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序章
第十七話 変化
しおりを挟む私にとって義弟も王子も、ついでに剣士の彼も、どうでもいい存在に変わりはない。彼らの存在自体に苦手意識はあるし、生理的嫌悪感に身体が拒絶反応を起こすこともある。
でも、私にとって彼らの行く末も、彼らの理想や夢も、彼らの想いや感情も、取るに足らないものだし私には関係がない。
彼らの存在は"毛虫"とさして変わらない。
普段生きている分には特に何とも思っていないし考えることすらしないけれど、いざ近づかれると精神的な苦痛を感じるような存在。
そんな彼らがどうなろうと私の知ったことではない。
まあ、それはそれとして、無様を晒すのなら笑うのですけどね。これはただ単に私の性格が悪いだけですわ。
「はあっ!!」
「おっと、危ない危ない」
私は庭園の片隅で王子と義弟が打ち合っているのをぼうっと見ながら、ゆっくりと紅茶の香りを楽しんでいた。
自身のストレスの源と言ってもいい存在たちがお互いを敵視して争い合うのを見るのは、なんだか可笑しくて笑ってしまいそうになる。
前世じゃあんなにも一致団結して私のことを吊るし上げていたのに。
何故だか分からないけれど今世の義弟は王子を良く思っていないし、王子も突っかかって来る義弟がお気に召さないようだ。
「では、今度は僕の番ですよ!」
「くッ」
ひらりひらりと王子の斬撃を軽やかに避けていた義弟は、一転して何度も王子に鋭く切り込んだ。王子はなんとか防いでいるようだが、苦戦しているのが伝わってくる。
でも、こうして見るとあの天才に追いつけているあたり、王子に剣の才があるというのはあながち間違いではないのかもしれない。
「殿下ッ!俺も加勢します!!」
「いい!これは俺とコイツの勝負だ!」
二人の攻防をじれったそうに見ていた剣士が王子に加勢を申し出たが、秒で引っ込んでいろと返されている。彼は王子の力になれない自身への苛立ちか、はたまた自身を頼らない強情な王子への不満からか、「クソ…!」と小さく呟くと腰の剣に手を伸ばしたまま静止した。
私が彼を"騎士"ではなく"剣士"と呼ぶのは、彼のこういうところが原因である。二対一など騎士道も何もあったものではない。自身に正義があれば何をしてもいいなどと思い込んでいる奴に、騎士の名は贅沢が過ぎる。
「あれ?どうしたんですか?ご自慢の剣の腕前は、もしかしてこの程度なのですか?」
「くそッ…!!」
打ち込んでいる最中も煽ることを忘れない義弟に、王子は冷静さを失って攻撃が単調になっていく。それを狙っていたのかは兎も角、義弟の掌で良いように踊らされている王子に、私は苦笑をもらす。
王子もそろそろ義弟の才能に気付き始めた頃でしょう。
彼の兄と同じく才能のある人間の義弟に、王子は何を思うのかしら。ずっと才能のある人間に一種の憧れを抱いてきた彼は、義弟を第一王子のように羨むのかしら、それとも切磋琢磨しあえる好敵手と見なすのかしら。
まあ、どっちにしろ興味は微塵もないけれど。
「ハァ、ハァ…」
「はは、は…そろそろ限界、なのでは?」
その後はしばらく代り映えのしない時間が過ぎていたが、私が三度目の紅茶をおかわりしたところで王子は膝をついた。そんな彼を嗤う義弟も息が切れかけている。
よくもまあ、数十分も飽きもせず人を馬鹿に出来るものね。
義弟の減らず口に呆れつつ王子に目をやれば、こちらを横目で見ていた彼と目が合った。自然豊かな森を思わせるその新緑の瞳は、まだ力強く輝いていた。
「まだ、だ…俺はまだやれるぞ!」
「…ッ!しつこい男は嫌われます、よ!」
そう言いながら義弟はいつものように切り込む。しかし、疲労のせいだろうか。いつもより鋭さがないそれを、王子は防いで大きく外へと弾いた。
「なッ?!」
義弟が驚いたように目を見張る。そうして義弟の体勢が不安定になったところに、王子は渾身の力を込めて大きく剣を振りかぶった。
「ハアッ!!」
「ぅぐ!」
その場に剣と剣がぶつかった固い音が響く。
義弟はあの状態からでも咄嗟に王子の剣を防いだ。流石としか言いようがないけれど、義弟はそれに気を良くしたのか口の端を上げてニヤリと笑う。
まだ王子は諦めていないというのに。
「うおおおお!」
そのまま王子は義弟の剣を押すように大きく薙いだ。不安定な姿勢、蓄積した疲労、そして王子を自身より下だと侮ったことによる油断。それらは義弟を敗北へと誘うことになった。
義弟が握っていた剣は、彼の手元を離れ地面へと転がる。カラン、カランと音を立てて転がった剣は、まるで勝敗を知らせる鐘の音のようだと思った。
「俺の、勝ちだ…!」
剣を義弟に突きつけ勝利を宣言する王子と、そんな彼を殺さんばかりの眼力で睨みつける義弟。そして、それを見てはしゃぐ剣士。
私は最後の展開に少々驚いていた。義弟が勝つ可能性の方が高いと思っていたのもあるが、なにより、王子が最後まで諦めなかったことだ。前までの王子なら、才能を言い訳に諦めたフリをして拗ねていただろうに。
本当に彼は呪縛から己を解放できたのね。
……あら?でもそれって"あの女"の役目じゃなかったかしら?
