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癒えぬ悲しみ

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 母の葬儀に現れた人間に連れられ、小さなアパートから黒塗りの高級車に乗せられて辿り着いた大邸宅。いつもなら傍にいるはずの母がおらず、たった一人、大きな部屋に立たされ、長い間待たされた。

 それでも、心細い中にも幼い心に希望の芽があった。

 父に会えば、きっと母のように自分を優しく抱き留め、受け入れてくれると思っていた。深い愛情で包み込んでくれるはずだと。

『この子が、そうか?』

 そう言って秀一を見下ろした父の顔は……無表情で、冷たかった。

 抱き締めるどころか、それ以降目すら合わせようとしない。

『迷惑は、かけないで下さいね』

 父の隣にいた女は、汚いものでも見るかのように蔑んだ視線を投げかけた。

 どう、して……
 ぼくは、わるいことをしたの?

 涙が込み上げてきた。

 その時、扉が開いて制服を着た少年が入ってきた。

『こんにちは、初めまして』

 人懐っこい笑顔に触れ、母が亡くなってから初めて温かいぬくもりを感じた。

『はじめ、まして……』

 不安そうに見上げた秀一に、誠一郎はとびっきりの笑顔をみせた。

『嬉しいな。ずっと、弟が欲しいと思ってたんだ!
 よろしくな』
 
 差し伸ばされた手。秀一はじっと見つめ、おずおずと手を伸ばした。

 結局、義母の叱責により、兄と握手を交わすことはなかったが、あの時生まれた感情を秀一は一生忘れないだろうと思った。

 それから秀一にとって兄は、特別な存在となった。優しく、明るく、自分を見つめてくれる兄は、何よりの救いであり、癒しだった。

 けれど、そんな兄の態度が、ピアノコンクールでの優勝を機に変わっていった。

 兄が自分と距離をおこうしとしているのを感じていた。そのために、大学寮に入ったことも知っていた。

 そんな寂しさをずっと無いものにしていた。孤独を感じないようにしていた。

 けれど、本当はずっと寂しかったのだ。

 幼い頃に自分を可愛がってくれた兄の影を、秀一はいつまでも追いかけていた。

 両親が事故と見せかけられて亡くなった時、その秘密は自分の胸の中にだけおさめておくつもりだった。兄を、窮地に追い込むことなど考えていなかった。

 兄が結婚して子供が生まれた時、全ての確執を捨て、本当の家族になりたいと願った。だからこそ、仕事で多忙な兄夫婦を助け、美姫の世話を引き受けたのだ。

 兄に、自分を家族の一員として受け入れて欲しかったから。

 それ、なのにーー

 美姫は、秀一の心の中にすんなりと溶け込んでいった。自分の中に『愛しい』という感情が初めて芽生えた。
 それは、家族の愛なのだと思っていた。

 美姫をひとりの女性として意識していると気付いた時、そんな自分の思いに狼狽し、葛藤した。

 叔父と姪の許されない禁忌の関係。
 それだけでは、ない。

 確執を乗り越え、ようやく家族として受け入れてくれた兄を裏切ることに苦しんでいたのだ。自分を信頼して任せてくれている姪に、淫らな気持ちを抱いていることに、罪悪感を抱いた。

 そんな想いを振り切りたいのに、美姫は自分を慕ってくれている。それはもう、叔父への想いではなく、ひとりの男性としての想いだと秀一は気づいていた。

 どうすれば、いい。
 どうすれば……

 美姫と距離を置くために留学をしても、彼女への想いを断つことは出来なかった。会えば会うほど想いは募り、会わなければ会わないほど、また想いは募る。

 どんなに他の女を抱こうとも、満たされることはない。本能と理性が鬩ぎ合い、葛藤し続けた。

 秀一は、賭けに出ることにした。

 20歳の誕生日に美姫に告白し、彼女が自分の想いを受け入れたのなら、兄を裏切り、禁忌の関係に身を落とそうと。

 賭けと言っても、秀一には分かっていた。負けることはない。
 必ず、美姫は自分の手に落ちると。

 美姫を、兄を裏切るための言い訳にしたのだ。

 美姫と恋人になった時点で、秀一は固く誓った。

 もう迷わない。
 自分は叔父として美姫の傍にいるのではなく、恋人として美姫の傍にいると決めたのだから。

 だが、覚悟を決めた秀一とは違い、美姫には禁忌の恋愛に落ちる覚悟などなかった。

 ただただひたすら、愛しい人の傍にいたい。愛しい人の胸に抱かれたい。
 その思いで満たされていた。

 そんなことは、秀一には百も承知だった。だから、少しずつ美姫を垂らしこんでいったのだ。

 美姫には、秀一しかいないのだと。
 秀一がいなければ、生きていけないのだと。

 美姫と秀一が恋人であると密告され、その関係が兄に知られた時。秀一の胸には「いよいよ、その時がきた」という思いが去来した。

 ずっと、こんな日がいつか来るのではと、恐れていた。
 来なければいいと、願っていた。

 予想通り、兄は激怒し、二人を別れさせようとした。兄の主張はみな愛する娘、美姫を思っての発言であり、自分は娘を垂らしこんだ悪人扱いだった。

 確かに告白したのは秀一だが、その前から二人は相思相愛の仲だったのだ。秀一とて、兄のことを思い、罪悪感に苦しみ、眠れぬ夜を過ごしたこともあったというのに。

 自分はやはり、家族として受け入れられていなかったのだと失望が広がった。

 もう兄のことなど、どうでもいい。
 どこで死んだって、知ったことではない。

 自分はもう、兄を家族などとは思わない。

 そう、思っていたのに……

 葬儀に駆けつけ、祭壇の遺影写真を見た途端、激しく動揺してしまった。焼香する手が震えた。生花を飾るのに、苦しすぎて兄の顔がまともに見られなかった。

「ッッ……ック」

 兄、様。

 秀一は口を手で覆った。

 それ、でも……私は、あなたを愛していました。
 そして、愛されたかった……

 膝に寝転んでいる美姫が、ギュウッと腕を秀一の腰に絡ませた。

 秀一が、美姫を見下ろす。

 貴女という人は……

 秀一は眉を下げ、力なくフッと笑みを零すと、優しく美姫の髪を撫でた。
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