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 もうすぐ、ルナと初めて顔を合わせた4月になる。

 魔界都市では特別春の何かがあるわけではない。花見ができるようなところもないし、何か祭りがあるわけでもない。

 ただ感覚として、そろそろ春がくるな、と思うだけだ。

 おれはその春の陽光を感じつつ、とあるホテルへと足を向けた。

 以前ルナとケーキバイキングに来た高級ホテルだ。

 その高級ホテルを見上げると、目を輝かせながら美味しそうにケーキを頬張るルナの姿が鮮明に浮かんでくる。こちらがドン引きするくらいにケーキを皿に乗せてきては、限界なんて知らないという勢いで食べる姿が微笑ましくて。

 帰り際に寄ったラーメン屋で、正直おれは吐きそうになっていたが、ルナは宣言通り大盛りのラーメン3杯を食べ切っていた。

 そうやって行く先々でルナとのことを思い出し、絶対に見つけ出してやろうと決意を新たにするのだ。

 ホテルはガラス張りの出入り口に警備員が2人立っている。高級とは名ばかりではなく、建物内の防犯カメラなどの警備が厳重で入り難い印象を与えてくる。

 またあのレストランにでも行くフリをして入ろうか、でもジークを探すなら適当に友人に会いに来た、というフリをするべきだろうか。

 自分の服装を見下ろして、そしてため息が出た。自分では普通だと思っていたが、ルナは終始ダサいと指摘していた。白いロンTに濃い色のデニム姿の今日の自分は、確かにあの高級ホテルには場違いそうだ。

 出直そうか、と思った直後のことだ。

「確かに高級そうなホテルには入り難い格好だ。しかし別に気にすることはない。大事なのは堂々と振る舞うことだ。自分はここに宿泊している金持ちの友人だ!何も怪しいものではないのだぞ!と。よし、まずはイメージトレーニングだな。実際に一度言ってみろ、自分は怪しいものではないぞ!ほら、早く!」

 背後からマシンガンのような言葉が聞こえてきた。驚いて振り向くと、すぐ側にルナの次兄であるルイスが立っていた。

「……何をしているんですか?」
「何って、悩ましげに自分の服装を見てため息を吐く青年にアドバイスをだな。しかしまあ、見事に残念な男だな、お前は。顔は良いが服装にパンチがない。地味オブザイヤー獲得だな。と言うか服装を変えればもう少し明るい性格になれるのではないか?」

 正直少しイラッとしたが、相手はルナの兄で、しかも権力のあるだろうベルセリウスの吸血鬼だ。その寄付金で給料を貰っているのかと思うと、グッと堪えるしかない。

「やめなさい、ルイス。秋原さんが困っているよ。それにお前だって大概残念な奴だろう。口はうるさいし騒がしいし落ち着きがなくてうるさいし」

 また背後から声がして、そちらに目を向けると、ルイスとそっくりの、でも落ち着いたら印象の青年がいた。ルイスと同じ白金の長い髪を、後ろでひと束の三つ編みにして優しげに微笑んでいる。

「初めまして。私はルイスとルナリアの兄で、簡単に言えばベルセリウスの長男、ルーカスです。ルイスのことは無視して頂いて結構ですよ。いつもクソうるさいので」

 ニコニコしているがこちらはこちらで癖がありそうだな、とおれは思った。

「初めまして。ご存知だと思いますが、おれは秋原灯です。あの、お二人はここで何を…?」

 そう問うと、ルーカスとルイスが同時にため息を吐いた。

「ルナリアと連絡がとれなくてね。あの子、機動班を辞めたから、所用が済み次第、帰ってお役目を再開すると連絡をくれていたのだけど、それ以来どこで何をしているのかわからなくなってしまってね」
「散歩にしては長いなと思ったわけだ。で、まあ、親父が困っているからルーカスと共に探しに出て来たんだが、あのルナリアはお役目のせいか僕たちよりそういう、隠れたり、追い掛けたり、逃げたりが上手いからな。正直お手上げというところではある」

 お役目、と聞いて、おれは言った。

「やっぱりルナが同族の罪を裁くという役目を負っているんですか?執行人、とか言われてる」

 苦笑いを浮かべた2人に、おれはもう確信を抱いていた。

「本当はルナリア自身が話すべきだったんだろうけれど、そうも言っていられないか……確かに我らベルセリウス家三男はルナリアですよ。そしてお役目のために産まれ育てられたのも事実です。でも私たちにはただの弟です。こうして探しに出て来たのは、あの子にお役目をさせるためじゃない。本気で心配して来たことは、どうか理解してください」

