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しおりを挟む急いで仕事から帰り玄関を開けた途端、部屋の中からいい匂いが漂って来た。
カウンターキッチンへ駆け込む。僕の天使がお玉で鍋の中身を掻き回していた。
「ただいま、恵介くん」
「あ……おかえりなさい」
ハッとして振り返った恵介くんは、どこか上の空で鍋を掻き回し続けている。中身を見ると野菜がたくさん入った洋風のスープで、料理が全くできない僕でも、些かかき混ぜすぎなんじゃないかと思う。
「どうしたの?元気ないよ」
「うん……」
悩ましげな彼の表情は、それはそれで魅力的だ。美しく整った彼のアーモンドの瞳が憂いを帯び、思わず駆け寄って跪き、手を取ってどうかその憂いを晴らして差し上げましょう、という気分になる。
「ねぇ、そんなとこで跪いてると邪魔なんだけど。つか、手離して」
本気で邪魔と言われ、僕は仕方なく寝室へ向かう。とりあえずスーツを脱ぎラフなスウェットに着替える。
戻ってくると、ダイニングテーブルにスープとグラタン、色合いの鮮やかなサラダが並んでいた。
「君はいい奥さんだよ」
「そうかな……いや、奥さんって」
あれ?ちょっといつもより勢いが足りないな。いつもはもう少し辛辣な気がするんだけど。
「理人さん、熱いうちに食べて」
「わかった。ありがとう」
「いいよ……俺、こんなことしかできないから」
と、少し卑屈に言う。
「こんなことって言うけど、僕にできないことができる君はすごいよ?」
「そうかな」
沈黙。会話が続かない。ただ、ツーンと黙っていても美人は見ているだけで飽きない。
「今日は何してた?」
向かい合って食事をしながら聞く。恵介くんはスプーンでグラタンを掻き回しながら答えてくれる。
「朱美さんとSubのグループホームに行った。そこで昔の知り合いに再開して、連絡先を交換した。それから、電車で帰ってきて、スーパーに寄って、ご飯作って……って、言わなくても全部知ってるでしょ」
「君の口からも聞きたい」
そう言うと、彼はムスッとしてまたグラタンを混ぜ始める。
恵介くんには、逐一どこで何をしているかメールするよう言ってある。独占欲の強い僕のルールを、恵介くんは特に何も言わずに受け入れてくれた。
「悩み事があるならちゃんと言ってね」
せっかくのこんがり焼けたチーズがこれ以上ダメになる前に止めなければ。
恵介くんは、ふぅ、とひとつ息を吐いて口を開く。
「あのね、俺、パートナーとか恋人とか、理人さんが初めてなんだよね」
改めてそう言われると、自分でも制御できない感情が湧いてくる。彼にどんな過去があっても、自分が初めてのことがひとつでもあることが嬉しい。
「でさ、自分で考えてもどうしてもわからないことがあって」
「何かな?」
「家族と恋人って、どっちが大事なの?」
「……はい?」
随分と哲学的な質問に、一瞬思考が止まった。意図がわからず、言葉に困る。
「だから、もし、葉一と理人さんが同時に倒れたら、俺はどっちに駆け寄ったらいい?」
「それはもちろん、葉一くんの方だと思うよ」
「え?じゃあ俺、理人さんは大事じゃないの?」
僕に聞かれても、なんて答えてあげればいいのか?
まるで初めて自分の影に気付いた赤ちゃんみたいだ。
「いやぁ、なんていうか、僕は家族を大事にしている君が好きだし、そんな君を大事にしたい」
「答えになってないよ」
ムスッとした顔で、ついにスプーンから手を離した。
「そもそも、なんで急にそんなこと考え出したんだ?」
僕の頭も混乱しそうだった。
「今日、昔の仲間に会ったって言っただろ。風俗店にいた頃に仲が良かったヤツなんだけど。ソイツが、ウリを辞める理由は好きな人のためだって言ったんだ。俺も、確かにそうだなって思ったんだけど……葉一たちにどれだけ止められても、ウリを辞めるって選択肢は浮かばなかったと思う。でも今は自分のためにでもあるけど、理人さんのためも辞めようって思ってる。それって、俺は無意識に家族より理人さんを大事に思ってるってことだよね?」
なんて健気で可愛いんだろう。本人はものすごく悩んでいるみたいだけど、その考えがすでに可愛い。
「家族と恋人が同じわけないと思うよ。好きの意味合いも違うだろうし」
「ああ、それはわかる。葉一には抱き付いたりしないし、褒められてもウザいだけなのに、理人さんとは触れ合ってたいし、褒められると嬉しい」
自分がどれだけ凄いことを言っているか、自覚がないようなので触れないでおく。素直な彼はとても可愛い。
「わかった。僕のことは大事にしなくていい。但し、家族にできないことは、全部僕にしてほしい」
「例えば?」
「甘える、我儘を言う、頼る、とかね」
「それも、みんなそうしろって言うけど、よくわからない」
悩みの種を増やしてしまった。
「家族を大事に思うのは当たり前だけど、君は長男として義務を感じてる。家族のためにウリを続ける選択をするのは、責任を感じてるからだよ。僕を大事にしようとしているのは、君が恋人は大事にしなければならないって思ってるからだ。でも、恋人の関係はそれだけじゃないんだ」
無条件に甘えてもいい、頼ってもいい、我が儘を言っても許される。お互いがそういう関係性を大事にするのが、恋人同士なのではないか、と僕は思う。
もちろん家族に対してもそう考える人はいるだろう。だけど、両親、兄姉、弟妹と序列が決まっている家族の中では、対等であることもまた難しい。
ただし、彼にそれが伝わるとは思わない。だってほら、現に未だかつてないほど険しい顔をしている。
責任感や義務感から、長く自分の感情を押し殺してきた彼には、なかなか理解できないようだ。
「今度の休みは、どこか出かけようか」
「……急にどうしたの?」
怪訝な顔をする恵介くんに、僕は笑顔を浮かべる。
「デートしよう。どこか行きたいところはある?」
「行きたいところ……ないよ」
「じゃあ僕が決めておくよ」
うん、と頷いて、でも浮かない顔のまま、恵介くんはやっと食事を口に入れ始めた。
やれやれ、禅問答の時間がやっと終わった。
恵介くんの作ったグラタンは、すっかり冷めてしまったけれど美味しかった。
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