上 下
23 / 74
遅すぎた日々が巡って

それは自分であるために必要なもの

しおりを挟む
「死ねるのっ」

 嬉しくて、仔どもは笑った。呆れるほど無邪気に。刹貴の庵へ来て、これがはじめて見せた仔どもの何も繕わない笑みだった。

「何をっ、」

 語調も変えずに今度は仔どものほうへ向き直った空は、一瞬のうちにその表情を凍りつかせた。

 唇を引き結んで顔を歪めて、ふらふらと裸足のまま土間に降りてきた空は袴が汚れるのもいとわず仔どもの前に膝をつく。刀の鞘の小尻が固い音を立てて地面を打った。握られた二の腕が痛かった。

「何を、なにを喜んでいるのです。死ぬと言っているんですよ。なのに何故、そんな風に笑っているんですっ」

 笑っていちゃだめなのかな、まず仔どもはそう思って、それから苦しそうな表情をしている空を見て、途端に申し訳ない気持ちになった。仔どものすがたを見ても罵倒ばとうしない、はじめての人間なのに。

 人間なのに仔どもを切り捨てない、そんな人だったのに。
 高揚していた気分が沈んで、仔どもはうつむく。

「どうしてです、才津さま。どうして彼女は」

 続きを言うことを拒むように、彼の声がちいさく消えていく。色を褪せた瞳が、仔どもを見上げている。仔どもの着物の裾を掴んだ空の手は細かく震えていた。

「おれは、傷を癒す、その間だけだと思っていた。魂の傷は肉体のものよりも損傷が激しい。そのために留め置いているのだろうと」

 それは無理に、感情を押し込めて冷静になろうとしている声。

 傷は至る所にある。

 空の目は仔どもの心ノ臓の上に巻かれた繃帯ほうたいと、何度変えても滲む血を映す。

「それなのに、傷が癒えてなお、死ぬ、なんて」『莫迦空』
 静かな声が幼い自分の随従ずいじゅうを罵倒する。

『どうして、か。教えてやろう。お前もこの娘と同じ、人間の端くれだからな。お前には分かるまい』

 才津はちらりと刹貴を返り見た。風鈴ひとつ、手にした刹貴は微動だにせず、才津の行動を肯定も否定もしなかった。

『娘。お前、名は』

 訊ねられて、仔どもは口を開いた。「えっと、」

 言いかけて、ふと気づいた。
 名は。
 ムスメ、人間、あなた、      バケモノ、と。

 色々な呼ばれかたをしたけれど、そうだ、どんな名前だっただろうか。
 記憶の中では、名前で呼ばれたことなどない。

 それに母から風鈴をもらって以来、仔どもに声をかけるものすらいなくなった。

 名を忘れてしまっているのか、それとも元からそんなものは与えられていなかったのか。それは定かではなかったけれど。

 寸時躊躇ったあと、仔どもはそのままに告げた。

「名前、ない」

 わずかな沈黙が通り過ぎ、吐き出す息とともに才津が言った。『ほれ、見たことか』

しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

【完結】捨ててください

仲 奈華 (nakanaka)
恋愛
ずっと貴方の側にいた。 でも、あの人と再会してから貴方は私ではなく、あの人を見つめるようになった。 分かっている。 貴方は私の事を愛していない。 私は貴方の側にいるだけで良かったのに。 貴方が、あの人の側へ行きたいと悩んでいる事が私に伝わってくる。 もういいの。 ありがとう貴方。 もう私の事は、、、 捨ててください。 続編投稿しました。 初回完結6月25日 第2回目完結7月18日

寝室から喘ぎ声が聞こえてきて震える私・・・ベッドの上で激しく絡む浮気女に復讐したい

白崎アイド
大衆娯楽
カチャッ。 私は静かに玄関のドアを開けて、足音を立てずに夫が寝ている寝室に向かって入っていく。 「あの人、私が

【完結】忘れてください

仲 奈華 (nakanaka)
恋愛
愛していた。 貴方はそうでないと知りながら、私は貴方だけを愛していた。 夫の恋人に子供ができたと教えられても、私は貴方との未来を信じていたのに。 貴方から離婚届を渡されて、私の心は粉々に砕け散った。 もういいの。 私は貴方を解放する覚悟を決めた。 貴方が気づいていない小さな鼓動を守りながら、ここを離れます。 私の事は忘れてください。 ※6月26日初回完結  7月12日2回目完結しました。 お読みいただきありがとうございます。