 ただでさえ恐ろしいと思う吸血鬼の、その中でもかなりの権力を持つであろうベルセリウス家は、背負った役目もあり、どこか近付き難く厳格な家なのだろうと思っていた。

 しかしそれはただの思い込みだったようだ。

 おれの知っているルナがそうであるように、その兄ふたりもまた気さくで、こちらに配慮してくれる存在のようだった。

 そして真剣に弟を心配している兄なのだ。

「……申し訳ありません。これはおれの所為でもあるんです。おれがルナに酷いことを言ってしまったから。ただ謝りたくて……」
「いいんですよ。他人にも家族にも、何を言われてもどうでもいい、と考えていたルナリアが、あなたの言葉は真剣に受け止められた。それが肯定であれ否定であれ、そこにはしっかりと感情があった。私たちはそれが嬉しい。本当に無口で表情のない子だったからね」

 そんなルナの一面など想像もつかないが、ルーカスの言葉におれは、少しだけ救われた気がした。

「思い出を語るのは酒の席まで取っておこう。で、兄上は何かわかったのか?」

 ルイスがそう問うと、ルーカスは困った顔で答えた。

「ホテルのフロントスタッフに聞いたところジークはいなかったよ。すでにどこか別の場所に移動したあとだった。でも、その時期がちょうど、ルナリアと連絡が取れなくなった頃だった」
「ふむ。じゃあやっぱりあの噂は本当か。兄上はどう思う?」

 うーん、と悩ましげな苦笑を浮かべるルーカスだ。おれは事情がわからず、とりあえず2人の会話を聞いていた。

「そうは思いたくないけれどね……でもあのババアの息子だったらやりかねないね。私たちは同族からの恨みを買い過ぎているから」
「まあ、そうだな……ならその線でもう少し探りを入れてみよう。しかしこの魔界都市は、真っ黒な店が多過ぎるな」
「仕方ないよ。根気強く調べて行くしかないね」

 まいったな、と2人が微妙な笑みを浮かべる。おれはたまらず口を挟んだ。

「噂ってなんです?」

 すると2人とも一瞬で笑顔を消して、真剣におれの顔を見て言った。

「秋原さんには……とても言い辛いんですけど」
「ルナリアは監禁されている。それも我々の誰か、というかもう確信に近いが、ジークが関わっていると僕らは考えているのだが……その目的は多分、怨恨か復讐か、どちらかはどうでもいいが、もしルナリアを見つけることができたとしても、もうお前の知っているルナではないかもしれない」

 どう言う意味だ、と眉間に皺を寄せるおれに、ルーカスは重い口を開く。

「ジークは、最近新しい事業を始めたらしいんだ。それが所謂人身売買的なもので。ルナリアがもしジークに捕まっているのだとしたら、どんな目に会っているのかは……まあ、想像でしかないけれど」

 そんな、とおれは目の前が暗くなる思いだった。

 おれの大切なルナが、誰か他の人に酷い目に遭わされているのだろうか。

 そして脳裏に過ぎるのは、ルナの大きな瞳が、快楽の涙を浮かべてヨガる、そんな姿だ。普段のルナとは違うその行為の時だけに見せる表情の、可愛らしさと美しさを、おれは生々しく思い出してしまった。

「クソッ!!おれは……おれの所為で……」
「違うよ。あまり思い詰めなくてもいい。ただ、それなりの覚悟はしておいた方がいい、と私は思う。あの子も吸血鬼だ。あなた方人間より、体も精神も強くできているけれど、我々には唯一逆らえない欲求がある」
「確かに兄上の言う通りだ。ルナリアは80年血を飲まずにやって来た。そんなあの子の前に、都合良く血を与えてくれる存在がいるとしたら、それはもし僕がその立場でも逆らうことはできないだろうな」

 ぐっと拳を握りしめる。後悔もあるが、それよりも今は、早くルナを見つけなくては、とそんな思いが強い。

「こういう時に役に立つのはやっぱり金だね」

 唐突にルーカスが言った。ルイスも「そうだな」と答える。

 突然なんの話かと首を傾げれば、なんだか悪い笑みを浮かべる2人。

「この魔界都市には違法な店なんかが多くて、たった2人でどうしようと思っていたけれど」
「お前を見て思い付いたんだが、こういう人手が欲しい時にこそ活かせる物がある」

 それでなんとなく想像がついてしまった。

「我々がなんのために多額の寄付金をここの署に提供しているか。ルナリアのためだ。あの子が機動班に入った時から、我々とここの署は繋がっている」
「ベルセリウスの名を出せば、署をあげて捜査してくれるはずだ」

 ニヤリと笑みを浮かべる2人を見て、ああやっぱり恐ろしいな、とおれは思ったのだった。
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