、その画伯の部屋にひとりでお茶を出しに行ったことがあるって自慢話をするだよ。その画伯が表紙を描いている雑誌のことで、ひと言ふた言お話をしたんだと」と応じ、パンチパーマの頭をゆらゆらと揺らした。豊かな黒髪を頭の後ろでお団子にまとめ、下膨れの顔にうっすらと愛想笑いを浮かべた秀子は、熊川河畔の高台にあった高冷地農業研究場のことをよく憶えていると言って、そこで飼っていた乳牛のことや、それらに与える飼料のサイロ詰めのことなどを話した。そうした話を注意深く聞いていた悠太郎は、洋画家の画伯のことはお祖父様から聞かされたことがあるが、湖の絵を描くのならこの湖畔に泊まったほうが便利ではないかとか、高冷地農業研究場が閉鎖されなければよかったのにとか考えた。ぼくもサイロで牧草を踏めれば、幼稚園で開拓の子たちがサイロ詰めの話を始めてもついてゆけるのに――。
そのとき三池光子さんがアイシャドウの濃い目をぱちくりさせながら、「そういえば旧ホテルで使っていた銀食器、どこへ行ったのかしらねえ」と艶のある低音の声で疑問を呈した。すっかり虚を突かれた南塚支配人は「うおっほ、うおっほ、うおっほ」と咳払いするのも忘れて、「銀食器の行方ですか? 考えてみたこともありませんでした! 言われてみれば、どこへ消えたのでしょうなあ。しかしこちらは大衆向けですから、あの銀食器をこちらで使うのは不似合いなことだったでしょう。あちらのホテルを廃止するとき、誰かがしかるべくお金に換えたに違いありません」と答えた。すると煙を口から輪っかの形にして連続で吐き出していた黒岩サカエさんが、薄黒いサングラスの奥で目を光らせながら、「俺の聞いた話では、だんだん少なくなっていったらしいですね。確かめたわけじゃねえが、いつの間にかナイフやフォークがひとつまたひとつと、だんだん減っていったそうです」と出し抜けに言った。これを聞いた悠太郎は、あたかも照月湖温泉で冷水のシャワーでも浴びたかのように背筋が寒くなるのを感じた。常務の妹も現支配人も、消えた銀食器の行方を知らない? そんな高価なものを、お客さんたちにタダでくれてやっていた? いかに創業者の増田ケンポウが物惜しみしない豪快な人物だったとはいえ、銀食器の管理はあまりにいい加減すぎはしないか? 一回一回の食事が終わるごとに、数を数えてしかるべきではないか?――「いったいこの会社は大丈夫だろうか」と悠太郎は思ったが、「いや、現在はかつてない好景気だと言われているし、それに事業の神様と呼ばれる増田ケンポウの創った会社が、潰れたりするはずはないのだ」と考えて不吉な予感を打ち消した。
すると湯呑みからお茶を啜ってギョロ目を見開いた桜井謙助さんが、額に三筋の皺を寄せながら「時勢だのう」と言った。「あの高名な画伯のお気に入りだった旧ホテルも、今じゃ荒れ地さ。建物は古くなるし、人も年を取る。始まったことは終わってゆく。いやはや時勢だのう。時勢といえばおめえ、あの樹氷まつりだってそうよ。冬の照月湖が大いに盛り上がったが、たった一度で終わっちまった。あれは残念だったのう。難しい世のなかになった」と橋爪さんのほうを見た。剽軽者の橋爪さんは、ゲジゲジ眉毛の顔をひしゃげたように笑わせてお茶をひと口飲むと、待ってましたとばかり「あれは何年前だったかのう、ユウくんが三つかそこらの頃じゃなかったかい?」とお得意の話を始めた。その冬に観光協会の主催で、樹氷まつりという盛大な催し物が照月湖で開かれたことや、湖畔の遊歩道の樹々は水をかけられ、人工的な樹氷となって美々しくライトアップされたことや、厚く結氷した湖の上には様々な雪像や出店が並んだことや、多くの人々が集まったことを橋爪さんは話したが、さていよいよ面白いのはその先で、樹氷まつりの様子を報道で知った福島のある温泉旅館が、樹氷を作る技術はうちが特許を取っていると言って、クレームをつけてきたというのである。