ずっと、ずっと甘い口唇

犬飼春野

文字の大きさ
上 下
20 / 85
本編

まさかのサラブレット

しおりを挟む

 二人は紅茶に切り替え、スコーンを一皿頼んで一つずつ分け合う。


「まあ、暴露ついでなんだけどね・・・」

「うん」


 つくづく、自分は秘密を守れない女だと罪悪感にさいなまれながらも、続きを言わずにはいれらなかった。


「あのね。片桐さんの実家でお母さんに会った時、思うことなかった?」

「んん?・・・そうだな。物凄く綺麗で・・・。あの歳で言うのもなんだけど、イギリスのファンタジーに出てくる妖精の奥方みたいな人だったよな」


 佐古は二つに割ったスコーンにクロテッドクリームを塗り、一口かぶりついた。


「そうなのよね。野良作業の服を着ていても、鄙に希な美女ってのがにじみ出ちゃう人だと思ったんだけど、瀬川は婦人会だ消防団だの衝撃で、きっとお母さんのことをよく見る余裕がなかったんだと思う」


 本間もジャムをスプーンですくってスコーンにのせる。


「そういや、詩織ちゃんもあいつの妹とはとても思えないくらい、綺麗だったよな。今時の高校生だけど、どこか品があって」

「そう、そこ。品があるってとこ!」


 口の端に付いたスコーンのかけらを指でぬぐいながら勢い込む。


「あの田園地帯で妙に浮いたモダンな家屋もバラの園も、お母さんそのものなのよね」

「うん。それで?」

「うん。それでなんだけど・・・。ここ一年くらいだったかな、会社へ頻繁に片桐さんを訪ねてくる人が複数いてね。私が主に応対していたのよ」

「何それ?」

「片桐さんの、母方のお祖父さんの秘書の方々」

「秘書?」


 佐古は紅茶のカップを持つ手を途中で止めた。


「これは、私と片桐さんの秘密なんだけどね・・・。まあ課長たちは知ってるかも。人事でも極秘中の極秘事項だから、さすがに女子社員には漏れていない話なんだけど」


 ここで、口の中が乾いた本間は一口、紅茶を流し込む。

 そして、少し身をかがめて小さな声で言った。


「・・・片桐さんのお祖父さん、長田有三なの」


 しばらく二人はテーブル越しにじっと見つめ合う。

 三十秒ほどして、佐古が口を開いた。


「・・・誰、それ?」


 がっくりと本間はテーブルに突っ伏した。


「あああ。ここで初めて、佐古さんが帰国子女だと実感したわ~」


 すっかり脱力してしまった本間を前に、少しふてくされた。


「だってさあ。俺、6歳から20年以上、まともに日本で暮らしたことないんだから、わかるわけないじゃん」

「そうよね。失念していました・・・。ごめんなさい。日本の有名な、元・政治家です。外務大臣も官房長官もやっていたから、私の年代以上のたいていの人は顔を知っていると思う」


