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しおりを挟むそれは昼食の席にて。
昨日の晩餐と同じ位置に揃った家族と灯。昼食はカツ丼だった。
「お兄様とね、川遊びをしていたんです」
「まあ、それであんなにずぶ濡れだったの」
「はい!それで、灯さんは人間の割にすばしっこくて、それも面白くて」
双子の妹たちがニコニコしながら話をしている。俺は何だかバツが悪くて、ひたすら箸を動かして食事をかき込んでいた。で、その様子を、父とルイスと、おしゃべりをしているはずの母や妹たちにチラチラと見られていて。
「お母様、やっぱりルナリアお兄様は、甘いものがお好きなんですって」
「そうでしょ?母親なんだから、そんなことは知っているのよ」
そこで母が俺を、細めた目でじっと見つめてきた。何か、催促されているような。
俺は思わず視線を灯にうつして、でも灯は知らない顔をした。
「あの……エッグタルト、とても、美味しかったです」
なんだかとても恥ずかしい。こんなこと、今まで言ったことはなかった。
「ルナが全部食べてしまったもんな」
と、意地悪く灯が言う。きっとずぶ濡れにしたから、ここで仕返しでもしようと思っているのだ。
「だからおれの分はなかったんです。でもすごく美味しそうに食べていたので、おれはそれで満足なんですけど」
「あらそう。じゃあまた作るわね。わたくしも甘いものが好きなの。ルナリアはわたくしに似たのかしら」
ホホホ、と母が笑う。
母と灯以外は目を丸くして、宇宙人が人間の言葉を喋ったぞ!みたいな顔を俺に向けてきた。
「な、何ですか?」
「いや、なんでもない」
「強いて言えば、お前でも美味しいと思う感情があったんだなと、僕は何だかしみじみとしてしまっただけだ」
「ルイス、お前はもう黙って食事をしていなさい。せっかくルナリアが自発的に声を発したんだ。邪魔をするな」
などと父とルイスが言う。
俺は居心地が悪くて、それから灯に仕返しを始めた。
「灯はさっきメイドに裸見られてタコみたいに真っ赤になってたよな?いつも朴念仁なのに」
と、何の脈絡もないのはわかっていたけれど言った。
「っ、それは、そりゃ恥ずかしいだろ!?あんないきなり入って来るとは思わなかったんだ!」
これはずぶ濡れになって母屋へ戻ってからの出来事だ。
俺と灯は、こっちの俺の自室にあるバスルームでシャワーを浴びた。で、脱衣所でふかふかのバスタオルで体を拭いている時のことだ。
ガチャ、と脱衣所のドアが開いて、4人のメイドが着替えを持って入ってきた。灯はその瞬間急いで前を隠し、真っ赤になって叫んだ。「うわ!なんだ!?」って。
まあ、要するにメイドたちが着衣を手伝いに来たわけだ。髪を乾かし丁寧に撫で付けて、シャツを着せてボタンをとめたり、それから面倒な編み上げのブーツを履かせてくれたりするために。
「お前はそれが普通かもしれないが、おれにとっては普通じゃなかったんだから仕方ないだろ!」
「必死でメイドから逃げる全裸の灯、マジで面白かったよ。今度は風呂の中まで手伝いに来てもらおうか?」
「本当にやめてくれ!!」
結局何とかメイドに断り、自分で服を着た灯だった。そして問題はこの後。
メイドのひとり、茶色い長い髪を後ろで纏めて団子にした、切れ長の目のサラというメイドが、脱衣所を出る直前に言ったのだ。
「昨晩のコーヒー、深煎りのものにしたのですが、お口に合いましたでしょうか」
パタリと閉じたドアに視線を向けた灯の顔は、真っ赤ではなくて蒼白になっていた。
つまりは俺たちの情事の最中に出入りし、エッグタルトとコーヒーのポットを置いた、ということで。俺はもう面白すぎて大爆笑してしまったのだった。
そこまでは家族には言わなかったが、多分灯は思い出したのだろう、また真っ赤になって俺を睨み付けてくる。
「サラに頼もうか?お前のこと気に入ったんだと思うよ?というかあの子結構人をおちょくるの好きだから、いたぁ!?なんで殴るの!?暴力反対!!」
箸を放り出して、両手で頭を抱える。どうして灯はすぐにゲンコツを叩き込んでくるのか?
