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5)陽炎と遠雷
5−3
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市内の総合病院に搬送され、和都とは別に簡単な検査を受けたが、やはり異常はなく。翔馬に渡したままだった自分のスマホに電話をかけ、母親に運ばれた病院を伝えてもらうと、迎えが来るまでの間、祐介は和都の病室へと向かった。
和都も大きな怪我や異常はなかったようだが、一度心肺停止状態に陥ったこともあって、しばらくちゃんとした検査も兼ねて入院するらしい。
個室になっている病室に入ると、白いベッドの上で、川辺で見た時より血色の良くなった顔で和都が眠っていた。
ベッド脇のパイプ椅子に腰掛け、じっと顔を見る。
不意に目蓋が揺れて、大きな瞳が開いた。ぼんやりとした黒い目が、ゆっくり意識を取り戻すように何度か瞬く。
「気付いたか」
祐介の呼びかけに、和都がようやくこちらを向いた。
「ここ……」
「病院だ。川に落ちて、俺が引き上げた。翔馬が救急車を呼んで、それから……」
話している途中で、眼前が真っ白になった。枕を投げつけられたらしい。
顔に貼りついた枕を外し、和都を見ると、身体を起こし、肩で息をしていた。
「……なんで、助けたりなんかした」
俯いて、絞り出すような声が言う。
予想外の言葉だった。
返す言葉が見つからなくて、声が詰まる。
「助けたかった、から」
ようやく出て来た言葉が、それしか見つからなかった。
「灰色で、濁流になってただろ。なのに、なんで飛び込んだんだよ」
「気付いたら、身体が動いてた」
「自分だって死んでたかもしれないんだぞ?」
「お前を死なせたくなかった」
「……おれが死にたくて落ちたとか、考えなかったの?」
キッと睨み付けるように、和都が顔を上げる。
薄金色の中で、いつか言われた言葉が頭の中に響いていた。
終わりを望んだ深い色が、自分を見ている。
「そうだとしても、助けたかった。だから、そうした」
睨み返すように祐介は言った。
和都が目を見開いて、それからゆっくりと、どこか力尽きたような顔になる。
「あーあ、やっと死ねると思ったのに。……サイアク」
そう言って深くため息をつくと、ベッドに身体を横たえて、祐介に背中を向けた。
「次は、お前に見つからないようにやるよ」
呟くような声がそう言った。
きっと、コイツは本当にやる。
死んで全部を無かったことにしたいんだ。
残される側の気持ちなんて、考えたことないんだろう。
今のこの気持ちが何なのか、正直よく分からない。
でも、自分が今何をすべきかは、分かる。
「じゃあ、見張ってる」
「は?」
祐介の言葉に、和都が肩越しに振り返った。
「お前が死なないように見張る。死にたくなくなるまで、ずっとだ」
「……おれの状況知ってて、よく言えるな」
和都が不愉快そうに目を細める。
彼がいろんな人を不必要に惹きつけ、トラブルを引き起こし、両親からは不当の扱いを受けているというのは、いやと言うほど思い知った。
けれど、一年半も一緒にいれば、どう対応しどう動けばいいのかも分かる。自分なら。
「困ってることは、全部、俺が助けてやる」
それはまるで、売り言葉に買い言葉のようだった。
「なんなのお前……バカじゃない」
和都がそう言って、こちらを見ていた顔を前に戻し、背中を丸める。
不意に、スンッと小さく鼻をすする音が聞こえた。
◇ ◇
少年は また山へいきました
「どうして きたんだ」
「話をしたかったからだよ」
「どうして 話をしたいんだ」
「キミのことが 知りたいんだ」
怪物は 困ってしまいました
いくら追い払っても 悪口を言っても
少年が 訪ねてくるのです
少年は 根気よく 何度も 何度も
山をのぼり 怪物と話をしました
──『銀貨物語』作中絵本「怪物と少年」より
◇ ◇
和都は検査の結果、大きな後遺症もなく無事に退院した。川に落ちてからすぐに引き上げたのと、すぐに救命措置を施したのが功を奏した結果らしい。
あの日なぜ、橋のあんな場所にいたのかについては、本人も記憶が曖昧らしくハッキリしなかった。病室での和都の言動を考えると、自ら落ちたのではないかと思うが、さすがに濁したのだろう。