 確かに引退しているが、影のドンと今も囁かれている。


「そして有三は大正・昭和に名を馳せた富豪家の三男で、現在の長田家本家は有名な製薬会社よ」

「ああ、もしかして長楽製薬?」

「ご名答」


 長楽製薬の製品は多岐にわたり、現在は医療器具でもシェアを伸ばす大企業だ。


「もしかして、片桐ってサラブレットだったの?」

「そうなんです。付け加えると、数代前には宮家の外腹の姫がお輿入れしているから、それはもうやんごとなき・・・」

「え?プリンセス?」


 なかなかお目にかかれる話題ではないので、さすがの佐古も食いつく。


「そう。なんたら姫」

「うわ、絶滅危惧種なんだ、片桐・・・」

「そうなのよ。ああみえて正統派セレブリティだったのよね」

「・・・瀬川美咲は何も知らなかったんだ」


 そして、何も、全く気が付かなかった。


「うん。結婚してから徐々に明かすつもりだったみたい。チルチルミチルの青い鳥は目の前にいたって言うのに。あの女の目もたいがい節穴よね・・・」



 片桐の両親は、ほぼ駆け落ちでの結婚だった。

 長男を妊娠させて、強奪に近い状態で福岡へ連れ帰ったため、長田有三たちは激怒した。

 啓介が生まれるまで揉めに揉め、結局、長田家の者は一度も関門海峡を越えたことがない。

 派遣された秘書や弁護士が博多の方で落ち合い、有三の意向を伝える程度だった。

 なので、片桐の祖父母と兄弟を除いて、近隣住民たちは彼女の正体を知る者がいなかった。

 綺麗で育ちが良いけれど、とても穏やかで気さく美女。

 そして、気の毒なことに身寄りがない。

 結婚披露に妻方の親戚が一切列席しなかったことから、そう解釈された。



「瀬川には、片桐の父は文書屋、母は農協へ事務のパート、母方の祖父および親戚は関東で薬屋をやってるけど、あまり行き来がないと話していたみたいね」


 嘘はついていない 。


「・・・薬屋、ねえ」

「うん。普通は潰れかけた商店か調剤薬局しか想像しないでしょうけれど」


 そして、父と仲違いしているから、結婚式に母方の親戚は出られないと伝えていた。


「長田の家のことを言いたがらないから、あまり暮らし向きの良くない人たちなのだろう。だから、会いたくないんだろうなと曲解したらしいのね」


 本当に、営業の赤坂は口が軽い。

 婚活仲閒として意気投合した派遣の瀬川からの悩み相談を、社員食堂でべらべらと垂れ流していた。

 おかげで、片桐本人は知らないことを多くの女子社員たちが知ることとなる。


「それが、岡本に言っていた『確証を得るまでナイショ』?」

「まあ、だいたい。そして、『運命の人に出会った』と声高にいうけど、それが誰なのかはさすがに聞こえてこないから、いっちょ赤坂を酔わせてみるかと思ったんだけどねえ」


 そうする暇もなく、襲撃されてしまった。

 なんとまあ、切り替えの早いことか。



「うん?・・・で、頻繁にやってくる秘書はどうなったの?」

「ああそれね。それは、有三の手下。少なくとも月に一度は来ていたわね。見合い写真持って」

「ああ・・・。そういうこと」

「そういうことです。縁は切った形にしているけれど、孫は関係ないと言うことで、松濤の家に頻繁に出入りさせていたみたいなのね。詩織ちゃんは福岡の方が好きだからあまり行かなくなったんだけど、片桐さんは大学をこっちにしてしまったしね」


 たまたま、東京の大学に進学しただけで、普通のサラリーマンになるつもりだったが、啓介を溺愛する有三は、なにかと長田の家へ引き込もうと手ぐすね引いていた。


「本当は大学も文系に行かされそうになったのを、がんとして工学系を選んで、会社も長楽製薬系でゆくゆくは役員待遇で・・・と言うのを、情報系の会社に自力で入って、なら結婚は血筋に見合った最高の令嬢をって、鼻息荒く見合い写真攻撃だったのよ」

「うわ、大変だな、日本の名家って・・・」

「佐古さんもあんまり変らなかったじゃん、奥さんのこと」

「まあね。だって、俺も知らなかったんだもん、あんな桁外れの金持ちだったとは」


 それが絡んで、結局別れることになった。

 小さなアパートで肩を寄せ合って暮らしていた時は、とても楽しかったのに。


「・・・そうか、片桐は普通の女の子と普通に暮らしたかったって事?」

「そう。見合い攻撃に辟易していたら、ものすごーく普通の女の子が目の前に現われたのよ。初デートにパスタとか肉じゃが作っちゃうような。しかも容姿はグラビア級」

「ああ、理想だねえ・・・。人によっては」

「あの頃は仕事が立て込んで目が眩んだというか、めくらしましにあったとしか言いようがないんだけど、疲れ切って人恋しいと思った瞬間を狙って、うまく釣り上げられたんでしょうねえ」


 そうとしか解釈のしようがない。

 なぜならば、本間から見ても、啓介の妹の詩織から見ても、結婚を決意してからの片桐はどこか熱病に冒されているような感じだったからだ。



 本当に、本当にその人で良いのかな?

