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さわって。
しおりを挟む「おい、みけが襲われてたぞ」
伯母がうちの三毛猫を抱いてやってきた。
「はあ?」
昨日の猟はなかなかの稼ぎになり、折角良い気分で今年一番の出来だという酒を飲んでいたのに、このばあさんの出現で台無しだ。
だがしかし、ちんまりとした老婆の腕の中でちんまりと縮こまったみけはよく見たら土と草まみれだった。
「コイツが呑気にうちの近所まで散歩にきたは良いが、雌猫どもが発情中で、それに巻き込まれているうちになんでか、クロに乗られてた」
クロとはこの近辺で一番大きな雄猫だ。
「乗られて・・・?」
「ばかめ。交尾させられてたんじゃ」
「なんだと!!」
すっかり酔いも覚め、仁王立ちになる。
腕の中からみけを取り上げ、うなじを掴んで目の高さまで吊り下げ説教した。
「このばか!!オスにケツを差し出すヤツがいるか?まったく、お前ときたら・・・!!」
みけは、背中も手足も丸めたままうなだれている。
「これこれ、みけを責めたらかわいそうじゃ。まだおくてで、なんのことかわかっとらん感じだったぞ。メス達がこぞって尻を差し出したのに、目をまん丸にして石になっとった」
勝手知ったるなんとやらで上がり込んだ老婆は、さっさと炉端に座り込み、飲みかけの酒を横取りした。
「そこへやってきたクロのヤツが、これまたなんでかメス達は素通りして、ミケの首にかじりついて腰を振り出したから、大騒ぎさ。最後のひと突きの前にわしが引っぺがしたから、未遂じゃろ」
「みすい・・・」
力が抜けた途端、、みけは着地し、たたっと走って彼女の膝元にすがった。
「あ、まて、このやろ」
「嫌われたな」
はっはっはーと、喝采を上げて、老婆は杯を重ねる。
仕方ないので、いろりを挟んで向かいに腰を下ろすと、みけは媚びるように彼女の薄い膝に頭をすりつけた。
「ほれほれ、お前があんまり乱暴者だで、そっちへいきとうないとよ」
笑いながら、雑にミケの身体をなで回す。
仰向けに転がして撫でさすっているうちに、足先を開いたり閉じたりしながらうっとりと身をゆだねる姿を眺めるのは面白くなくて、そっぽを向いて手酌した。
「・・・おや?」
「なんだ?」
老婆の声に振り返ると、みけの下腹部を覗き込んでいる。
「・・・ほう。お前もそろそろ男になるか」
にやにやと笑いながらなおも腹を撫でる。
「ほれ、出てきたぞ、男の証」
見ると、こんもりとちいさく盛り上がった白い毛玉の中から、するすると、小さな筍のようなものが伸びてきた。
「これが出るようになったら、一人前じゃな。どれ、ばばが手伝ってやる」
「・・・は?」
さらになで回されて、みけはわずかに喉を鳴らしながらどこか気持ちよさそうな表情を浮かべ、ほどなくして突起の先からつううと液体をこぼした。
「よし。これでお前は男になったぞ、みけ。良かったなあ」
骨張った手で相変わらず雑な撫で方をされているにも関わらず、みけはうっすら目を閉じて、されるがままだ。
シゲルは、目を見開いて固まったまましばらく動けなかった。
が。
やがてぱたりと全身の力を抜いてみけがくうーと寝入ってしまったのを見て、むらむらと怒りがわき上がる。
「おい、ばばあ」
「おばさんじゃ」
「・・・おばさん。あんた、今何をしたんだ」
「うん?いわゆる精通じゃな」
せいつう。
シゲルの頭の中で、こだまがいつまでも響く。
「三毛猫なのにオスだったと聞いて心配していたが、これなら近々これに似た子猫を見ることが出来るじゃろ」
今、みけはこの老婆の手で昇天させられたと、ようやく理解できた。
みけの、初めてを、よりによってこのばあさんに持ってかれたのだ。
物凄い勢いで頭に血が上った。