明鏡閣から先方へ急遽出張して事情を説明したのは、誰あろう橋爪さんその人なのであった。「まあずまいったね、俺たちはただ夜中にホースで、樹に水をぶっかけて凍らせただけだっちゅうのに、特許がどうのとか文句言われてさあ。俺が急いで福島の旅館へ飛んでったら、まあずたまげたねえ、そこの女将がだよ、十二単なんか着て出てくるの。俺は面食らったけど、一生懸命説明したよね、俺たちはただ水かけただけなんだって。だけど十二単の女将は、いっくら言っても分かってくれねえの。特許権の侵害には法的措置の一点張りよ。耐え難きを耐え、忍び難きを忍びっちゅうやつだね、俺は謝ってきたよ。二度としませんごめんなさいって頭下げてさ。まあず残念だったね、あんなに盛り上がったのに。照月湖の樹氷まつり、夢幻のごとくなり」と橋爪さんが面白おかしく話したので、みんなは煙のなかで残念がりながらも楽しげに笑った。
そういえばそんな催し物もあったらしいと、悠太郎は睫毛の長い目を伏せて考えていた。一階の大食堂には、樹氷まつりの写真が何枚も引き伸ばされて飾られていた。そのなかの一枚には、サカエさんに抱き上げられた小さな悠太郎が映っていた。たった何年か昔のことのはずなのに、悠太郎はそのときのことを記憶していなかった。幼稚園に入って以来、あまりにもたくさんの人や出来事が奔流のように襲ってきたために、幼稚園が始まる前の平穏な時代の記憶は、ほとんど洗い流されてしまったかのようであった。悠太郎はそのことをとても淋しく思った。時間は先へ先へと流れてゆく。始まったものは終わってゆく。あったものはなくなってゆく。人は年を取ってやがて死んでゆく。記憶はやがて失われてゆく。どうしてみんなはこんなに淋しいことが平気なのだろう。どうしてみんなは楽しげに笑っていられるのだろう――。睫毛の長い目を悄然と伏せながら悠太郎は、夜の闇のなかにライトアップされてきらきら光る樹氷や、凍った湖の上に並んだ雪像の形や、出店で売っていたという温かな甘酒の香りを思い出そうと、意識を凝らしてみたが果たせなかった。
幼稚園に入る前の記憶として、唯一はっきりと悠太郎の脳裏に残っているのは、刈り込み鋏を持たされた自分が、母と祖父に見守られていたある日の場面であった。あれは二歳の頃であろうか、それとも三歳の頃であろうか。薄曇りの夏の初めであろうか、それとも終わりであろうか。悠太郎は庭木を剪定していた祖父から、いかなる成り行きでか長い刈り込み鋏を手渡された。刃のところを触っては駄目よと母が言った。悠太郎としても危ないことはしたくなかったから、言いつけに従って持ち手をしっかりと握ったつもりでいた。ところがどうしたわけであろう、次に気がついたときには、悠太郎の手から血が流れていたのである。赤く温かい自分の血を流した悠太郎は、驚いて大声で泣いた。母が大急ぎで悠太郎を家に連れ込むと、サビオと呼ばれる絆創膏で傷口を手当てした。その後は三人で古い胡桃材の座卓を囲んで焙じ茶を飲んだ。祖父は眼鏡の奥で極度に細い近視の目をしばたたきながら、大袋入りのチョコレート菓子をひとつだけ、慰めるように悠太郎に与えた。祖父も母も悠太郎も笑っていた。あれは小さな危機の後の穏やかなひとときだった。あの頃はまだぼくの世界は平和だった。あの頃はお祖父様もお母様もぼくに優しかった――。泣きそうになった悠太郎が目を上げると、窓の向かいにやや前傾して取りつけられた長方形の鏡は、花の枯れ果てた円形の花壇のある駐車場に、見知らぬハイエースが入ってきて停車する様を映していた。サカエさんが薄黒いサングラスの奥で目を光らせ、「西軽の兄貴だんべえ」と言うと、立ち上がって調理場へと姿を消した。