2番目の1番【完】

綾崎オトイ
恋愛
結婚して3年目。 騎士である彼は王女様の護衛騎士で、王女様のことを何よりも誰よりも大事にしていて支えていてお護りしている。 それこそが彼の誇りで彼の幸せで、だから、私は彼の1番にはなれない。 王女様には私は勝てない。 結婚3年目の夫に祝われない誕生日に起こった事件で限界がきてしまった彼女と、彼女の存在と献身が当たり前になってしまっていたバカ真面目で忠誠心の厚い騎士の不器用な想いの話。 ※ざまぁ要素は皆無です。旦那様最低、と思われる方いるかもですがそのまま結ばれますので苦手な方はお戻りいただけると嬉しいです 自己満全開の作品で個人の趣味を詰め込んで殴り書きしているため、地雷多めです。苦手な方はそっとお戻りください。 批判・中傷等、作者の執筆意欲削られそうなものは遠慮なく削除させていただきます…

妻の死で思い知らされました。

あとさん♪
恋愛
外交先で妻の突然の訃報を聞いたジュリアン・カレイジャス公爵。 急ぎ帰国した彼が目にしたのは、淡々と葬儀の支度をし弔問客たちの対応をする子どもらの姿だった。 「おまえたちは母親の死を悲しいとは思わないのか⁈」 ジュリアンは知らなかった。 愛妻クリスティアナと子どもたちがどのように生活していたのか。 多忙のジュリアンは気がついていなかったし、見ようともしなかったのだ……。 そしてクリスティアナの本心は——。 ※全十二話。 ※作者独自のなんちゃってご都合主義異世界だとご了承ください ※時代考証とか野暮は言わないお約束 ※『愚かな夫とそれを見限る妻』というコンセプトで書いた第三弾。 第一弾『妻の死を人伝てに聞きました。』 第二弾『そういうとこだぞ』 それぞれ因果関係のない独立したお話です。合わせてお楽しみくださると一興かと。 ※この話は小説家になろうにも投稿しています。

【完結】探さないでください

仲 奈華 (nakanaka)
恋愛
私は、貴方と共にした一夜を後悔した事はない。 貴方は私に尊いこの子を与えてくれた。 あの一夜を境に、私の環境は正反対に変わってしまった。 冷たく厳しい人々の中から、温かく優しい人々の中へ私は飛び込んだ。 複雑で高級な物に囲まれる暮らしから、質素で簡素な物に囲まれる暮らしへ移ろいだ。 無関心で疎遠な沢山の親族を捨てて、誰よりも私を必要としてくれる尊いこの子だけを選んだ。 風の噂で貴方が私を探しているという話を聞く。 だけど、誰も私が貴方が探している人物とは思わないはず。 今、私は幸せを感じている。 貴方が側にいなくても、私はこの子と生きていける。 だから、、、 もう、、、 私を、、、 探さないでください。

みちのく銀山温泉

沖田弥子
キャラ文芸
高校生の花野優香は山形の銀山温泉へやってきた。親戚の営む温泉宿「花湯屋」でお手伝いをしながら地元の高校へ通うため。ところが駅に現れた圭史郎に花湯屋へ連れて行ってもらうと、子鬼たちを発見。花野家当主の直系である優香は、あやかし使いの末裔であると聞かされる。さらに若女将を任されて、神使の圭史郎と共に花湯屋であやかしのお客様を迎えることになった。高校生若女将があやかしたちと出会い、成長する物語。◆後半に優香が前の彼氏について語るエピソードがありますが、私の実体験を交えています。◆第2回キャラ文芸大賞にて、大賞を受賞いたしました。応援ありがとうございました! 2019年7月11日、書籍化されました。

お飾り王妃の死後~王の後悔~

ましゅぺちーの
恋愛
ウィルベルト王国の王レオンと王妃フランチェスカは白い結婚である。 王が愛するのは愛妾であるフレイアただ一人。 ウィルベルト王国では周知の事実だった。 しかしある日王妃フランチェスカが自ら命を絶ってしまう。 最後に王宛てに残された手紙を読み王は後悔に苛まれる。 小説家になろう様にも投稿しています。

処理中です...