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桑乃瑞希 14
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-7月19日 PM 7:25-
明滅していた視界が戻ってきた。
「くそ、あいつ逃げやがった」
貨物用エレベーターが上階へ稼働している。
この倉庫部屋に身を隠せる場所は多い。だが、たとえ物陰に潜もうと、羽子ならば感知できる。
身体に移植された亜人の能力ではない。戦場で培った技だ。
ビル内の侵入者にも真っ先に気づいた。単独で撃退に出たのは、侵入者のあたりがついたからだ。
最初に遭遇したのは上海での仕事中だった。二度目は桑乃邸。第一印象はそのときで、ぼんやりした男だと感じた。
新田大吉。
羽子の中で妙な存在感を得つつある。
実力の差は歴然としていた。
羽子は得物を追い詰める狼のように、大吉を倉庫内の袋小路に追い詰めた。
仕留めようとした時、スタングレネードを食らわされた。
咄嗟に腕で目を庇ったが、僅かに閃光を浴びた。視力が戻るのにそう時間はかからなかったものの、その間に大吉を取り逃がした。
耳鳴りは尾を引いている。
羽子との闘いを放り投げた大吉は、瑞希がいる最上階を目指しているはずだ。
「虚仮にしやがって」
羽子はエレベーターの扉を強引にこじ開けた。簡易リフトが昇っていく。
「逃がすか」
四面の壁を利用し、蹴り上がっていく。
貨物用エレベーターは最上階へは繋がっていない。瑞希のもとへ向かうには階段か、乗用のエレベーターを使わなければならない。
貨物エレベーターが終わる中層階の廊下に出た。
成樟の兵が二人、打ち倒されていた。
羽子は舌打ちした。
曲がり角を折れると、乗用エレベーターの扉が閉まるところだった。
「くそ」
エレベーターの操作盤を殴りつけた。
焦る必要はなかった。大吉が瑞希の元へ辿り着いたとしても、そこから脱出する術はない。
「悪足掻きばかりしやがって」
羽子を襲う感情は、焦燥ではなく苛立ちだ。
平気で無謀を犯し、希望はないのに諦めない。
新田大吉の行動原理が、羽子にはまるで理解できない。
殴って、殴られる。その繰り返しだった。
徹平もストライカーも、互いの拳を避けようとしない。
ストライカーの戦闘スタイルは、ボクシングがベースになっている。体格でいえば、ヘヴィ級だ。
おそらく、ストライカーの魔術『ハイテンション』の効果対象が、拳打だけなのだ。
気分が高揚すればするほど攻撃力を増す魔術については、ストライカーの外見とともに、大吉から聞いていた。
「そぉおい!」
ストライカーの拳がボディに突き刺さる。
徹平は右ストレートをフルスイングする。テンプルを掠めた。
「っつ」
ストライカーがはじめて下がった。
そこに生じた余地に踏み込む。徹平の追撃を、スウェーバックで躱そうとしてくる。
「おぉぉら!」
徹平のジャブが、ストライカーの顔面を弾く。口と鼻から噴き出た鮮血を胸に浴びる。
「伸びやがった。メキシカンジャブか」
「あぁ? なんだそりゃ」
「ちっ、知らねえでやったのかよ」
逃げるのを追うつもりで、踏み込みの深さを途中で変えた。その分、パンチを出すのが遅れた。ストライカーにはその徹平の拳が、伸びてきたように見えたようだ。
「戦闘センスがあるのはわかった」
ストライカーは鼻腔に詰まった血を吹いた。
「しかし、わからねえ」
ストライカーは、植込みのココヤシの太い幹に裏拳を放った。
植樹が音を立ててへし折れた。
「俺の魔術は機能してる。それを防御もなにもなしに何発も食らって、なんで立っていられる?」
「本物の拳を、知ってるからかもな」