「へえ、へえ、へえ、どうもどうも」と景気のいい声を上げながら入ってきたのは、西軽井沢物産流通の営業の兄貴であった。兄貴はキャップから盛大にはみ出したもみあげを、剛毛の生えた手の指先でぼりぼりと掻きながら、造作の大きな顔を破壊的に笑わせて、「こちらさんも景気は上々だんべえね? おかげさんでうちも上々なんさあ。どこへ行ったっておめえ、野沢菜漬が飛ぶように売れるつうこと!」と浅間山の北麓と南麓の方言をチャンポンにしたようなことを言った。そこへサカエさんが調理場から出てきて、「よかったら食っていきな」と皿に盛ったお手製のカレーライスを差し出した。西軽の兄貴は「へえ、へえ、へえ、ありがてえや。まあず照月湖さんはいつも気前がいいつうこと!」と喜んでご馳走になる構えを示して丸椅子に座ったが、このお世辞に気をよくしたサカエさんは、さらに生卵を一個サービスした。物問いたげに見つめる悠太郎に気がついた西軽の兄貴は、「へえ、へえ、へえ、するとこの子が秀子ちゃんの息子かい?」と言いながら、皿の縁で割った生卵をカレーライスとぐちゃぐちゃに混ぜ合わせると、「なんだか元気がねえみてえだが、大丈夫かい? 子供はとにかくうんと飯を食うこった! 体が丈夫にならなけりゃあおめえ、生活の憂いをぶっ飛ばせねえつうこと!」と言って、サカエさん流に生卵と混ぜたカレーライスを大きなスプーンで頬張った。
そこへ売店前の廊下を社員食堂に向かって、体を左右に揺らしながら大儀そうに歩いてきた小柄な老婦人が、入口のドアを開けて姿を現した。ブロッコリーのような髪型をしたその老婦人は、愛犬のポメラニアンを袋に入れて背負っていた。この老婦人こそ学芸村の水道屋たる森山サダム爺さんの奥方であった。森山伸代さんは甘ったるい声で「皆さん、おこんにちは。ねえ今日もなさる? 私も混ぜてくださらないかしら?」と言いながら、手で何かを掻き回すような仕草をしたが、果たしてそれは麻雀を意味していたのである。三池光子さんが緑の雀卓や、箱に入った牌や点棒を取り出すと麻雀が始まって、光子さんと伸代さんと梅子と秀子が東南西北を囲んだ。混沌と掻き回された牌が、整然と並べられて四人の手許に配られるのを、悠太郎は物問いたげな大きな目で不思議そうに見ていた。優雅な手つきで牌を捨てたり引いたりしながら光子さんが、月光に照らされた黒天鵞絨のような艶のある低音の声で「その犬ね、アンちゃんだっけ? 自分の脚で歩かせたほうがいいんじゃないかしら? 運動不足になるわよ」と忠告すると、伸代さんはブロッコリーのような頭を振り振り「そんなの可哀想よ。アンちゃんには苦労をかけたくないの」と甘ったるい声で答えた。お茶を飲みながらの対局がやや進んだ頃、伸代さんは思い出したように「そうだ、サカエさん。いつかまた馬肉が入荷したら、ちょっぴり分けてくださらない? うちのアンちゃんは馬刺しが大好物なの」と言って一同を面食らわせた。光子さんは苦々しげな低音の声で、「ずいぶんグルメなワンちゃんですこと。運動不足に栄養過多じゃ、長生きしないわよ」と再び忠告した。光子さんの麻雀の強さを目の当たりに見られるかと悠太郎は期待したが、いざ対局が大詰めになると、突然梅子が雀卓の上にお茶を吐き出して「あっつーい!」と叫んだので、例のごとく社員食堂は大騒ぎになって、その対局は流れてしまった。「へえ、へえ、へえ、まあずこりゃカオスだつうこと! 麻雀牌をぐちゃぐちゃに掻き回したようなカオスだつうこと!」と西軽の兄貴は、造作の大きな顔を破壊的に笑わせながら驚き入ったが、その混沌たる有様を悠太郎は、袋のなかのポメラニアンとよく似た困惑の表情で見守っていた。ともかくも観光ホテル明鏡閣の社員食堂は、ことほどさように地域の人々の憩いの場ともなっていたのである。