「なんてことしてくれたんだ、このくそばばあ!!」
ぐっすりと眠るみけを抱き上げて、わめいた。
正直、つんと鼻の奥が熱くなり涙が出そうになったのをかろうじてこらえる。
「なんじゃ、大の男が・・・」
皆まで言わせなかった。
あきれかえる老婆に酒瓶を片手で一本押しつけて、顎で出口を指す。
「とにかくいいから、もう、かえってくれ」
思いっきり凄んでみせるが、この老獪な伯母にはたいして通じない。
「・・・まったく、おまえときたら」
大げさにため息をついて頭を振り振り、しかし、しっかりと戦利品を抱きしめて、彼女はひょいひょいと楽しげに来た道を下っていった。
「二度とくんな、くそばばあ」
悪態はむなしく夕焼けに吸い込まれていく。
あとは、懐の中に頭を突っ込んだみけがくうくうとたてる満足げな寝息が腹に響くばかりだった。
月が、のっそりと山の端から昇った。
「ん・・・」
あぐらをかいた膝の中で丸くなっていた三毛猫が、ふいにぼんやりとした輪郭になり、やがてじわじわとその形を変えていく。
そして、形が確かなものとなった時、ずしりとした重みを膝全体に感じる。
赤い半纏に渋紺の着物をまとった、手足の細長い少年が、白い頬をシゲルの胸に寄せて目を閉じていた。
「みけ」
肩に回していた腕をゆっくりと揺すると、うっすらと蜂蜜色の目を開く。
「・・・しげる・・・さん?」
みけの、もう一つの姿だ。
百鬼夜行の宴の中にこの三毛猫をみつけて怒鳴り飛ばしたのは、数ヶ月前。
その時はまだ十をすこし過ぎたばかりの小さな少年だったが、今はもう青年に近いくらいに成長している。
どのような術を習ったのか、又はかけられたのかは知らないが、みけは、月が空に浮かんでいる間はヒトの姿になる。
今夜は月が昇るのが遅かったので、シゲルは彼を膝に載せたまま形を変えるのを、酒を飲みつつ待った。
それにしても。
今夜のみけは、いつもと随分様子が違った。
たった一晩で、昨夜とは別人のようである。
白い頬にうっすら桜の花びらのような紅がさし、唇は桃の花びらのようだ。
濃い蜂蜜色の瞳はかすかに潤み、体温がいつもより少し高く、全身から猫の時とは違う、不思議な香りを発していた。
その香りが鼻を刺激し、胸になんとも言えない塊がずうんと詰まる。
「しげるさん・・・」
まだ覚醒しきっていないみけは、首元に顔を寄せて、くん、と鼻をうごめかす。
そして、額をシゲルの頬にすり寄せた。
こういう所は、猫の時と変わらない。
しかし、もう、小さな童子ではない彼をこれからどうすればいいのか、途方に暮れていた。
「シゲルさん・・・」
猫同士の挨拶のように鼻を擦り合わせてきたみけの唇を、出来心で軽くちょんと、自らのと合わせた。
想像していたよりも柔らかな感触に、シゲルも驚いた。
しかし、それ以上に驚いたらしいみけは目を丸くする。
「・・・あ」
慌てて顔を背けようとしたら、細い指先で、無精髭だらけの顔を押さえられてしまった。
「シゲルさん」
上目遣いに覗き込んでくる瞳は潤んでいる。
「シゲルさん・・・」
吐く息が、熱い。
みけの中が確実に変容していくのを、吐息で、匂いで、肌で感じる。
シゲルは懸命に、乳飲み子だったみけを思い出そうとした。
「・・・つい、この間までヤギの乳をせがんでいたくせに」
頬にのばされていた手を取って、絡めながら指の腹で愛撫する。
「うん。・・・そう、だったね」
長い睫に縁取られた瞼を閉じ、何かをこらえるかのように肩で息をする。
今度はこちらから覗き込むと頬にかかる自分の息に感じて、身を震わせているのに気付き、腹の底が熱くなった。
ふいに意地悪な気持ちになり、首を伸ばして小さな耳に歯を立てた。
「・・・あの、クロとやらの、ものになっちまったのか、お前は」
かりりと噛むと、びくびくっと肩を揺らす。
