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しおりを挟むこれは賭けだった。握り締める手が汗をかいている。
いつものこの男なら、美花の言うことなど聞きもしないで、有無も言わさず車に放り込んだだろう。
しかし、周りを気にするような素振りを見せた後、ここは自分が引いた方が賢明だと思ったのか、市之宮は『……明日だ 』と低い声で言い捨てた。
『明日…… 』
『そうだ、明日だ。 明日の夕方、あの男のマンションの下まで迎えに行ってやる 』
明日なんて、どうやってサヨナラを言ったらいいか分からない。
せめて明後日と思ったが、住んでいる所まで調べあげられているという事実が美花の口を閉ざさせた。
それを了承と取ったのか、男は話を続ける。
『俺のナンバーは覚えているだろう? 準備が出来たらすぐに掛けてこい。 それから分かっているだろうが、今夜はその男に抱かせるなよ? 』
ーーー明日の夜からは、また俺が可愛いがってやる。
市之宮が、舌嘗めずりをしながら耳元で囁いた。
ゾクッ……として背中を冷たいものが流れる。頬に触れる手を、払い除けたいのに身体が動かない。
『愛してるぞ、美花 』
ニヤリと笑った男が、踵を返すと近くに停めていた車へと足早に向かった。ドアの開閉音がやけに大きく聞こえる。
かかるエンジン。 走り出す真っ赤な車。 見えなくなるまで目が離せない。
そして、男の存在が完全に消えた途端、全身から一気に力が抜けた。
『……言われなくても、抱いて貰う訳にはいかないわよ 』
漏れる、小さなため息。
見なくても、分かる。美花の身体には市之宮に蹴られて付いた、どす黒く汚ならしい痣が沢山残っている筈だ。
見られたら、否が応でも聞かれてしまう。
『最後なのに…… 』
美花は、後ろの壁に身体を預けるように寄り掛かる。
手の震えは止まらない、だけど心はどこか冷静だった。
……そう、これが浩峨さんと居られる最後の夜。
もう二度と、ここへは戻れない。
美花は泣きたくなるのをごまかして、椅子から立ち上がった。
「あのね、プリンがあるのよ? 初めて作ってみたの 」
気付かれないように浩峨の顔を見ないで、急いでキッチンに向かう。
明日、市之宮の元に行ったらきっと、あの男の用意した《部屋》という名前の檻に閉じ込められてしまう。逃げ出すことなんて、もう出来ない。
とん……と、冷蔵庫に手を付く。
でも、行かなければあの男は、浩峨さんに何をするか分からないから。
俯いたまま扉を開けると、美花の手に温かい体温が重なった。
「……美花ちゃん、本当に何かあったでしょう? 」
心配そうに聞いてくる声が、鼓膜を震わせる。
いつの間にか美花を追って来ていた浩峨は、そのままやんわりと手に力を加えると、パタン……と冷蔵庫を閉じさせた。
「何かあるなら、ちゃんと話して。 僕のことだったら善処するし、他に悩んでいることがあるなら一緒に考えよう? 」
心臓が早鐘のように鳴る。 脆くなった心がボロボロと崩れて、縋ってしまいそうだ。
「浩……、橘さん 」
身体を捻って、浩峨の方を振り向こうとした時だった。
昼間に受けた傷が全身に響いて、身体が悲鳴をあげる。
「……った……っ 」
「美花ちゃんっ?! 」
ズルズルと両腕で自分を抱いて、美花は座り込んでしまう。
「どうしたのっ?」
だめ……、悟られては。
「大丈夫…… 」
美花は優しく肩に置かれた手を、さりげなくほどいた。
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