思い浮かべたのは隆子、そして大吉だ。
「それじゃあ俺のは偽物か」
「お前も十分強えよ。でも、それだけだ」
「なに」
隆子には、人として道を誤りそうになる度に殴られた。
「本物の拳ってのは、心で打つんだ」
「こころ、ね」
口に含むように、ストライカーは徹平の言葉を反芻した。
「なあお前、名前聞いてなかったな。なんて言うんだ」
「左門徹平だ」
「テッペイ、ウチに来ないか?」
「はぁ?」
「あんな男だか女だかわからんガキのために、躰張ってなんになる。あと数分もすれば成樟のお嬢が数百人って護衛を引き連れて来る。そうなりゃ終わりだろう。お前ほどの男が、有象無象を相手につまらん死に方をするのは惜しい」
ストライカーは叩き折ったヤシの葉を数枚掴んで千切り、宙に放った。葉は頼りなく舞い落ちる。
「隆子がいなきゃ、俺もお前みたいになっていたのかもな」
「なんだって?」
「なにもわかってねえと言ったのさ」
「ほう。俺がなにをわかってねえって?」
「まず、瑞希は瑞希だ。それと、俺がここにいるのは、瑞希だけが理由じゃねえ」
徹平は人差し指を、次いで中指を立てて言った。
「ダチの頼みでな。大吉って、お前も会ったやつさ」
「あいつか。大したやつには感じなかったが」
「見る目がねえや」
立体駐車場で大吉と闘った。
あのとき、大吉は隆子と同じ目をしていた。同情や哀れみではなく、なにかもっと大きなところで、相手を受けとめる目。
大吉の拳も、隆子の拳同様に効いた。
「大吉はでかいぞ。俺なんかよりよっぽど、でかい」
「いいな。そんなふうに言えるダチを、俺は持ったことがない。ストリートで育って、仲間も敵も一皮むけば似たようなもんだった」
「誰にだって色々ある。俺にもあった。俺はツイてたとも思う」
「そうかよ。なら仕方ねえな」
ストライカーがポケットからイヤホンを取り出し、耳にはめる。音楽が漏れてくる。膝や肩でリズムを取り、頭を揺らす。
「アスリートが試合前に音楽を聴くって話は知ってるが、なるほどな。確かにお前の魔術とやらとは相性がよさそうだ」
音楽のテンポにノリながら、ストライカーが歩いてくる。
「喧嘩は終いだ。戦闘屋として、テッペイ、お前を殺す」
音楽の音量のせいで、ストライカーの声までデカい。
靴のつま先が当たるか当たらないかのところで、ストライカーが立ち止まる。
睨み合う。
互いの呼吸が伝わる距離。
両者の間の空気が、過熱していく。
熱の臨界点。先に達したのは、ストライカーの方だった。
腕を大きく振り、腰に回転をかける。下半身のバネによって、超々至近距離で大砲が打ち出される。
ガードはしなかった。砲弾と化したストライカーの右フックを、全身を使って受け止める。
シャツが裂け、筋肉が波打ち、骨が震えた。踏みしめた地面が、徹平を要にして扇状に砕ける。
視界が白くなった。
行ってこい、バカ息子。
隆子の声。
出番だ、徹平。
おう大吉、遅すぎるってもんだぜ。
途切れかけていた意識が、戻る。
フックを打ち終えたストライカーの頭が、徹平の懐にあった。
「これでも倒れねえか」
「勝手に終わらすんじゃねえ」
徹平は双腕を掲げ、頭上で手と手を合体させた。
その瞬間、躰の中で歯車が噛み合うような感覚がした。燃えるような熱が、臍あたりから噴射する。
躰に広がった熱が、腕の先に集まっていく。
爀い焔を纏った鉄槌を、今度は徹平が全力で振り下ろす。
勝負は決した。
ストライカーが、地に沈んでいた。
「どちらかが倒れるまで終わらないのが、喧嘩だ」
そして徹平は、骨が折れようが、気を失おうが、仮に命を落とそうとも、倒れない。
殺しなら、ストライカーの方が上だったかもしれない。だが徹平は、喧嘩という自分の土俵を譲らなかった。