「うるさい!黙って食えよ!お前はどうしたら口数が減るんだ!?もっと頭殴った方が良いか!?」
「違うよ!殴るから俺の頭がおかしくなって口が止まらなくなってんだよ!多分……あ……」
ふと視線を感じてテーブルのお向かいを見た。母の笑顔には、静かに怒りが宿っていた。
「ルナリア、楽しそうね。でも、お食事中ですよ」
これは直訳すると「ルナリア、うるせえな。行儀悪いんだよさっさと飯食え」だ。
「ゴホン……失礼致しました」
「すみませんでした」
俺に続き灯も謝った。それからは静かな食事が続いた。
昼食の後は、灯に屋敷内を見たいと言われて、適当に案内を始めたのだが、すぐに邪魔が入ってしまった。
双子たちがすっかり俺に気を許したというか、懐いてしまったというか、まあ、川遊びなんて教えるような吸血鬼が周りにいなかったこともあってだろうか。俺を追いかけ回しはじめたのだった。
で、屋敷中を灯を連れて逃げ回り、結局夕方頃に疲れ果てて客間のソファに座り込んだ。灯はゼェゼェ言いながら、でも楽しそうで、俺もつられてにっこりした。
「あ、そろそろ時間か」
灯が客間の掛け時計を見て言った。時刻は17時過ぎ。
「何?」
「ちょっと出掛けよう。エディさんが車出してくれるから」
いつの間にそんなことになったんだろう。俺は首を傾げつつ、灯と並んで玄関へ向かう。
正面にすでにいつもの小ぶりなリムジンが停まっていて、エディが後部ドアを開けて待っていた。
その車内にはすでに双子の妹たちが乗っている。
「ルナリアお兄様、はやく乗ってください」
アイラが急かすので、俺は灯と車に乗り込んだ。
車は街の方へ向けて山を降りていく。薄暗い山の中から、平々凡々な街並みが見えた。
そうしてしばらくすると、車は駅のロータリーに横付けされ、エディが後部ドアを開ける。
「何だか今日は賑やかだね。あ、ねぇ、お祭りでもあるの?」
駅の正面はいつもと比べられないほど人が歩いていて、中には浴衣を着て歩く男女の姿もあった。そこで俺はああ、夏だしな、なんて興味もなく思った。
「そう、お兄様は夏は帰って来ないでしょう?ここ50年くらい、毎年夏祭りをやっているのよ」
「わたしたちは毎年ふたりで来るの。ルーカスお兄様は忙しいし、ルイス兄様はうるさいから」
そう言ってにっこり微笑み、では、と2人並んで先に行ってしまう。
俺は遅れて、灯と並んで会場へ向かった。
駅から少し歩くと、さらに人が溢れてきて、その騒めきが俺には少しうるさいくらいだった。下手すると逸れてしまいそうな人混みの中、灯は俺の手を繋いでさっそうと歩いて行く。
どうやら会場は、この先の少し大きな川沿いらしく、そこに近付くにつれて屋台の良い匂いがしてきた。
「ルナ、何か食べよう。何が良い?」
「何、と言われても……何があるの?」
恥ずかしながら、こういう賑やかなイベントとは程遠い生涯を歩んでいる。知識としては知っていても、実際の祭りがどんなものかなんてわからない。
「たこ焼きや、焼きそば、イカ焼きもあるな。からあげも定番だし、フライドポテトもある。後はかき氷とかりんご飴も」
「全部」
「え?」
「全部!」
振り返った灯の顔が引き攣っている。
「聞こえてないの!?全部って言ったんだけど!!」
「それはさすがに無理だ」
「なんでぇ!?」
「並ばないと買えないから」
ああ確かに、と俺は辺りを見回して理解した。すでにどこの屋台も人だかりができている。
「じゃあもうなんでもいいよ。灯のおすすめで我慢する」
灯から定期的に血を貰っているからか、灯といるとお腹が空いた気分になる。
「出来るだけ沢山買ってね?じゃないと灯が俺のご飯になりそう」
そう言うと、灯は複雑な顔をした。で、自分がご飯にならないように、出来るだけ沢山の屋台飯を買ってくれた。
焼きそば2つとたこ焼き、広島焼き、イカ焼き2本。デザートにベビーカステラの大きな袋とりんご飴。それらを手に、俺たちは川の方へと歩く。
川にかかる橋は、蟻の大群に覆われてしまったみたいに人が多かった。見ているだけでむさ苦しい。
「灯、なんでみんな橋に集ってんの?暑苦しいのに」
「まあ、あそこが見やすいんだろうけど、今から突入する元気はおれにもないな」
俺は首を傾げ、灯の顔を見上げた。が、その時近くで爆発音がして、ビビった俺は灯の胸に顔を押し付けて耳を塞いだ。
「ルナ、大丈夫だ。別にテロとかそう言うのじゃ無いから」
脳みそが機動班に染まっている灯が言う。それで、俺は恐る恐る顔を上げた。
「ほら見て?ルナはあれが見たかったんだろ?」
「え?」
灯が笑顔で指を差した先、暗くなった夜空に、大きな花が咲いて……それらは儚く瞬いて消えた。