結局は転落事故という扱いになり、祐介と翔馬は友人を川から救出し、的確な救命処置をしたとして、周囲から称賛された。この結果により、当日、塾に行かず友達と川に行っていたことに激怒していた母は、手のひらを返したように今ではお店で自慢しまくっている。
──お陰で、たまに和都たちと遊びに行くのは、OKしてもらえるようになったけどね。
母はこれまでのこともあり、和都にあまり好意的な印象がなかったようだが、転落事件で祐介がモテはやされるようになると、やはりここでもコロッと変わってしまい、和都と出掛けることに何も言わなくなった。
──『見張る』には、ちょうどいいけどな。
彼を、彼が『死にたくなくなる』まで、手助けしながら見張るには、一緒にいないと難しい。
「聞いたよ、春日くん。お友達を助けたんだってねぇ」
塾の自習室で、いつものように課題をこなしていると、見回り担当らしい羽柴がそう言いながらやって来た。
「ああ、はい」
祐介がいつもと変わらない無表情でそう答えると、羽柴が思っていたのと違うなーという顔で、祐介の座っている席の向かいに座る。
今日も自習室の利用者はまばらなので、羽柴は少し気楽そうだった。
「なんか、ちゃんと救命措置したんだって? 人工呼吸だけ?」
「いえ、人工呼吸と心臓マッサージです」
「すごいねぇ。ちゃんとした心臓マッサージは大人でも結構大変なのに。どこで覚えたの?」
羽柴の問いかけに、祐介はふっと視線を落とす。
「去年、救命講習を受けていたので」
「ええっ、そうなの? 偉いね、なんでまた……」
「小学生の時は、レスキュー隊に入りたいと思っていて」
「へー、そうなんだ」
「小学生の時に救命入門コースを受けていたんです。普通救命講習は、中学生から受けられると聞いていたので、中学上がる前に予約してて……」
祐介の表情が、少しだけ沈む。
姉の自殺をきっかけに、レスキュー隊へ入りたいという気持ちはより強くなった。けれど、中学に上がる直前、母がああなってしまい、予約を取り消すように言われたが、どうしてもそれが出来なかった。
「母には『無駄だから必要ない』って言われたんですけど、人を助けるための知識は、邪魔にはならないからって説得して受けました」
夢は諦めたけれど、講習だけは受けておきたかった。一度見聞きすれば、覚えていられる自分を、いざと言う時に助けてくれる、と。
「……なるほど。そうやって踏ん張ったお陰で、お友達を助けられる結果になったわけか。偉いねぇ」
「……はい」
羽柴がいい話を聞いたなぁ、とニッコリ笑うが、祐介の表情は浮かない。
「あれぇ? いいことしたんだから、誇りに思うべきじゃないの?」
「そう、ですが。ただ……」
「ただ?」
「本人には、迷惑だと、言われてしまったので……」
真っ白な病室で見た、まだ少し青白い顔をした和都に言われた言葉が、忘れられない。
『なんで、助けたりなんかした』
学校にいる時や、翔馬と一緒に『ひまつぶし』に出掛けている時は決して見せない、時々発作のように現れる『死』を望む瞳が、頭の隅にこびりついて、離れてくれないのだ。
祐介の言葉に、羽柴がすこし困ったような顔をする。
「あー、その子もしかして『死にたがり』さん、なのかな?」
「そうかもしれません。一度『殺してほしい』と言われたこともありますし」
羽柴の『死にたがり』という単語が、妙に腑に落ちた。
そうだ、彼は『死にたがり』なのだ。
誰にも訪れる『死』を早々に待ち焦がれる、全てを捨てたい『死にたがり』。
「こんなこと、あんまり言いたくないけど、そう言う子とのお付き合いは、ちょっと考えたほうがいいんじゃない?」
「よく言われます。でも、アイツの味方でいたいんです」
そういう『死』に囚われた人間のそばにいると、引きずられ、疲弊するものだと、以前読んだ本に書かれていた。
どうしてそこまで拘ってしまうのか、自分にはまだよく分からない。
でも、彼を見つめる手を緩めたら、あっけなく喪ってしまうのではないかという不安が消えない。
あの時と同じ瞳をした姉が、今度こそ本当に死んでしまうような気がして。