「ん・・・っ。ちがう、ちが・・・うっ」
予想以上に甘い声を上げられて、たまらない、と喉の奥で唸った。
もともと、自分は理性的な方でない。
女達に夜這いをかけられたら、どれもありがたく頂戴するような男だ。
それなのに、今の状況はどうだ。
こんな、色気を垂れ流しにした状態の身体が膝の上に乗っている。
乳をやり、下の世話までして育てたというのに、その子供に自分は発情している。
血を分けたわけではないが、己の子供同然だった。
今この衝動は、禁忌であると頭の隅で警鐘が鳴った。
それ以前に、みけはヒトではないのだ。
月の力を借りてかりそめの姿を現しているだけ。
それでも。
抱きしめて、着物の下の肌を触りたいと言う気持ちがだんだんと強くなる。
触って、口付けて、味わいたい。
このままでは喰い殺してしまいそうで、怖い。
指を払い、身を離そうとすると、みけが両腕で取りすがってきた。
「いかないで」
細い身体が、蔓のように巻き付く。
「ごめんなさい、ごめんなさい、しげるさん、ごめんなさい」
全身で訴えられて、なすすべもない。
「クロに飛びかかられて、怖かった。首噛まれて、真っ白になった」
目の前には、頼りない、細い首。
「・・・ん」
「何がなんだかわからなかった」
「・・・そうか」
むき出しになった首筋をゆっくりと手の平でさすってやる。
「凄く怖かった。怖くて、怖くて動けなかった・・・」
細い指先で背中にしがみつかれ、観念した。
「・・・わかったから、みけ」
ぽん、ぽん、と頭を軽く叩いてやった。
「ばさまに触られて、気持ちよくなって、ごめんなさい」
「・・・あれは、ムリだと、解ってる。ばあさまはこの村一番の猛者だ」
彼女は十数人いた兄弟の中で唯一生き残った女だ。
しかも、夫は五人、病だの事故だの天災だので失っている。
それでも、どこ吹く風でぽんぽん子供を産み育てて、今は近所に住む甥にちょっかいを出すのを生き甲斐に、毎日元気よく焼き畑を営んでいる。
そんな女に、どだい、ひよっこのみけがかなうわけがないのだ。
「だから、気に病むな」
「・・・でも、シゲルさん、怒ってた」
胸元に張り付いたまま、すん、と鼻をすする。
意識がもうろうとしながらも、シゲルが短気を起こしていたのをしっかり聞いていたらしい。
「ばさまを怒鳴ってた・・・」
ちょっと恨めしげな声色に、またもや短気を起こしかけて、シゲルはみけのうなじを掴んで顔を覗
き込む。
「まったくお前は、どっちの猫なんだ」
すると、真っ赤に泣きはらした目が現われた。
「ばさまは、命の恩人だ。かあちゃんがいなくなって、死にかけたおらを見つけて助けて、シゲルさんのとこさ連れてってくれた」
こうなると、聞かずにはいられない。
「じゃあ、俺は?」
「シゲルさんは、シゲルさんだ」
またしても涙を溢れさせ、ぽたぽたとシゲルの着物にしみを作っていく。
「シゲルさんがいねえと、おらは、生きていけねえ」
「な・・・」
「寂しくて、苦しくて、息が出来ねえ」
降参である。
この子に出会って、何度心の中で降参したかわからない。
「この・・・馬鹿」
うなじを掴んだ手に力を込めて、引き寄せる。
「なら、もう、誰にも触らせるな」
あと少し。
あと、ほんの少し間を詰めれば触れ合えるほどの近さで囁くと、じわり、と互いの熱を唇に感じた。
「・・・うん」
睫を緩く伏せ、みけが自分の唇を見つめる。
「なら、なら・・・。シゲルさんが、触って・・・」
小さな舌が、ぺろりと、シゲルの唇をかすった。
瞬時に、全身を何かが駆け巡る。
熱い。
まるで、火に焼かれるように熱い。
「この、ばかたれが・・・」
細い身体を抱きしめて、唇を、合わせた。
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