「……花火?」
「そう。今日、ここらで毎年やってる花火大会の日なんだ。俺も今朝聞いてさ、双子たちが行くから、じゃあ一緒に連れてって貰おうと思ったんだ」
そう灯が話す間も、次々と大きな音と共に綺麗な模様が空へと浮かぶ。
俺は灯の言葉も、周りの喧騒も、この瞬間何も聞こえてこなくなっていた。ただその大きな光が煌めく様を見上げて、いつの間にか、涙が溢れてしまって、止まらなくなった。
「何で…?俺、灯に話したっけ?総司との、花火のこと」
「いや、直接聞いたわけじゃない。ただ隔離部屋にいたお前がさ、ずっと花火がどうとか言っているのを聞いてて……ごめん、気に障ったなら謝る。もう帰ろうか?」
苦笑いの灯に、俺はブンブンと頭を振った。
「嫌だ、帰らない。あ、灯、もっと良い場所で見ようよ」
「良い場所、って、ちょ、お前!」
俺はニッと笑って灯を抱え、夜空向けて飛び出した。周りにいた人たちが驚いて叫んだけど、そんなのどうでも良かった。
バサバサとしばらく上昇し、川に程近いところにある、なんちゃら写真館なる古びた4階建てのビルの屋上へと降り立つ。
ちょうど正面に川が見えて、その川の真ん中に花火の筒が並んでいるのも見えた。
「飛ぶなら飛ぶと言ってくれ……心臓に悪い」
やれやれと地面に座り込んだ灯に、俺はまたニッと笑った。
「ね、焼きそば食べたい。灯、早く出して」
「我儘か」
渋々、でも笑みを浮かべた灯が、ビニール袋から焼きそばのパックと割り箸を出して渡してくれる。
その間も俺は花火に夢中で、しかも涙が止まらなかった。
「総司は……ごめん、灯。先に言っておくけど、俺にとって総司とのことは、本当に大切な思い出なんだ。そこに互いにどう思っていたかは関係ない。総司は俺に、それまで知らなかったことを沢山教えてくれて、経験させてくれた。だから今の俺がいるし、灯とも出会うことができた……だから、決して過去の総司と、今の灯を比べてなんかいないって事を、ちゃんと知ってて欲しくて……」
そんなの今更だよな、とは思ったけれど、言わないのも違う気がしたのだ。
「わかってる。おれも、嫉妬して酷い事を言った。でもそうだな、ちょっと羨ましいとは思うかな。おれだってルナに初めてのことを教えたかったな、って」
「いやいや、灯は俺に初めてを沢山くれてるよ。ほら、俺の処女はお前のものだ」
そう言うと灯が拳を振り上げたので、俺はやって来る痛みに備えた。が、しかし灯は、ゲラゲラと笑い出したのだった。
「こんな時によくそんな事が言えるな」
「褒めてるよね?灯?ねぇ?」
はあ、とため息を吐き、灯はビニール袋からたこ焼きを取り出してパックの蓋を開けた。
「笑ってお腹がすいた。ルナも座って食べなよ」
言われた通りに、俺も灯の隣に腰を下ろす。
「本物の打ち上げ花火って凄いんだね。うるさいし。総司と花火をしたのは、魔界都市のビジネス街で一番背の高いビルの屋上だった。最初は手持ち花火で遊んでたんだけど、総司が筒状の花火を何個も取り出して、それ全部一気に火をつけたんだ。で、絶妙にしょぼい花火が空に咲いて……警備員がすっ飛んできてさ、慌ててビルから飛んだんだ」
あの時に、今度本物の花火大会に行こうとか、そんな事を言った総司だったが、結局それは果たされていない。適当な奴だったから、きっと魔界都市へ帰ってきた時には忘れていたんだと思う。
それで、と俺は続けた。
「俺のファーストキスはその時だった。総司はもう東京で進学することが決まってて、俺、本当はさ、総司に行かないでって言えたら良かったな……なんて女々しいことを考えていたんだ。俺もお前が好きだよって、言えたらなって。それから俺はさ、変わったり終わったり、変化があるものには近付きたくなくなったんだ。きっと何をしても、言っても、後悔するだろうから」
それなのに、帰ってきた総司に誘われるまま、機動班なんかに入ってしまって抜けられないでいたんだ。変化が怖かったから。
「だからお前はあの喫茶店に行かなかったんだな」
「うん。まだそこにある姿だけを覚えておきたかったから。今日で最終日なんですよ、なんて言われたら、俺多分店の中水浸しにする勢いで泣いちゃうよ」
「意外と泣き虫だもんな」
ふふ、とどちらともなく笑って。
次から次へと空を彩る花火を見ながら、きっちり焼きそば2つとたこ焼きと広島焼きとイカ焼き2本と、カステラとリンゴ飴を食べ切ったのだった。溢れてきて止まらない涙と一緒に。
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