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ローナ 10歳編
知らなかった過去
しおりを挟む「それでは、ヴィルム絵師の御子息も滞在するという事で話がついたのですか」
雑談混じりに兄さんのリードでワルツの練習をしていた午後。
世間話の中途にそういえばと切り出して語ったのは、一時的同居人であるヴィルム絵師についてだった。
あれから一週間が経過したのだが、やっぱり息子が心配になったらしい。
実は自分には息子がいて、家に残してきているから呼んでもいいかとお父様に直談判したのだとか。
「息子の存在を隠していた事情を父と共に聞いた母が同情してな。是非にと勧めたようだ」
息を合わせてくるりと回り、リズムに乗ってステップを踏む。
「同情、ですか」
「前にも邸に滞在して描いた事があるらしい。その時は息子を連れていったそうなんだが、その家の子女から悪質な悪戯を受けたそうだ」
兄の言葉に反応して、繋がれた私の手がピクリと震える。
それを合図に、兄が次のステップの為に差し出した足が止まった。
リードされていたダンスが強制的にストップした為、リズムを取るのに使用人によって弾いてもらっていたヴァイオリンの音も止む。
「それは……」
途端に静寂の訪れた大広間に、落ちるように呟いた言葉が響く。
すると肩にあった兄の大きな手が私の頭に移動し、髪を梳くように撫でられた。
「嘆かわしい事だが、庶民を下賤な者として見る貴族は少なくない。我々の暮らしがどのようにして成り立っているのかを考えたこともないような連中に見られる傾向だ」
「……はい」
貴族の子供たちに虐められた過去があるだなんて、ゲームでは語られなかった話だ。
もしかしなくともその出来事は、エンゲルが貴族社会に馴染めなかった大きな要因なのではないだろうか。
幼少期に虐めてきた人たちと同じ学校に通う事になる……その恐怖心は察するに余りある。
「そして絵師が息子をここに呼んでも良いかと言ってきたということは、我々はそうではないと信用されたからだ」
兄の硬い声に優しい色が滲んで、撫でる手とは違うもう片方の手が冷たくなっていた私の頬を包んだ。
「だから、そう落ち込むな」
ーー貴族ゆえに向けられる偏見に落ち込んでいたと思われているようだ。
あんなに可愛いエンゲルに、そんな悲しい過去があっただなんてと衝撃を受けていただけなんだけどね……。
「ありがとうございます、兄さん」
勘違いといえど、その気遣いはとても嬉しい。
見上げた先にいる兄に向けて微笑んだ。
「そういえば、ローナに伝えたい事があった。喜んでもらえると思う」
けれど兄はそれでも尚私が落ち込んでいると思ったのか、らしくない明るい声で話題を変えた。
慰めは必要無いと言いたいところだが、兄が伝えたい内容が気になる。
何でしょう、と言って続きを促す。
「料理長のジュールを知っているか」
「はい、勿論。彼はとても美味しいスープをーー特に玉葱を沢山使ったスープが本当に素晴らしいので、出していただける度にアンに伝言を頼んでしまうのです……料理長がどうなさいました?」
香りだけでも美味しいオニオンスープを思い出し、涎が垂れそうなのをすんでのところで耐えた。危なかった。
"嬉しいお知らせ"に料理長ということは、もしかして今日の晩御飯の話だろうか。
彼の作る物は何だって美味しいので、改めて嬉しい告知として知らされる必要は無いというのに。
「成る程。それで、か」
「?」
「いや……そのジュールの出身がハーン王国であるのも知っているか」
「はい。ジュールが作るケーキや焼き菓子がどこのものかを聞いた事があるので」
確かにアフタヌーンティーに出る菓子が美味いと頷いた兄に、そうでしょうと笑って返した。
料理もピカイチだというのにお菓子作りも最高なので、うちの料理人は最強ではないだろうかと常日頃から思っている。
そして、その認識はあながち間違いでは無い。
リーヴェ邸に雇われる使用人の殆どがお母様による選出な為、"お国柄"と言っていいだろう影響が大いに現れている。
料理長もその影響下の一人で、母の故郷であるレーヴェ王国の貴族にとって邸の料理人に"美食の国"であるハーン王国出身の者を雇用するのは、上流階級のステータスの一つであることから、ジュールは採用された。
そんな訳で、世界的に美味しいものが作れる国として認められているハーン王国の料理人が作る食事が最強じゃない筈がないのだ。
いやもう本当に美味しい。お腹の肉がつまめないようキープするのがしんどいくらい。
彼の作る食事やケーキが美味しすぎるのがいけない。
そういえばーーアフタヌーンティーの菓子が美味しいと思ってるって事は、兄さんも甘いお菓子が好きなのかな。
そう思った私は早速、兄さんは甘いものはどれがお好きですかと聞こうと口を開こうとしたのだが。
それよりも先に、兄はハッと我に返って主軸から逸れた話題を戻そうと「そのジュールが言うには」と早口で紡がれてしまった。
「ハーン王国には、ローナのような盲目でも読める本があるらしい。この間、わざわざ私の書斎に訪れてまで教えにきてくれた」
「私でも読める、ですか」
「ああ。"点字図書"というらしい」
この世界では聞いたこともないが、前世の記憶から知識を引用してみるに、『点字図書』とは文字を凹凸による点と線で表すことで見えずとも指で触って読めるという仕組みの筈だ。
やった!と拳を突き上げて喜びたいところだが、ここはお淑やかに「どのようなものですか」と兄さんに尋ねておこう。
兄が説明してくれた内容は、私が予想したのと概ね同じであった。
読書は好きだ。
ここではない世界に没入できるのは本が一番良いと思うから。
ゲームもそうと言えるけど、この世界にゲームは無いので。
あと、良い暇つぶしになる。
見えなくなってからというものの、みんながみんな過保護な為やれる事が殆ど無いから、本が読めるようになるのはそういった意味でも嬉しい。
嬉しい、けど……。
「その点字がクロイツには無かったということは、クロイツ語の点字は無いのですよね?浅学で申し訳ないのですが……これからハーン語と合わせて点字を習得するとなると、普段の勉強もありますから、その……せっかく取り寄せていただいても読むとなりますと……」
つまり点字図書を読むためにはまずハーン語を習得して、その後にハーン語の点字を習得する、となると本が読めるようになるのは年単位で先になるかもしれない。
失明してからも前々からお世話になっている家庭教師に来てもらっているので、普段の勉強時間も合わせて考慮すると……学園生活開始までにギリギリ間に合う、かな……?
うう……せめて点字がレーヴェ語だったら!
母の母国語という事で幼い頃から学んでいた、私がクロイツ語の他にわかる言語はレーヴェ語くらいなもので。
……でも贅沢の言い過ぎは身を滅ぼす。
ジュールが提案してくれた事でその存在を兄さんが知り得て、私に用意していただけるのだから。
それだけでも有り難い事だというのに、貴族生活に慣れすぎて我儘になってきているのかもしれない。気をつけねば。
「ああ、その事だが。リーヴェ家を挙げて点字開発に尽力する事になったから、心配しなくていい」
…………はい?
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