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キメラ娘は深緑に悼む
珀 11
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ロールベーラーが格納されている小屋の前で待っていた。
そこが一番、森との境を見ていやすかった。大吉が森から出てくると、春香はすぐに気づいた。
「あ、べし」
牧草地の柵を乗り越えようとして、足が引っかかり、転ぶ。したたかに顔を打つ。けれど、その程度でめげる春香ではない。
「大吉!」
大吉と琴子、トクサが歩いてくる。
春香はたまらず駆け出した。剣道部の先輩や糸里家の人達をごまかして、彼らが戻るのを待ちに待っていたのだ。
「怪我は、怪我はしてない!?」
春香は大吉のボディチェックをする。負傷がないだけでは安心できない。フェンガーリンの血を飲んでないとも限らないのだ。
「大丈夫だよ。なんともない」
大吉が困り顔で言う。嘘ではない。春香は息をついた。
「羽子ちゃんと瓦君は?」
帰って来たのは、今朝牧場を出て行った三人だけだ。羽子と秋久の姿はない。
「本人の意思で、簫狼族の里に残った。いろいろあってな」
「どういうこと?」
「ちゃんと話すよ。だからとりあえず、風呂と飯にさせてくれ」
落ち着いてみると、大吉の服は泥だらけで、汗で濡れてもいた。
後ろの琴子も、くたびれた笑みを浮かべていた。
民宿の浴室は一つだ。
すでに就寝した剣道部の先輩たちを起こさないよう、静かに入った。
先に春香と琴子が湯船に浸かり、次にトクサと大吉が汗を流した。
湯船で琴子から、山での出来事のあらましを聞いた。
簫狼族の里。そこを襲撃した妖の群。土地の力を司る大切なものを持ち去った天狗。
知らなかった世界の出来事を、琴子は言葉を探し、選んで、伝えようとしてくれた。
妖や亜人のことなら、春香の方がまだ知識があった。春香も、知っていることを琴子に話した。
風呂を出て、春香が夜食を温め直している間に、琴子の限界がきた。
「琴子と、先に休むことにするよ」
「ああ、そうしてくれ」
ソファで寝落ちしてしまった琴子を抱き上げたトクサに、大吉が答える。
トクサが二階に上がっていくと、リビングには春香と大吉、二人だけになった。
ダイニングテーブルで食後の紅茶を飲む大吉の、隣に椅子ごと移った。
「大変だったみたいだね」
「琴子に聞いたか」
「大体ね。羽子ちゃんと瓦君のことは、詳しくはまだ」
「羽子が妖の毒を喰らってな。下手に動かすより、里で養生させた方がいいってんでな。ペレ、ホロ、なんたらって滝の水に、解毒の作用があるらしくてさ」
大吉はマグカップを片手でいじっていた。紅茶の湯気が揺れる。
「明日、どうする。私たちだけでも残る?」
「いや、俺らも先輩たちと帰ろう。元々剣道部の合宿だ。今日だって、先輩たちには悪いことをした」
剣道部の先輩たちは、急にいなくなった大吉を心配こそすれ、腹を立ててはいなかった。
徹平の一件があった。大吉が一人でいなくなる時は、なにかある。剣道部の先輩たちも察したに違いない。
「羽子ちゃんは、大丈夫かな?」
「毒は、命に別状はないってさ」
「毒もだけど、それよりも―」
どう言えばいいのか。春香が言葉に窮していると、大吉は紅茶に一口つけ、息をついた。
「里に、羽子の一党が攫った子の、母親がいた」
「そう、なんだ。その人と、羽子ちゃんは会ったの?」
大吉は曖昧に頷いた。
「大吉は、羽子ちゃんを残して来ても大丈夫だって思ったんだよね」
そうでなければ、大吉が戻ってくるはずがない。
大吉はよく、私をお節介だって言う。でも私からすれば、大吉だってそうなんだから。
春香は心の中で言った。
壁掛け時計がカチリと音を立てた。春香は時計盤に目をやる。今日が、昨日になった。
「どうかな」
「え?」
大吉は両手でマグカップを包んでいた。
「正直、よくわからない。だから、任せてきた」
「それは、瓦君に?」
「ああ」
大吉が瞼を瞬かせた。眠そうだ。
「全部を、俺がどうにかしようとする必要はない。というか、できるわけがない。瑞希の時も、そうだったしな。」
「…うん」
「だから、秋久に任せてきた。そうした方がいいって思えたしな」
「なんだか、変わったね」
「なにが?」
「んー、教えない」
「なんだよ」
大人びてきた大吉の横顔に、淋しさを感じた。ちょっとした意地悪のつもりで、春香ははぐらかした。
大吉が欠伸をした。
「寝よっか」
春香が言うと、大吉は首をかくんと縦に振った。
頷いたのではなく、舟を漕いでいた。
マグカップの紅茶は、いくらも減っていなかった。
うとうとする大吉の寝惚け顔に、少年時代の面影を見つけ、春香は少し嬉しくなった。
指先で、横顔に触れる。
大吉は、気づかない。ざらりとした。髭が生えかけている。耳の辺りから顎先にかけて、親指の腹で撫でた。