雪が融け残る起伏に富んだ林間の舗装道路を、悠太郎はひとり湖へと歩んできていた。道には落葉したままの樹々が影を落とし、雪の重みで折れた枯れ枝が散らばっていたが、悠太郎はそんな枯れ枝を弱い自分のようだと思った。急な坂道を降りるあたりで、湖の向こうの正面に近々と迫る鷹繋山を見れば、鎌倉幕府を開いた源頼朝の巻狩伝説が思い出された。母の秀子と手袋越しに手を繋ぎ、『曾我物語』に出てくる浅間野や三原野の歌を暗唱しながら湖まで歩いたのは、ちょうど二年前のこんな日ではなかったか。まだ幼稚園を知らなかったあの日に比べれば、悠太郎が着込んだ子供用のふかふかしたジャンパーは、いくらか小さくなったように思われた。相変わらず華奢ではあるが、悠太郎とてやはり少しは大きくなっていたのである。するとあれはあながち嘘ではなかったのか、尖った顎を傲然と上げて冷たく澄ましたような大野温子先生が、卒園記念のスクラップブックに「たくましくなったね ゆうちゃん」と書いてくれたのは――。大きくなることも逞しくなることも、悠太郎には別段嬉しいことではなかった。なぜまわりの子供たちが喜び勇んで大きくなってゆくのか、悠太郎には全然分からなかったのである。
物問いたげな目を見開いてそんなことを考えながら、悠太郎は誰もいないスケート場で、その冬最後のスケートをしていた。思う存分滑り納めをさせてもらうよう秀子に勧められた悠太郎は、現実にスケートを滑ることがそれほど好きではなかったが、家を離れて静かなところに身を置きたかったので、母の勧めに従った。営業が終わったスケート場にはもはや〈スケーターズ・ワルツ〉もほかの音楽も流れなかったので、カラスの鳴き声や羽音がはっきりと聞こえるほど、そこは静かであった。防水仕様の作業服を着たライサクさんこと桜井謙助老人が、ギョロ目を見開いて額に三筋の皺を寄せながら、ボート番小屋の奥からスケート靴を出してくれた。その靴の皮革が発する強い臭気は、いつもながら悠太郎に歳月の遥けさを感じさせた。悠太郎がスピードスケートではなくフィギュアスケート用の靴を履いていたのは、子供にはそのほうが立ちやすいという黒岩栄作さんの助言があったからである。祖母の梅子が常日頃からパンチパーマの頭をゆらゆらと揺らしながら、「フギア」と発音するあのフィギュアであった。とはいえ悠太郎は別にステップやターンや回転ジャンプの練習をしていたわけではなく、あたかも緩慢なスピードスケートのように無人のリンクを滑りまわっていた。サカエさんは桟橋の突端に立って、七三に分けたふさふさの髪を掻き上げながら、薄黒いサングラスの奥で微笑ましげに目を光らせて悠太郎を見守っていた。
うっすらと水に浸った氷の上をゆっくりと滑走しながら悠太郎は、白い寝観音のような浅間山の方角の湖畔に建つ、地面まで届く赤いなだらかな屋根を戴く観光ホテル明鏡閣を眺めた。卒園式の後の謝恩会が、あそこの二階の大広間で開かれたのは、いかにも相応しいことだったんだ。明鏡閣は熊川河畔にあった浅間観光ホテルよりも大衆向けなんだから、幼稚園が使ったっておかしくなかったんだ――。そんなことを考えながら悠太郎は、新旧ふたつのホテルの由来や逸話について教わったことや、明鏡閣で秋以来起こったことを思い出していた。フィギュアスケートの厚い刃が通った後には、昼過ぎの太陽に照らされて、氷の傷跡が光り輝いた。