「……女の子だったら、僕に任せて、って言ってあげるんだけどなぁ」
「先生はそういう発言を改めるべきだと思います」
羽柴が本気か冗談か分からない顔で言うので、祐介は呆れながらそう返した。
和都も大きな怪我や異常はなかったようだが、一度心肺停止状態に陥ったこともあって、しばらくちゃんとした検査も兼ねて入院するらしい。
個室になっている病室に入ると、白いベッドの上で、川辺で見た時より血色の良くなった顔で和都が眠っていた。
ベッド脇のパイプ椅子に腰掛け、じっと顔を見る。
不意に目蓋が揺れて、大きな瞳が開いた。ぼんやりとした黒い目が、ゆっくり意識を取り戻すように何度か瞬く。
「気付いたか」
祐介の呼びかけに、和都がようやくこちらを向いた。
「ここ……」
「病院だ。川に落ちて、俺が引き上げた。翔馬が救急車を呼んで、それから……」
話している途中で、眼前が真っ白になった。枕を投げつけられたらしい。
顔に貼りついた枕を外し、和都を見ると、身体を起こし、肩で息をしていた。
「……なんで、助けたりなんかした」
俯いて、絞り出すような声が言う。
予想外の言葉だった。
返す言葉が見つからなくて、声が詰まる。
「助けたかった、から」
ようやく出て来た言葉が、それしか見つからなかった。
「灰色で、濁流になってただろ。なのに、なんで飛び込んだんだよ」
「気付いたら、身体が動いてた」
「自分だって死んでたかもしれないんだぞ?」
「お前を死なせたくなかった」
「……おれが死にたくて落ちたとか、考えなかったの?」
キッと睨み付けるように、和都が顔を上げる。
薄金色の中で、いつか言われた言葉が頭の中に響いていた。
終わりを望んだ深い色が、自分を見ている。
「そうだとしても、助けたかった。だから、そうした」
睨み返すように祐介は言った。
和都が目を見開いて、それからゆっくりと、どこか力尽きたような顔になる。
「あーあ、やっと死ねると思ったのに。……サイアク」
そう言って深くため息をつくと、ベッドに身体を横たえて、祐介に背中を向けた。
「次は、お前に見つからないようにやるよ」
呟くような声がそう言った。
きっと、コイツは本当にやる。
死んで全部を無かったことにしたいんだ。
残される側の気持ちなんて、考えたことないんだろう。
今のこの気持ちが何なのか、正直よく分からない。
でも、自分が今何をすべきかは、分かる。
「じゃあ、見張ってる」
「は?」
祐介の言葉に、和都が肩越しに振り返った。
「お前が死なないように見張る。死にたくなくなるまで、ずっとだ」
「……おれの状況知ってて、よく言えるな」
和都が不愉快そうに目を細める。
彼がいろんな人を不必要に惹きつけ、トラブルを引き起こし、両親からは不当の扱いを受けているというのは、いやと言うほど思い知った。
けれど、一年半も一緒にいれば、どう対応しどう動けばいいのかも分かる。自分なら。
「困ってることは、全部、俺が助けてやる」
それはまるで、売り言葉に買い言葉のようだった。
「なんなのお前……バカじゃない」
和都がそう言って、こちらを見ていた顔を前に戻し、背中を丸める。
不意に、スンッと小さく鼻をすする音が聞こえた。
◇ ◇
少年は また山へいきました
「どうして きたんだ」
「話をしたかったからだよ」
「どうして 話をしたいんだ」
「キミのことが 知りたいんだ」
怪物は 困ってしまいました
いくら追い払っても 悪口を言っても
少年が 訪ねてくるのです
少年は 根気よく 何度も 何度も
山をのぼり 怪物と話をしました
──『銀貨物語』作中絵本「怪物と少年」より
◇ ◇
和都は検査の結果、大きな後遺症もなく無事に退院した。川に落ちてからすぐに引き上げたのと、すぐに救命措置を施したのが功を奏した結果らしい。
あの日なぜ、橋のあんな場所にいたのかについては、本人も記憶が曖昧らしくハッキリしなかった。病室での和都の言動を考えると、自ら落ちたのではないかと思うが、さすがに濁したのだろう。
結局は転落事故という扱いになり、祐介と翔馬は友人を川から救出し、的確な救命処置をしたとして、周囲から称賛された。この結果により、当日、塾に行かず友達と川に行っていたことに激怒していた母は、手のひらを返したように今ではお店で自慢しまくっている。
──お陰で、たまに和都たちと遊びに行くのは、OKしてもらえるようになったけどね。
母はこれまでのこともあり、和都にあまり好意的な印象がなかったようだが、転落事件で祐介がモテはやされるようになると、やはりここでもコロッと変わってしまい、和都と出掛けることに何も言わなくなった。
──『見張る』には、ちょうどいいけどな。
彼を、彼が『死にたくなくなる』まで、手助けしながら見張るには、一緒にいないと難しい。
「聞いたよ、春日くん。お友達を助けたんだってねぇ」
塾の自習室で、いつものように課題をこなしていると、見回り担当らしい羽柴がそう言いながらやって来た。
「ああ、はい」
祐介がいつもと変わらない無表情でそう答えると、羽柴が思っていたのと違うなーという顔で、祐介の座っている席の向かいに座る。
今日も自習室の利用者はまばらなので、羽柴は少し気楽そうだった。
「なんか、ちゃんと救命措置したんだって? 人工呼吸だけ?」
「いえ、人工呼吸と心臓マッサージです」
「すごいねぇ。ちゃんとした心臓マッサージは大人でも結構大変なのに。どこで覚えたの?」
羽柴の問いかけに、祐介はふっと視線を落とす。
「去年、救命講習を受けていたので」
「ええっ、そうなの? 偉いね、なんでまた……」
「小学生の時は、レスキュー隊に入りたいと思っていて」
「へー、そうなんだ」
「小学生の時に救命入門コースを受けていたんです。普通救命講習は、中学生から受けられると聞いていたので、中学上がる前に予約してて……」
祐介の表情が、少しだけ沈む。
姉の自殺をきっかけに、レスキュー隊へ入りたいという気持ちはより強くなった。けれど、中学に上がる直前、母がああなってしまい、予約を取り消すように言われたが、どうしてもそれが出来なかった。
「母には『無駄だから必要ない』って言われたんですけど、人を助けるための知識は、邪魔にはならないからって説得して受けました」
夢は諦めたけれど、講習だけは受けておきたかった。一度見聞きすれば、覚えていられる自分を、いざと言う時に助けてくれる、と。
「……なるほど。そうやって踏ん張ったお陰で、お友達を助けられる結果になったわけか。偉いねぇ」
「……はい」
羽柴がいい話を聞いたなぁ、とニッコリ笑うが、祐介の表情は浮かない。
「あれぇ? いいことしたんだから、誇りに思うべきじゃないの?」
「そう、ですが。ただ……」
「ただ?」
「本人には、迷惑だと、言われてしまったので……」
真っ白な病室で見た、まだ少し青白い顔をした和都に言われた言葉が、忘れられない。
『なんで、助けたりなんかした』
学校にいる時や、翔馬と一緒に『ひまつぶし』に出掛けている時は決して見せない、時々発作のように現れる『死』を望む瞳が、頭の隅にこびりついて、離れてくれないのだ。
祐介の言葉に、羽柴がすこし困ったような顔をする。
「あー、その子もしかして『死にたがり』さん、なのかな?」
「そうかもしれません。一度『殺してほしい』と言われたこともありますし」
羽柴の『死にたがり』という単語が、妙に腑に落ちた。
そうだ、彼は『死にたがり』なのだ。
誰にも訪れる『死』を早々に待ち焦がれる、全てを捨てたい『死にたがり』。
「こんなこと、あんまり言いたくないけど、そう言う子とのお付き合いは、ちょっと考えたほうがいいんじゃない?」
「よく言われます。でも、アイツの味方でいたいんです」
そういう『死』に囚われた人間のそばにいると、引きずられ、疲弊するものだと、以前読んだ本に書かれていた。
どうしてそこまで拘ってしまうのか、自分にはまだよく分からない。
でも、彼を見つめる手を緩めたら、あっけなく喪ってしまうのではないかという不安が消えない。
あの時と同じ瞳をした姉が、今度こそ本当に死んでしまうような気がして。
「……女の子だったら、僕に任せて、って言ってあげるんだけどなぁ」
「先生はそういう発言を改めるべきだと思います」
羽柴が本気か冗談か分からない顔で言うので、祐介は呆れながらそう返した。
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