「んぁ、寝てたか」
大吉が起きる。とっさに手を引っ込めた。
もっと触れていたかったな。
そう考える自分に、春香は狼狽した。
そこが一番、森との境を見ていやすかった。大吉が森から出てくると、春香はすぐに気づいた。
「あ、べし」
牧草地の柵を乗り越えようとして、足が引っかかり、転ぶ。したたかに顔を打つ。けれど、その程度でめげる春香ではない。
「大吉!」
大吉と琴子、トクサが歩いてくる。
春香はたまらず駆け出した。剣道部の先輩や糸里家の人達をごまかして、彼らが戻るのを待ちに待っていたのだ。
「怪我は、怪我はしてない!?」
春香は大吉のボディチェックをする。負傷がないだけでは安心できない。フェンガーリンの血を飲んでないとも限らないのだ。
「大丈夫だよ。なんともない」
大吉が困り顔で言う。嘘ではない。春香は息をついた。
「羽子ちゃんと瓦君は?」
帰って来たのは、今朝牧場を出て行った三人だけだ。羽子と秋久の姿はない。
「本人の意思で、簫狼族の里に残った。いろいろあってな」
「どういうこと?」
「ちゃんと話すよ。だからとりあえず、風呂と飯にさせてくれ」
落ち着いてみると、大吉の服は泥だらけで、汗で濡れてもいた。
後ろの琴子も、くたびれた笑みを浮かべていた。
民宿の浴室は一つだ。
すでに就寝した剣道部の先輩たちを起こさないよう、静かに入った。
先に春香と琴子が湯船に浸かり、次にトクサと大吉が汗を流した。
湯船で琴子から、山での出来事のあらましを聞いた。
簫狼族の里。そこを襲撃した妖の群。土地の力を司る大切なものを持ち去った天狗。
知らなかった世界の出来事を、琴子は言葉を探し、選んで、伝えようとしてくれた。
妖や亜人のことなら、春香の方がまだ知識があった。春香も、知っていることを琴子に話した。
風呂を出て、春香が夜食を温め直している間に、琴子の限界がきた。
「琴子と、先に休むことにするよ」
「ああ、そうしてくれ」
ソファで寝落ちしてしまった琴子を抱き上げたトクサに、大吉が答える。
トクサが二階に上がっていくと、リビングには春香と大吉、二人だけになった。
ダイニングテーブルで食後の紅茶を飲む大吉の、隣に椅子ごと移った。
「大変だったみたいだね」
「琴子に聞いたか」
「大体ね。羽子ちゃんと瓦君のことは、詳しくはまだ」
「羽子が妖の毒を喰らってな。下手に動かすより、里で養生させた方がいいってんでな。ペレ、ホロ、なんたらって滝の水に、解毒の作用があるらしくてさ」
大吉はマグカップを片手でいじっていた。紅茶の湯気が揺れる。
「明日、どうする。私たちだけでも残る?」
「いや、俺らも先輩たちと帰ろう。元々剣道部の合宿だ。今日だって、先輩たちには悪いことをした」
剣道部の先輩たちは、急にいなくなった大吉を心配こそすれ、腹を立ててはいなかった。
徹平の一件があった。大吉が一人でいなくなる時は、なにかある。剣道部の先輩たちも察したに違いない。
「羽子ちゃんは、大丈夫かな?」
「毒は、命に別状はないってさ」
「毒もだけど、それよりも―」
どう言えばいいのか。春香が言葉に窮していると、大吉は紅茶に一口つけ、息をついた。
「里に、羽子の一党が攫った子の、母親がいた」
「そう、なんだ。その人と、羽子ちゃんは会ったの?」
大吉は曖昧に頷いた。
「大吉は、羽子ちゃんを残して来ても大丈夫だって思ったんだよね」
そうでなければ、大吉が戻ってくるはずがない。
大吉はよく、私をお節介だって言う。でも私からすれば、大吉だってそうなんだから。
春香は心の中で言った。
壁掛け時計がカチリと音を立てた。春香は時計盤に目をやる。今日が、昨日になった。
「どうかな」
「え?」
大吉は両手でマグカップを包んでいた。
「正直、よくわからない。だから、任せてきた」
「それは、瓦君に?」
「ああ」
大吉が瞼を瞬かせた。眠そうだ。
「全部を、俺がどうにかしようとする必要はない。というか、できるわけがない。瑞希の時も、そうだったしな。」
「…うん」
「だから、秋久に任せてきた。そうした方がいいって思えたしな」
「なんだか、変わったね」
「なにが?」
「んー、教えない」
「なんだよ」
大人びてきた大吉の横顔に、淋しさを感じた。ちょっとした意地悪のつもりで、春香ははぐらかした。
大吉が欠伸をした。
「寝よっか」
春香が言うと、大吉は首をかくんと縦に振った。
頷いたのではなく、舟を漕いでいた。
マグカップの紅茶は、いくらも減っていなかった。
うとうとする大吉の寝惚け顔に、少年時代の面影を見つけ、春香は少し嬉しくなった。
指先で、横顔に触れる。
大吉は、気づかない。ざらりとした。髭が生えかけている。耳の辺りから顎先にかけて、親指の腹で撫でた。
「んぁ、寝てたか」
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