舗装工事のコンクリートも無事固まり、燃えるような紅葉が枯葉となって落葉した頃であったか、社員食堂という名の狭苦しい従業員詰所には、いつものように煙草の煙が充満していた。ひと騒動を収めた後で黒岩栄作さんは、うまそうに吸った煙を口から輪っかの形にして吐き出していた。そのひと騒動というのは、明鏡閣の正面玄関の西側にあるコンクリートの段の角が、とうとう古代の神殿のように崩れたことであった。先頃コンクリートを扱った経験を活かして、早速サカエさんが補修したので形ばかりは元に戻ったが、古いコンクリートと真新しいコンクリートの色合いの違いは、やはり目立った。悠太郎がそのことを指摘すると、煙草の煙を吐き出したサカエさんは、「あのくれえはどうっちゅうこともねえ。ここは熊川のほうにあったホテルに比べて大衆向けだものを、細かいことは気にしねえだよ。この明鏡閣にはもっと面白い伝説があるぞ」と言って、観光ホテル明鏡閣のロゴが入った陶器の灰皿で煙草を揉み消した。「一階の大食堂では雨漏りがした。お客が食事しているところへおめえ、ポターリ、ポターリ雨の雫が落ちてきた。ところが落ちてきたのは雨の雫だけじゃなかった。ユウくん、何が落ちてきたと思う? 猫だよ。猫が天井を突き破っておめえ、ドサーリ落ちてきただよ。さぞやお客もたまげたんべえ」とサカエさんが愉快そうに話すと、みんなは楽しげに笑った。
「そうそう、猫が落ちてきたのよ。雨漏りじゃなくて猫漏りだなんて言って、私たちもお客さんも大笑いしたわ。そんなこともあったわねえ」と常務の妹の三池光子さんがアイシャドウの濃い目をぱちくりさせながら、月光に照らされた黒天鵞絨のような声で言うと、みんながまた笑った。悠太郎にとってもその話は面白かったが、しかし冗談では済まされないことのような気もした。いくら大衆向けとはいえ、お客さんはお金を払って泊まりに来ているのだから、雨漏りだの猫漏りだのしたら怒られはしないのか――。そう悠太郎が問うと、光子さんは優雅な手つきで煙草を燻らせながら、「そこが浅間観光の普通じゃないところなのよ。雨が漏ろうが猫が漏ろうが、そういうものとして愛される。そういうところがいいと言って、お客さんたちはまた来てくれる。観光ホテル明鏡閣はそういうところよ」と答えた。剽軽者の橋爪進吉さんは痒い背中を柱にこすりつけながら、ゲジゲジ眉毛の顔をひしゃげたように笑わせて、「わが浅間観光は永久に不滅です!」とプロ野球の名選手が引退したときの台詞をもじったので、みんなは濛々たる煙のなかでまた笑った。壁に飾られた増田ケンポウの写真も豪快な恵比寿顔で、自身が創業した株式会社浅間観光の繁栄を寿いでいるかに見えた。
「ところで熊川の旧ホテルって、どんなだったんですか? あのあたりをぼく時々バイクで走るんですけど」と若い林浩一さんが平たい顔で尋ねると、髪を四角く刈り込んだ南塚支配人は「うおっほ、うおっほ、うおっほ」と咳払いして往時を思い起こし、「あちらのホテルはこちらと全然違いましてね、断然高級志向でしたよ。浅間石で組み上げられた門柱は、旧ホテルの跡地に残っていますが、熊川の水を庭先まで引いて、ちょっとした池にして、錦鯉なんか泳がせましてね。設備はおおむね学芸村倶楽部から引き継いだものでしたよ。硬式・軟式のテニスコート五面、円形の大浴槽を男女別の半円に仕切った浴場、卓球台やビリヤード台、碁盤や将棋盤、岩波文庫を満載した書架、六里ヶ原に舞う色とりどりの蝶の標本、そしてずっしりと重い高価な銀食器――懐かしいですな。あちらが失われて以来、似たようなものをこちらにも揃えてきましたが、いやはや同じにはなりませんな。そもそもの初めから格式も違えば、ターゲットにする客層も違うのです。もともとこちらは学生さんの林間学校や合宿なんかに向いているのです。もし例の画伯が――というのは森のなかの湖とか、そのほとりを走る白馬とかの絵を描く有名な洋画家が――熊川河畔の浅間観光ホテルではなくて、この湖畔の明鏡閣に泊まったら、それは不釣り合いで奇妙なことだったでしょう」と話してまた煙草を吸った。「まああちらのことは梅子さんや秀子さんがよくご存知でしょう。何しろ千代次さんと一緒に別館で暮らしておられたわけですから」と南塚支配人が言うと、梅子は急須から湯呑みにお茶を注ぎながら「ウッフフ、うちの人はねえ、その画伯の部屋にひとりでお茶を出しに行ったことがあるって自慢話をするだよ。