私の脳裏を一抹の不安が掠めていったが、どうせ王子はあの女の虜になるだろうと私はそれを頭を軽く振ることで流した。
そんな私をよそに、王子は義弟に言葉を掛ける。
「これで少しは私を認める気になったか?」
「~~~ッ!!」
義弟の顔が赤を通り越してなんだかドス黒くなってきましたわ。
このままじゃ本当に王子暗殺計画とか立てるんじゃないかしら、と思ってしまうほどの形相で王子を睨む義弟は、敗者と呼ぶに相応しい有様だと思った。
本当に義弟が王子を抹殺してくれれば、それはそれで助かるのだけれどと内心思いつつも、私は二人に声を掛けた。
「お見事でしたわ」
「私が頑張れたのは君のお陰さ。あの時、私を見つめていた君の期待に応えたいと思えたから、私は最後まで頑張れたんだ」
別に貴方だけを見ていた訳ではないのだけれど。
私が王子の脳内お花畑の妄言に困惑しつつも、適当に返事をして王子に称賛の言葉を送る。義弟はその傍らで悔しそうに歯を食いしばって下を見た。
自分の見下していた相手に負けて、今の義弟はプライドがズタボロでしょうね。
このまま王子が帰ったら八つ当たりとかされないかしら。
「貴方も素晴らしかったわよ。特に終盤のあの一瞬、よくあんな不安定な体勢から殿下の一撃を防いだものだわ。力では負けてしまったけれど、見事だったわ」
義弟の嫌味が増えたらストレスがとんでもないことになると不安になった私は、続けて義弟にも労いの言葉をかけた。一応、すごいと思ったのは本当ですし。
「…………はい」
すごい間が開いたけれど義弟から返事が聞こえたので、私は王子に向き直った。王子は何かを期待しているのか、とても誇らしげな顔で微笑んでいる。
そんな彼に向かって私は事務的に言葉を送る。
「私だったから良かったですけど、レディをほっぽって遊ぶのはあまり褒められたことではありませんことよ」
お茶菓子と紅茶でお腹が膨れた私がそう言えば、王子は「あっ」と間抜けな声を出して青ざめた。
「す、すまない!いや、でも、これは君の弟に私が婚約者だと認めてほしくて」
「別に私は気にしていませんわ」
王子は慌てて私への謝罪を口にするが、私は本当に気にしていない。どころか私を一人にしてくれた事に感謝すらしている。
ただ将来あの女と添い遂げるであろう王子が女性の扱いがなってないと、あの女に見限られてしまうと思ったから。私の邪魔にならないためにも、二人には未来永劫ずっと仲睦まじく共に生きてほしいわ。
「あら?貴方、手を怪我したの?」
「え、あ、いやコレは……」
ふと義弟の固く握られた手から血が滴っているのが見えた私は、流石に流血沙汰になれば母がうるさくなると思って義弟へ手を伸ばす。
「な、なんでもないですから!」
義弟は私の手を振り払うように大きく腕を振るう。義弟はまるで「やってしまった」とでも言うような顔をして私から目線を逸らした。私の横では王子が今にも義弟を叱りそうな勢いで身を乗り出そうとしている。
私はそんな王子を無視して、喧嘩の後で気が立っているのかしら、と思いつつ放っておいて後で面倒になるのは御免だったので私は再度義弟に手を伸ばした。
「手、見せてちょうだい」
「っ、」
義弟は少しだけ抵抗するように身体を強張らせたが、今度は大人しく私に手を差し出した。私は彼の固く閉ざされた手を、優しく解くように開かせる。
どうやら血が出た原因は爪が食い込むほど手を握りしめたせいだろう、と分かる傷跡に私はそっと手を重ねる。
