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井ノ上

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不沈艦は紫煙に祝う

各務瀬隆子 8

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竜驤傭兵団のNo.2だという華やかな風体の男は、徹平との勝負のあと、ストライカーに顔を寄せた。
「君のここでの仕事は、オーラを遣ってイカサマする連中を取り締まることだろう。なら、もう少し見る目を鍛えないと駄目だよ」
「あんた、辞めた俺に説教しに来たのかよ」
まだ英語が拙い徹平は、二人の会話の内容を聞き逃していた。
なにはともあれ、徹平が勝ったのだ。相手がイカサマをしていたと、わざわざ水を差すこともない。
瑞希は徹平とカジノを出た。
瑞希の携帯電話に日本の陽衣菜から着信があったのは、その翌日だった。
陽衣菜は、ベティという徹平が暮らす施設の職員に頼まれて、電話をかけてきた。
寝室を出て、ソファで寝ていた徹平を起こして替わった。
徹平は寝起きの声で応対する。ベティと話していて、徹平の脳が覚醒する瞬間が、隣で見ていてわかった。
「ベティさんって人に、お礼を言われたわ」
徹平から返された電話で、少しベティと話をした。その後で陽衣菜とも互いの近況を伝え合ってから、通話を切った。
徹平はベランダに出られる窓際に立ち、アパート前の通りを見下ろしていた。
車通りのない細い路地で、その道をまっすぐ行くとオンタリオ湖と繋がっている湾岸に出る。
湾の周辺はサイクリングロードが整備され、カヌーを貸し出す店などもあった。
「隆子さん、帰ってきたみたいね」
「ああ」
「よかったじゃない」
「まあ、な。ベティが、明日の便で帰りの席を取ってくれたみたいだ。隆子を探す必要がなくなったんなら、もうちょっとこっちでのんびりしてもよかったんだがな」
「冗談じゃないわ。ホテルじゃないのよ、この部屋は」
「そうだったな」
つんと突き放した瑞希の物言いも、徹平は馴れたものだった。へらへらとしている横顔を見ていると、ふと、カジノでの徹平の言葉がよみがえる。
瑞希を差し出すなんてまね、死んでもごめんだ。
一晩経ったいまも照れくささが消えないのに、言った当人がけろっとしているのが小憎たらしかった。
深い意味はないとわかっていても、瑞希の方は意識してしまう。
「今日の予定がなくなっちまった。悪いな、せっかく西海岸に飛ぶ手筈をしてくれてたのに」
徹平がアメリカ国土を大きく跨いで西海岸へ飛ぶための空路を、桑乃の名で用意していた。それが無駄になったこと自体は、どうでもよかった。
「ほんとうよ。まったく、ついて来るのも帰るのも、なにもかも急なのよ、あんた」
「だな。迷惑かけた。色々世話にもなったし、今日一日、なんでも言うこと聞くぜ。せめてもの礼ってことでよ」
「また、そういうことを平然とっ」
「そういうこと?」
「はぁ、ばからしい。もういいわよ。ご飯でも奢って。それでチャラよ」
「お、それならいい店知ってるぜ。この辺りは路地裏まで歩き尽くしたんだ」
世間は休日である。
入り組んだ路地の奥でひっそりと営業していた飯屋で昼食をとった。
それから、湾岸にある公園の一つに足を伸ばした。湿地の中の遊歩道を歩く。つがいの白鳥や鴨の親子の姿があった。
日が暮れる頃に町に戻ると、家に帰る子どものグループとすれ違った。
夕食は、町の中心部に行き、ジャズバーで軽く済ませることにした。
トランペットとピアノ、ドラム。定番の組み合わせで演奏がはじまる。
瑞希が中学の吹奏楽部で担当していたオーボエは、馴染まないこともないだろうがあまりジャズでは見かけない。
吹奏楽では一つひとつの音をより合わせていくというイメージだが、ジャズは、一つの景色を前にそれぞれがその景色を自由に表現する、という印象だった。
アンサンブルとは違った面白さがある、と瑞希は演奏を聞いていて思った。
「さっきの曲、知ってるな。俺が拾われたばっかりの頃、隆子がよく聴いてた」
「いまは、あまり聴かれないの?」
徹平の幼少の方が、正直興味があった。けれど踏み込んでいいのかわからず、当たり障りない質問しかできなかった。
「施設で俺みたいなガキたちを受け入れるようになってからはな。毎日賑やかだから、それが音楽代わりになってるのかもな」
「子どもが好きなのね、隆子さんって」
「裏社会じゃ、恐れられているらしいがな」
「不沈艦って綽名は知ってるわ。昔、藤刀の軍で指揮官をやってたって話を、お兄様から聞いたことがある」
「へえ。そりゃ初耳だ。藤刀の軍の話は、ちょっと聞きかじったが、精強だったんだろ?」
「いまは、もう存在しないけど」
「なるほどな。萬丈ってやつと、因縁はあったのか」
次の演奏の準備が整い、談笑しながら食事をしていた客が手をとめる。店内がしんと静まった。
客層は、老若男女、色々だった。ジャズバーといっても、敷居の高い店構えではない。
瑞希は他の客がするように、響いてくるジャズセッションにしばし聞き浸った。
「隆子はよ」
演奏の余韻が薄れ、客の話し声が戻ってきていたところで、徹平が言った。
「あんまり自分のことを話さねえんだ。考えを表に出すタイプでもないし」
「子どもが好きでも、それがわかるような可愛がり方はしないのね」
「ああ。そもそも子どもだからって甘やかさないしな。俺なんかは、馬鹿だから、よくぶん殴られた」
「それ、いまのご時世やばいんじゃないの」
「俺と隆子のことだ。俺は、おかげでいまがあると思ってる。不思議なんだぜ。隆子のげんこつはその瞬間はくそほど痛えんだが、まったく後は引かないんだ」
「厳しいけど、厳しいだけじゃない、みたいなこと?」
「そういうことだ」
演奏の合間には他愛ない話をし、夕食を終え、アパートに帰ったときには十時を回っていた。
翌朝、徹平はリュック一つを肩にかけ、日本へ帰っていった。
特別、別れの言葉もなかった。じゃあな。それだけである。
なんとなく、なにも手につかず、瑞希はソファに寝転んだ。部屋が、広く感じられた。
携帯電話が鳴った。クレアからだ。
「はい」
「急に電話してごめんなさい。今夜大学の子たちと交流会があるの。ミズキちゃんもどうかしら?」
「交流会ですか。私はそういうのは」
華やかな場所は苦手だった。癖で断ろうとして、けれど思い直した。いまは、部屋を出た方が気が紛れるかもしれない。
「やっぱり、行きます」
時間と場所を聞いて、通話を切った。
着ていく服を出そうと、クローゼットを開く。徹平の着替えのシャツが紛れていた。
「まったく、だらしないわね」
持ち主に置いてきぼりをくらったTシャツを、瑞希は畳んでしまい直した。
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