その画伯が表紙を描いている雑誌のことで、ひと言ふた言お話をしたんだと」と応じ、パンチパーマの頭をゆらゆらと揺らした。豊かな黒髪を頭の後ろでお団子にまとめ、下膨れの顔にうっすらと愛想笑いを浮かべた秀子は、熊川河畔の高台にあった高冷地農業研究場のことをよく憶えていると言って、そこで飼っていた乳牛のことや、それらに与える飼料のサイロ詰めのことなどを話した。そうした話を注意深く聞いていた悠太郎は、洋画家の画伯のことはお祖父様から聞かされたことがあるが、湖の絵を描くのならこの湖畔に泊まったほうが便利ではないかとか、高冷地農業研究場が閉鎖されなければよかったのにとか考えた。ぼくもサイロで牧草を踏めれば、幼稚園で開拓の子たちがサイロ詰めの話を始めてもついてゆけるのに――。
そのとき三池光子さんがアイシャドウの濃い目をぱちくりさせながら、「そういえば旧ホテルで使っていた銀食器、どこへ行ったのかしらねえ」と艶のある低音の声で疑問を呈した。すっかり虚を突かれた南塚支配人は「うおっほ、うおっほ、うおっほ」と咳払いするのも忘れて、「銀食器の行方ですか? 考えてみたこともありませんでした! 言われてみれば、どこへ消えたのでしょうなあ。しかしこちらは大衆向けですから、あの銀食器をこちらで使うのは不似合いなことだったでしょう。あちらのホテルを廃止するとき、誰かがしかるべくお金に換えたに違いありません」と答えた。すると煙を口から輪っかの形にして連続で吐き出していた黒岩サカエさんが、薄黒いサングラスの奥で目を光らせながら、「俺の聞いた話では、だんだん少なくなっていったらしいですね。確かめたわけじゃねえが、いつの間にかナイフやフォークがひとつまたひとつと、だんだん減っていったそうです」と出し抜けに言った。これを聞いた悠太郎は、あたかも照月湖温泉で冷水のシャワーでも浴びたかのように背筋が寒くなるのを感じた。常務の妹も現支配人も、消えた銀食器の行方を知らない? そんな高価なものを、お客さんたちにタダでくれてやっていた? いかに創業者の増田ケンポウが物惜しみしない豪快な人物だったとはいえ、銀食器の管理はあまりにいい加減すぎはしないか? 一回一回の食事が終わるごとに、数を数えてしかるべきではないか?――「いったいこの会社は大丈夫だろうか」と悠太郎は思ったが、「いや、現在はかつてない好景気だと言われているし、それに事業の神様と呼ばれる増田ケンポウの創った会社が、潰れたりするはずはないのだ」と考えて不吉な予感を打ち消した。
すると湯呑みからお茶を啜ってギョロ目を見開いた桜井謙助さんが、額に三筋の皺を寄せながら「時勢だのう」と言った。「あの高名な画伯のお気に入りだった旧ホテルも、今じゃ荒れ地さ。建物は古くなるし、人も年を取る。始まったことは終わってゆく。いやはや時勢だのう。時勢といえばおめえ、あの樹氷まつりだってそうよ。冬の照月湖が大いに盛り上がったが、たった一度で終わっちまった。あれは残念だったのう。難しい世のなかになった」と橋爪さんのほうを見た。剽軽者の橋爪さんは、ゲジゲジ眉毛の顔をひしゃげたように笑わせてお茶をひと口飲むと、待ってましたとばかり「あれは何年前だったかのう、ユウくんが三つかそこらの頃じゃなかったかい?」とお得意の話を始めた。その冬に観光協会の主催で、樹氷まつりという盛大な催し物が照月湖で開かれたことや、湖畔の遊歩道の樹々は水をかけられ、人工的な樹氷となって美々しくライトアップされたことや、厚く結氷した湖の上には様々な雪像や出店が並んだことや、多くの人々が集まったことを橋爪さんは話したが、さていよいよ面白いのはその先で、樹氷まつりの様子を報道で知った福島のある温泉旅館が、樹氷を作る技術はうちが特許を取っていると言って、クレームをつけてきたというのである。