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未来のために

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 社葬を無事に終えた翌日、秀一はウィーンに帰国することになった。

 実家から出る日の朝、秀一が美姫に声を掛ける。



「美姫……私とウィーンに来てください。
 私は貴女をこのまま日本に残して、発つことなど出来ません」



 美姫は顔を上げ、秀一の深い眼差しの奥の美しい光を見つめた。

 美姫をずっと精神的に支えてくれたのは、秀一だった。

 美姫が退行現象を起こして甘えたり、寂しがってもそれを秀一は受け止めてくれた。自我を取り戻し、泣き崩れる美姫を受け止めてくれた。

 美姫は退行したことにより、自分が今までどれだけ秀一の深い愛情に支えられて生きてきたのかを思い出した。そして現在も、彼の愛情によってどれだけ自分が救われているのかヒシヒシと感じた。

 美姫にとって秀一は、恋人や家族とも違う、名前のつけられない存在だ。

 それは神によるものなのか、悪魔によるものなのかは分からないけれど……
 導かれて出逢った、たった1人の存在なのだと確信した。

 秀一さんと、離れたくない。
 一緒にウィーンに行きたい……

 高ぶる感情を抑え、美姫は自分の手首を握り締めた。



「私は、秀一さんと一緒にウィーンに行くことは出来ません」



 秀一は、あの日ウィーンへと向かう機内の中で告げられたのと同じ言葉を再び美姫から聞き、ショックを隠しきれない表情で彼女を見つめた。

 美姫は、大和のことを考えていた。

 いつも自分が苦しい時、辛い時に現れて、救ってくれた。
 ずっと、側で見守り、支えてくれた。
 苦しみながらも、愛し続けてくれた。

 美姫のことだけじゃない。
 両親にも自分以上に気遣ってくれ、財閥を支え、尽くしてくれた。

 父の葬儀でも……哀しみを堪え、母と自分を気遣い、立派に喪主としての役目を果たした。

 大和がいなければ、美姫自身だけでなく、両親も財閥も救われることはなかった。大和がいたからこそ、ここまで来られたのだ。

 そんな大和に背を向け、全てを捨て、逃げるようにしてウィーンに行くことなど出来ない。

 美姫は、震える声を抑え、ゆっくりと告げた。

「今は、まだ……出来ないんです。

 私にはここで、やらなければいけないことがあります。このまま全てを投げ捨てて、逃げ出すことは出来ません。
 けじめをつけなければ、いけないんです」

 もうこれ以上、気持ちに嘘をつくことが出来ない。

 残酷だと分かっていても、大和の愛に応えることは出来ない。
 秀一さんを、愛してる。

 だから、ちゃんと会って大和に伝えなければいけない。
 両親のことも、財閥のことも、『KURUSU』のことも、けじめをつけなければ、いけないんだ。
 
 美姫は不安げに瞳を揺らし、秀一を見上げた。

「だから、それまで待っていてもらえませんか?
 わがままなお願いだとは分かっています。でも、私……」

 秀一さんのことを、もう決して諦めたくない……

 そう言いかけた美姫を、秀一が両手で正面から抱き締める。秀一の匂いがふわっと美姫を包み込み、ギュッと抱き締められて弾けた。

「私が美姫を、これまで何年待ち続けたと思うのですか。
 美姫に恋心を持っていることに気づいてから、恋人になるまで……
 美姫と別れてから、再会するまで……」
「す、すみません……」

 慌てて謝る美姫に、秀一はクスッと笑った。

「その間の苦しみに比べたら……貴女を取り戻すまでの時間など、苦ではありませんよ。
 ようやく、貴女が決断して下さったのですから」

 秀一の言葉に、美姫の瞳から涙が湧き上がる。

「秀一、さん。ずっと、苦しい思いをさせてしまってすみません。
 これからだって……たくさん、辛いことが待ってる。それでも、秀一さんの傍にいたい。

 誰に咎められようとも、誰かを不幸にしようとも……秀一さんを、愛さずにはいられない。
 一緒に、生きていきたいんです」

 秀一の瞳の奥が熱くなり、瞼を閉じて美姫をきつく抱き締めた。

「よく、言ってくれましたね。
 貴女のその言葉を、ずっと待っていたのですよ」

 秀一の薄く形のいい唇が、美姫の唇に優しくそっと重なる。それは激しい怒りを含んだものとも、肉欲を掻き立てるようなものとも違っていた。愛しく、包み込むような穏やかな口づけだった。

「決着が着いた時……私は、貴女の全てをもらいます。
 覚悟しておいて下さいね」

 耳元で甘く囁かれ、耳朶に軽く口づけされる。

 壊れ、そう……

 顔を真っ赤にして頷いた美姫の頭に軽く手を置き、秀一は微笑んだ。

「では、行ってきます」
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