「この喧嘩、俺の、勝ちだっ!」
徹平の雄叫びが夏の夜雲に轟いた。
明滅していた視界が戻ってきた。
「くそ、あいつ逃げやがった」
貨物用エレベーターが上階へ稼働している。
この倉庫部屋に身を隠せる場所は多い。だが、たとえ物陰に潜もうと、羽子ならば感知できる。
身体に移植された亜人の能力ではない。戦場で培った技だ。
ビル内の侵入者にも真っ先に気づいた。単独で撃退に出たのは、侵入者のあたりがついたからだ。
最初に遭遇したのは上海での仕事中だった。二度目は桑乃邸。第一印象はそのときで、ぼんやりした男だと感じた。
新田大吉。
羽子の中で妙な存在感を得つつある。
実力の差は歴然としていた。
羽子は得物を追い詰める狼のように、大吉を倉庫内の袋小路に追い詰めた。
仕留めようとした時、スタングレネードを食らわされた。
咄嗟に腕で目を庇ったが、僅かに閃光を浴びた。視力が戻るのにそう時間はかからなかったものの、その間に大吉を取り逃がした。
耳鳴りは尾を引いている。
羽子との闘いを放り投げた大吉は、瑞希がいる最上階を目指しているはずだ。
「虚仮にしやがって」
羽子はエレベーターの扉を強引にこじ開けた。簡易リフトが昇っていく。
「逃がすか」
四面の壁を利用し、蹴り上がっていく。
貨物用エレベーターは最上階へは繋がっていない。瑞希のもとへ向かうには階段か、乗用のエレベーターを使わなければならない。
貨物エレベーターが終わる中層階の廊下に出た。
成樟の兵が二人、打ち倒されていた。
羽子は舌打ちした。
曲がり角を折れると、乗用エレベーターの扉が閉まるところだった。
「くそ」
エレベーターの操作盤を殴りつけた。
焦る必要はなかった。大吉が瑞希の元へ辿り着いたとしても、そこから脱出する術はない。
「悪足掻きばかりしやがって」
羽子を襲う感情は、焦燥ではなく苛立ちだ。
平気で無謀を犯し、希望はないのに諦めない。
新田大吉の行動原理が、羽子にはまるで理解できない。
殴って、殴られる。その繰り返しだった。
徹平もストライカーも、互いの拳を避けようとしない。
ストライカーの戦闘スタイルは、ボクシングがベースになっている。体格でいえば、ヘヴィ級だ。
おそらく、ストライカーの魔術『ハイテンション』の効果対象が、拳打だけなのだ。
気分が高揚すればするほど攻撃力を増す魔術については、ストライカーの外見とともに、大吉から聞いていた。
「そぉおい!」
ストライカーの拳がボディに突き刺さる。
徹平は右ストレートをフルスイングする。テンプルを掠めた。
「っつ」
ストライカーがはじめて下がった。
そこに生じた余地に踏み込む。徹平の追撃を、スウェーバックで躱そうとしてくる。
「おぉぉら!」
徹平のジャブが、ストライカーの顔面を弾く。口と鼻から噴き出た鮮血を胸に浴びる。
「伸びやがった。メキシカンジャブか」
「あぁ? なんだそりゃ」
「ちっ、知らねえでやったのかよ」
逃げるのを追うつもりで、踏み込みの深さを途中で変えた。その分、パンチを出すのが遅れた。ストライカーにはその徹平の拳が、伸びてきたように見えたようだ。
「戦闘センスがあるのはわかった」
ストライカーは鼻腔に詰まった血を吹いた。
「しかし、わからねえ」
ストライカーは、植込みのココヤシの太い幹に裏拳を放った。
植樹が音を立ててへし折れた。
「俺の魔術は機能してる。それを防御もなにもなしに何発も食らって、なんで立っていられる?」
「本物の拳を、知ってるからかもな」
思い浮かべたのは隆子、そして大吉だ。
「それじゃあ俺のは偽物か」
「お前も十分強えよ。でも、それだけだ」
「なに」
隆子には、人として道を誤りそうになる度に殴られた。
