上 下
41 / 50
王都編

侵入者

しおりを挟む


「さすがに…、疲れた…」

 夜の闇が一番深いころになってようやく、ナタリアは自室のベッドに倒れ込んだ。

 無礼講としたので、まだ酒を飲みかわして盛り上がっている者たちもいるが、女主人がいつまでもそばにいては内輪の話もできないだろうと、引き上げた。
 引き留められはしたが、久々に休みなしでヴァイオリンを弾き続けたため、さすがに身体がガチガチだ。

 存分に、もてなしが出来たと思う。
 充実感めいたものを感じて、ほうと息をつく。
 ただ、その代わりもう服を脱いで寝間着へ着替える気力もない。

 今夜はもう特別だ。

 己に言い聞かせてそのまま毛布の中に潜り込む。
 すると、ティムが耳元でにゃあと鳴いた。
 顔に頭を擦り付けねだるのでなんとか力を振り絞り入り口を作ってやると、するりと入り、喉をごろごろ鳴らしながら横向きに伏すナタリアの腹のあたりに収まる。
 じんわりと暖かくて気持ち良い。
 手のひらで彼の呼吸を感じながら、ナタリアは深い眠りの中へすとんと落ちた。

 しかし。

「―――」

 手のひらの下のティムの身体がぴくりと動いたのを感じ、目を閉じたままゆっくりと少し力を入れて沈ませる。

(大丈夫だから。じっとしていて。今は)

 心の中でティムに話しかけた。

 ぎし…と、微かにベッドの端が音を立てる。
 誰かが膝で乗り上げてきた。

 さん。
 に。
 いち。

「―――っ!」

 ナタリアは突然起き上がり、毛布ごと相手にとびかかる。

「ぐほっ」

 顎の下と思われる場所に前腕をしっかりと突っ込み、不埒者の喉を攻撃した。

 それと同時にティムは反対方向へ飛び降り、安全な場所を目指して一目散に逃げだしたのを聴覚で拾う。

 体格は自分よりかなり大きな成人男性。

 しかしあっけなく毛布に囚われ、寝台から転がり落ちて背中から床に沈んだ。
 そのまま馬乗りになって腹に一発拳を叩き込む。

「ぐあっ!」

 もっとも、腹筋はそれなりにあるがなまくらだと解っているから、ナタリアとしてはかなり手加減して軽くお見舞いした程度だ。
 吐かれるほどではない。


「いったい、どういうつもりでしょうか、ローレンス様」

 ミノムシ状態になっているのを、乱暴に毛布を掴んで引き下ろし、顔を出させた。

「ナタリア…。ひどいじゃないか」

 灰色がかった青い目の目尻がとろんと垂れさせ、甘ったるい声で抗議する。

「きしょ…」

 思わず本音が口から零れ落ちそうになるのをぐっとこらえた。
 運のよいことに腹の痛みを思い出したローレンスは小さく呻き、ナタリアの失言は届かなかったようだ。

「質問に答えてください。貴方様が今いるべきなのは臨月間近の愛する妻の元でしょう」

「いや…。それはそうだが。侍女が、本館がずいぶんにぎやかだと羨ましそうに言うものだから、何があっているのかと…。ちょっと覗きに」

「日頃懸命に働いてくれている使用人たちを少しねぎらっただけです。それでなぜ、地下の会場から上って私の寝室に忍び込む必要が?」

 男の上に乗ったまま、ナタリアは氷のような冷たい声で問いただす。

「それは……」

 もじもじと上目遣いで口ごもる男の吐息から酒の匂いがすることに気付いた。
 ついでに太ももに感じる体温が異常に高い。

「それは?」

 まさかまさかと思ったが。

「タリアが、ヴァイオリンを弾いている姿がとても綺麗だったから……」

「……は?」

 この男は、ただの酔っぱらいだった。

「あの……」

 酒を飲んでもザルと呼ばれるナタリアだが、頭痛を覚えてこめかみに手をやる。

「なあ、タリア。年が明けたな」

 タリアと。
 この男はまだ呼ぶつもりなのか。
 せっかく良い気分でベッドにもぐりこんだのに、台無しだ。

「はあ。そうですね」

 おざなりな返事も気にすることなく、ミノムシ男は目を瞬かせる。

「こと初め、しないか。今夜は無礼講なんだろう?」

「こ……」

 この男。
 このまま雪の中に日の出まで放り出すのはどうだろう。
 殺意がナタリアの脳裏をかすめたその時。


「奥様……っ! ナタリア様! 大変です!」

 どんどんどんと、私室の扉を激しく叩く音が響いた。

 声は執事のセロンだが、それ以外にも慌ただしく廊下を走る音が聞こえる。

 ナタリアはローレンスをそのままに寝室から駆け出した。

「どうしたの」

 ドアを開けると、服も髪も少し乱れたセロンが息を切らせて立っていた。
 彼も、年越しの宴に少し参加して、早く就寝していたはずだ。

 後にはトリフォードとアニーが慌てて身なりを整えた様子で控えていた。
 彼らにも休みを取るよう指示していたため、ナタリアの部屋の周辺は手薄の状態だったのだ。

「実は……」

 続けようとして、寝室の床に転がる物体に気付き、三人とも目を丸くする。

「あれは良いから。それで?」

 ナタリアはセロンへ続きを促した。


「東の館から火急の知らせです」

 嫌な予感しかしないが、それを振り払いたくて拳をぎゅっと握りしめる。

「マリア様が……破水されたそうです」

 セロンの声がどこか遠くに感じた。

「……え?」

 どこからか、吹雪を思わせる激しい風の音が聞こえてくる。
 夜明けはまだ遠い。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

