上 下
8 / 74
明日なんてのぞまない

おやすみなさい、もう、夢は見ませんよう 壱

しおりを挟む


「いいんだ」

 どちらが本心か分からぬまま、仔どもは言う。死んでもいいと思ったのも本当、死にたくないと思ったのも本当。

 さあ、いまはどっちだ。

 そもそもの根本から、仔どもはわけが分かっていない。腹を割いて楽になったはずなのに、呼吸をしていることだとか、思考していることだとか。

 そんな全部すべて、もういま何も考えずにすむのなら、誰かに喰われてしまってもまったく構いやしなかったのだ。諦めることが防衛手段だった仔どもが行動に起こした初めてのことが、命を絶つことだったのだから。

「さみしいのは、いたいのは、もうやだよ」

『それは喰われる痛みよりも重大か』

 仔どもはすこし笑ってしまった。そんな痛みなら、もうとっくに慣れていた。肉体の痛みなどなんのことはない。だが心の傷は自覚するたび、んで疼く。

「痛くなくはないけど、平気。だってきっとすぐに痛くなくなるよ」

 跡形もなく喰われてしまうのならばきっと、痛みなんて一瞬だ。自分の身体だって、躊躇いなく裂いたのだ。その先で得るものを考えれば、それくらいの代償がなんになろう。

                   嗚呼、そうか。

 喰われたくないと。死にたかったくせにそう願ったのは。ただ仲間だろうと勝手に誤解していた相手に、裏切られることが怖かっただけで。

 そう納得してしまえば、寸毫すんごうも未練はなくなった。あとももう、次に来る死が永遠の闇であるよう、願うだけ。

『妙な人間だ。死を望むか』

 妙な人間か、その通りだ。

 何だってこんな、いちいち質問に答えているんだろうと仔どもは思った。口を開くことさえ億劫おっくうだった。それでも勝手に口は動いて、刹貴に答えをくれてやる。

 ゆっくりと紡ぐ声はぺったり地に落ちた。「うん、だって、」

 疲れてしまった。生きていることが面倒になるほど。繰り返し浴びせられる言葉の数だけ、仔どもは何度も現実を突きつけられ、諦めた。
 散々仔どもを踏みにじったそのくせ、ここ数年は視界に映すことすらしなかった。

 諦めを認めるには、永い時間と、苦労がいったけれども。
 愛してほしいとは、何度も願ってきたけれど。

 そうやってまたどこかに期待するせいで、何度も裏切られる。もう、ここで終わりにしたかった。

 人の世にもバケモノの世にも居場所がないなら、もはや死を道行きにするほか、一体どんな手立てがあるというの。

「ねえ、ここにいれば、またさっきの奴ら、来るかな」

 仔どもはぼんやりと刹貴に訊ねた。返答を待ちながら、身体が重いな、と他人事のように意識する。自分の声のはずなのに、随分と遠くで歪んで聞こえた。

『来るだろう。千穿も他も、みなこの外れを根城にしているからな』

 そうか。安心してうなずいた。ならばもう少しここにいよう。

 残念なことに死に場所を探しにいくには、ぼろぼろになってしまった仔どもの足は不向きだったので。何で切ったのかは掴めないが左足の腱の近くが裂けていて、感覚がない。

 額をはじめとする細かい裂傷れっしょうはもちろん、千穿に噛まれた首からもまだ血が出ていた。心ノ臓の近くにも縦に裂けた傷がある。
 そのせいかどうかは分かりかねたが、なぜだかひどく疲れた気が仔どもにはした。

 刀でもあったらよかったのになあ。自分の身体なのに意思に沿ってくれないことにやんわりと苛立つ。首から伝って落ちてくる生ぬるい血も、その感覚に拍車をかけた。

 その不快感から逃れようとしていると、そのうち頭の中は煙が巣くっているみたいにぼうっとしてきた。

 眠たいな。
 だんだんまともに座っていることも難しくなってきて、仔どもは二、三度よろけた後に身体の命じるまま地面に倒れこんだ。痛みなんて慣れていた。けれどもう、その痛みすらも感じなくて、薄皮一枚隔てた衝撃を、感覚として得ただけだ。便利だな、と見当違いのことを仔どもは思う。

 自分の今の状態を推し量るすべを、仔どもは持っていなかったのだから。それにたとえ分かっていたとしても、仔どもは喜ぶことしかしなかっただろう。

『どうした』

 いぶかしげに呼んでくる刹貴にうん、と仔どもは我ながら不明瞭な答えを返す。

 月に冷やされた土は氷のようだった。それが身体の熱を溶かし、常温にし、やがて温度を下げてゆく。

 仔どもは身体を震わせてあたりに視線を巡らせた。焦点が定まらない。

 ぶれる視界の遠くに、町屋が見えて。そちらでは家屋がほんの数寸だって隙間がないように身を寄せ合っている。それなのに自分の周りにだけぽっかりとひらけているものだから、仔どもはひどく心細いような気持ちになった。

 近くに見えるのはたったひとつ、木々に隠された屋根の端だけ。淋しいのは嫌だと、何度も言っているのに。そのために死んだのに。駄々っ仔のように仔どもは思った。

 とりあえず、そちらへ行こう。少しでも、淋しくないようにしよう。手を使って這っていけば、たいしたことのない距離だ、移動するくらいは可能だろう。

 何度もよろめきながら身体を起こして、そして仔どもはかたわらに目を止める。

 風鈴。

 もう仔どもには必要のないものだけれど、持っていたい。うとまれようとも変えられないたったひとつ。それでも仔どもは母が、大好きだった。


しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

校長室のソファの染みを知っていますか?

フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。 しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。 座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る

秋物語り

武者走走九郎or大橋むつお
キャラ文芸
 去年、一学期の終業式、亜紀は担任の江角に進路相談に行く。  明日から始まる夏休み、少しでも自分の目標を持ちたかったから。  なんとなく夏休みを過ごせるほどには子供ではなくなったし、狩にも担任、相談すれば親身になってくれると思った。  でも、江角は午後から年休を取って海外旅行に行くために気もそぞろな返事しかしてくれない。 「国外逃亡でもするんですか?」  冗談半分に出た皮肉をまっとうに受け「亜紀に言われる筋合いはないわよ。個人旅行だけど休暇の届けも出してるんだから!」と切り返す江角。  かろうじて残っていた学校への信頼感が音を立てて崩れた。  それからの一年間の亜紀と友人たちの軌跡を追う。

命姫~影の帝の最愛妻~

一ノ瀬千景
キャラ文芸
ときはメイジ。 忌み子として、人間らしい感情を知らずに生きてきた初音(はつね)。 そんな彼女の前にあらわれた美貌の男。 彼の名は東見 雪為(さきみ ゆきなり)。 異形の声を聞く不思議な力で、この帝国を陰から支える東見一族の当主だ。 東見家当主は『影の帝』とも呼ばれ、絶大な財と権力を持つ。 彼は初音を自分の『命姫(みことひめ)』だと言って結婚を申し出る。 しかし命姫には……ある残酷な秘密があった。 和風ロマンスです!

あやかし猫の花嫁様

湊祥@書籍13冊発売中
キャラ文芸
アクセサリー作りが趣味の女子大生の茜(あかね)は、二十歳の誕生日にいきなり見知らぬ神秘的なイケメンに求婚される。 常盤(ときわ)と名乗る彼は、実は化け猫の総大将で、過去に婚約した茜が大人になったので迎えに来たのだという。 ――え⁉ 婚約って全く身に覚えがないんだけど! 無理! 全力で拒否する茜だったが、全く耳を貸さずに茜を愛でようとする常盤。 そして総大将の元へと頼りに来る化け猫たちの心の問題に、次々と巻き込まれていくことに。 あやかし×アクセサリー×猫 笑いあり涙あり恋愛ありの、ほっこりモフモフストーリー 第3回キャラ文芸大賞にエントリー中です!

ビストロ・ノクターン ~記憶のない青年と不死者の洋食屋~

銀タ篇
キャラ文芸
降りしきる雨の中、倒れるように転がり込んだその場所。 なんとそこは、不死のあやかし達の洋食屋だった!? 記憶をなくして路頭に迷った青年、聖弘(仮名)は、イケメンだけどちょっとゆるふわヴァンパイアの店長の取り計らいで不死者の洋食屋『ビストロ・ノクターン』で働かせて貰うことになったのだった。 人外だけの、ちょっとお洒落な洋食屋に陽気な人狼の経営するパン屋さん。 横浜のちょっと近くにある不思議なお店で繰り広げられる、ちょっと不思議でちょっと温かい、そんな話。

冥合奇譚

月島 成生
キャラ文芸
祖父宅への引っ越しを機に、女子高生、胡桃は悪夢を見るようになった。 ただの夢のはず。なのに異変は、現実にも起こり始める。 途切れる記憶、自分ではありえない能力、傷―― そんな中、「彼」が現れた。 「おれはこいつの前世だ」 彼は、彼女の顔でそう言った……

幼稚園探偵のハードボイルドな日々

JUN
キャラ文芸
ぼく──失礼、間違えた。私は広岡俊介、探偵だ。事務所はたんぽぽ幼稚園菊組に構えている。私は慣れ合わない。孤独なんじゃない、自由なんだ。しかしその自由は、事件や、時として女によって侵されるが。今も、その女の一人が来た。「俊ちゃん、おやつが済んだら歯を磨かないとだめでしょう」

後宮なりきり夫婦録

石田空
キャラ文芸
「月鈴、ちょっと嫁に来るか?」 「はあ……?」 雲仙国では、皇帝が三代続いて謎の昏睡状態に陥る事態が続いていた。 あまりにも不可解なために、新しい皇帝を立てる訳にもいかない国は、急遽皇帝の「影武者」として跡継ぎ騒動を防ぐために寺院に入れられていた皇子の空燕を呼び戻すことに決める。 空燕の国の声に応える条件は、同じく寺院で方士修行をしていた方士の月鈴を妃として後宮に入れること。 かくしてふたりは片や皇帝の影武者として、片や皇帝の偽りの愛妃として、後宮と言う名の魔窟に潜入捜査をすることとなった。 影武者夫婦は、後宮内で起こる事件の謎を解けるのか。そしてふたりの想いの行方はいったい。 サイトより転載になります。

処理中です...