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王都編

残念な真実

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 それからは平和な日々と言えた。

 住みわけもはっきりし、ナタリアの執務も順調だ。

 東の館の準備も着々と進んでいる。
 基本的に子供部屋のしつらえや産着などはマリア自身に選ばせた。
 足りない物がないかは経産婦の使用人や養育のために新たに雇った侍女と乳母たちと協議し、ナタリアがこっそり用意をしている。
 そして念のため、本館のナタリアの寝室の近くに臨時の子供部屋を設けた。
 マリア次第で預かる機会があるかもしれないと思ったからだ。



 そして。

「お招きありがとうございます。ナタリア・ルツ・ウェズリー参上いたしました」

 深々と身をかがめ最上の挨拶を送るナタリアに、意匠を凝らしたコンサバトリーの真ん中で冬の薔薇に囲まれた佳人は微笑む。

「ようこそ、侯爵夫人。再会できる日を心待ちにしていたわ。四年前の貴方のデビュタントの直前に少しお茶をした以来かしら」

 極上の絹糸のようなプラチナブロンドの髪がふわふわと波打ち、菫色の瞳が光を浴びて宝玉のように輝く。
 バルアーズ公爵家特有の瞳。
 披露宴で思慮深い面持ちだった小公子を思いだす。
 さすがは姉弟。
 目元はよく似ていた。

「ずっと、ずっと会いたかったのよ」

 鈴を転がすような声とはよく言ったものだ。
 清らかで透明な音を耳で受け、ナタリアは嘆息する。

「良く覚えておいでですね。王太子妃さまはご成婚されたばかりでかなりお忙しかったというのに」

 卵型の小さな顔は白磁のようになめらかで白く、けぶるような長い睫毛と薄紅色の小さな唇。
 成人女性としては小柄な身体も相まって、誰もが彼女をこの世ならざる者、妖精そのものだと思う。
 既婚で二人も子どもを産んだとは到底思えない、少女のような容貌。
 無邪気な微笑みの下に、教養も思考も政権を握る男たちをはるかに凌駕する能力を隠し持っている。

「だって、あの素敵なドレス姿は忘れられないわ」

 砂糖菓子のように甘く柔らかな口調だが、意外と直球を投げてくるから油断ならない。
 今、この時のように。

「王太子妃様・・・。それに関してはどうかご容赦ください」

 たった数時間で中断したあのデビュタントで掟破りのドレスを着て悪目立ちした話はできうることなら、忘れ去ってほしい案件だ。

「あら。あの夜、貴方にときめいた人は結構いるのよ?だから、後日デビュタントを仕切り直ししたらなんと欠席だったでしょう。あの時落胆した人のなんと多かったことか」

 あのとんでもデビュタントの直後に災害と父の落馬事件が重なり、まるで呪われたように苦労の連続だった。

 母が常々『マギー・サンズの呪い』と口走っていたのを、少し頷きたくなるほどに。

「ご冗談を」

 ばっさりとナタリアが否定すると、気を悪くすることなく妖精妃は笑った。

「その件については、今後の楽しみに取っておきましょう」

 ほっそりとした身体に不似合いなほど大きく膨らんだ腹を撫でながら、王太子妃エリザベスは言葉をつづける。

「とにかく、座ってちょうだい。話したいことがたくさんあるの」

 背の高いナタリアを間近で見上げるのもつらいだろう。

「はい。失礼いたします」

 勧められた椅子に座り、侍女たちのもてなしを受ける。
 王太子妃の前で毒見の侍女が確認した後、茶を供された。

「たんぽぽ茶ですね」

 一礼して口をつけると、コーヒーに近い苦みと甘みが広がる。

「出産も近いから、周囲がかなり警戒しているの。いろいろと細かくてごめんなさいね」

 結婚してまだ四年ほどしか経っていないのに三人目を妊娠しているのは、夫婦仲が良いのはもちろんだが、いまだ男子に恵まれていないからだ。
 しかし、この小柄な人に何度も出産を強いる王太子を鬼畜だと思わなくもない。
 ナタリアには想像につかない気苦労が妃という立場上、たくさんあるだろう。

「この度はおめでとうございます。予定日は今月末あたりとお聞きしましたが」

「そうね。でも、なんとなくこの子はすぐには出てきてくれない気がするわ。今までに比べてのんびりしているのよね」

 まるで頻繁に会う友人に接するようにあっさりと現状を明かす。

 王太子妃エリザベスは義姉ディアナの従妹で、レドルブ侯爵と縁が深い。

 もともとレドルブ家は北の辺境伯の血縁で、国一番の防衛の要の血統ゆえに王都でぬるま湯に浸かっている王族や貴族たちと一線を画す。
 そんなところがダドリー家と馬が合い家族ぐるみで親しくさせてもらうばかりか、色々と助けてもらっているため、ナタリアとしては感謝の言葉もない。