そのまま治癒魔法で彼の傷を癒せば、辺りには光の粒子が漂う。
「君は、聖女だったのか…?」
その光景を見た王子が呆然としながら呟いたそれに、私は唾の一つでも吐きかけてやりたいような気分になる。
「そんなわけないでしょう」
私は聖女なんかじゃないわ。貴方が将来惚れる女に与えられる称号で私を呼ばないでほしい。
即座に否定する私に王子が「謙遜しなくていい」と的外れな擁護を飛ばす。
私はどうせ後々分かることなのに、と溜め息を吐きつつも義弟の手が綺麗になったのを見て魔力供給を止めた。
「……お騒がせしてすみませんでした」
義弟が素直にしおらしく謝る様に私は度肝を抜かれつつ、できるだけ平静を装って「構わないわ」と返す。
「それに、次は負けないのでしょう?」
どうせ次やりあえば義弟は王子をボッコボコのコテンパンにやり負かすだろうに、一度負けたくらいで大袈裟なのよ。そう思った上での発言だったが、義弟は私の言葉にバッと勢いよく顔を上げた。
驚いたような、泣きそうな、そんな顔だった。
その表情の意味を私は理解できなかったが、義弟はすぐにキリッと表情を引き締め、自信満々に答えてみせた。
「勿論です」
「次"も"負けないがな」
そんな義弟に王子は負けじと言い放つが、義弟は睨んだり見下すような顔はせずに、まるで挑むように王子を見つめ返した。二人の間に微妙な友情が芽生えつつあるような気がするのだけれど、余計なことをしてしまったかしら。
とりあえず、このままお茶会を続行するような気分でもないので、静かに本を読みたいという私の希望で私たち一行は屋敷の図書室に向かうことにした。
その後、私は図書室で勉強をしたり、先ほどの王子と義弟の打ち合いで得た知識を書き留めたり、神話が書かれた絵本などを読んだりして時を過ごした。
義弟が王子と剣士の頭の悪さに愕然としたり、逆に王子が義弟の有能さに焦ったりと騒がしくしていたが、平和な時間だった。
「姉様の婚約者でありたいのなら、この程度は出来て然るべきかと」
「確かにその通りかもしれないが、」
「貴様ッ!度重なる殿下への無礼!もう許さんぞ!」
「貴方はさっさとその猿以下のマナーをどうにかするべきですよ」
……平和な時間だったわ。ええ、とても。
その日も王子は私たちと夕食を共にした後、王宮へと帰って行った。
***
それからの日々は平穏に過ぎていった。
義弟は王子に負けたのが切っ掛けで、更に剣術に力を入れるようになった。それでも授業でミスをしたりしない辺り、流石だと思う。
王子は私に手紙を毎週送るようになった。彼は王宮での生活や彼の友との話、勉学で苦戦しつつも以前よりはいい結果が残るようになってきたという話をよく手紙に綴っていた。私は特に書くこともなかったので、義弟の様子をよく手紙に書いていた。
私も出来る限りの努力を重ねた。
今ではかなりの速さで魔力を流しても、安定して制御が出来るようになった。教官はそんな私を見て柔らかく、そして誇らしげに笑った。私の頭を撫でながら「よく頑張ったな」と私の努力を認めてくれた教官に、私は自身の目頭が熱くなるのを感じた。
教え子の成長と成功を心の底から共に喜んでくれる教官を見てーー私は彼の鼻を明かしてやるという決意も忘れーー彼に教わることが出来て良かった、と心の底からそう思えた。
そうして気付けば、私が過去に戻ってから一年が経とうとしていた。
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