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縁のはじまり
一歩ずつ
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『旦那の父ちゃんはな、自分の女たちに殺し合いをさせてた。最期まで残った奴に子を産ませる。そうして強い跡取りを作るんだ。そういう一族だ。ずっと勝ち続けて何人も仔を産んだ旦那の母ちゃんも、歳のせいで負けた。人間だしな、しょうがねえ。父ちゃんは見舞いに行った旦那の目の前で、負けたもんはいらねえと、
燃やしちまった、』
燃やした。何を、とは魅櫨は言わなかったが、なくても十分察せられる。硬くなった身体を包むように、刹貴の腕が前に回された。
『帰るようだったら行けなくて悪いと伝えてくれだと。もう、帰るだろう。早いにこしたことはねえからな』
『そうさせるつもりだ』
『じゃあ言って正解だった。空も旦那につきっきりで来れねえし』
空、仔どもは今頃才津の看病をしている彼を、彼女を想って表情を曇らせた。蔵で聞いた才津の言葉、魅櫨が語った才津の話、どちらも空は知っていることだろう。
だから、空は、
『それに千穿も忙しくてなァ』
いきなり声色をがらりと変えて、明るく言われた言葉にはっと仔どもは意識を浮上させた。魅櫨は強引に口角を引き上げた、奇妙な表情をその面に浮かべていた。仔どもを気遣う眼差しが、よく見ればある。
その意図を悟って、仔どもは笑った。大丈夫だと。
仔どもに聞かせるべきことではなかったと、悔やまれるのは嫌だ。
ほっとしたのか、眼差しがゆるんだ。
仕切り直しのつもりなのだろう、ことさら大仰に彼は言った。
『信じられるか、人間嫌いのあいつが昼間に接客だぞ』「、うそお」
驚きを通り越して何もかも忘れさり、ぽかんとただ仔どもは口を開けた。それほどまでに驚倒すべき事柄だった。
仔どもの反応は満足いくものだったのか、魅櫨は何度も頷いた。
『だろう。だから見舞いにも見送りにも行かんぞと言っておけと命じられてしまった。憎いまでいるのは嫌なんだと』
「すてき、だ」
ふわりと仔どもは笑み崩れる。
こうして、一歩ずつあたしたちは前に進む。
『それじゃあ、』
しばらくは仔どもを眺めていた魅櫨だったが、よっこらしょ、と外見には不釣り合いな掛け声をかけて立ち上がった。体重を乗せられた錫杖の重みですこし畳がへこむ。けれど気にしない。袈裟の膝もとを軽く叩き、よし、とひとり気合いを入れた。
『みーちゃんは帰ろうかね』
鼻で支えたふたつの色つき硝子の柄を押し上げた彼を、刹貴が引き止める。
『もう帰るのか。せめてこの子が帰るまで、』
『冗談』
みなまで聞かずに、魅櫨は刹貴の言を遮った。心底嫌そうに彼は頬を歪めている。
『オレだけがいたなんて言ったら、殺されるじゃねえか。空や旦那はともかく千穿にまで理不尽に詰られるのが目に見えてる』
だから帰る。きっぱりとそう言って出て行ったと思いきや、あっという間に魅櫨は戻ってきた。
『ひとつ、言い、忘れたお嬢ちゃん』
扉の側面に手をついて、魅櫨は荒い息を吐いた。吸って、吐いて、整える。
『空からの伝言。意味が分からねえもんだから、忘れてた』
「空から」
『そ。諦めません、だってさ』
は、と仔どもは息を呑んだ。
『旦那が永遠だと言ったから、だと。だからそのときが来ても、諦めずに食らいつく。ありがとうございます、と』
思わず、口元を覆った。
「空が、空、も。そっか、あ」
くぐもった声で、呟く。高ぶった感情がのど元まで来ている。
『なんだ、お嬢ちゃんには分かるのか』
不満げな顔を作ったくせに、薄く隠された目の奥、一瞬だけ魅櫨はやさしく笑った。じゃあ、確かに伝えたからと言って今度こそ身を翻す。
「空が」
魅櫨はあえて聞かないでおいてくれたようだった。その心遣いを嬉しく思いながら、仔どもは静かに泣きだした。刹貴は何も言わず、ぎゅうと腕のちからを強めた。