明鏡閣から先方へ急遽出張して事情を説明したのは、誰あろう橋爪さんその人なのであった。「まあずまいったね、俺たちはただ夜中にホースで、樹に水をぶっかけて凍らせただけだっちゅうのに、特許がどうのとか文句言われてさあ。俺が急いで福島の旅館へ飛んでったら、まあずたまげたねえ、そこの女将がだよ、十二単なんか着て出てくるの。俺は面食らったけど、一生懸命説明したよね、俺たちはただ水かけただけなんだって。だけど十二単の女将は、いっくら言っても分かってくれねえの。特許権の侵害には法的措置の一点張りよ。耐え難きを耐え、忍び難きを忍びっちゅうやつだね、俺は謝ってきたよ。二度としませんごめんなさいって頭下げてさ。まあず残念だったね、あんなに盛り上がったのに。照月湖の樹氷まつり、夢幻のごとくなり」と橋爪さんが面白おかしく話したので、みんなは煙のなかで残念がりながらも楽しげに笑った。
そういえばそんな催し物もあったらしいと、悠太郎は睫毛の長い目を伏せて考えていた。一階の大食堂には、樹氷まつりの写真が何枚も引き伸ばされて飾られていた。そのなかの一枚には、サカエさんに抱き上げられた小さな悠太郎が映っていた。たった何年か昔のことのはずなのに、悠太郎はそのときのことを記憶していなかった。幼稚園に入って以来、あまりにもたくさんの人や出来事が奔流のように襲ってきたために、幼稚園が始まる前の平穏な時代の記憶は、ほとんど洗い流されてしまったかのようであった。悠太郎はそのことをとても淋しく思った。時間は先へ先へと流れてゆく。始まったものは終わってゆく。あったものはなくなってゆく。人は年を取ってやがて死んでゆく。記憶はやがて失われてゆく。どうしてみんなはこんなに淋しいことが平気なのだろう。どうしてみんなは楽しげに笑っていられるのだろう――。睫毛の長い目を悄然と伏せながら悠太郎は、夜の闇のなかにライトアップされてきらきら光る樹氷や、凍った湖の上に並んだ雪像の形や、出店で売っていたという温かな甘酒の香りを思い出そうと、意識を凝らしてみたが果たせなかった。
幼稚園に入る前の記憶として、唯一はっきりと悠太郎の脳裏に残っているのは、刈り込み鋏を持たされた自分が、母と祖父に見守られていたある日の場面であった。あれは二歳の頃であろうか、それとも三歳の頃であろうか。薄曇りの夏の初めであろうか、それとも終わりであろうか。悠太郎は庭木を剪定していた祖父から、いかなる成り行きでか長い刈り込み鋏を手渡された。刃のところを触っては駄目よと母が言った。悠太郎としても危ないことはしたくなかったから、言いつけに従って持ち手をしっかりと握ったつもりでいた。ところがどうしたわけであろう、次に気がついたときには、悠太郎の手から血が流れていたのである。赤く温かい自分の血を流した悠太郎は、驚いて大声で泣いた。母が大急ぎで悠太郎を家に連れ込むと、サビオと呼ばれる絆創膏で傷口を手当てした。その後は三人で古い胡桃材の座卓を囲んで焙じ茶を飲んだ。祖父は眼鏡の奥で極度に細い近視の目をしばたたきながら、大袋入りのチョコレート菓子をひとつだけ、慰めるように悠太郎に与えた。祖父も母も悠太郎も笑っていた。あれは小さな危機の後の穏やかなひとときだった。あの頃はまだぼくの世界は平和だった。あの頃はお祖父様もお母様もぼくに優しかった――。泣きそうになった悠太郎が目を上げると、窓の向かいにやや前傾して取りつけられた長方形の鏡は、花の枯れ果てた円形の花壇のある駐車場に、見知らぬハイエースが入ってきて停車する様を映していた。サカエさんが薄黒いサングラスの奥で目を光らせ、「西軽の兄貴だんべえ」と言うと、立ち上がって調理場へと姿を消した。
