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それは永遠の秘めごと

絶対にさよならする未来のはなし

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           七

 さんざ泣いて落ち着いたのか、空はようやく単衣だけを着込んで鼻を啜った。その目は真っ赤に腫れてしまっているが、ずいぶんすっきりしたような顔をしている。

「見苦しいところを見せました。それに着物を濡らしてしまって。せっかくお嬢さんに誂えたのに。お召し変えなさいますか」

 もっとも男物しか持ってないんですがね。

 そう事も無げにいう空は、実はれっきとした少女だ。そのことを、仔どもは先ほど確認した。まだ証はわずかなほどでしかなかったが。

 いくら仔どもが無知でも千穿や、
 世話をしてくれていたひとや母を見ていればそれくらいの判断はついた。

「ああ、そういえばここは呉服屋でしたっけ。別におれのでもなくてもいくらでもお嬢さんに合うものはありますよね」

 同意を求めてくる空に返事もせずにじっと見つめるだけの仔どもに、しばらくして空は諦めたように苦笑した。「おれに、訊きたいことがあるようですね」
「あっ、別にっ、違くて、」

 慌てて手を振って、仔どもは弁解した。あれは空の逆鱗だ。不用意に触れていいものではない。

 知りたいのは本当。けれど空は仔どもにいままで何も告げなかった。それは当然のことで、何者も信用していない仔どもに一体なにを託すだろう。

 頼りにされたいなど、おこがましいにもほどがあるじゃないか。仔どもはずっと、そう言ってくれていたひとたちを受け入れられずにいたのだから。

「  いいんです、おれ、ほんとはずっと誰かに話したかった。ひとりじゃどうにももう、この荷物は、重くて」

 ゆるく笑むその姿は前にも見たことがある。仔どもが無遠慮にも君もバケモノなのかと訊ねた、そのときにみせたのと同じ表情だった。

「才津さまは、知らないの」
「ええ、まったくご存じでない。知っているのはおれを育ててくれたほんのわずかだけです。才津さまには隠すよう言われてきましたから」

 お傍におりたいなら決して誰にも口外せぬよう。今更どうにもできないが、お前は主人のかたみの匣ゆえ、何としてでも隠さねばならぬ。

 空はしゃがみ込む仔どもの前に座り、幼子のように膝を抱えた。

「おれはね、本当はあなたがおれと同じ人間だから、才津さまから庇ったわけではないんです」
「そう、なの」
「理由のひとつではあります、もちろん。おれがあのとき言ったことは偽りなんかじゃありません。確かにあれはおれがこの世界江戸裏で生きていて、実感したことなんです。
 すべてのものたちがおれを、排除するわけではない」

 確かめるようにゆっくりと、再び紡がれた言葉。
 誰かが、と仔どもはあのときそう訊き返した。それに空は是と答えた。仔どもがいた場所にも、仔どもを想うものがいたのだと。

 それは今でも信じられないことだった。仮令たといいるとしてもそれは、刹貴たち妖モノの住むこの江戸裏で出逢ったものたちのほかには思えない。

「世界すべてを恨めても、世界すべてから恨まれるなんて、そんなことあるはずがないんですよ。だから誰もがどこかで救われる可能性を持ってる。あちらがダメならこちらで。こちらがダメならあちらで。きっとどこかに居場所があるんだ。誰かの傍に。
 だけど、  だけど、」

 空は掻き毟るように胸を押さえた。

「けれどね、お嬢さん。おれは、だめだ。唯一を定めてしまったら、そのひとに排除されればもうおしまいです。救われよう、はずもない」

 才津のことだ、仔どもはそう悟った。空の唯一が、主人である才津なのだ。
 ますます空は膝を抱えこんでちいさく、丸くなる。膝に顔をうずめているせいで、空の声はくぐもっていた。

「だって、だって、そうでしょう。産まれたときから、そうだったんだ。おれは才津さまの剣、俺は才津さまの盾。才津さまのためだけに生きることがおれの存在意義で、才津さまがおれの世界で、それ以外だったことなんてなかった。
 一度だって」

 だからあのとき、子どもをかばったとき、初めて空は主人に向かって逆らうつもりで、逆らったのだ。

「おれは、お嬢さんに幸せになってもらいたい。どこでだっていい。人の世でも、江戸裏でも。幸せに笑うお嬢さんを見れたら、おれはそれに自分を重ねて見ることができる。
 捨てられなかったおれを想像して」

 その言葉の上にのっていたのは諦観ていかんだった。すべて放り投げた口調だった。

「これもおれの、本心です」

 もしかしたら、捨てているのは空のほうなのかもしれないと仔どもは思う。才津に付き従って、これからもずっと。そんな未来を捨てているのは、実はその選択肢を選びうるいつかの才津ではなく、今の空なのかもしれないと。

「軽蔑、しましたか。おれのこと」

「しないよ」

 質問に、仔どもは静かに返答した。

「でも、そうやって諦めてる空は、嫌いだよ」

 嫌い、そう言ったとき、つきりと胸の痛みを感じた。実際には大好きな空に、そんなことを言うのが堪らなかった。けれど仔どもは構わずに続けた。「あたし、ずっとずっと死のうって思ってた。死んだらいたいのも何もかも、終わるから、だから、もう死のうって思った。でも今は違うんだよ。もうだめなんだよ。死にたいのに、なのに、もう、死ねない。空たちがこんな、風した。あきめられな、く、さ せた。怖いのに、逃げだした、違う、ちがくて、逃げなきゃ だめ 逃げ、て、えっと。あれ。
 それ、    で、」

 主語も述語もさっぱりな言葉を口走りながら、仔どもはそれでも空に自分の気持ちを伝えようと必死になった。けれどそうすればするほど感情のほうが先走って支離滅裂な言葉しか口から出てこない。

 ひうと仔どもは喉を引きらせて息を吸い込んだ。

「お嬢さんっ」

 切羽詰った空の声を聞く。ぱしりと軽く頬をはたかれた。

 驚いて我に返って、仔どもは一度瞬きし、表情を歪ませた。近い距離で、まだ仔どもの両頬を挟んだままの空もまた何かを堪えるような顔をしていた。ついに、涙が溢れる。

 泣いてはいけないと、分かっているのに、だ。

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