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遅すぎた日々が巡って

無償の指先こそがおそろしい

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 器用に薬を塗り、新たに布を巻きつけていくのを、仔どもはただ見つめていた。やさしい、仕草だった。仔どもが負担にならないようにか、刹貴は時折手を休め、様子をうかがう素振りを見せる。

 その様子を、得体の知れないものを見る目で仔どもは眺めている。いたわられているのが指先から伝わってきて、ますますおののいた。

 恐れと脱力感で身体が固まって動かない。

 しばらくしてもう仔どもが暴れないと判断したのか、刹貴は仔どもの脇に手を差し入れると身体を反転させ、膝に座らせた。背中には片腕が回され、支えられる。長い指に目元を拭われ、そのとき初めて、仔どもは刹貴の顔をまともに見た。

 刹貴は、その顔に奇妙なしゅりのめんを被っていた。ひとつ眼を模したような文様が刻まれた、両眼だけを覆う、面だ。これではなにも見えないはずなのに、刹貴は迷うことなく仔どもの前髪を上げ、額の傷に薬を付ける。

 髪は、黒。仔どもほど長くはないが、腰ほどまであるつややかな黒髪。

 これが、欲しかったな。

 彼へのおそれを忘れて見惚みほれ、思わず、手を伸ばしていた。ぎこちなく。自分の置かれた状況を瞬時彼方へやってしまうほど、その色は仔どもにとって焦がれてやまないものだ。

 仔どものものとは違うきれいな、色。仔どもが持つ老いさらばえた白とは何もかも違う。

 この色があれば、きっと捨てられることもうとまれることもなかったろうな。

 哀しみに縁取られた羨望せんぼうが、その瞳にのる。

『どうした』「  あ、」 

 我に返って、仔どもは手を引いた。咄嗟とっさに手を胸の中に握りこみ、顔を伏せる。

 触れなくて、よかった。うらやましいとか、そんな気持ちを悟られたくはなかった。

 いつの間にか治療は終盤に差し掛かっていた。両肩から着物を抜かれ、心ノ臓を縦に裂くようにできていた傷に背中も含めてぐるぐると布を巻く。これで最後だった。

『もう、逃げないのか。人間』

 面白がるような口調が訊ねてきた。

 瞠目どうもく、一拍おいて、かあ、と青ざめた白い顔に朱がのぼる。自分の失態を責め立てる怒鳴り声が仔どもの頬を打った。驚いて気配を探れば、いつの間にか背中にあったはずの温もりは消えていた。

 逃げようと思えば、いくらでも逃げられたのだ。その事実に、ようやくたどり着く。

 咄嗟に身を翻し、仔どもは立ち上がろうとした。足にちからをいれた瞬間、身体がかしぐ。世界が色を失う。強い眩暈に仔どもは手近なものにすがりついた。そうでもしないとまともに立てない自分が情けない。

『いくら望もうと、この状態では逃げられまい。おとなしく養生ようじょうしておけ。まだ熱も下がっておらぬ』

 くつり、喉の奥で笑われる。その音が存外に近いことでしがみついたのが刹貴の首だと気づいた。抱えなおされ、やさしく頭を撫でられる。仔どもは目を見開き、ただ、怯えることしかできなかった。

 誤解するなと。何度も何度も言い聞かせているのに、それなのに仔どもはぬくもりをもとめてさまう自分がいることを自覚する。

 惑わされるな、また、傷つく。この温かさはまぼろしだ。確かだと思った刹那、崩れることは必定ひつじょうなのだ。この手が次の瞬間、仔どもを打擲ちょうちゃくすることだってありうるのに。

 傷つく前に手を振り払え、すべてを、拒絶しろ。
 だって、どう考えてみたって、これはおかしい。

 手を、叩いた。

 優しさ以外を含まない指先を必死で退けた。持てるちからすべて使って、仔どもは壁際まで後退した。心ノ臓が疾駆しっくする。全身がそれだと錯覚するほど、その音は近い。

 信じられなかった。自分に優しさなどを与えるものがいること。バケモノなどよりそちらのほうが、よほど仔どもにとっては気味が悪かった。

 身を縮める。見られている、それだけで恐怖が喚起かんきされる。

「なん、何で。こんな こと」

 助けなくていい、捨て置いていい。
 ひとの体温など、知らないまま死にたかった。

 決心が鈍る。錯覚させられそうになる。


                        そ れ だ け は 。



「いい。やっぱり 言わ ないで」

 もし、今まで仔どもが何より切望せつぼうしてきた言葉を与えられてしまったら、どうすることもできない。おめおめと身体を差し出し、傷つけてもらいにいくような行為だ。それは。

 身体を一層ちいさくして、きつく目をつぶる。耳をふさいだ。

 ここは今までいたどの場所より、  痛い。

「出て く。どっか、いく。やだ、嫌だ。こわい」

 身体が震える。裏切られたときの恐怖をまざまざと脳裏に思い出す。その震えを押さえようと今度は肩に手をまわす、そのときを見計らったように、刹貴の声が届く。

『今のお前の状態で、どこにいける。れ死ぬ気か』

 温度を一変させた険しい声に身体を冷えさせながら、仔どもは何度も頷いた。
 死にたがりにとっては、そちらのほうがどれだけ嬉しいことだろう。

「そう、する。そっちのほうが、怖く、ない。だから、だから 」

 息をつく合間、からん、かラりんと風鈴が鳴っている。仔どもはふと思い出し、枕辺まくらべを見やった。そこに仔どもの求めるものの形はない。「 風鈴は、」

 仔どもはぽつんと疑問を零した。「母さまの風鈴、どこ」

 持っていたはずの母の形見は、せっている間になくなっていた。刹貴が持っているに違いない。それだけはどうしたっておいていけない。

 見やると刹貴は小さく首を傾げた。わざとらしい仕草に、ほとんど仔どもは確信する。

「か、返してよ。風鈴、返して、」 それを聞いて、刹貴は嘲笑ちょうしょうじみた笑みを口元に乗せた。ぞわり、背中が総毛立つ。仔どもは慌てて視線をそらした。

 仔どもをいたぶっていた笑みと、それはよく似ていた。

『ああ、分かるものなら自分で取って持っていけ。人間』

 刹貴は人差し指を立て、天井を指し示す。仔どもは耳を疑い、そろりと顔を上げる。刹貴の長く節だった、きれいな指が促す先を見る。


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