41 / 77
turning point
桑乃瑞希 ⑥
しおりを挟む
-7月18日 PM 7:15-
瑞希が来た。
銭豆神社の宿坊で起居する陽衣菜から、電話がかかってきたのは午前十時頃だった。
陽衣菜は春香にも連絡したらしく、数分後に春香からも電話がかかってきた。
陽衣菜は喜びをかみしめている感じで、受話器越しに相談に乗ってもらった礼を言われた。春香も嬉々としていた。
自分はなにもしていない。
大吉には、無力感が強い。
それでも、瑞希が外に出て来られたのは素直に喜ばしい。
これで桑乃家の問題が好転していくのなら、自分の抱く無力感など掃き捨ててしまっていい。
「大吉、ここ、押さえてもらえる」
「ああ」
束早の浴衣の着付けを手伝っていた。
藍色の生地で、水面に広がる波紋のような柄がある。帯は薄い山吹色に千鳥格子の柄が入っている。
大吉は普段着で、通学にも使うシューズを履いて出た。
夏祭りは銭豆川を渡った先、銭豆神社の鳥居へ繋がる通りで開かれる。
出店が立ち並ぶ通り一帯は、今日の昼頃から交通規制がされている。花火が打ち上がるほど大きな祭りではない。
春香とは銭豆川にかかる橋の袂で合流した。フェンガーリンも一緒だ。
「春香も新しい浴衣買ったのか」
「そうなの。去年までのはサイズ合わなくなっちゃって」
「桜の柄が入ってたやつか」
「覚えてるんだ」
「夏の度に見てりゃな。陽衣菜たちを待たせちまう。行こうか」
大吉が先を歩く。
「束早、浴衣姿とってもかわいい!」
「そんな。春香も浴衣、よく似合ってるわ」
後ろで春香と束早が話しながらついてくる。フェンガーリンが肩を寄せてくる。
「大吉も感想言いや。女子っちゅうんは訊いてこなくても気にしてたりするで?」
白地に赤い椿の柄。無地の緑帯を腰の後ろでリボン結びにし、結び目にすこし角度を付けている。
「うるさいな。似合ってると思うよ」
「ウチに言ったかて仕方あらへんがな」
どつかれた。他人からこうせっつかれると、言う気が失せる。
ちなみにフェンガーリンは白いタンクトップに黒のパンツ、華の飾りがついたサンダルをつっかけている。メリハリのある体型のフェンガーリンは、浴衣よりこういう恰好の方が様になる。
祭囃子が近くなってきた。
陽衣菜と瑞希は橋を渡った先の交差点で待っていた。
「瑞希っ、夏祭りに来られてよかった!」
春香が駆け寄る。
「ちょっと春香、あんまりくっつかないで! 浴衣が崩れちゃうじゃない」
「あ、ごめん」
「もう」
ぷんと頬を膨らませるも、まんざらでもなさそうな瑞希。
いつもの瑞希だ。
瑞希が菫色で陽衣菜がひよこ色の、同じ柄の浴衣を着ている。
「色んな出店があるのね」
「瑞希ちゃんは来るの初めてだもんね」
「陽衣菜もでしょ」
「任せて、今日は私が二人を案内するから」
「春香が? 心配だわ」
「だ、大丈夫だよ。ほら、束早もいるし、ね」
束早は瑞希たちとは初対面だ。
「束早です。その、よろしくね、桑乃さん」
束早の人見知りが発動している。
「瑞希よ。私、名字で呼ばれるの嫌いなの。だから名前で呼んでもらえる?」
「わかったわ。瑞希」
「私も束早って呼ぶわ。いい?」
「ええ」
瑞希の歳上にも物怖じしない態度が、人と距離を置きがちな束早にはかえって良かったかもしれない。
陽衣菜とも自己紹介を済ませ、祭の喧騒に入っていく。
尚継は祭を運営する青年団の手伝いに駆り出されている。神社の息子はこういう地域の催しではなにかと忙しそうである。
「お、ちびすけじゃねえか」
通りかかった屋台から声がかかり、瑞希がむっとした。
「なんであんたがいるのよ、デカ男」
徹平は金魚すくいの屋台で、もなかで作ったポイを売っていた。
「手伝いだよ。ほれ、一枚サービスしてやっからやってけよ」
「え、いいんですか!」
瑞希がなにか言う前に陽衣菜が食いついた。徹平がにかっと笑い、ポイを渡す。
「瑞希ちゃん、やろやろ」
「しょうがないわね」
二人が広浅の水槽の前にしゃがむ。金魚が活発に泳ぎ回っている。朱に混じって、白っぽいのや黒いのもいる。
「くっ、このっ」
やりはじめると、言い出した陽衣菜より瑞希の方がムキになる。
「下手だなぁ」
「なによ、あんたはできるわけ」
「おう、いいぜ。見てろよ」
徹平は売り物のポイを取る。
「金魚すくいはこうやんのよ」
一息で金魚を小鉢に掬い上げてしまった。
陽衣菜とその後ろで見ていた春香が歓声をあげる。瑞希は悔しそうだ。
「祭の遊びうまそうだもんな、お前」