「本物の拳ってのは、心で打つんだ」
「こころ、ね」
口に含むように、ストライカーは徹平の言葉を反芻した。
「なあお前、名前聞いてなかったな。なんて言うんだ」
「左門徹平だ」
「テッペイ、ウチに来ないか?」
「はぁ?」
「あんな男だか女だかわからんガキのために、躰張ってなんになる。あと数分もすれば成樟のお嬢が数百人って護衛を引き連れて来る。そうなりゃ終わりだろう。お前ほどの男が、有象無象を相手につまらん死に方をするのは惜しい」
ストライカーは叩き折ったヤシの葉を数枚掴んで千切り、宙に放った。葉は頼りなく舞い落ちる。
「隆子がいなきゃ、俺もお前みたいになっていたのかもな」
「なんだって?」
「なにもわかってねえと言ったのさ」
「ほう。俺がなにをわかってねえって?」
「まず、瑞希は瑞希だ。それと、俺がここにいるのは、瑞希だけが理由じゃねえ」
徹平は人差し指を、次いで中指を立てて言った。
「ダチの頼みでな。大吉って、お前も会ったやつさ」
「あいつか。大したやつには感じなかったが」
「見る目がねえや」
立体駐車場で大吉と闘った。
あのとき、大吉は隆子と同じ目をしていた。同情や哀れみではなく、なにかもっと大きなところで、相手を受けとめる目。
大吉の拳も、隆子の拳同様に効いた。
「大吉はでかいぞ。俺なんかよりよっぽど、でかい」
「いいな。そんなふうに言えるダチを、俺は持ったことがない。ストリートで育って、仲間も敵も一皮むけば似たようなもんだった」
「誰にだって色々ある。俺にもあった。俺はツイてたとも思う」
「そうかよ。なら仕方ねえな」
ストライカーがポケットからイヤホンを取り出し、耳にはめる。音楽が漏れてくる。膝や肩でリズムを取り、頭を揺らす。
「アスリートが試合前に音楽を聴くって話は知ってるが、なるほどな。確かにお前の魔術とやらとは相性がよさそうだ」
音楽のテンポにノリながら、ストライカーが歩いてくる。
「喧嘩は終いだ。戦闘屋として、テッペイ、お前を殺す」
音楽の音量のせいで、ストライカーの声までデカい。
靴のつま先が当たるか当たらないかのところで、ストライカーが立ち止まる。
睨み合う。
互いの呼吸が伝わる距離。
両者の間の空気が、過熱していく。
熱の臨界点。先に達したのは、ストライカーの方だった。
腕を大きく振り、腰に回転をかける。下半身のバネによって、超々至近距離で大砲が打ち出される。
ガードはしなかった。砲弾と化したストライカーの右フックを、全身を使って受け止める。
シャツが裂け、筋肉が波打ち、骨が震えた。踏みしめた地面が、徹平を要にして扇状に砕ける。
視界が白くなった。
行ってこい、バカ息子。
隆子の声。
出番だ、徹平。
おう大吉、遅すぎるってもんだぜ。
途切れかけていた意識が、戻る。
フックを打ち終えたストライカーの頭が、徹平の懐にあった。
「これでも倒れねえか」
「勝手に終わらすんじゃねえ」
徹平は双腕を掲げ、頭上で手と手を合体させた。
その瞬間、躰の中で歯車が噛み合うような感覚がした。燃えるような熱が、臍あたりから噴射する。
躰に広がった熱が、腕の先に集まっていく。
爀い焔を纏った鉄槌を、今度は徹平が全力で振り下ろす。
勝負は決した。
ストライカーが、地に沈んでいた。
「どちらかが倒れるまで終わらないのが、喧嘩だ」
そして徹平は、骨が折れようが、気を失おうが、仮に命を落とそうとも、倒れない。
殺しなら、ストライカーの方が上だったかもしれない。だが徹平は、喧嘩という自分の土俵を譲らなかった。
「この喧嘩、俺の、勝ちだっ!」
徹平の雄叫びが夏の夜雲に轟いた。
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