自分を救う、そんな言葉を才津から空は貰って。それを自分が後押しできたなら、これほど嬉しいことはない。
よかった。これは始まりにしかすぎないけれど。すごく、すごく安心したのだ。
諦めなければいつだって、結果は定まってはいないのだ。
燃やしちまった、』
燃やした。何を、とは魅櫨は言わなかったが、なくても十分察せられる。硬くなった身体を包むように、刹貴の腕が前に回された。
『帰るようだったら行けなくて悪いと伝えてくれだと。もう、帰るだろう。早いにこしたことはねえからな』
『そうさせるつもりだ』
『じゃあ言って正解だった。空も旦那につきっきりで来れねえし』
空、仔どもは今頃才津の看病をしている彼を、彼女を想って表情を曇らせた。蔵で聞いた才津の言葉、魅櫨が語った才津の話、どちらも空は知っていることだろう。
だから、空は、
『それに千穿も忙しくてなァ』
いきなり声色をがらりと変えて、明るく言われた言葉にはっと仔どもは意識を浮上させた。魅櫨は強引に口角を引き上げた、奇妙な表情をその面に浮かべていた。仔どもを気遣う眼差しが、よく見ればある。
その意図を悟って、仔どもは笑った。大丈夫だと。
仔どもに聞かせるべきことではなかったと、悔やまれるのは嫌だ。
ほっとしたのか、眼差しがゆるんだ。
仕切り直しのつもりなのだろう、ことさら大仰に彼は言った。
『信じられるか、人間嫌いのあいつが昼間に接客だぞ』「、うそお」
驚きを通り越して何もかも忘れさり、ぽかんとただ仔どもは口を開けた。それほどまでに驚倒すべき事柄だった。
仔どもの反応は満足いくものだったのか、魅櫨は何度も頷いた。
『だろう。だから見舞いにも見送りにも行かんぞと言っておけと命じられてしまった。憎いまでいるのは嫌なんだと』
「すてき、だ」
ふわりと仔どもは笑み崩れる。
こうして、一歩ずつあたしたちは前に進む。
『それじゃあ、』
しばらくは仔どもを眺めていた魅櫨だったが、よっこらしょ、と外見には不釣り合いな掛け声をかけて立ち上がった。体重を乗せられた錫杖の重みですこし畳がへこむ。けれど気にしない。袈裟の膝もとを軽く叩き、よし、とひとり気合いを入れた。
『みーちゃんは帰ろうかね』
鼻で支えたふたつの色つき硝子の柄を押し上げた彼を、刹貴が引き止める。
『もう帰るのか。せめてこの子が帰るまで、』
『冗談』
みなまで聞かずに、魅櫨は刹貴の言を遮った。心底嫌そうに彼は頬を歪めている。
『オレだけがいたなんて言ったら、殺されるじゃねえか。空や旦那はともかく千穿にまで理不尽に詰られるのが目に見えてる』
だから帰る。きっぱりとそう言って出て行ったと思いきや、あっという間に魅櫨は戻ってきた。
『ひとつ、言い、忘れたお嬢ちゃん』
扉の側面に手をついて、魅櫨は荒い息を吐いた。吸って、吐いて、整える。
『空からの伝言。意味が分からねえもんだから、忘れてた』
「空から」
『そ。諦めません、だってさ』
は、と仔どもは息を呑んだ。
『旦那が永遠だと言ったから、だと。だからそのときが来ても、諦めずに食らいつく。ありがとうございます、と』
思わず、口元を覆った。
「空が、空、も。そっか、あ」
くぐもった声で、呟く。高ぶった感情がのど元まで来ている。
『なんだ、お嬢ちゃんには分かるのか』
不満げな顔を作ったくせに、薄く隠された目の奥、一瞬だけ魅櫨はやさしく笑った。じゃあ、確かに伝えたからと言って今度こそ身を翻す。
「空が」
魅櫨はあえて聞かないでおいてくれたようだった。その心遣いを嬉しく思いながら、仔どもは静かに泣きだした。刹貴は何も言わず、ぎゅうと腕のちからを強めた。
自分を救う、そんな言葉を才津から空は貰って。それを自分が後押しできたなら、これほど嬉しいことはない。
よかった。これは始まりにしかすぎないけれど。すごく、すごく安心したのだ。
諦めなければいつだって、結果は定まってはいないのだ。
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