「へえ、へえ、へえ、どうもどうも」と景気のいい声を上げながら入ってきたのは、西軽井沢物産流通の営業の兄貴であった。兄貴はキャップから盛大にはみ出したもみあげを、剛毛の生えた手の指先でぼりぼりと掻きながら、造作の大きな顔を破壊的に笑わせて、「こちらさんも景気は上々だんべえね? おかげさんでうちも上々なんさあ。どこへ行ったっておめえ、野沢菜漬が飛ぶように売れるつうこと!」と浅間山の北麓と南麓の方言をチャンポンにしたようなことを言った。そこへサカエさんが調理場から出てきて、「よかったら食っていきな」と皿に盛ったお手製のカレーライスを差し出した。西軽の兄貴は「へえ、へえ、へえ、ありがてえや。まあず照月湖さんはいつも気前がいいつうこと!」と喜んでご馳走になる構えを示して丸椅子に座ったが、このお世辞に気をよくしたサカエさんは、さらに生卵を一個サービスした。物問いたげに見つめる悠太郎に気がついた西軽の兄貴は、「へえ、へえ、へえ、するとこの子が秀子ちゃんの息子かい?」と言いながら、皿の縁で割った生卵をカレーライスとぐちゃぐちゃに混ぜ合わせると、「なんだか元気がねえみてえだが、大丈夫かい? 子供はとにかくうんと飯を食うこった! 体が丈夫にならなけりゃあおめえ、生活の憂いをぶっ飛ばせねえつうこと!」と言って、サカエさん流に生卵と混ぜたカレーライスを大きなスプーンで頬張った。
そこへ売店前の廊下を社員食堂に向かって、体を左右に揺らしながら大儀そうに歩いてきた小柄な老婦人が、入口のドアを開けて姿を現した。ブロッコリーのような髪型をしたその老婦人は、愛犬のポメラニアンを袋に入れて背負っていた。この老婦人こそ学芸村の水道屋たる森山サダム爺さんの奥方であった。森山伸代さんは甘ったるい声で「皆さん、おこんにちは。ねえ今日もなさる? 私も混ぜてくださらないかしら?」と言いながら、手で何かを掻き回すような仕草をしたが、果たしてそれは麻雀を意味していたのである。三池光子さんが緑の雀卓や、箱に入った牌や点棒を取り出すと麻雀が始まって、光子さんと伸代さんと梅子と秀子が東南西北を囲んだ。混沌と掻き回された牌が、整然と並べられて四人の手許に配られるのを、悠太郎は物問いたげな大きな目で不思議そうに見ていた。優雅な手つきで牌を捨てたり引いたりしながら光子さんが、月光に照らされた黒天鵞絨のような艶のある低音の声で「その犬ね、アンちゃんだっけ? 自分の脚で歩かせたほうがいいんじゃないかしら? 運動不足になるわよ」と忠告すると、伸代さんはブロッコリーのような頭を振り振り「そんなの可哀想よ。アンちゃんには苦労をかけたくないの」と甘ったるい声で答えた。お茶を飲みながらの対局がやや進んだ頃、伸代さんは思い出したように「そうだ、サカエさん。いつかまた馬肉が入荷したら、ちょっぴり分けてくださらない? うちのアンちゃんは馬刺しが大好物なの」と言って一同を面食らわせた。光子さんは苦々しげな低音の声で、「ずいぶんグルメなワンちゃんですこと。運動不足に栄養過多じゃ、長生きしないわよ」と再び忠告した。光子さんの麻雀の強さを目の当たりに見られるかと悠太郎は期待したが、いざ対局が大詰めになると、突然梅子が雀卓の上にお茶を吐き出して「あっつーい!」と叫んだので、例のごとく社員食堂は大騒ぎになって、その対局は流れてしまった。「へえ、へえ、へえ、まあずこりゃカオスだつうこと! 麻雀牌をぐちゃぐちゃに掻き回したようなカオスだつうこと!」と西軽の兄貴は、造作の大きな顔を破壊的に笑わせながら驚き入ったが、その混沌たる有様を悠太郎は、袋のなかのポメラニアンとよく似た困惑の表情で見守っていた。ともかくも観光ホテル明鏡閣の社員食堂は、ことほどさように地域の人々の憩いの場ともなっていたのである。
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