 なんで、その人なの?



 二人に限らず親しい者は誰もが首をかしげたものの、まあとりあえず見守るしかないかと腹をくくった矢先の破談だった。

 助かった、と詩織は正直胸をなで下ろした。

 彼女は、兄の連れてきた女性にあまり良い印象を持っていなかったからだ。



「この際、奈津美さんがお義姉さんになってくれたらいいのにって言われたんじゃない?」


 佐古はにやにやと頬杖をついた。

 それは昨年GWの旅行中に、片桐の両親や本家の人たちからもこっそり打診された。


「うん。片桐さんの嫁が嫌なら、消防団の誰かを選べとも言われたよ」

「いやなの?」

「うーん。片桐さんを正直、良いなあって思ったことはけっこうあるけどね。長い時間を共有してるから、良いところをたくさん見てきたし。それに今ちょうど別れたから、運命?と揺れてみたり。でも、本当の運命の人はすでに別にいるみたいだし」


 あの騒動に乱入するつもりも、運命と闘う根性もない。


「あの町のみんなは好きだけど、独身でぴんと来る人がいなかったのよね。それに多分お客様で行くのと、実際に嫁になるのは違うだろうし」


 彼らには申し訳ないが、たまに訪れるのがちょうど良いと思っている。


「私は、私の大切の人をこれからゆっくり探すよ」


 どんな人に出会うか、楽しみだなと無邪気に笑った。


「そうか」

「うん」


 彼女の強さに、佐古はいつも救われる。




「でもさ、ここで瀬川が夢から覚めたわけじゃない?」


 瀬川美咲の魔法は解け、立石徹という王子様はどこにもいなかった。

 彼はただ単に見てくれの良い、安月給の普通の男とわかり、慌てていることだろう。

 なら、新たな男を捜すか?

 それとも・・・。


「私は、このままでは終われないと、がぜん闘志を燃やしているのに一票ね」

「俺も、すぐさま漁にかかるのに一票」

「えーっ。賭にならないじゃない」

「だって、しおらしく婚活辞めて仕事に生きるとはとても思えないんだよな」

「・・・そうなんだよねえ・・・」


 二人の胸に一抹の不安がよぎる。


「・・・でもまあ・・・」

「そうねえ・・・まあ・・・」

「なんとかなるか」

「うん、なんとかなるんじゃない?」


 同時に立ち上がり、自然と手を繋ぐ。


「さて帰ろうか」

「うん!」

「徹、昼飯何を作ったかな~」

「私はリゾットに一票」

「またまた。賭にならないじゃん」

「えー。佐古さんもリゾットじゃ面白くない~」


 足取りも軽く、店を後にする。

 最初はゆっくりとした足取りで寄り添い、途中からふざけながらだんだんと早くなり、最後には二人でげらげら笑いながら子犬のように駆けだした。



 笑って歩けば、きっと大丈夫。

 一人でも楽しいけど、二人なら、もっと楽しくなるよ?


 胸の奧に、ほんのりと小さな灯火が一つ付いた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

俺の番が変態で狂愛過ぎる

moca
BL
御曹司鬼畜ドS‪なα × 容姿平凡なツンデレ無意識ドMΩの鬼畜狂愛甘々調教オメガバースストーリー!! ほぼエロです!!気をつけてください!! ※鬼畜・お漏らし・SM・首絞め・緊縛・拘束・寸止め・尿道責め・あなる責め・玩具・浣腸・スカ表現…等有かも!! ※オメガバース作品です!苦手な方ご注意下さい⚠️ 初執筆なので、誤字脱字が多々だったり、色々話がおかしかったりと変かもしれません(><)温かい目で見守ってください◀

無理やりお仕置きされちゃうsubの話(短編集)

みたらし団子
BL
Dom/subユニバース ★が多くなるほどえろ重視の作品になっていきます。 ぼちぼち更新

監禁されて愛されて

カイン
BL
美影美羽(みかげみう)はヤクザのトップである美影雷(みかげらい)の恋人らしい、しかし誰も見た事がない。それには雷の監禁が原因だった…そんな2人の日常を覗いて見ましょう〜

怖いお兄さん達に誘拐されたお話

安達
BL
普通に暮らしていた高校生の誠也(せいや)が突如怖いヤグザ達に誘拐されて監禁された後体を好き放題されるお話。親にも愛されず愛を知らずに育った誠也。だがそんな誠也にも夢があった。だから監禁されても何度も逃げようと試みる。そんな中で起こりゆく恋や愛の物語…。ハッピーエンドになる予定です。

普通の男の子がヤンデレや変態に愛されるだけの短編集、はじめました。

山田ハメ太郎
BL
タイトル通りです。 お話ごとに章分けしており、ひとつの章が大体1万文字以下のショート詰め合わせです。 サクッと読めますので、お好きなお話からどうぞ。

【R18】性奴隷の憂鬱な夢

なみ
BL
◆R18  ◆エロ多め 性癖と勢いだけで書いているので文章力ないです。すみません。 処女作ですので温かい目で読んでくれると嬉しいです。 ※後でタイトル変更するかもしれません ---------------------------------- この異世界はとても不安定で歪(イビツ) な世界。 記憶を失くした少年はその異世界の薄暗い地下室で目覚める。そこに現れた中年の男性に性奴隷として調教を受けながら見る夢は、ただの夢なのかそれともー…。

恋の呪文

犬飼春野
BL
IT大手企業の営業部エースの池山和基は容姿もトップの人気者だ。 ただし、彼は酒に酔うとキス魔になるという欠点があった。 顧客の無理難題をSEたちとの協力のもとになんとか終え、お疲れ様の飲み会で盛り上がりすぎ、うっかり後輩の江口耕を押し倒してキスをし、そのまま意識を失ってしまう。 そして目覚めた朝。 とんでもない失態を犯したことに気づく。 周囲を巻き込むドタバタBLです。 (平成半ばの古き良き時代の香りがします。ご容赦を) 登場人物が膨れ上がりスピンオフがたくさんあります。 『楽園シリーズ』と銘打ち、その一番最初の話になります。 HP、pixiv、エブリスタ、なろうに公開中。  ※2021/10/8   関連する話を追加するために完結済みを取り下げて連載中に変更し、三話挿入してまた完結に戻しました。   時間軸の関係上、そのほかの江口×池山のイチャイチャは『ずっと、ずっと甘い口唇』の方に   掲載します。

真面目クンに罰ゲームで告白したら本気にされてめちゃめちゃ抱かれた話

ずー子
BL
※たくさん読んでいただいてありがとうございます!嬉しいです♡ BLです。タイトル通りです。高校生×高校生。主人公くんは罰ゲームでクラス1真面目な相手に告白することになりました。当然本気にするはずない!そう思っていたのに、なんと答えはOKで。今更嘘とは言えないまま、付き合うことになってしまい… 初エッチが気持ち良すぎて抜けられなくなってしまった主人公くんと、実は虎視眈々と狙っていた攻くんのはのぼのラブコメです。 私がネコチャン大好きなので受になる子大体ネコチャンみたいなイメージで作ってます。ふわふわかわいい。 アインくん→受くん。要領の良いタイプ。お調子者だけどちゃんと情はある。押しに弱い。可愛くて気まぐれ。 トワくん→攻くん。心機一転真面目になろうと頑張る不器用優等生。ポテンシャルは高い。見た目は切れ長クールイケメン。 1は受ちゃん視点、2は攻くん視点です。2の方がエロいです。お楽しみください♡

処理中です...