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 早朝の帰り道、犬の散歩をするおばさんやランニングに励むおじさんなんかとすれ違いながら、左足を引き摺って歩く。

 本格的に痛みが増してきた。まさかセックスで負傷するとは思わなかった。骨が折れたり、なんてことにはなっていないといいけど、冷や汗が出そうなこの痛みは無視することができない。

 秋口とはいえ朝日があたためる前の空気は冷たくて、異常なくらい寒かった。

 始発に乗って最寄駅へ向かう。朝日が本格的に地表を照らし出し、眩しさに眩暈がした。

 家に帰り着き、玄関の引き戸を開ける。ガラガラと年季のいった音がして、お兄ちゃんおかえり!と海斗の大きな声が聞こえた。

 それだけで、俺は幸せだった。家にさえ帰ることができたなら、俺は満足できる。

「ただいま」

 居間へ顔を出す。土曜日だから、香奈と真梨はまだ寝ているようだ。どんなときでも早起きの海斗は、朝からやっているアニメを見ながら笑っている。

 葉一は台所で朝食の準備をしていた。

「ごめん、海斗に合わせて早起きするの大変だよね」

 声をかけると、ちょうど卵焼きを焼き上げた葉一が視線をあげ、大きく目を見開いた。

「兄さん!?」

 驚きと疑い、そんな感情が入り混じった表情だ。

「あー、大丈夫だよ。ちょっと酔っ払いとやり合ってきた!!」

 ニッと笑って答える。転んだ、なんて言っても絶対に信じてくれないと思ってそう言ったけど、結局何を言ったって信じてはもらえないんだろうな。

「バカなこと言ってんなよ!!兄さんが誰かと殴り合うなんて愚かなことするわけないだろ!!」
「と、思うじゃん?でも俺だってたまには誰かを殴りたいと思う時もあるのだよ……男の子だからね!!」
「マジでバカなんじゃないの……こっちきて。手当てしないと」

 呆れつつも葉一は、詳しくは聞いて来なかった。コイツだけは誤魔化せないと身構えていたのに。完全に杞憂だった。

「自分でできるから大丈夫だよ」

 そう言って、居間にある棚から応急セットを出す。ただのプラスチックのカゴに消毒液や絆創膏が入っているだけのそれを持って、そそくさと脱衣所へ向かう。

 プライベート空間のない狭い家で、香奈も真梨もよく耐えられるな、とこんな時ばかりは女の子に同情する。

 鏡の前で改めて見る自分の体は、うんざりするほど悲惨だった。シャワーを浴びたせいで乾いた傷口から、また真っ赤な血が滲み出ている。

 とても同じ人間の所業とは思えなかった。

 ああ、そうか。あいつらにとってSubは人間じゃないんだった。

 そう思うと、なんとなく笑えてくる。アイツらはオナホ程度に思っている俺に、ちゃんと金を払うんだから可愛いもんだ。

 ダメだ、泣いちゃダメだ。

 もとより世間的地位の低いSubだ。俺たちに知能や体力面で劣ったところがなくとも、世間はそうは思わない。Domの命令であればどんな恥ずかしいことでも実行してしまうSubは、どうしても性的イメージが拭えない。

 それを逆手に取り、AV業界では積極的にSubを採用しているという。ある意味で救済措置なんだとは思う。割り切れる精神力があるなら、選択肢としては悪くない。

 たかがアルバイトでも、Subバレしたとたん首を切られることもある。現に俺がそうだった。16歳だった俺には、Subだからといって切られる意味が、その時はわからなかった。

 今、自分の稼ぎだけで弟たちを養うことができているのだから、それで十分だ。これ以上、何を求めることがある?

 一通り傷の手当てをして居間へと戻ると、葉一が険しい顔をして待ち構えていた。

「兄さん、昨日の夜に高城さんと偶然あったんだけど」

 高城さん。ちょっと前に一緒に夕食を食べた。連れて行ってくれたお店は、大人な高城さんのイメージそのままで、いつまでも子どもっぽい俺には不釣り合いなところだった。

 スーツ姿も、私服も、雰囲気も、連れて行ってくれる店まで、俺には不相応な人だ。お節介大好きな、優しいDomだ。

「高城さんがどうしたの?」
「兄さんのことを、すごく心配していた。ちゃんと食事できてるか、とか。眠れてるか、とか」
「なんでそんなこと聞くの?あの人って、ほんとお節介だよね」

 笑って応えながら、台所へ向かう。冷蔵庫から沸かした麦茶を取り出し、ガラスのコップに注ぐ。

 コクリと一口飲んで、そのまま流しへ吐き出した。

「オエッ!!」

 目の前が真っ暗になって、下肢の力が抜けた。痛めた股関節が力仕事を放棄したのかと思った。

「兄さん!?」

 慌てた葉一が駆け寄ってくる。無様に頽れた俺を支えて、心配そうに覗き込んでくる。

「大丈夫だよ。ちょっと目眩がしただけだから」

 必死に弁解する。俺を支えようと葉一が手を伸ばしてくるが、どこを触られても痛みしか感じなくて、思わず苦痛に顔が歪む。

 それでも、歯を食いしばって耐えた。俺のどんな苦労も、苦痛も、両親のいないこの家に産まれてしまった弟たちのそれとは比べ物にならないはずだから。

「兄ちゃんは大丈夫だよ。でもちょっと疲れちゃった。少し寝てもいい?」
「もちろんいいけど……」

 ニッコリ微笑んで、立ち上がると寝室として利用している一室へ向かう。五人が雑魚寝する部屋だ。香奈と真梨は、夜更かしでもしたのかぐっすり眠っている。

 寝顔は特にそっくりで、俺はそんなふたりを眺めながら横になった。心身の疲れとは裏腹に、全く眠れなかった。
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