 そもそも気安い仲である原因はパール夫人が中心として行っている本の布教活動と、ディアナが操る猛禽による伝文のやりとりだ。
 そのため王太子夫妻は西の辺境についての情報はかなり的確に把握していると思われる。

「とりあえずあなたたちは下がってちょうだい。ナタリアがいれば大丈夫だから」

 エリザベスが軽く手を振ると、侍女と護衛騎士が一斉に引いた。
 全員がガラス戸から出ていくのを見守った後、ナタリアは思わず息をついた。

「・・・彼らはよく従いましたね」

 小ぶりとはいえ温室に王太子妃と辺境令嬢の二人だけを残すなどと、本来ならあり得ないことだ。

「妃の命令は絶対ですもの。それに貴方が最強の戦士であることは私がよく知っているし、もしここで命が尽きるならそこまででしょう」

 さくっと断じて、エリザベスはカップを手に取った。

 豪放磊落にもほどがある。

「お妃さまになられてもお変わりなく、何よりです」

 彼女の本質を、いったいどれだけの人が気付いているだろうか。

「ふふ。丸くなるつもりはないわね」

 さらりと笑った後手招きをして、ナタリアを近くの椅子へ移動させる。

「まずは、『卒業』おめでとう。がんばったわね」

 いたわるように手を握られた。

 遥か昔の幼いころ、二歳違いだからとレドルブ候家で一緒に遊ばせてもらったことがあり、その時の懐かしい思い出が胸によみがえる。
 あの時も小柄だったがおてんばで、兄のトマスや弟ルパート、そしてディアナも一緒に大樹の高いところまで登り、侍女たちを失神させたりもした。
 あの頃と変わらぬ体温を感じ、ナタリアは肩の力を抜く。

「ありがとうございます」

 侯爵夫人としての豪奢な衣装に身を包み、美術品並みの食器に触れることは、貧乏貴族のナタリアにとっていっそ発狂したくなる状況であるが、昔と変わらぬ厚情のおかげでようやく人心地ついた。

「本来なら偽装結婚自体阻みたかったのだけど、まだあのやんごとなき御方はご壮健であられ、その力はまだまだ強大でね。申し訳ないと思っているわ。ナタリア、あと二年辛抱できる?」

 手入れされ尽くした白い滑らかな指先。

 それは多くのことを背負っている証。

「ご厚意に感謝します。ダドリーの立て直しが思うように上手くいかなかったのは私の不手際ですから。王太子妃様が気に病まれることはありません」

 多額の借金をカタにされている限り、どうにもならない。

 この四年、親しい人々から多くの援助を受けて頑張っているが、そう簡単に事は運ばないことは身にしみてわかっている。

「・・・その件だけど」

 エリザベスらしからぬ躊躇いがちの物言いに不吉なものを感じた。

「はい?」

「ずっと迷宮入りしていた事件の真相がね。やんごとなき馬鹿息子がやらかしてくれたおかげで、ようやく色々明るみに出たの」

 それはローレンス・ウェズリーのことだろうか。

 ナタリアは背筋を伸ばし、深呼吸した。

「・・・なにが分かりましたか」

「残念なお知らせしかないけれど、貴方ならね。乗り越えられると思うのよね。逆に肝の据わる案件がいくつかあるのだけど、どうする?」

 聞く勇気はあるかと尋ねるアメジストの瞳に、ナタリアは頷き返す。

「どうぞ、お話しください」

「ざっくり言うと、四年前の大厄の全ては、あのやんごとなき御方の仕業だったということね」

「・・・すべて、ですか」

 大厄というと。
 父の落馬事件と、急遽跡目を継いだ兄が詐欺にあい多額の借金を背負ったことだろう。

「どうしてそこまでやる必要が?ダドリーは極貧で没落寸前。あの方がわざわざ構う理由が見当たりません」

「まあ、そうよね・・・。だから見落としていたのだけど、よくよく考えたら全ては綺麗につながっていて、単純明快だったの」

 ふうと、貴人はため息をつく。

「ようはね。ヘンリエッタ様が今も美しいから・・・。どうしても欲しくなったみたい」

 ヘンリエッタ・ダドリー。

 ナタリアの実母であり、北国ザルツガルドの高位貴族。

「えええ・・・。そこですか・・・」

 それまでなんとか貴婦人の体をなしていたナタリアはすべて解除して二十歳の辺境令嬢に戻り、額に手を当てた。

「あの、ケンカップルのせいですか・・・」

 美の女神だ辺境の宝玉だと他人はもてはやすが、ナタリアにとっては血のつながった普通の母親だ。
 しかも常に喧嘩しながらいちゃついている両親の姿しか見たことがないこちらとしては。

「これ以上ない、残念なお知らせですね・・・」

 真実は奇なりというが。
 己の人生の大半を老人の横恋慕に振り回されていると知った今。

「どうしてくれよう」

 あの、やんごとなき老害を。


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