大吉は徹平の小鉢の中で泳ぐ金魚を覗く。
「おう、射的に輪投げ、型抜きにひもくじ、なんでもいけるぜ」
「ひもくじって技術関係あるのかしら…?」
束早が顎に指を当て考える。真面目だなぁ。
「あれ、フェンは?」
瑞希と陽衣菜の金魚すくいを見守っていた春香が、フェンガーリンの姿が見えないのに気づく。
「むこう。たこ焼きと焼きそばと串焼きとチョコバナナと綿あめ買ってくるってよ」
「フェンも祭り楽しんでるみたいでよかった」
春香が笑う。
陽衣菜がその場で飛び跳ねた。瑞希が朱色の金魚を一匹掬い上げていた。
「やったね瑞希ちゃん!」
「ふん、コツさえわかれば楽勝ね」
「あれ、返しちゃうの?」
瑞希は小鉢をそっと水槽につける。
「貰っても飼えないもの」
瑞希の穏やかな横顔。
狭い小鉢から、金魚がちょろりと泳ぎ出る。
祭の夜は更けていく。
瑞希が来た。
銭豆神社の宿坊で起居する陽衣菜から、電話がかかってきたのは午前十時頃だった。
陽衣菜は春香にも連絡したらしく、数分後に春香からも電話がかかってきた。
陽衣菜は喜びをかみしめている感じで、受話器越しに相談に乗ってもらった礼を言われた。春香も嬉々としていた。
自分はなにもしていない。
大吉には、無力感が強い。
それでも、瑞希が外に出て来られたのは素直に喜ばしい。
これで桑乃家の問題が好転していくのなら、自分の抱く無力感など掃き捨ててしまっていい。
「大吉、ここ、押さえてもらえる」
「ああ」
束早の浴衣の着付けを手伝っていた。
藍色の生地で、水面に広がる波紋のような柄がある。帯は薄い山吹色に千鳥格子の柄が入っている。
大吉は普段着で、通学にも使うシューズを履いて出た。
夏祭りは銭豆川を渡った先、銭豆神社の鳥居へ繋がる通りで開かれる。
出店が立ち並ぶ通り一帯は、今日の昼頃から交通規制がされている。花火が打ち上がるほど大きな祭りではない。
春香とは銭豆川にかかる橋の袂で合流した。フェンガーリンも一緒だ。
「春香も新しい浴衣買ったのか」
「そうなの。去年までのはサイズ合わなくなっちゃって」
「桜の柄が入ってたやつか」
「覚えてるんだ」
「夏の度に見てりゃな。陽衣菜たちを待たせちまう。行こうか」
大吉が先を歩く。
「束早、浴衣姿とってもかわいい!」
「そんな。春香も浴衣、よく似合ってるわ」
後ろで春香と束早が話しながらついてくる。フェンガーリンが肩を寄せてくる。
「大吉も感想言いや。女子っちゅうんは訊いてこなくても気にしてたりするで?」
白地に赤い椿の柄。無地の緑帯を腰の後ろでリボン結びにし、結び目にすこし角度を付けている。
「うるさいな。似合ってると思うよ」
「ウチに言ったかて仕方あらへんがな」
どつかれた。他人からこうせっつかれると、言う気が失せる。
ちなみにフェンガーリンは白いタンクトップに黒のパンツ、華の飾りがついたサンダルをつっかけている。メリハリのある体型のフェンガーリンは、浴衣よりこういう恰好の方が様になる。
祭囃子が近くなってきた。
陽衣菜と瑞希は橋を渡った先の交差点で待っていた。
「瑞希っ、夏祭りに来られてよかった!」
春香が駆け寄る。
「ちょっと春香、あんまりくっつかないで! 浴衣が崩れちゃうじゃない」
「あ、ごめん」
「もう」
ぷんと頬を膨らませるも、まんざらでもなさそうな瑞希。
いつもの瑞希だ。
瑞希が菫色で陽衣菜がひよこ色の、同じ柄の浴衣を着ている。
「色んな出店があるのね」
「瑞希ちゃんは来るの初めてだもんね」
「陽衣菜もでしょ」
「任せて、今日は私が二人を案内するから」
「春香が? 心配だわ」
「だ、大丈夫だよ。ほら、束早もいるし、ね」
束早は瑞希たちとは初対面だ。
「束早です。その、よろしくね、桑乃さん」
束早の人見知りが発動している。
「瑞希よ。私、名字で呼ばれるの嫌いなの。だから名前で呼んでもらえる?」
「わかったわ。瑞希」
「私も束早って呼ぶわ。いい?」
「ええ」
瑞希の歳上にも物怖じしない態度が、人と距離を置きがちな束早にはかえって良かったかもしれない。
陽衣菜とも自己紹介を済ませ、祭の喧騒に入っていく。
尚継は祭を運営する青年団の手伝いに駆り出されている。神社の息子はこういう地域の催しではなにかと忙しそうである。
「お、ちびすけじゃねえか」
通りかかった屋台から声がかかり、瑞希がむっとした。
「なんであんたがいるのよ、デカ男」
徹平は金魚すくいの屋台で、もなかで作ったポイを売っていた。
「手伝いだよ。ほれ、一枚サービスしてやっからやってけよ」