【完結】後宮、路傍の石物語

新月蕾
恋愛
凜凜は、幼い頃から仕えていたお嬢様のお付きとして、後宮に上がる。 後宮では皇帝の動きがなく、お嬢様・央雪英は次第に心を病み、人にキツく当たるようになる。 そんなある日、凜凜は偶然皇帝と出逢う。 思いがけない寵愛を受けることになった凜凜に、悲しい運命が待ち受ける。

ただ、愛しただけ…

きりか
恋愛
愛していただけ…。あの方のお傍に居たい…あの方の視界に入れたら…。三度の生を生きても、あの方のお傍に居られなかった。 そして、四度目の生では、やっと…。 なろう様でも公開しております。

初恋と花蜜マゼンダ

麻田
BL
 僕には、何よりも大切で、大好きな彼がいた。  お互いを運命の番だと、出会った時から思っていた。  それなのに、なんで、彼がこんなにも遠くにいるんだろう。  もう、彼の瞳は、僕を映さない。  彼の微笑みは、見ることができない。  それでも、僕は、卑しくも、まだ彼を求めていた。  結ばれない糸なのに、僕はずっと、その片方を握りしめたまま、動き出せずにいた。  あの、美しいつつじでの誓いを、忘れられずにいた。  甘い花蜜をつけた、誓いのキスを、忘れられずにいた。 ◇◇◇  傍若無人の生粋のアルファである生徒会長と、「氷の花」と影で呼ばれている表情の乏しい未完全なオメガの話。  オメガバース独自解釈が入ります。固定攻め以外との絡みもあります。なんでも大丈夫な方、ぜひお楽しみいただければ幸いです。 九条 聖(くじょう・ひじり) 西園寺 咲弥(さいおんじ・さくや) 夢木 美久(ゆめぎ・みく) 北条 柊(ほうじょう・しゅう) ◇◇◇  ご感想やいいね、ブックマークなど、ありがとうございます。大変励みになります。

迅英の後悔ルート

いちみやりょう
BL
こちらの小説は「僕はあなたに捨てられる日が来ることを知っていながらそれでもあなたに恋してた」の迅英の後悔ルートです。 この話だけでは多分よく分からないと思います。

青春アタック~女子バレー三國志~

田代剛大
青春
私立白亜高校に通う血織はテレビアニメにすぐ影響される女の子。 ある日『青春アタック』というどう考えても低俗なスポ魂もどきのアニメにはまった彼女は、同じくアニメ好きなマッスル山村、でかいというだけで強制参加させられた、運動神経ゼロのコギャル花原さんと共にバレーチームを結成する。 チームを作ったはいいが、バレーが何人でやるスポーツなのかすら知らなかった彼女達は、とりあえずバレー部を訪ねることに。 そこでただ一人のバレー部員海野さん、その友達乙奈さん、ブーちゃんと出会い、アニメの決め台詞をまるパクリした血織の発言で、彼女達も仲間にくわえることに成功した。 ある程度人数の集まった血織たちは、素人が出たら半殺しの憂き目にあうと有名な、3ヶ月後のバレー大会に向けて練習を開始。 しかし6人中4人がバレー未経験者で「頑張ってバレーやっている人に幾ら何でも悪いんじゃないか」という、血織のバレーチームに大会優勝の勝算はあるのだろうか…?

嫌われ変異番の俺が幸せになるまで

深凪雪花
BL
 候爵令息フィルリート・ザエノスは、王太子から婚約破棄されたことをきっかけに前世(お花屋で働いていた椿山香介)としての記憶を思い出す。そしてそれが原因なのか、義兄ユージスの『運命の番』に変異してしまった。  即結婚することになるが、記憶を取り戻す前のフィルリートはユージスのことを散々見下していたため、ユージスからの好感度はマイナススタート。冷たくされるが、子どもが欲しいだけのフィルリートは気にせず自由気ままに過ごす。  しかし人格の代わったフィルリートをユージスは次第に溺愛するようになり……? ※★は性描写ありです。

完結 お飾り正妃も都合よい側妃もお断りします!

音爽(ネソウ)
恋愛
正妃サハンナと側妃アルメス、互いに支え合い国の為に働く……なんて言うのは幻想だ。 頭の緩い正妃は遊び惚け、側妃にばかりしわ寄せがくる。 都合良く働くだけの側妃は疑問をもちはじめた、だがやがて心労が重なり不慮の事故で儚くなった。 「ああどうして私は幸せになれなかったのだろう」 断末魔に涙した彼女は……

オメガパンダの獣人は麒麟皇帝の運命の番

兎騎かなで
BL
 パンダ族の白露は成人を迎え、生まれ育った里を出た。白露は里で唯一のオメガだ。将来は父や母のように、のんびりとした生活を営めるアルファと結ばれたいと思っていたのに、実は白露は皇帝の番だったらしい。  美味しい笹の葉を分けあって二人で食べるような、鳥を見つけて一緒に眺めて楽しむような、そんな穏やかな時を、激務に追われる皇帝と共に過ごすことはできるのか?   さらに白露には、発情期が来たことがないという悩みもあって……理想の番関係に向かって奮闘する物語。

処理中です...