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告白
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秀一さんの自宅にあがるなんて、何年ぶりだろう……
いざタクシーに乗り秀一の自宅に向かうことになると、途端に美姫は緊張し、胸が苦しくなってきた。
小さい頃はよくお家にお邪魔してたけど、いつからか外でしか会わなくなってたんだよね。
それは何が原因だったのか、美姫には見当すらつかなかった。
「さぁ、どうぞ」
お金を払って先に降りた秀一が、手を差し伸べる。
なんだか、プリンセスになった気分……
ふとそう思った美姫は、急に幼い頃のことを思い出した。『美姫』という名前から、秀一は美姫が幼い頃、よく『プリンセス』 と呼んでいた。気恥ずかしく思いながらも、差し出された手にそっと手を重ねてタクシーを降りる。
見慣れたはずの、秀一さんのマンション。
しかし今日はそのマンションを見上げるだけで胸の鼓動が早まり、躰の中心から熱が沸き上がるのを、美姫は感じていた。
デザイナーズマンションの最上階のペントハウス。そこが秀一の住まいだった。
タクシーで地下駐車場入口で降ろしてもらい、そこからエレベーターで地下の秀一のガレージがある駐車場へ。リモコンで開いたガレージには高級外車が2台停車しており、その奥にペントハウスへと直結しているエレベーターがあった。専用エレベーターで上がって扉が開くと、もうそこは部屋の中だった。
塵ひとつない清潔な部屋は、家政婦が週に3日来て掃除しているお陰だ。基本的に家事をしない秀一は、掃除、洗濯等の家事は全て家政婦に任せ、食事は外で済ませることが殆どだった。高級感を感じる重厚な家具や調度品には、ひとつひとつに秀一のこだわりが感じられる。海外に行くことが多いこともあり、そこでしか買えない高級調度品も数多くあった。
美姫は以前に何度か遊びに来たことがあったが、6年ぶりということもあり、まるで初めて訪れたかのように落ち着かなかった。広いリビングルームには、美姫が幼い頃から馴染みのある漆黒の艶めくグランドピアノが存在感を放っていた。
「紅茶を入れてきますので、少しお待ち下さいね」
秀一がキッチンへと消えて行く。その後ろ姿を目で追いながら、美姫は懐かしい空気を胸一杯に吸い込み、心を落ち着かせようとしたが、逆に鼓動は高まるばかりだった。そわそわしながらソファから腰を上げ、グランドピアノへと近づく。
幼い頃、秀一さんと一緒に並んで座ってピアノを教えてもらったっけ……
甘く優しい記憶が蘇る。
ピアノの鍵盤蓋を上げ、カバーを外し、椅子に腰掛けた。
「懐かしいですね……昔はよく、一緒に並んで座ってピアノを弾いていましたね」
紅茶の載ったトレイをテーブルに置き、秀一が美姫の隣に座った。
「秀一さん、何か弾いてもらえませんか」
少し甘えるように秀一にお願いした美姫に、彼が優しく微笑む。
「そうですね。美姫の誕生日祝いに一曲、プレゼントしましょうか」
美姫を隣に座らせたまま秀一がピアノを弾くために体制を整え、軽く指をマッサージした。隣に座る美姫は緊張した面持ちで、秀一と同じく背筋を真っ直ぐに伸ばした。
秀一の繊細で美しい指先が鍵盤に触れた途端、その指先から流れるように生み出される旋律。
この曲は、『エリーゼのために』だ……
誕生日に因んだ曲を弾くものだとばかりに思っていた美姫は驚きつつも、その美しく切ない調べにたちまち魅入られた。
あまりにも有名な、ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン作曲『エリーゼのために』。一説には、ベートーヴェンが恋に落ちたテレーゼを想って作曲したと言われている。ベートーヴェンは貴族のテレーゼと知り合い、お互い恋に落ちた。しかし、ベートーヴェンは貴族ではないため、結婚することはもちろん、恋愛関係になることすら許されない。そんな、切なく苦しい想いからこの曲は生み出された。
まるで、私と秀一さんの関係みたい。許されない関係と知りながら、秀一さんを愛してしまった。いくら消そうとしても、消すことが出来ない、切なく苦しい想い……
秀一の美しい指先から紡ぎ出されるピアノの旋律が美姫の心と共鳴し、脳裏に様々な思い出が蘇る。
いつしか秀一を叔父としてではなく、ひとりの男性として意識し始めた頃。
徐々に膨らんでいった恋心。
突然、秀一の世界から閉め出された日。
何度も秀一を諦めようと、もがき苦しんだ時期……
成長するにつれて距離を置き、事務的な態度をとる秀一に対し、自分の存在は彼にとって姪以外の何者でもない。美姫はそう、確信した。誕生日である、今日。美姫は『秀一と二人きりでの誕生日祝い』という思い出を胸に彼への想いを断ち、長年の恋心を封印するつもりでいた。
けれど……
やっぱり、無理……私、秀一さんが、好き……諦めることなんて、出来ない。
諦めようと決意した途端、そんな美姫の心を見透かし、弄ぶかのように、今日の秀一の態度は掌を返したかのように一変していた。
優しく話しかける声。そっと触れる指先。愛しさの籠った眼差し……
そのひとつひとつに、美姫は心を強く掻き乱されていた。
お願い。これ以上、掻き乱さないでください。決意が揺らいでしまうから。夢をまだ見ていたいと、願ってしまうから......
秀一の横顔を見つめる美姫の頬からは、いつしか涙が一筋零れていた。
美しい旋律が突然止んだ。秀一が鍵盤に置いていた指を離し、美姫の頬へと差し伸べた。細く長い指先が、美姫の水晶のような涙を掬い上げた。
「なぜ……泣いているのですか?」
その時、美姫は初めて自分が泣いていることに気が付いた。
「ご、ごめんなさいっ!あまりにも秀一さんの演奏が、美しいから……感動、してしまって......」
焦って言い訳する美姫を、秀一のライトグレーの瞳が眼鏡越しに深く見つめる。
いざタクシーに乗り秀一の自宅に向かうことになると、途端に美姫は緊張し、胸が苦しくなってきた。
小さい頃はよくお家にお邪魔してたけど、いつからか外でしか会わなくなってたんだよね。
それは何が原因だったのか、美姫には見当すらつかなかった。
「さぁ、どうぞ」
お金を払って先に降りた秀一が、手を差し伸べる。
なんだか、プリンセスになった気分……
ふとそう思った美姫は、急に幼い頃のことを思い出した。『美姫』という名前から、秀一は美姫が幼い頃、よく『プリンセス』 と呼んでいた。気恥ずかしく思いながらも、差し出された手にそっと手を重ねてタクシーを降りる。
見慣れたはずの、秀一さんのマンション。
しかし今日はそのマンションを見上げるだけで胸の鼓動が早まり、躰の中心から熱が沸き上がるのを、美姫は感じていた。
デザイナーズマンションの最上階のペントハウス。そこが秀一の住まいだった。
タクシーで地下駐車場入口で降ろしてもらい、そこからエレベーターで地下の秀一のガレージがある駐車場へ。リモコンで開いたガレージには高級外車が2台停車しており、その奥にペントハウスへと直結しているエレベーターがあった。専用エレベーターで上がって扉が開くと、もうそこは部屋の中だった。
塵ひとつない清潔な部屋は、家政婦が週に3日来て掃除しているお陰だ。基本的に家事をしない秀一は、掃除、洗濯等の家事は全て家政婦に任せ、食事は外で済ませることが殆どだった。高級感を感じる重厚な家具や調度品には、ひとつひとつに秀一のこだわりが感じられる。海外に行くことが多いこともあり、そこでしか買えない高級調度品も数多くあった。
美姫は以前に何度か遊びに来たことがあったが、6年ぶりということもあり、まるで初めて訪れたかのように落ち着かなかった。広いリビングルームには、美姫が幼い頃から馴染みのある漆黒の艶めくグランドピアノが存在感を放っていた。
「紅茶を入れてきますので、少しお待ち下さいね」
秀一がキッチンへと消えて行く。その後ろ姿を目で追いながら、美姫は懐かしい空気を胸一杯に吸い込み、心を落ち着かせようとしたが、逆に鼓動は高まるばかりだった。そわそわしながらソファから腰を上げ、グランドピアノへと近づく。
幼い頃、秀一さんと一緒に並んで座ってピアノを教えてもらったっけ……
甘く優しい記憶が蘇る。
ピアノの鍵盤蓋を上げ、カバーを外し、椅子に腰掛けた。
「懐かしいですね……昔はよく、一緒に並んで座ってピアノを弾いていましたね」
紅茶の載ったトレイをテーブルに置き、秀一が美姫の隣に座った。
「秀一さん、何か弾いてもらえませんか」
少し甘えるように秀一にお願いした美姫に、彼が優しく微笑む。
「そうですね。美姫の誕生日祝いに一曲、プレゼントしましょうか」
美姫を隣に座らせたまま秀一がピアノを弾くために体制を整え、軽く指をマッサージした。隣に座る美姫は緊張した面持ちで、秀一と同じく背筋を真っ直ぐに伸ばした。
秀一の繊細で美しい指先が鍵盤に触れた途端、その指先から流れるように生み出される旋律。
この曲は、『エリーゼのために』だ……
誕生日に因んだ曲を弾くものだとばかりに思っていた美姫は驚きつつも、その美しく切ない調べにたちまち魅入られた。
あまりにも有名な、ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン作曲『エリーゼのために』。一説には、ベートーヴェンが恋に落ちたテレーゼを想って作曲したと言われている。ベートーヴェンは貴族のテレーゼと知り合い、お互い恋に落ちた。しかし、ベートーヴェンは貴族ではないため、結婚することはもちろん、恋愛関係になることすら許されない。そんな、切なく苦しい想いからこの曲は生み出された。
まるで、私と秀一さんの関係みたい。許されない関係と知りながら、秀一さんを愛してしまった。いくら消そうとしても、消すことが出来ない、切なく苦しい想い……
秀一の美しい指先から紡ぎ出されるピアノの旋律が美姫の心と共鳴し、脳裏に様々な思い出が蘇る。
いつしか秀一を叔父としてではなく、ひとりの男性として意識し始めた頃。
徐々に膨らんでいった恋心。
突然、秀一の世界から閉め出された日。
何度も秀一を諦めようと、もがき苦しんだ時期……
成長するにつれて距離を置き、事務的な態度をとる秀一に対し、自分の存在は彼にとって姪以外の何者でもない。美姫はそう、確信した。誕生日である、今日。美姫は『秀一と二人きりでの誕生日祝い』という思い出を胸に彼への想いを断ち、長年の恋心を封印するつもりでいた。
けれど……
やっぱり、無理……私、秀一さんが、好き……諦めることなんて、出来ない。
諦めようと決意した途端、そんな美姫の心を見透かし、弄ぶかのように、今日の秀一の態度は掌を返したかのように一変していた。
優しく話しかける声。そっと触れる指先。愛しさの籠った眼差し……
そのひとつひとつに、美姫は心を強く掻き乱されていた。
お願い。これ以上、掻き乱さないでください。決意が揺らいでしまうから。夢をまだ見ていたいと、願ってしまうから......
秀一の横顔を見つめる美姫の頬からは、いつしか涙が一筋零れていた。
美しい旋律が突然止んだ。秀一が鍵盤に置いていた指を離し、美姫の頬へと差し伸べた。細く長い指先が、美姫の水晶のような涙を掬い上げた。
「なぜ……泣いているのですか?」
その時、美姫は初めて自分が泣いていることに気が付いた。
「ご、ごめんなさいっ!あまりにも秀一さんの演奏が、美しいから……感動、してしまって......」
焦って言い訳する美姫を、秀一のライトグレーの瞳が眼鏡越しに深く見つめる。
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