「え、いいんですか!」
瑞希がなにか言う前に陽衣菜が食いついた。徹平がにかっと笑い、ポイを渡す。
「瑞希ちゃん、やろやろ」
「しょうがないわね」
二人が広浅の水槽の前にしゃがむ。金魚が活発に泳ぎ回っている。朱に混じって、白っぽいのや黒いのもいる。
「くっ、このっ」
やりはじめると、言い出した陽衣菜より瑞希の方がムキになる。
「下手だなぁ」
「なによ、あんたはできるわけ」
「おう、いいぜ。見てろよ」
徹平は売り物のポイを取る。
「金魚すくいはこうやんのよ」
一息で金魚を小鉢に掬い上げてしまった。
陽衣菜とその後ろで見ていた春香が歓声をあげる。瑞希は悔しそうだ。
「祭の遊びうまそうだもんな、お前」
大吉は徹平の小鉢の中で泳ぐ金魚を覗く。
「おう、射的に輪投げ、型抜きにひもくじ、なんでもいけるぜ」
「ひもくじって技術関係あるのかしら…?」
束早が顎に指を当て考える。真面目だなぁ。
「あれ、フェンは?」
瑞希と陽衣菜の金魚すくいを見守っていた春香が、フェンガーリンの姿が見えないのに気づく。
「むこう。たこ焼きと焼きそばと串焼きとチョコバナナと綿あめ買ってくるってよ」
「フェンも祭り楽しんでるみたいでよかった」
春香が笑う。
陽衣菜がその場で飛び跳ねた。瑞希が朱色の金魚を一匹掬い上げていた。
「やったね瑞希ちゃん!」
「ふん、コツさえわかれば楽勝ね」
「あれ、返しちゃうの?」
瑞希は小鉢をそっと水槽につける。
「貰っても飼えないもの」
瑞希の穏やかな横顔。
狭い小鉢から、金魚がちょろりと泳ぎ出る。
祭の夜は更けていく。
0
お気に入りに追加
1
あなたにおすすめの小説
校長室のソファの染みを知っていますか?
フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。
しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。
座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る
寝室から喘ぎ声が聞こえてきて震える私・・・ベッドの上で激しく絡む浮気女に復讐したい
白崎アイド
大衆娯楽
カチャッ。
私は静かに玄関のドアを開けて、足音を立てずに夫が寝ている寝室に向かって入っていく。
「あの人、私が
小学生最後の夏休みに近所に住む2つ上のお姉さんとお風呂に入った話
矢木羽研
青春
「……もしよかったら先輩もご一緒に、どうですか?」
「あら、いいのかしら」
夕食を作りに来てくれた近所のお姉さんを冗談のつもりでお風呂に誘ったら……?
微笑ましくも甘酸っぱい、ひと夏の思い出。
※性的なシーンはありませんが裸体描写があるのでR15にしています。
※小説家になろうでも同内容で投稿しています。
※2022年8月の「第5回ほっこり・じんわり大賞」にエントリーしていました。
令嬢の名門女学校で、パンツを初めて履くことになりました
フルーツパフェ
大衆娯楽
とある事件を受けて、財閥のご令嬢が数多く通う女学校で校則が改訂された。
曰く、全校生徒はパンツを履くこと。
生徒の安全を確保するための善意で制定されたこの校則だが、学校側の意図に反して事態は思わぬ方向に?
史実上の事件を元に描かれた近代歴史小説。
お嬢様、お仕置の時間です。
moa
恋愛
私は御門 凛(みかど りん)、御門財閥の長女として産まれた。
両親は跡継ぎの息子が欲しかったようで女として産まれた私のことをよく思っていなかった。
私の世話は執事とメイド達がしてくれていた。
私が2歳になったとき、弟の御門 新(みかど あらた)が産まれた。
両親は念願の息子が産まれたことで私を執事とメイド達に渡し、新を連れて家を出ていってしまった。
新しい屋敷を建ててそこで暮らしているそうだが、必要な費用を送ってくれている以外は何も教えてくれてくれなかった。
私が小さい頃から執事としてずっと一緒にいる氷川 海(ひかわ かい)が身の回りの世話や勉強など色々してくれていた。
海は普段は優しくなんでもこなしてしまう完璧な執事。
しかし厳しいときは厳しくて怒らせるとすごく怖い。
海は執事としてずっと一緒にいると思っていたのにある日、私の中で何か特別な感情がある事に気付く。
しかし、愛を知らずに育ってきた私が愛と知るのは、まだ先の話。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる