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It's a new world I start, but I don't need you anymore.

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「――あの人は変わってるよね」

 誰のことかは言わなかったが、ヒタキはすぐに分かったようだった。

「ウルドのこと? うん、きっと変わってるだろうな。オレたちみたいなのを学校に入れてくれるんだもん。ウルドがいなけりゃオレたち誰も学校なんか行けてないし、売っぱらわれるか殺されるかろくなもんじゃなかっただろうな。でもさ、今回みたいなのは初めてだよ。ウルドは十匹くらいまとめてつれてくるんだ。なのに今回はモモセだけ」

 ヒタキはモモセの顔を覗き込み、小首を傾げた。そこで初めて、モモセはしまったと思った。間違えた。保身のための話題転換だったのだが、実のところヒタキはその話をしたかったらしい。

「モモセはウルドの何って、聞いてもいい?」

 純粋な好奇心のみで構成された質問にモモセは顔を伏せた。
 その質問に対する正確な答えを、モモセは持ち合わせていないのだった。

「――知らない。あの人はただおれを探してたって」
「それって特別ってことじゃないの?」

 ヒタキは怪訝そうにし、モモセは特別という単語を繰り返した。それは言葉の意味を掴みあぐねている、なんとも頼りない言い回しだった。

 特別。

 モモセはウルドの普通を知らないから、彼の『特別』が一体どんなものかも分かれないのだった。

「違うの?」

 重ねてヒタキが聞いてくる。

「違うと思う」

 考えるでもなく、モモセは即答していた。言ってしまってからモモセはちゃんと思考することを思い出したわけで、今度はしっかりと脊髄ではなく脳にまでその案件を持って行ったのだが、そこでも根拠のない否定しか浮かばなかった。逆に、漠然とした肯定も出来ないことはなかったが、そちらを選ばないあたりつまりモモセは肯定することが怖かったのだった。

 ――――特に、その先にあるものが

「あの人はおれが珍しかっただけだ」

 苦しまぎれに述べたことが理由として成り立たないことは、言ったモモセが一番よく理解している。別の意味合いでそれはヒタキも同じだったようで、あまり己と身長の違いのないモモセを上から下まで眺めたあと、楽しげに笑い声を上げた。

「モモセがさほど珍しい種族の獣だとは思えないんだけど」

 モモセは硬直し、自分の髪を掴んだ。漆黒。今のモモセは<神の血統>の血筋を受け継ぐ仔どもではないのだった。珍しいはずがない、失言だ。このまま種族の話に移行することをモモセは恐れ、先回りをしてウルドの作った設定を口にした。

「よ、夜狐だよ」

「ふうん、じゃあちょっとは珍しいのかな? こっちには多くないよね」

「そ、うだね……」

 山岳種族である夜狐がどの程度王都まで降りてきているのかまでは、モモセは知らなかった。

「まあ、モモセの種族なんて、別に問題じゃないんだ。ただ、」

 ヒタキは余計にモモセにとって衝撃なことを口にした。

「とりあえずウルドにはオレに今話したようなこと、言わないほうがいいよ。きっと彼を傷つける」
「……どういう、こと」

 零れた声はこわばっていた。

「分かんない? だってウルドは絶対モモセが大事だよ。だってモモセにはウルドのベゼルの波紋がすごく残ってるもん。正直酔いそうだ。それだけしか感じないくらい。それなのにそのことを本人から否定されたりさ、珍しかっただけなんてさあ、辛くない?」
「そう、かな」
「そうだよ。どう思おうと勝手だけど、それを口に出してわざわざ傷つけるのはダメだと思うな。人間は繊細だし」

 だって、と幼い子どもがままならないときに使う言い訳のように、モモセは呟いた。心臓が締め付けられて痛かった。

 ウルドに言った言葉のいくつかが脳裏をよぎる。それがウルドを傷つけたのか。

 だがそう感じることは自分の発言に重さがあると認めていることで、モモセは決してそんな風に自惚れたりはしない。

 ――しない、はずなのに、心とは裏腹に躯のなんて素直で脆弱なことか

 ウルドに対して申し訳ないと感じること自体が、本当は無礼であるのに。

 心を裏切って瞬く間に視界は濁り、歪んでいき、涙は白い頬を伝う。

 声もなく、モモセは泣いた。
 それにヒタキは驚き、慌てて謝罪を口にする。

「モモセ、ごめん……っ! 言いすぎたよね。気にしないでって、言っても今さら遅いけど……」

 モモセは首を振った。背中で激しく髪が揺れる。両手で顔を押さえると、瞬く間に手袋は涙で湿る。

 ヒタキが悪いのではない。悪いのはモモセだ。
 自分なのだ、モモセは心中で吐き棄てた。

 けれどヒタキは自分に非があると思い込んでいるらしかった。そんなことは全くないのに。卑怯にも自分が泣いてしまったせいで、ヒタキが要らぬ罪悪感を抱く。

「オレ、いつも言いすぎちゃうんだ。いけないって分かってるんだけど、特に、」

 沈んだ声で言い重ねてくるヒタキに、喉の震えを必死で押し込めて、モモセは口を開いた。

「平気、多分、図星を指されて動揺しただけだから」

 自分の感情にも拘らず多分、などという曖昧な副詞が先についたのは自分でもその感情の把握が出来ていないからに他ならなかった。最近、精神が不安定になっている。

 どうすればいいか分からない、とモモセは呻いた。

「おれはあの人を受け入れられない。でもあの人が嫌いなわけじゃない」

 むしろ、好きだと言ってもいい。正直なところ、ウルドがモモセにしたことで心の底から嫌悪を感じることはひとつもなかったのだ。

「分かんないんだ、どうしてあの人がここまでおれにしてくれるのか」

 だってモモセは何も知らないのだ、なぜ自分が探されていたのか、その理由さえ。

「いいじゃん、よくしてくれるならありがたいって思えば。嫌じゃないって言ったよね。理由って、そんなに大事?」
「だって、おかしい。おれ、ほんとにこんなにいい目見て良い生き物じゃないんだ」「じゃあなおさらよかったじゃん。モモセ、君ってまるで人間みたいに悩んで、泣くんだねえ」

 モモセははっとして顔を上げた。濡れた瞳が、ヒタキの不思議そうなそれとかち合う。

「どうしたの?」
「なんでも、ない……」

 ぎこちなく目を逸らし、呟く。

 自分を流れる血の半分が、貴族の人間であることは知っていた。その血が獣にはいらぬ感傷を呼び起こしているなら。もしそれがなかったら、何も考えず、不可触民であってもウルドのするすべてを甘受できたのか。

 なんて、どうしようもないことを。

 そうやって振る舞える自分は想像するだけで心底ぞっとするのだったが。

「あのさ、」

 胸の位置で握りしめられたモモセの両手を、ヒタキは取ろうとする。それを反射的に避けたモモセに、ヒタキは手を後ろに回す。「ごめん、触られるのダメなやつって、結構いるよね。分かるよ」

 でさ、首を竦めながらヒタキは言った。

「そんなに泣くほど気になるなら、訊けばいいのに」

「……訊けないよ、怖いんだ」

「怖い? それは、また」

 ――そう、結局はそこへ帰着する。モモセは見まい見まいとしていた事柄が、再び目の前に突きつけられたのを自覚した。

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